雨やどり


管理人室 -- 日記 -- 2022/01
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2022/01/30 手を振る
2022/01/24 子どもの感覚・待つ
2022/01/20 夜更かしか早起きか
2022/01/19 相撲は作品
2022/01/18 SNS
2022/01/16 知らないことは知らない
2022/01/11 雨を眺める
2022/01/09 返事を出せない
2022/01/06 帰り道
2022/01/04 東京見学
2022/01/01 二年散歩

2022/01/30 手を振る

定期購読している児童文学雑誌「飛ぶ教室」68号が先日届いて読んだ。谷川俊太郎さんはインタビューで「自分の中にある幼児性」「自分の中にある子どもの部分」ということを何度もおっしゃっている。このインタビューを読むとどうやら、谷川さんは「自分の中の幼児性を意識する」ということを意図的にしていたようだ。

これを読みながら、わたしは、わたしの中の子どもについて、手を振ることと結びつけて考えていた。むかし、学校から帰るとき、友達にバイバイと手を振ることは当たり前だった。そこには意味もなかった。いつからか、わたしのなかで手を振ることに意味が生まれ始める。手を振る意味は増えていき、意味は理由になって、どんどん重くなっていく。その重さにつぶされそうになる。でも、大丈夫だった。あるときから、みんな、手を振らなくなった。だからわたしも手を振らなくてもよかった。そして、いつの間にか手を振れなくなっている。手を振れないことは嫌ではなかったし、手を振れなくて困りもしなかった。むしろ、手を振れないことであの重さをすっかり忘れて安心していた。手を振らなければそこにややこしい意味が生まれないことにも満足していた。
そんなときに出会ったある人が、別れ際に手を振った。どきんとした。わたしはぺこりと頭を下げただけで振り返せなかった。その人は、次に会った時も、その次に会った時も、別れ際、同じように手を振る。どきん。どきん。わたしはかるく頭を下げて、きまりが悪いような心地で、はにかんでごまかす。その人の手の振りざまは、眩しかった。そこに意味はなく、だから眩しかった。かつてわたしもそうやって手を振っただろうか。たぶんそうやって振っていたのだ、わたしもみんなも。その人にはいつまでも手を振り返せないまま、それから、また手を振られることにどきどきしなければいけなくなる。
小さい人々と関わることが増えて、これまでの人生でいちばん多く手を振られることになったのだ。そのたびに勇気を出して小さく振る。忘れ去っていたあの重さを思い出して、おそろしく思う時もあった。わたしから先には振らないことで(実際には振れなかったのだが)、わたしと手を振ることの関係はなんとか保たれていた。
ある日、何がきっかけだったか忘れたが、もしくはきっかけなどなかったのかもしれないが、新しく出会った小さい人に、わたしは無意識に手を振った。何の意味もない振り方。その子もにっと笑って振り返してきた。見たことのなかったその子の表情は、懐かしい気がした。

今ならきっと、手を振れなかった人にも振り返せると思うし、わたしから振るかもしれない。手を振ることに、もうどきどきもしないだろう。手を振ることの意味は消えて、手を振らないことの正義も消えて、残ったのは、かわいさだった。わたしの中の子ども、というところに話を戻すと、そのかわいさがわたしの中の子どものひとつなのだと思う。子どもに戻っていくのではなく、ずっとあったはずのものをようやく意識して眺めている感じがする。

2022/01/24 子どもの感覚・待つ

「子どもと大人の関係において、待つことはすごく大切」だと、雑誌「飛ぶ教室」14(2008夏)号の斎藤惇夫さんと小寺啓章さんの対談の中で、斎藤さんがおっしゃっている。斎藤惇夫さんと言えば『冒険者たち』などで知られる方で、小寺啓章さんは35年のあいだ図書館員として子どもたちにたくさんの本をすすめていた方。この対談を読んで、子どもについて、子どもと大人について、再びよく考える機会になった。

