雨やどり


管理人室 -- 日記 -- 2021/10
一覧
2021/10/27 くだらない話2つ
2021/10/26 柿をいただく会
2021/10/21 この世のクッキー
2021/10/18 数学と音楽
2021/10/14 告知
2021/10/13 柿のワンピース
2021/10/12 アン
2021/10/08 感じが悪い

予告

私と一対一で関わっていた小さい人々が集団になっている中に私もいるという機会が最近多く、とてもおもしろく感じている。という日記を近々。書くかも。書かないかも。個人情報みたいなものに配慮すると、ほとんど何も書けない気がする。どう言えばいいか考えてみて、うまくまとまったら書こう。

→書きました:2022/01/16 知らないことは知らない

2021/10/27 くだらない話2つ

①くっだらない事件が度々起きており、今日また久々にそれがあった。的外れに違う人にとばっちりが及び始めているので、そろそろこの陰湿に熱風を当てて乾かしてやりませう、と決意。先方は悪を全うしすぎていて、もはや可笑しい。完全な悪というものは意外と単純なのだなぁ。おもしろくなりそうだ。警察に行かなくて済むといいが(入口の右折は、対向車が多くてなかなか入れないので)。
②LINEで県の新型ウイルス関連のアカウントとお友達になっている。今日のメッセージ、「N県内(N市、M市を含む)における陽性者は0名です」。なぜかいつも「県…n名・N市…m名・M市…l名」という形で発表される。県にN市とM市はもちろん入っていない。はじめの頃は、N市のみ別枠だったのに、いつからかM市も特別扱いされている。どんな陰謀があったのだろう。その他の市町村はみな、いつまでもきちんと県に収まっています。

2021/10/26 柿をいただく会

本日は、柿をいただく会(ではない会)*がありまして。場所に行ったら、2つずつ袋に入った柿がそれぞれの椅子にポンと置かれていた。1人1袋のはずが、かわいいので(わたしが)、ハイともう2袋押しつけられ、計3袋ありがたくいただいた。わーい。実際には、かわいいからではなく、苦労していると思われているからかもしれないが…かわいいからということにしておこう。
柿は、暑い夏を越さないと甘くならないらしい。夏が涼しいこのあたりは渋柿しかならないので、すべてさわしてくださってあった。あの、暑すぎた夏だけは、どこの家にも甘柿がなった。さわした渋柿は甘柿より甘いと言うけれど、どうかしら。楽しみにいただくことにする。
窓から外を眺めると、柿の木が2本見えた。奥の木には実がたくさんなっていて、手前の木は高いところにいくつか残されて(鳥のため?だっけ?)あとはすでに収穫されているみたいだった。これから、のことを考える。

2021/10/21 この世のクッキー

先週末に本番がひとつ終わって、今週は比較的ゆったり過ごしています。月曜日、3時に寝て10時に起きる。真っ青な秋晴れで、カスタネットと鈴を買いに行った。陽気である。午後はコーヒーを飲んで練習と仕事。日記を書いて寝る。火曜日、本番明けにより午前の仕事はおやすみで、アラームをかけずに9時半に起きる。今月末のコンサートで着るための魔女のドレス(ハロウィーンとは関係なし)作りに着手。身頃のダーツと肩、脇を縫う。身頃だけかぶってみて、左脇にファスナーをつけることにし、縫ったところをほどく。丁寧に。午後はコーヒーを飲んで練習と仕事。本を読んで寝る。水曜日、アラームをかけずに7時半に起きる。胡桃のクッキーを焼く。わたしの作る胡桃のクッキーはこの世のクッキーでいちばんおいしい。甘くないミルクティーともワイン(またはぶどうジュース)ともコーヒーとも合う。この世でいちばんおいしい。あの世のことは分からない。あの世にはもっとおいしいクッキーがあるのかもしれない。途中、生地を休ませている間に、魔女のドレスの衿ぐりをバイアステープで処理。午後はコーヒーを飲んで練習と仕事。本を読んで寝る。木曜日、アラームをかけて7時に起きる。午前中の仕事が10時半に終わる。コーヒーの木を日向ぼっこさせ、花壇と駐車場の草取り。空気が冷たく太陽はあたたかい。爪の間に入った土をきれいに洗い流して、魔女のドレスのスカート部分を、ポケットをつけて縫う。ポケットは必ず要る。こたつを出した。午後はコーヒーを飲んで練習と仕事。この日記を書いたら本を読んで寝る。何かを作ったり、草花や土に触ったり、本を読んだり、穏やかなよき日々である。足りないもの:人と旅情。仕事以外で人と関わっていない。あまりに穏やかである。大学時代の友達のピアノを思い出して、あぁ今という時に再び聴きたいなと思った。

