雨やどり


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2024/04/25 秘密の恋 神戸・名古屋・東京
2024/01/03 狐 尾道・静岡
2023/05/05 わたしの心の青だ 香川
2023/04/24 海 富山
2022/04/30 富山散歩 富山
2022/01/04 東京見学 東京
2020/10/31 旅の途中 松本・長野・大町
2020/01/03 ブロッコリーと、卵と、それから私 和歌山・三重・東京
2019/11/01 思いつき旅行記 神戸・大阪・名古屋
2019/09/19 オアオシカ(新種) 千葉・東京
2019/05/30 シゴヤメ 千葉・東京
2019/01/04 海を見に行こう 静岡・東京・茨城
2018/11/05 タイムトラベル 神戸・京都・東京
2018/10/27 もう直ぐ旅に出ます

2024/04/25 秘密の恋

 20・21の大仕事をぶじ終えて、22~25をちゃんとおやすみにした。最近ちゃんとおやすみにできるようになってきた。自由であるほど強い意志が必要。

 22。車で名古屋まで行く。思ったより時間がなく、車を置いてすぐに電車で神戸に向かった。2019年ぶりの神戸。うれしい! 岡本駅で降りて、行きたかった喫茶店に行った。神戸に来たぞって気分になってお店を出る。マップで調べたら三宮まで9km弱だったので、歩いて向かうことにする。小学生の下校時間とかぶる。いい公園あり。
 途中、夜ご飯にいい頃合だったので、春日野道駅近くで食べて軽く飲んだ。神戸がすきだ! と漠然と思っているが、神戸のひとの言葉が好きなのもあると思う。まさに神戸のひとって感じで話しているひとたちがいてうれしかった。
 再び歩き続けて三宮のあたりまで来た。適当にふらふらしていたら、見たことのあるバーにたどり着いた。5年前に来た場所だった。きっとたどり着くべくしてたどり着いたのだと思って入る。覚えていてくださって、こうして再会できてうれしいですと言われた。同じ気持ちです。そこでおすすめしてもらった一軒は定休日で、もう一軒のほうに行くことにする。店に着いて、来たことあると思った。たぶん前もすすめてもらった。その日マスターはお休みだったらしく、沖縄のかわいい男の子(と最初のバーのマスターが言った)ことSくんがひとりでやっていた。翌日に備えて早めに帰ろうと思っていたのに、店を出たのが25時すぎで、しかもなぜかそのあともう一軒行った。でも実際、このくらいの時間になるとようやくその街の質が分かる気がする。自分の店を閉めたひとたちが出てくるから。それをふまえて、神戸すきだな~と思った。
 元町のほうに宿をとっていたので、さらに少し歩く。チェックインすらしていなくて大丈夫かしらと思っていたが、大丈夫だった。おとなしく寝る気分でもなく、荷物を置いて海に散歩に行く。人を愛したい、とか言いながら。いつかほんとうにちゃんと人を愛したい。

 23。10時のチェックアウトに間に合うように寝て起きて支度した。かならず再び行きたいと思っていた喫茶店が元町にあって、そこでモーニングにした。コーヒー一杯220円。その場所の幸福な時間に恋をしているのだと思う。だからきっとまた来る。こっそり教える。ハトヤというところです。
 次に行ったのも、再び訪れる場所。前に来たときの写真を探してもらう。なかなか見つからなくて、ようやく見つかってふたりで(この日はおひとりでやられていた)大喜びした。今回もまた写真を撮ってもらった。とてもゆっくりと時間が流れていく。いつまでも続いていきそうだった。その時間を抱えたまま店を出る。続いていく時間はまた次のときまで持っていようと思う。
 海沿いを歩いて、三宮のほうに戻る。透きとおった黄色の花が咲いている。夜に歩いた時には暗くて見えなかった。イペというらしい。覚えておこう。そのまま歩いていたら「昨日の!」と聞こえて、声のほうを見るとSくんだった。こんなに早く再会することになるとは。またいつかと言って別れた。山のほうへ向かって歩く。港みはらし台には、神戸に来たら必ず行くことにしている。マップ上では山の中のグネグネした道が新神戸駅まで続いている。イノシシ注意の看板を見つつ、そこを進んでみる。無事にたどり着いた。再び三宮のほうに向かって歩く。途中でコーヒーを飲んだ。
 夕方の電車で名古屋へ。遊ぶぞと思っていたが、2時間くらいしか寝ていなかったので、夜ご飯だけ食べて早めに寝た。