テーマは「冒険」。それ以外の打ち合わせはしていない状態でこの対談は始まったようだ。どんな話が出てくるほうが分からないほう面白いじゃない、と斎藤さん。まず、今の子どもたちはどんな本を読んでいるのか、という話になる。「冒険」という言葉が死語に近くなってきているのかも、という話が面白い。斎藤さんの著書には「冒険」とつくものがたくさんある。「新作を出すときは、タイトルを小寺さんにご相談します」と笑いつつ、それしかつけようがなかったともおっしゃっている。斎藤さんは子どもの頃から本を読んできた理由を「主人公と一緒に旅に出て、思いがけないことに出会って、はらはら、どきどきしながら家に帰ってくる。その喜びだけを求めていた」と語る。旅に出ることはもちろん、「家に帰ってくる」という一言があるのがとてもいい。

これまでに読んだ冒険の物語についてしばらく語ったお二人の話題は、小寺さんが図書館員を務められた「山の図書館」についてへと移っていく。会話が進むなかで、小寺さんの大人になってからの児童書の読み方について、斎藤さんがある確信をしていくのが分かる。
小寺さんが物語を読むときについて、「山奥で遊んでいたころの感覚に近いんじゃないですか」と斎藤さんは問う。というのも、10年ほど前、一緒にイギリスへ行かれたときに、「あそこにロビン・フッドがいる!」と小寺さんがバスの中から叫んだらしい。そのエピソードを「実におかしかったです」と笑ってされている。それに対して小寺さんが「あのときは物語が蘇ってきて⦅中略⦆新しい自分を発見したようで」と答える。「それは新しい自分ではなく、作品を読んで夢中になっていたご自分と再会されたんじゃないでしょうか」と斎藤さん。その時の小寺さんの姿に、「子どもの感覚」の存在を、ご自分の目で見た(そしてそれを10年たっても話すほどによく覚えていた)のだろうなと思う。
二十代を過ぎてから出会った作品が多いという小寺さんに対し、斎藤さんは「二十代の小寺さんは、子どもと同じ感覚で読んでいらっしゃった」と、何度も言う。何度か言葉のやり取りをしていくうちに、最初は「かな」という語尾だったのが、次におっしゃったときは「やっぱり~なんだ」というふうに変わっていった。斎藤さんは、ご自身の場合は「ランサムの翻訳が出たのは、僕が高校生のとき」で、「しまった、ちょっと遅れちゃった!」と悔しかったそうだ。それまでの話の中でも「子どもの感覚」というワードは出てきており、斎藤さんは、書くことでそれを取り戻そうとしたのかもしれない、というようなことをおっしゃっている。そんなご自身のことや小寺さんとの思い出をふまえて、小寺さんの本の読み方について「子どもと同じ感覚」という確信をされたのだと思う。

ここで、ふと思う。「子どもの感覚」というのは、つまり、どういうものなのだろう。物語にわくわくするとか?物語に出てくる食事をおいしそうだと思うとか?子どもたちは、私たちが思うよりはるかに多くの時間を持っているのかもしれない。大人の生活に憧れてみたり、反対にそんなものはずっと遠くだと思ってみたり、大人になってみたり、子どもであることに自覚的でそれを言い訳にしたりする。私が関わっている子たちがそういうことを口にしたり表情に出したりするとき、あっ、この子は今ちがう時間にいる! と感じることがある。子どもたちはいっぱい持っている時間を自由に行き来する。時間だけじゃないかも、場所もかな。当たり前にどこにでも行こうとする。
大人としてそういう人たちを相手にするときに、同じ感覚を持たずに知識とか建前だけを押しつけると、簡単に子どもたちを守ってしまう。守られた子どもたちは、それはそれで楽(ラク)なのかもしれないけれど、あとになって、楽しかった、とは思わないだろう。ましてや、その大人の存在が「自分の子ども時代を楽しくしてくれた」とは絶対に思わないはずだ。本当にいいなと思える物語について考えるとき、大人について考えたのと同じことが言える気がする。