2021/10/18 数学と音楽

昨夜25時くらいまで、2番目の兄(同い年)と弟とビデオ通話(ずぅむ)をしていて、途中、数学と音楽の話になった。弟は大学で数学を勉強している人で、兄は大学で数学を勉強していた人。私は音楽をやる人だし、きょうだいみなむかしはピアノを習っていて合唱をやっていたりもする。弟曰く「数学は、(紙と鉛筆以外に)何もないところから、なにかひとつを“ある”と認めると、他のものも存在してくる。それが“答え”。音楽は、答えが見つかりにくい気がする。」しばらくうんぬんかんぬん話して、音楽は目の前にもうすでにあるからだろうという話になった。目の前に存在している音楽はもう変わらないから、意味などない。変わらないものの理由(答え)は見つかり難い。「結局、音楽の意味を考えたところで、それは私たちが決めているのではない。これまで、その時に目の前にいた人たちが一番いいものにしてきた。その人たちがその時にやったことは確かに何かの“答え”だったのかもしれないけれど、それがそのまま今の私たちの“答え”になるわけではないよね。」みたいなことを私が言って、みんなで「う~む」と言って、いつしか別の話題にうつっていた。
そういう話をして、私は“ある”ということに執着しすぎているかもしれないと思った。数学をやる彼らは、はじめに“ある”と仮定したものが本当はなかったとしたら、一度存在を認めた他のものもすべてがなくなることを分かっていて、それでも答えを出すらしい。すごいと思う。私は、そんなふうに答えを出したり意味を考えたりすることは、あまり積極的にしてこなかった。もちろん、ないかもしれないと考えることはあるけれど、それは“ないかもしれないもの”でしかない。あるものと同じように考えたりするには勇気がいる。どこかにあると信じているものや目の前にあると思っているものが本当はなかったらと思うと、怖い。いやしかし、そういう発想で、答えの見つからないものに答えを出してみるっていうのも、手かもしれない(何の手?)。
昨夜のは、20時から22時くらいまで部屋を開けておくから来たい人は来てねという家族ずぅむ会で、みんな途中から来たり途中で抜けたりそもそも来なかったりして、残った3人で思いがけず長く話していたというわけ。こういう話は一瞬で、ほとんどはくだらない話でした。

2021/10/14 告知

思い立ってふぇいすぶっくとLINEのタイムラインに投稿したら、久しぶりのひとから連絡が来て嬉しかった。返事を打つのに、なんだかいろいろ言おうとして30分くらい書いたり消したりして、結局、50字くらいの内容のない返事をしてしまった。これでよかったと思う。これがいちばんよかった。これまでもこれからも、それでよかったのね、きっと。
そういえば、6月に本番があったとき、告知を忘れていたな。SNSでの告知は、集客のためと思ったことがない。こんなことがあってね、みたいな話をそこにいるあなたに投げかけてみる。それで、あなたがそこにいてわたしがここにいることをお互いに確認して、ふ~んとか言われちゃう。ふ~ん。追記:ふ~ん以外のSNSはキモい!(暴言)

2021/10/13 柿のワンピース

8・20ころ、うんざりがっかりすることが重なって、今でもそういうことは無くならず続いているのだけれど、最近ようやく私の係じゃないと思ってからは、いくらか目つきも良くなった。しばらく隠しページ(懐かし…)で近況という名の日記を書いていましたが、もどります。嫌になったらやめればいいし。柿のワンピースを着ていたら、みんなから美味しそうと言われて嬉しかった日でした。