 24。早く寝た分早く起きて、散歩。黄色の回転灯がどの喫茶店にもついているのが、わたしにとっては新鮮だった。遠くからでもよく見える。出かける前に目星をつけていたところを目指しつつ、ぐるぐる歩いた。最後にたどり着いたそのお店に迷わず入ってモーニング。さくらんぼ。よすぎた。
 そのまま雨の名城公園を歩いていると、ダレカに会った。雨やどりはベンチの下で。11時前に車で出発。東京方面に向かう。静岡にも寄りたかったが、少し慌ただしくなりそうだったので、よくばらずまたにする。川崎で高速を降りて、大学時代に住んでいた街に行く。何年ぶりだろ。変わってたり変わってなかったりした。でももう誰もわたしのことは覚えていなくて、そこが日常の人ばかりだった。2日間、日常じゃない人もたくさんいる街にいたから、そこはわたしにとっては日常じゃないのに日常の中に溶け込んでいるみたいでよかった。
 雨がしっかり降ってきた。忙しいのに友達がむりして会ってくれた。神戸の街で会った人が「さみしいから」と言っていたことを思い出す。果たして、さみしいことは理由になるのかしら。それはわたしの勝手な都合で、誰にも関係がない。そんなものを理由にしてはいけないのかもしれない。理由にするのではなく、それがわたしの一部なんだと気がついて、そのなかでもひとりで立っていられるようでなくてはいけない。

 25朝。調布あたりで事故渋滞にひっかかったもののあとは流れて帰った。昼前には家に到着。夏のような日だった。

2024/01/03 狐

 1日に、静岡の友達に連絡した数分後に、地面が揺れた。
 2日の朝、3時半に車で家を出て、休憩なしでちょうど7時間くらいで尾道に着いた。コーヒーを飲もうと思って、黄色いランプがピカピカしている喫茶店に入った。ブリッヂ。「食べ」とレモンケーキをもらった。千光寺まで歩く。猫の細道ここまで、という看板を通りすぎ、もしかすると次に来たときはないかもしれないような道を通った。岩の隙間を抜けると、人のいる道に戻った。振り向くともうその道はなくなっていた(そう見えた)。初詣の人がずらっと並んでいたのでお参りはしない。再び人のいない道を歩いていたら、上も下も行き止まりの階段に迷い込んでしまった。ちょっとだけ引き返して、無理やり人のいる道に戻った。展望台でぼんやりしてから、人の少ないほうを選んで下る。細くて急な路地。急坂で原付バイクが木に頭を突っ込むように止まっていて、木のほうも、長い年月それを受け止めてきたのだろうと思われる形になっていた。迷路のような道の途中、段差の隙間の3段ほどの階段で、高校生くらいの子がふたり座って話をしていて、今思うと狐っぽかったなと思う。人だったらごめんね。駅のほうまで下りてきて、小さなジャム屋さんでマーマレードの小瓶3セットを買った。そのままぐるぐると歩く。街灯がかわいい。ほどなく気づく。建物に付いた灯りもかわいい。またほどなくして気づく。建物もかわいい。
 14時頃、駐車場に戻り、向島まで橋を渡って行く。高見山頂上を目指した。絶対にすれちがえない山道を、ナビに案内されるがままに通る。向こうから誰も来ないでくれという祈りが届いてよかった。頂上から500メートルほど下に車を停めて、サザンカの道を抜けて歩く。わたしの秘密の花園だと思った。来たときにいた人が全員いなくなるくらいまでずっと海と島々を眺めた。ナビがさっきの道を再び案内したが、無視して違う道から下った。海を眺めて、宿をとっていた福山市に向かった。
 宿に荷物を置いて、福山城へ行った。案内板をじっと読んでいたら、警備のおじさんがいろいろ話してくれた。表から見ると白く、裏から見ると黒い城。すぐ裏の静かな神社でようやく初詣をして、駅の反対側へ行く。てきとうにご飯を食べて、てきとうな飲み屋で一杯だけ飲んで、早めに帰って寝た。福山はちゃんと都市って感じね。
 3日、5時半に出て静岡に向かう。本当は朝の街にも会いたかったのだけれど、いつかまた。大阪のあたりも豊橋のあたりも交通量は多かったものの渋滞はなく、予定より1時間早く13時には着いた。出迎えてくれた友達が赤ちゃんを抱いていて、いつの間にか母になっていてびっくりした。友達の旦那さんのお茶屋さんに行って、お茶をいただいた。そこで、友達のお姉さん(一度会ったことがある)とお父さんにも会った。友達の家で夕飯までいただく。夜の始めに降った雨のせいで霧がすごかったが、2時間ほどで帰れた。日が変わる前には家に着いた。
 どこまでが本当で、どのくらい夢を見ていたのか。あるいは、ずっと狐に化かされていたのかもしれない。