話をお二人の対談に戻す。斎藤さんの確信に対し、小寺さんご本人はいまいちピンと来ていなそうである。けれど、小寺さんのされた図書館に来る子どもたちとの話を聞いて、きっと斎藤さんのおっしゃる通りなのだろうなと、私も思った。「子どもが本を返しにきたときを大事にするようにはしていた」という。「物語を楽しんだ子どもは、体を見れば分かるんです。破裂しそうなくらいぱんぱんに膨らんでいる」らしい。「その気持ちを誰かが受け取ってやらなくちゃいけない」と続く。だれでもいい、とおっしゃるけれど、なかなか簡単にできることではないと思う。できるだけの力があっても、小寺さんほどその役をやりきれる人は、さらに限られるのではないか。斎藤さんは「寄り添っている大人」「一緒に体験してくれる大人」というふうに言い換えている。
本をすすめることについてにも話が及ぶ。小寺さんは「待つのが仕事と言ってもいい」とおっしゃっている。この場面で、この文章の冒頭に書いた斎藤さんの「子どもと大人の関係において、待つことはすごく大切」という言葉も発せられるのである。小寺さんも「人間関係を継続していく中でさまざまな本に出会うことで、子どもは成長していく」と続ける。いつか出会うのにいいタイミングを早まらないこと。ちょうどいいタイミングの出会いは、小寺さんのような大人によってもたらされるかもしれないし、子どもが自分で見つけることになるかもしれない。「今」ではない「いつか」を待つ、そしていつかその日が来たときにその気持ちを受け取ること。難しいことだけれど、私自身もそんなふうにいられたらすてきだなぁと思う。

おまけの話。こういうことを考えるとき、目の前にいる子たちのことを思い浮かべられるというのはいいなと思う。大きい人として小さい人と関わることは、大きくなってからしかできない。私なんかはようやく大きくなったところで、ようやく大きい人として小さい人と関わっている。大きくなっても、当たり前にどこにでも行ける感覚は持ち続けている(つもり)。私の子ども時代を大幅に楽しくしてくれた物語や大人は、まだ私の中にも、この世界にも、はっきりと存在している。
おまけの話2。誤解をおそれるあまり、説明が長くなってしまう。この対談をだれかと読んで、思いつくことをお互いに喋ってみたら、もっとシンプルで分かりやすい答えにたどりつけたかもしれないなと思う。こんなに長々とした説明もいらなかった。読み合わせるだけでもちがうことを考えるかもしれない。大事なのは、だれかがいること。

タグ: 読書 

2022/01/20 夜更かしか早起きか

ふわふわと心地がいい。ぽっかりあらわれた明日の休日に、前夜の夜更かしをするか本番の早起きをするか、迷っているうちに気絶(うたた寝)をしていた。どちらもできたらいいのに。気がついて26時半。そのまま寝てもよかったが、散歩の心地だったので、こたつに入ってぼんやりしている。ついでに日記を書く。
昨日から今日にかけて『図工準備室の窓から』を読み返した。1年以上「近々書きます」としていた感想文もようやく更新しました。そこにも書いたことだけれど、自分自身に対して「今の私」というものをすごく意識した。今の「今の私」はもちろん、かつての「今の私」、これからの「今の私」がいること、そして、それぞれの私が少しずつ違う何かを感じていることを、意識させられた。これからも定期的に読み返していきたいし、そうしていかなくてはいけない。なんにしてもあまりにすてきな一冊。
そうそう、今日のこと。2年半くらい開いていなかったメルカリをたまたま開いたら、岡田淳さんの私家版画集『個人的ピラミッドへの挑戦』を出している方あり、迷わず買う。同じ方が『マリオネット』も出されていたのだけれど、すでにそーるどあうとだった。ほんとうに手放していいの?という気持ち。私は何も手放せなくて、部屋にものが増えつづけている。時々思いたって片づけるが、多少ものの配置がかわるだけで減らない。つまり、手放せないものばかり手にしているという幸福な人間なのである。部屋はいっそう秘密基地のような場所になっていく。
さて、トロトロと眠くなってきたので、そろそろ寝よう。前夜の夜更かしを達成した。さっきまで気絶していたぶん、明朝は早く起きるかもしれない。夜更かしと早起き、どちらもできる方法は、あった。