2021/10/12 アン

『アンの青春』でアンは、学校で教えている子ども達の様子を、グリーン・ゲイブルズの家でマリラに話したり、クイーン学院時代の親友に手紙で書いたりする。あぁ、今わたしもアンとそういう話ができたら楽しかろうなぁ。楽しいだけでなく、もっといい方法を思いつけるかもしれない。具体的なことは書けないけれど、どうしたものかしらと思案していることがある。そもそもわたしに何かできるのかと言えば、結局は何もできないかもしれない。けれど、できるだけいい道を正しく歩いているしかない。その方法を考えつづけていく。そういう話を誰かとできたらもっと心強いだろうと思う。
今のわたしには、大きい人同士で子どもの話をする機会があまりない。みんなそういう話はしないんだもの。子どもたちは、わたしにいろんな話をする。わたしが知らない友達の話も平気でする。大きくなった人たちも、むかしは「学校で○○ちゃんがね…それでわたしは…」みたいな話をだれかとどこかでしていたかもしれないのに、そういうことはやめてしまう。ここにいない誰かの話をする時は、きっと悪口ばかりになってしまう。今ではない時間の誰かと自分の関係性を考えることをしない。目の前にいる人がすべて。わたしはそうはなるまい。いい大人がもっとたくさんいるって信じていたいけれど、なかなか難しい。失望、というか、うんざり、することばかりだ。
すてきに大きくなった人たちと、子どもの話をもっとしなくちゃと思う。わたしはもう完全に子どもだけの子どもではないのだから、子どもだったことしかない子どもたちとすてきに関わっていたい。そういう話は、子どもと関わる大きくなった人たち全員としていかなくちゃと思う。そうでなければ件の心配事はいい方向へは行かないのかもしれない。
ところで、冒頭でアンの話をしたついでにもう少しその話を。最近、『赤毛のアン』シリーズを読んでいる。おそらく、むかし読んだときは『赤毛のアン』しか読まなかった。今『アンの青春』(シリーズ第2作目)を読んでいるのはちょうどいいタイミングだと思う。むかし読んでいても、こんなに心強く思わなかっただろう。アンが近くに生きていたら、とてもいい友達になれたと思う。わたしたち(たち?)がアンをこんなに好きなのは、彼女がいつの時代にも相手が大人だろうと子どもだろうと態度が変わらないからだ。もちろん誰もに同じことを話したり同じ言葉遣いをしたり同じ行動をとったりするわけではないけれど、“態度”はいつも同じ。誰と関わるときも、よくありたいものだと思う。

2021/10/08 感じが悪い

感じ悪いよ!って言いたくなる場面ばかりで疲れる。いろいろある。見下すような態度。嘲笑を伴う噂話。わざとらしい目配せ。高圧的な物言い。とても感じが悪い。誰か一人がそうである場合ももちろんあるけれど、大抵、その場がそういう雰囲気になっている。いやだな~と思う。
公園で、ベンチで、休み時間の教室で、嫌な雰囲気になったりなりかけたりした時、私たちはどう振る舞っていたか。みんな仲良くやっていたと思う。何かが正しいわけではない。話したり話さなかったり、5分で解決したり何年もかかったり、笑ったり泣いたり、いろいろ。私はそういうことをどこに行ってもやり続けてい(たいと心がけてい)る。社会に出た人たちの多くはそれをやめてしまった。
いま近くにいる子たちがずっとお互いに友達でいて、私とも友達でいてくれたらいいな。みんなが、私たちがこうして過ごしている時間が“いい世界”なんだってこれからも思えるように、私はそれを勝手にやり続けよう。社会に出てそれを忘れてしまった人たちに対しては、私には成す術がない。それは今のところ私の係ではないのでしょう。せいぜい穏やかに我慢する他ない。誰か、頼みます。はてさて、誰がやるんだろうね。

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