2023/05/05 わたしの心の青だ

約束通り、香川県に行ってきた。ひとりなら車で行っていたな。連休ではないときに。なんにせよ初四国、いつもグダグダなわたしたちにしてはちゃんと行ってきた。
着いてすぐの小豆島へのフェリーで、すっかり船乗りになった。「瀬戸内の穏やかな海 わたしの心の青だ」(waffles『Blue』)この通りだった。寝て起きて、小豆島をぐるっとして、またフェリーで戻る。船乗り再び。途中、アマゾン号を見かけた(帆が白かったのでツバメ号ではない)。アマゾン号ばんざい! 続いて、金刀比羅宮に行く。785段を登って本宮にたどり着き、さらに奥社まで行こうゼと誘ったけど、絶対ヤダと言われ、笑って帰ってきた。うちの教室の子がいてびっくり。その後、ファミレスでだべる。初めてのJoyfull。寝て起きて、ようやくうどん。朝うどん、もぐもぐ。高松市に戻って、歩く。小3か小4くらいの女の子とけん玉をした。本気で練習した。コーヒーを飲んで、絵本やさんで本を買って、公園を歩いて、おしまい。
これで、約束した事はすべて終わった。いつでも死ねる。それでも死なずに生きているのは、もう少し待ってみたいからだと思う。もう少し先の時間で、またみんなと仲良くしているか、待ってみたい。

2023/04/24 海

発表会は、今回初めて2日間ホールを借りて、22日(土)準備・リハーサル、23日(日)本番の日程で、無事終わりました。
24日(月)は休みにしていて、朝起きられたら海へ行こうと思っていた。なんと6時にちゃんと目が覚めて、7時20分に車で家を出た。一年ぶりの富山へ。富山は好きだけど、好きだから行ったわけではなく、富山に行くのがいいと思って行ってきました。4時間くらいかかって、11時過ぎに到着。来てよかった。この海をよく覚えていた。しばらく浜にいて、そのあと駅のほうに車を停めて、散歩。お昼の後、具合が悪くなりかけて車で30分くらい気絶していたけれど、コーヒーを最後に飲んでから30時間くらい経っていることに気づき、ふらふらと喫茶店を探して入る。喫茶店の匂いを嗅いで、コーヒーを飲んで、本を読んで、回復。前回時間がなくて諦めた植物園は、今回も時間が足りなくなって諦めた。またちょっと散歩して、白エビかまぼこを買って、もう一度海に行く。すーはー。翌朝仕事なので、18時には出る。帰りは3時間半くらいで、21時30分前には着いた。
北陸自動車道から見えた新潟の海の眺めもよかったなぁ。そのうち行こう。