2022/01/19 相撲は作品

お昼頃「志摩ノ海と妙義龍が今日から休場」との速報を見た。その2時間後くらいに二人ともけがによる休場だと分かって、よくないけどよかった。とくに志摩ノ海関は、英乃海、紫雷と同じ木瀬部屋だし…。今場所は、個人的に残念だと思う休場が多い。まず、高安関が部屋のコロナで休場。推している力士の一人なので、残念。タオルで顔拭くとき、すんごいごしごしするの痛くないのかな…といつも思っている。四日目から貴景勝関もけがで休場。令和二年の十一月場所の優勝インタビューを聞いた時から、この人を信じている。応援しているとかではなく、信じている。彼が彼自身の思うように強くある時は必ず勝つので、私が応援するまでもないのである。
相撲は、作品だと思う。スポーツではない。芸術と言うのも少し違う気がする。作品とは芸術上のものだと言われればそうかもしれないが、相撲という作品は、私にとっての本のようなものとして存在する。土俵での振る舞い、取組の内容、力士の性格、表情、そういうものすべてを含んだ作品が、それぞれの力士にある。作品を見る人がその作品に対して感じることがすべてなのである。いい作品は、いい作品である限り好きでいたい。
毎場所十五日間は、仕事の後に、ニュースを見てしまわないように気を付けて十両で気になるものと幕内すべての取組を録画で見る。仕切りなどは適宜とばすけれど、時間があれば解説も全部聞きたいくらいだ。今日は間垣親方(白鵬)が正面解説だったので、特にそうだった。間垣親方の解説は本当にすごい。「なるほど」を連発してしまう。あれだけ長い間横綱の地位であり続けていたのにも納得する。舞の海さんの解説もいいね。
初場所は今日が十一日目。終盤戦に入った。たまには感想でも書こう。カッコ内は私が勝手に呼んでいるあだ名。十両は、琴勝峰関(コトショー)。推しているうちの一人。真面目さが伝わってくるひと。幕内にもどってくるのを心待ちにしている。幕内は、まず琴ノ若関(ワカ)。推しているうちの一人。相撲が堂々としているひと。勝ち越しインタビューも落ち着いている。阿武咲関(アム)は、今場所いい感じ。まるっとしたおじぎのひと。明生関(アキオ)は、反って手をたたくひと。今場所は腰が痛そうで、反らない。隆の勝関(顔)はあっけなく終わる。かわいいひと。顔。御嶽海関(ミタケ)は、裏切られてもまた期待してしまうひと。相撲がうまい。そろそろおねがいしますねと、全長野県民が思っていると思う。今場所はこのまま期待していいか…? 対する正代関(マサヨ)は、心配になる。よく怒られるひと。先日、解説の舞の海さんにもさんざんに言われていたけれど、ここからなんとかがんばってほしい。結びは照ノ富士関(テルチャン)。つよいひと。相撲も心も横綱。十一日目の感想おしまい。

2022/01/18 SNS

ついったーは以前、あやという名前でやっているアカウントがあったのだけれど、2020年の秋にやめた。ここにいることに縛りつけられていくような心地がしてとても怖かったのと、いいねキモ!(暴言)と思ったのが理由。なんでもかんでもいいねされるとしんどい、というのはただ単にSNSに向いていない私のせいで、いいねする人のせいではない。それでいて、私信に気づかれないと、そういうものなのに、それはそれでさみしかったりするので、ほんとうに向いていない。そして、SNSとは関係なく、この地に縛られないためにも、みんなから離れたかった。綸の名前のついったーアカウントだけ残してなるべく遠くの話をした(つもり。最近は近めだったかも)。近くの話はあんまりたくさんの人の目に触れないここの日記に、もっと近くの話は私しか見ない紙の日記に書いた。
ツイキャスのアカウントが消えないように、あやと同じユーザー名のアカウントはちょっとあとでつくりなおしたのだけれど、全く使わないまま存在だけがあった。最近になって、わたしはわたしのいるところをちゃんと見なくちゃいけないし見たいなと思ったのよ。それで、彩の名前でさいかいすることにしました。@dolce185 忘れていなかったらフォローしてね。そのうち、思い出した人を探そう。また会えるかしら。べつについったーじゃなくても身近な話はできるし、自分のいるところをちゃんと見ることもできるのだけれど、みんな(全員ではない)はついったーにいるらしいので。みんな(全員ではない)とまた会えたらいいな。でもたぶんいつかまたやめます。向いていないし、SNSはキモい(暴言)から。

2022/01/16 知らないことは知らない

本当は来週あたりに高校生たちと関わる予定があって楽しみにしていたのだけれど、感染症の影響でしばらく部活禁止になったらしく、先に延びた。延びるだけならいいが、なくならないといいな。家の教室はようやく4年目なので、小学4年生くらいまでが多い。それより上はまだちらほら。教室以外で、中学生とは毎夏関わる機会がある。学校で、部活で、みんながどうやって生きているかを眺め、みんなが見る景色にわたしが入っていくことは、おもしろい。高校生とは、自身が高校生として(現役)か大学生として(教育実習)関わった以外に、まだあまり機会がない。中高生とは、ひとりのときに接するのもいいけれど、みんなでいるときに関わることは興味深いなと思う。

というわけで、2021年10月に予告していた日記をようやく書きます。昨秋、普段はひとりずつレッスンしている子たちを何人かずつ一緒にレッスンする機会を何回かつくった。友達同士でどんなふうに関わるのか、どんな話をするのか、どんな表情をするのか、とても新鮮だった。そこにわたしもいた。友達がいるとき、わたしとどう接するのか、どんな態度でいるのか、何が変わって何が変わらないのか。これを読む人はうちの子たちのことを知らないだろうから、詳しくは書かないけれど、それぞれにいろいろでとてもおもしろかった。
みんなのそういう姿を、そのときに知るまでは知らなかった。当たり前のことなのだけれど、知らなかったのです。もちろん、それまでも知らないということだけは知っていた。みんなで会ったことで、あとでまたひとりずつと会ったときに何か変わったかと言えば、特にそんなことはない。みんなで集まった記憶を共有しているだけで、それまで通りだった。だけど、みんなでいるときのお互いのことを知ったことは、わたしたちのこれからに新しい景色をつくったと思う。

そして今、みんながわたしのいないところでみんなだけでいるときのことを、わたしは知らない。一生知ることはない。これも当たり前のことなのに、世の中では多くの人がなぜかそのことを当たり前に思っていない。自分のいないところで誰かがまた違う誰かと仲良くしているかもしれないことを、知ることはできないのに、勝手に思い込んで怒ったり憎んだりする。そういうことが起きている空間の一切がだるくて、わたしはわたしと誰かのことをほかの誰かに話さないようになった。明け方の夢で、夢の中だけでは(ありふれて)かわいいわたしは、わたしの知らないところでわたしはその人を知らない、と思って泣いたのだった。目を覚ましたわたしはもう泣かない。夢の中のかわいいわたしのことがたまらなく嫌で、しかしうらやましい。
年末年始に会った友人たちは、わたしの知らない人のことを上手に話した。わたしも上手に話せるのなら話したいことはたくさんあったのにな、と今になって思う。いつか、知らないことは知らないとわかっている人に、その人の知らないことを上手に話せたらいいな。

この数年で年齢が一桁の人たちとはけっこう関わってきて、みんながこれからもっと大きい人になっていくことがとても楽しみです。わたしにとっては、大きめの人たちとはこれから。中高生になってから出会うのもおもしろいけれど、そうじゃなかった日々のことを知っているわたしたちは、どんなふうに関わっていくかしら。