2022/04/30 富山散歩

29日、家の教室の発表会がぶじに終わった。みんなよかった。わたしもブラームスをわりと思うように弾けて良かった。6月頭にもう一回演奏会で弾く予定。お近くの方、そのころお近くに来る方、よかったら聴きに来てね。7分くらいなので。
30日は、思いっきり散歩した。朝5時に起きて、前日の発表会でステマネをお願いした兄が朝一番で長野市へ帰る車に乗せてもらう。7時半過ぎの新幹線で富山へ。途中、海が見えて、電車から降りたらまず海へ向かおうと決めた。電車だけとって、あとは何も決めていなかったから、とても自由だった。8時半ころ歩き出す。運河公園を通ってそのまま富岩運河沿いを歩く。途中の中島閘門で、座っていたおじいさんに「ここずっと歩いてきたの?」と聞かれたので「はい、富山駅から」って言ったら驚かれた。「海まで歩きます」と言ったら「え~だいぶあるよ~。いいねぇ、がんばって」と言われてうれしかった。しばらく歩いて、馬場記念公園をぐるっと歩く。少し先の喫茶店でコーヒー。振り子時計の音が聞こえてとてもいい心地だった。廻船問屋の森家、馬場家のある街並みを抜けて、展望台にのぼる。いいかたちの展望台。
少し歩いて、11時少し前に海に着いた。海! 潮の匂いがした。水平線があった。カモメが飛んでいた。砂浜をずっと歩いて、波を眺めたり来る波に触ったりした。波乗りをしている人たちが遠くに見えた。風が強くて、砂浜があたたかかった。どのくらいそうしていたかしら。波打ち際で波がここまで来るのを待っていたら、ざーーんと大きいのが来て、少し後ろに下がらなくちゃいけないくらいだった。そのまま、貝殻を一つ拾ってポケットに入れて、海から離れた。いつでもまたここに来られたらいいのにと思った。富山港線で富山駅まで戻る。
12時15分くらい。富山の友達からおいしいよって聞いていたところは混んでいたので、とりあえず、富山城に向かって歩く。途中にある小料理屋さんの、お店の前のプランターに植えられたビオラがとてもきれいに手入れされ咲いていて、迷わず入る。白エビ天丼を食べる。とてもとてもとてもおいしかった。エビ好き。ご主人も奥さんもいい感じの方たちで、前から少しだけ知っている人たちのような感覚になった。途中、摘んだ野菜を届けに来たおばさんがいてよかった。一人前を無理せずしっかり食べきれたのが久しぶりでうれしかった(出していただいたものを絶対に残したくないから多少きつくても食べきるようにしているが、それが無理になったりしんどくなったりすることが増えて、外食がめっきり減っている)。
おなかがいっぱいで、近くの公園でしばしぼんやりと日向ぼっこした。鳩、私に気づいていないかのようだった。そこから富山城まですぐ。石垣がすごくて、ふぅ~と思った(雑な感想)。そのままもう少し南に行くことにした。千石町通りの喫茶店でゆずソーダを飲む。窓際の青色の瓶を太陽の光が通ってきれいだった。城南公園のツツジの花が大きくて、おっき! と言いながら写真を撮った。そこから神通川方面に歩く。川の上の長い橋をゆっくりわたる。植物園は間に合わなそうだから今回は諦めて、当てもなく散歩することにする。畑の間の道を、水路に沿って歩く。初めて通る、懐かしい道。途中でどうにか大きい道に戻って井田川をわたる。五福公園に着く。看板が強気だったので、写真を撮った。神通川にかかるさっきとは違う橋をわたって、右岸に戻る。そのとき歩いてわたっているのはわたしだけで、歌いながら歩いた。オレンジ色が濃くなってきた太陽の光が、とても気持ちよかった。18時前、富山駅に戻る。
さてどうしよう、と10秒くらい考えて、もう一回海に行こうと決める。今度は行きも富山港線を使った。さっきの海に、再び会う。うれしい。陽が沈むころで、雲の隙間から赤い夕陽がほんのすこし見えた。だんだん暗くなっていって、灯台が光って、向こうの浜の明かりも見えた。座ってくださいっていう形の木に座って、海を眺めた。スマホで動画にとって、いつでもこの音を聴こうと思った。いつでも会えたらいいのに。たとえ物理的に遠く離れていても、いつでも会えるって思えていたらいいな。
富山駅に戻ったのが20時前。リュックに入るくらいの少しのお土産を買って、電車の時間まで散歩することにする。21時までやっている喫茶店でケーキと紅茶。スマホの地図にはなく、昼間通っていればよかったと思うところがひとつあり、またいつかと思えたのがうれしかった。
21時過ぎの新幹線で東京まで行く。28日くらいまでどういうルートで帰ろうか迷っていたけれど、結局、ここに戻るとなると終電が19時台だし、長野に泊まるよりは東京まで終電で出て、夜は散歩して、朝になって電車が動いたらゆっくり帰ってくればいいやということにした。星がかわいい夜だった。
今回の旅はとてもうれしい散歩だった。どこを歩いても、みんな、わたしのことを覚えていてくれた。初めて行った海もわたしのことを忘れていなかった。鳩だけがわたしに気づかなかったけれど、それもそれでお互いにとても自由な気がした。わたしたちはかわいい! これからがんばって強く生きていきたい。

2022/01/04 東京見学

一日東京であそんできてほんとうに楽しくてよかった。目の前のものだけを見て、目の前の人だけをおもって、たくさん歩いた一日でした。もうこれで死んでもいいな(過激な幸福)と思ったし、またこういう日が来ればいいなとも思えた。以上、旅の総括。以下、書かなくてもわたしはぜったいに忘れないのだけれど、未来への記録。

3日夜に東京に着いて歩く。東京の街の匂いがした。別所坂(目黒区)は勾配・湾曲ともに名坂。一歩の価値あり。実は、別所坂は以前から目をつけていた坂だったのだが、歩いているときはそれと気づかず、いい坂だなと思ってあとで確認したら別所坂だったというわけ。寝て起きて朝。8時半くらいから目黒川沿いを歩いて、西郷山公園。台地の端にあるから見晴らしがいい。そんなに広くはないけれど、あそぶにも散歩にも◎。いい公園に認定。渋谷まで歩いて電車に乗る。2年近く使っていなかったパスモがはじかれた(前日は特急券+乗車券の切符で来た)。
茗荷谷に着く。10時くらい。茗荷谷に来たらたいてい行く喫茶店、やってるかなと思って行ってみたらやっていてよかった。今日からとのこと。湯立坂をくだる。ここは言わずもがなの名坂。湾曲の品格はどの坂にも負けない。くだりきったところにあるロシア料理のお店がすごく好き。もう2年以上前だけれど、当時は魔女と魔女見習いがいた。本当においしいし、すべてが魔法。やっていれば行きたかったなー。ホームページ(魔女感のあるホームページ)を見たら5日からということだったのでまた今度。小石川植物園まで歩く。途中にあるパン屋さんもお蕎麦屋さんも5日から営業の貼り紙。
小石川植物園に着く。約2年ぶり。ギリギリ2年はたっていないか。2020年3月以来いちども県から出ていなかったから、なにもかも本当に久しぶりだったということだ。だけど不思議と、なにもかもに対して久々の感覚がなかった。《ここから改行まで小石川植物園記がつづきます、ついてこられる方のみどうぞ。》正門を入って目の前の武蔵野台地へとのぼる坂道に心を惹かれるのだけれど、まずはすぐ左に折れて並木道を歩くのがわたしのいつものスタイル。ツバキが咲いている。池のザリガニ看板の写真を撮る。手前のウメ林をぐるっとする。咲き始めている品種もあった。ほとんどはまだ。日本庭園から池の向こうの崖を眺める。あの崖の上は武蔵野台地。一番西側の道からのぼる。針葉樹林を歩く。ここではなるべく大回りで歩く。トチノキを過ぎる。サンシュユ(わたしの一番好きな木)の黄色い花がほんの少し顔を出しているのが一輪だけあった。赤い実も少しだけ残っていた。スズカケノキはいつも白い木肌が美しいのだけれど、今回ほど美しかったことはない。高いところで広がる美しい枝を見上げて5分くらい動けなかった。イロハモミジ並木を抜けて温室へ。入って左手奥の部屋に、名前にHoyaとつくものが何種類かあり、そこがお気に入り。一押しはホヤ・ムルティフローラ。今回は流れた後の星だった。温室を出て、薬園保存園と分類標本園を通りながらハンカチノキとクスノキを見る。ここのクスノキは視界に収まらないほど大きくて、かっこいい。少し奥まったところにギンモクセイがあるのを初めて発見した。秋に来なくちゃ。カリン林のほうまでさっきとは違う道から戻って、カリンの木肌を眺め、クロマツのあたりから崖をくだる。途中、カキノキが一本だけあるのを眺めながら、奥のウメ林をぐるっとする。そのウメ林の東側の道からまたのぼる。ここはあんまり人が歩いていなそうな道の感じで好き。カンザクラのほうまで来た。だいぶ咲き始めている。近くに水仙がもう咲いていてびっくり。つつじ園を通り、ソメイヨシノ林を歩き、温室の横を通ってニュートンのリンゴとメンデルのブドウを眺め、本館のほうから最初に心惹かれた坂道を下る。今日通らなかった道はまた今度。《小石川植物園記おしまい。》