2022/01/11 雨を眺める

今日もどこかで雨が降っている。人々は雨が降ることに対しては何もできない。けれど、降った雨に打たれたり降った雨をよけたりすることはできる。降る雨を憎んだり悲しんだり喜んだりすることもできる。わたしは、雨をただ眺めることを選んだのよ。そして、雨が降っていることとはまったく関係なく歩き続けることにしたの。ある時は傘をさして、ある時は何も持たずに。
たくさんの人が歩みを止めている雨の道を、わたしと、わたしの信じている人が歩き続けていて、いつのまにかみんな(全員とは望まない)が歩いている。そういう世界を想像する。雨のなかを歩き続ける人とはまた会えるはずだと思う。雨の記憶を傷つけようとする人はたくさんいるけれど、それが変わらないと分かっているわたしたちならば、記憶のなかでもまた会えるかもしれないね。

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2022/01/09 返事を出せない

紙の日記が少し前からたまっていたのを書いた。ブログやホームページで書くようになってから書かなくなっていた紙の日記は、2020・8・10に再開した。時々「↓skip」という文字とともに何日か空いているところもあるけれど、なんとか書き続けている。パラパラと読み返したら、すさまじいラブレターだった。そして、2022年になっても相変わらずラブレターを書いている。きっと出すことのない手紙たち。いつか、届けたい人たちにこの手紙を出してもいいだろうか。いつかっていうのはたぶん、わたしの出すそれが、返事の出せないものになったとき。

2022/01/06 帰り道

2022年の仕事はじめ。4月末でここはやめます。あとは自分でやっていくだけ。最初から向いていないことはわかっていたけれど、ここにいる限りはできるだけのことをしようと思ってきた。大事な人たちのよいことがふくらむようにと望むことだけはあきらめなかった(そうではないくだらないところでのあきらめはいくつもあった)。働きはじめる前はなるべく早くやめようと思っていたけれど、はじめてからはできるだけ長く続けたいという気持ちがあったのもほんとう。しかし、そういう気持ちになればなるほど、長くはできないことが分かった。よくあってほしいというわたしの自己中な願いは、いつか悪いことを引き起こす。そういう予感があった。
3年目が終わるときにどうするか迷って(3年はやりなよと言われたので)、あと1年は頑張ろうと決めたのだった。その1年がとても苦しかった。今もその1年の最中なわけだけれど。4年目(2021)の夏に、やめることをようやく決めた。決めたら決めたでまた苦しい。何かをしたかったわけではないけれど、けっきょくわたしにはどうすることもできなかった。←この思い上がった発想が、わたしの自己中な願いによる悪いことのひとつ。そして、終わったあとにこの苦しみから解放されるかといえばそういうわけでは決してないことも分かっている。それでもやめるのは、続けていくためにぎりぎり保っていたバランスは、もうすぐ崩れて二度と元に戻らないから。今のわたしにはもう、やめる以外に方法がない。いや、もっと正確に言い表すならば、やめることをする以外に方法がない、とするのがいい。
という言い訳じみた考え事を、やめることを決めた夏から毎週欠かさずに、帰り道にしています。

2022/01/04 東京見学

一日東京であそんできてほんとうに楽しくてよかった。目の前のものだけを見て、目の前の人だけをおもって、たくさん歩いた一日でした。もうこれで死んでもいいな(過激な幸福)と思ったし、またこういう日が来ればいいなとも思えた。以上、旅の総括。以下、書かなくてもわたしはぜったいに忘れないのだけれど、未来への記録。