播磨坂をのぼって駅に戻り、ともだちと会う。朝の喫茶店ふたたび。それから散歩。ほんとうに、なにもかもが久しぶりじゃなくて、自分でも気づかない間にちゃんと続いていたのかもしれないと、いい意味で思えた。「続く」とかいう発想は、最近わたしがあんまりよいものとしてではなく取り憑かれている発想で、なんとか考え抜かなくてはいけないのだけれど、その勇気になった気がする。
電車に乗って表参道へ。昼を過ぎてから風が出てきた。クレヨンハウスで絵本やら児童書やらを見る。好きな子どもの本屋さんは調べたらどこもお正月休みだったので、初クレヨンハウス。家のほうには子どもの本がここまで充実しているところがないので、楽しかった。子どもの本を選ぶとき、図書館でも本屋さんでもそこにいる子どもが手にする本にこっそり注目しているのだけれど、図書館と本屋さんとでは選ぶものがやはり違う気がする。どちらもとても参考になる。となりで同じ棚を見ていた4年生くらいの男の子が、絵本を読みながら「わ~」と言ってめちゃくちゃ笑っていた。何の本読んでるんだろと思って気にしていたら、向こうもわたしが手にしていた本を気にしていて、何とも言えない懐かしい気分になった。その気分とは、小学生のころ、学校の図書館の絵本コーナー(畳だった)で、友達とお互いに読んでいる本が気になって「次、読ませて」と言い合っていた時の記憶だったのだと、あとで歩きながら思った。迷って3冊だけ買い(あんまり買うと重くなるので)、お店を出る。
いい空だったので、てきとうな方向に歩く。東京のいいところは、何も考えずに歩いていてもそのうちどこかしらの駅が見えてきて、疲れたらいつでも電車に乗ってどこへでも行けるところ。その時思いつかなかったけれど、あの辺りは渋谷川の暗渠があるのではないかしら。…調べてきた。キャットストリートだ。川の蛇行を感じて歩きたかった。また今度。無心で歩いていて、気がついたら国立競技場があって、また次に気がついたら新宿御苑があった。新宿御苑はもうとっくにしまっていた。あそこのプラタナス並木は圧巻。そういえば小石川植物園にはプラタナスがない。新宿駅に着くと17時のあずさが出るころだった。そのあずさには乗らず、電車で少し移動してまた歩く。
いつの間にかすっかり暗くなっている。ともだちのお店にお邪魔する。大学生の話を聞きながら、その人の見る景色を想像することはあっても、わたし自身の大学時代のことは思い出さなかった。その人の高校時代の話を聞きながら、わたし自身の高校時代のことは黙って思い出していた。けれどもこれは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう。そうこうしながら、あずさの指定席をとる。そういえば自由席がなくなってからもうだいぶたつのではなかろうか。21時のあずさ、55号。そんな本数出てるのだろうかと思い、あとであずさの中で調べてみたら、上りも下りもそれぞれ一日に20本弱。ない数字もたくさんあった。ちなみに今、あずさ2号は存在しないらしい。
時間になって、東京の街にさようならをして、電車に乗る。終電のあずさは、甲府を過ぎたら家かと思うくらいみんなくつろいでいるのは、むかしと変わらない。最寄りの一駅前の手前でナニカとぶつかってしばらく停車し、27分遅れで最寄り駅まで到着。ナニカがなんだったのか、謎に包まれたまま電車を降りた。

以上、詳しめの旅記。まとめ。わたしにはとても大事に思うものがあって、それは大事だと口にすればたちまち軽くなってしまうような気がするから、言いたくないくらいなのだけれど、そのことをほとんど考えない一日だった。わたしの自由さとは、どこで何をして生きているかに因っているのではなく、ただ歩くときにその歩きかたが自由なのだと思い出した。一日歩きまわっているとき迷うことなく自由だった!
今後の散歩予定。いつかしたいのは、アポロニウスの円散歩。東京タワーとスカイツリーからその高さの比率でできるアポロニウスの円をぐるっと歩く。その円上のどこから見ても東京タワーとスカイツリーは本当に同じ高さに見えるのか。それから、いい坂といい公園探しはどこに行ってもする。富士見台の研究も進めなくては。地図上で高低差をみたり、町の歴史をざっくり調べたりはしたけど、あとは実際に行って歩かないとなかなかむずかしい。そのうち。

2020/10/31 旅の途中

出がけ、午前中まで小指にしていた指輪がないことに気づく。あれはお守りみたいなものなのだ。旅のときや知らない場所に行くときはいつもしている。いろいろしていたからいつかとったのだと思うけれど。諦めて家を出る。
夕方、畑の中の学校から散り散りに帰っていく中学生たち。わたしの街だってそうなのだけど、電車の中から、上から、少し離れた街のそれを眺める。朝には集まってくることを思う。もう間もなく松本駅で降りる。

Kという小さな飲み屋へ。松本に来たときには顔を出すことにしている。カウンターのみの6人か頑張れば7人の店にすでに常連のおじ(い)さんばかり4人。わたしがいる間にひとり帰って別のひとりが来た。
「(みじかい愚痴ののち)ここにくれば正しいと言ってくれると分かっている。そのことが救い。」愚痴の内容については話が広がらない。そういうものだと本人も周りもわかっている。
「喋るのと無口どっちも大事。」「喋るなってことかえ?そりゃマスターが言うことだ。」「マスターは控えめだもんで。」「そうだな。」「ははは。」「どんなに落ち込んでいてもここにくるとよくなるの。だから、俺もここをそういう場所にしてるの。とうちゃんが喋ってるとき、俺、黙ってるでしょ?」「喋るのも無口も大事だが、聞くのがいちばん大事(かわさん)。」端に座っていたかわさんの声はそのときは届かなかったようで、「まるで聞いちゃいねえわ。笑」とマスター。これは、そこにいる全員が参加した会話。
電車の時間になりわたしが席を立つ。みなさんが口々に声をかけてくださる。それに対しておひとりが「また来てねと待ってる、どっちが濃いい?」もう少しここにいたかったが、約束がある。こういう時、やっぱり約束などつくらないほうがいいと思う。
常連のおじ(い)さんしかいないのだが、みなマスターを慕い、店を慕っている。店の雰囲気をみなで守っている。しかし頑なにもならない。頑固な人が多い土地でのこの景色は希望だ。だれもがここに来ると心地いいと言った。そうなるようにみなが計らっている。それも自然な言葉や態度で。若い人も遠い人ももっとみんな通えばいい。そうでなくちゃもったいない。

駅までの道、店の人がみな暇そうに外に立っていた。金曜日の夜だというのに。松本駅にて、あずさに乗って行ってしまえたら良かったと思う。

大人になるということは誰かに何かを与えられる人になることです。中学生の頃、校長先生がそういう話をした。大人とになるという部分はいったん置いておくとして、何かを与えるのほうについて考えた。Kというお店で、そこにいた全員からいい影響を受けとても楽しかった。わたしは笑ったりホォと言ったりするばかりで、何も与えていなかった。いや。わたしが帰ったあとでまた来てねと待ってるどっちが濃いかという話が膨らんだのは少なくとも、わたしがいたからだろうかと思い至る。
姨捨駅がスイッチバック駅(この言葉も調べて初めて知った)だと初めて知った。夜景がきれいだ。善光寺平は広いのだなあ。それにしても深夜の電車に乗っている気分だ。東京なら、この空き具合とみなさんのダレ具合は終電近い。まだ19:15である。

長野駅。ICカードが使えないことを失念していた。4000円チャージしたのに…。普段使わないから使う分だけをチャージするようにしている。
兄の奢りでうなぎを食べた。お吸い物に肝が入っていた。なん年ぶりかに満腹を味わう。兄宅にて、リュックの底から件の指輪が出てきた。荷造り中に落としたのかもしれない。よかった。諦めていたけど、ずっとお伴してくれていたのだ。
お風呂を出てゼリーやらアイスやらを食べながら明日の相談。深夜の気分を引きずっているがまだ22:10であった。さらにグダグダし、しかし23:00には布団に入る。

夢をみた。わたしのことを友達の誰かが「ながらの人」と言った。あの人はピアノ弾きながら考えたりする、と。とても嬉しかった。その人にもそう伝えた。夢から覚めてしばらくして、夢の中や覚めてすぐほど胸が高鳴ることはないが、落ち着いて、嬉しかった理由を考えた。このメモ日記を書きながら。目や耳や頭や指先まで、いつだって敏感でいたいのだ、たぶん。現在7:18。兄もまだ寝ているし、わたしもあと30分くらい寝ることにしよう。