3日夜に東京に着いて歩く。東京の街の匂いがした。別所坂(目黒区)は勾配・湾曲ともに名坂。一歩の価値あり。実は、別所坂は以前から目をつけていた坂だったのだが、歩いているときはそれと気づかず、いい坂だなと思ってあとで確認したら別所坂だったというわけ。寝て起きて朝。8時半くらいから目黒川沿いを歩いて、西郷山公園。台地の端にあるから見晴らしがいい。そんなに広くはないけれど、あそぶにも散歩にも◎。いい公園に認定。渋谷まで歩いて電車に乗る。2年近く使っていなかったパスモがはじかれた(前日は特急券+乗車券の切符で来た)。
茗荷谷に着く。10時くらい。茗荷谷に来たらたいてい行く喫茶店、やってるかなと思って行ってみたらやっていてよかった。今日からとのこと。湯立坂をくだる。ここは言わずもがなの名坂。湾曲の品格はどの坂にも負けない。くだりきったところにあるロシア料理のお店がすごく好き。もう2年以上前だけれど、当時は魔女と魔女見習いがいた。本当においしいし、すべてが魔法。やっていれば行きたかったなー。ホームページ(魔女感のあるホームページ)を見たら5日からということだったのでまた今度。小石川植物園まで歩く。途中にあるパン屋さんもお蕎麦屋さんも5日から営業の貼り紙。
小石川植物園に着く。約2年ぶり。ギリギリ2年はたっていないか。2020年3月以来いちども県から出ていなかったから、なにもかも本当に久しぶりだったということだ。だけど不思議と、なにもかもに対して久々の感覚がなかった。《ここから改行まで小石川植物園記がつづきます、ついてこられる方のみどうぞ。》正門を入って目の前の武蔵野台地へとのぼる坂道に心を惹かれるのだけれど、まずはすぐ左に折れて並木道を歩くのがわたしのいつものスタイル。ツバキが咲いている。池のザリガニ看板の写真を撮る。手前のウメ林をぐるっとする。咲き始めている品種もあった。ほとんどはまだ。日本庭園から池の向こうの崖を眺める。あの崖の上は武蔵野台地。一番西側の道からのぼる。針葉樹林を歩く。ここではなるべく大回りで歩く。トチノキを過ぎる。サンシュユ(わたしの一番好きな木)の黄色い花がほんの少し顔を出しているのが一輪だけあった。赤い実も少しだけ残っていた。スズカケノキはいつも白い木肌が美しいのだけれど、今回ほど美しかったことはない。高いところで広がる美しい枝を見上げて5分くらい動けなかった。イロハモミジ並木を抜けて温室へ。入って左手奥の部屋に、名前にHoyaとつくものが何種類かあり、そこがお気に入り。一押しはホヤ・ムルティフローラ。今回は流れた後の星だった。温室を出て、薬園保存園と分類標本園を通りながらハンカチノキとクスノキを見る。ここのクスノキは視界に収まらないほど大きくて、かっこいい。少し奥まったところにギンモクセイがあるのを初めて発見した。秋に来なくちゃ。カリン林のほうまでさっきとは違う道から戻って、カリンの木肌を眺め、クロマツのあたりから崖をくだる。途中、カキノキが一本だけあるのを眺めながら、奥のウメ林をぐるっとする。そのウメ林の東側の道からまたのぼる。ここはあんまり人が歩いていなそうな道の感じで好き。カンザクラのほうまで来た。だいぶ咲き始めている。近くに水仙がもう咲いていてびっくり。つつじ園を通り、ソメイヨシノ林を歩き、温室の横を通ってニュートンのリンゴとメンデルのブドウを眺め、本館のほうから最初に心惹かれた坂道を下る。今日通らなかった道はまた今度。《小石川植物園記おしまい。》
播磨坂をのぼって駅に戻り、ともだちと会う。朝の喫茶店ふたたび。それから散歩。ほんとうに、なにもかもが久しぶりじゃなくて、自分でも気づかない間にちゃんと続いていたのかもしれないと、いい意味で思えた。「続く」とかいう発想は、最近わたしがあんまりよいものとしてではなく取り憑かれている発想で、なんとか考え抜かなくてはいけないのだけれど、その勇気になった気がする。
電車に乗って表参道へ。昼を過ぎてから風が出てきた。クレヨンハウスで絵本やら児童書やらを見る。好きな子どもの本屋さんは調べたらどこもお正月休みだったので、初クレヨンハウス。家のほうには子どもの本がここまで充実しているところがないので、楽しかった。子どもの本を選ぶとき、図書館でも本屋さんでもそこにいる子どもが手にする本にこっそり注目しているのだけれど、図書館と本屋さんとでは選ぶものがやはり違う気がする。どちらもとても参考になる。となりで同じ棚を見ていた4年生くらいの男の子が、絵本を読みながら「わ~」と言ってめちゃくちゃ笑っていた。何の本読んでるんだろと思って気にしていたら、向こうもわたしが手にしていた本を気にしていて、何とも言えない懐かしい気分になった。その気分とは、小学生のころ、学校の図書館の絵本コーナー(畳だった)で、友達とお互いに読んでいる本が気になって「次、読ませて」と言い合っていた時の記憶だったのだと、あとで歩きながら思った。迷って3冊だけ買い(あんまり買うと重くなるので)、お店を出る。
いい空だったので、てきとうな方向に歩く。東京のいいところは、何も考えずに歩いていてもそのうちどこかしらの駅が見えてきて、疲れたらいつでも電車に乗ってどこへでも行けるところ。その時思いつかなかったけれど、あの辺りは渋谷川の暗渠があるのではないかしら。…調べてきた。キャットストリートだ。川の蛇行を感じて歩きたかった。また今度。無心で歩いていて、気がついたら国立競技場があって、また次に気がついたら新宿御苑があった。新宿御苑はもうとっくにしまっていた。あそこのプラタナス並木は圧巻。そういえば小石川植物園にはプラタナスがない。新宿駅に着くと17時のあずさが出るころだった。そのあずさには乗らず、電車で少し移動してまた歩く。
いつの間にかすっかり暗くなっている。ともだちのお店にお邪魔する。大学生の話を聞きながら、その人の見る景色を想像することはあっても、わたし自身の大学時代のことは思い出さなかった。その人の高校時代の話を聞きながら、わたし自身の高校時代のことは黙って思い出していた。けれどもこれは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう。そうこうしながら、あずさの指定席をとる。そういえば自由席がなくなってからもうだいぶたつのではなかろうか。21時のあずさ、55号。そんな本数出てるのだろうかと思い、あとであずさの中で調べてみたら、上りも下りもそれぞれ一日に20本弱。ない数字もたくさんあった。ちなみに今、あずさ2号は存在しないらしい。
時間になって、東京の街にさようならをして、電車に乗る。終電のあずさは、甲府を過ぎたら家かと思うくらいみんなくつろいでいるのは、むかしと変わらない。最寄りの一駅前の手前でナニカとぶつかってしばらく停車し、27分遅れで最寄り駅まで到着。ナニカがなんだったのか、謎に包まれたまま電車を降りた。

以上、詳しめの旅記。まとめ。わたしにはとても大事に思うものがあって、それは大事だと口にすればたちまち軽くなってしまうような気がするから、言いたくないくらいなのだけれど、そのことをほとんど考えない一日だった。わたしの自由さとは、どこで何をして生きているかに因っているのではなく、ただ歩くときにその歩きかたが自由なのだと思い出した。一日歩きまわっているとき迷うことなく自由だった!
今後の散歩予定。いつかしたいのは、アポロニウスの円散歩。東京タワーとスカイツリーからその高さの比率でできるアポロニウスの円をぐるっと歩く。その円上のどこから見ても東京タワーとスカイツリーは本当に同じ高さに見えるのか。それから、いい坂といい公園探しはどこに行ってもする。富士見台の研究も進めなくては。地図上で高低差をみたり、町の歴史をざっくり調べたりはしたけど、あとは実際に行って歩かないとなかなかむずかしい。そのうち。

タグ: 旅 

2022/01/01 二年散歩

年越しは、そうしたいと思っていた通り、散歩した。歩くの大好き。氷点下6度のなか10㎞くらい歩いた。歩いていれば寒くなかったし、星がきれいだったけれど、如何せん暗くて星の他には何も見えなかった。寝て、起きて、今年の弾き初めはブラームスにした。続けてバッハを弾いて、wafflesの歌を何曲か歌った。
歩きながら、弾きながら、歌いながら、今のままでは私の気持ちはきっと誰にも伝わらないだろうなと思った。それを説明することも最近は少なく、それでもいつか私の200歳の誕生日をだれか一人でいいから祝ってくれていたら……と思い上がった願い事をした。いろいろなものについて、いつまで続くのだろうかと考える。本当に続いてほしいものがなるべく正しく続いていくようにすること。そのために愛しい人たちのことをちゃんと覚えていようと思います。できたらお互いに。

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