9時に兄の車で出立。と、その前に、右に3回曲がったところの郵便局で手紙を出す。しばらく車で進んだところでPというパン屋に寄り、遅めの朝ごはん。
紅葉を見るためではなく、歩くためにここまで来た。高瀬渓谷。ダムのある渓谷。自家用車乗り入れ禁止区間は、タクシーも走っていたが歩く。のぼり5.5kmを1時間弱。トンネルが暗く怖かった。オバケが出そうという意味で。前後にもほとんど人がおらず、兄が一緒で本当によかった。ダムとそこから片道30分弱のところにある滝を見る。滝の近くは少し高くなっているところに細い道があり、落ちたらと思うと怖かった。あたりは広すぎて目眩がする。時々こうして怖いと思うものに立ち向かっていきたいと思った。分かりやすい形で勇気を出すことだって、じゅうぶんにわたしを強くしてくれるはずだ。くだりはタクシーに乗る。まだまだ歩けたが、遅くならないうちに街を少し巡りたかったので。

13:45頃、Mというお店に入る。ここはみんな行くべき。何から何まですてきでかわいい。雑然としたまとまりがある。魔女の飾りや人形が多くあった。お店をやっている女性も魔女だろう。しばらくして散歩から戻ったもうすこし歳を重ねた女性も魔女に違いなかった。

信濃大町駅前の市営駐車場に車を停め、周辺をぐるっと歩く。ほとんどシャッターストリート。土曜日の15時すぎとは思えない。Cという喫茶店に入る。駅前にある喫茶店ふたつもチラチラ見てから来たが、この店の前まで来て、ここに絶対に入らなければと直感する。予想通り、入るべきお店だった。本があちこちに積み重なっている。壁にぺたぺたとシールが貼ってある。コーヒーといっしょに煎餅を出してくれた。

大糸線ももちろんICカードは使えない。家の最寄りまでの切符を買う。日が沈んだ。家の最寄り駅に着く。リュックの底に押し込めてあった上着を出して着る。家までのんびり歩きながら、今回の旅を思い出しながら、「人のことを想う」ということについて考えた。これはまた別の日記で改めて書くことにする。

毎年、秋休みをつくって西に行く。去年もおととしもハロウィーンは神戸にいた。今年はそこまで遠くへは行けなかったが、こうして動いていなくちゃいけないと思った。そのうちまた、どこへだって行く。この日記は、旅の途中でスマホのメモにぽちぽちと書き溜めたもの、ほとんどそのまま。お店の名前は気軽に言うのがはばかられてイニシャルに変えました。

2020/01/03 ブロッコリーと、卵と、それから私

熊野の温泉でブロッコリーを茹でたい!今年は唐突にそう思ったのだ。お正月は車で出かけることが多い。去年は、水平線不足で、三保の松原(静岡)と大洗岬(茨城)に行った。

1月2日。朝4時に家を出る。早朝のおかげで渋滞も一切なく、7時間くらいかかるつもりが5時間半で熊野の湯の峰温泉(和歌山県)に着く。「温泉でブロッコリー茹でてくる」と言って出かけたのだから、兎にも角にもまずはそれだ。ブロッコリーと、卵と、それから私を茹でてきた。ブロッコリーと卵は小川の横の「湯筒」で、私は公衆浴場のくすり湯で。
私がウキウキとブロッコリーと卵を用意していると、地元の年配のご夫婦に声をかけられた。はじめましてなのに、そんな感じがしない。思い返すと「卵は何分やったらいい?」「11分がちょうどええ」とおばあちゃんと孫みたいに話していた気がする。敬語をときどき忘れたが、そんなことも今思い出すまで気づかなかった。たぶんお互いに気づいていない。長野から来たと言うと「ここ来んでも、いい温泉いっぱいあるじゃん」と言われた。たしかに。しかし、野菜や卵を茹でられる温泉は、ない。これからどこ行くか決めてないと言ったら「これでお弁当はできたし、どこにでも行けるな。旅が上手やな」と言われて嬉しかった。
私を茹でる(つまり温泉に入る)と、そこで母娘と思われるおばあさんとおばさんと一緒になる。楽しくてつい茹りすぎてしまった。ここ行ったらいいとかあそこ行ったらいいとか、いろんな話。ここでも「楽しそうやな。いい旅してるな」と言われて嬉しくなる。うん、私はこういう旅がほんとうに好きだ。
こういう旅っていうのは、たとえば今みたいな話ができる旅。「どこから来たの?…若いっていいねぇ」とかパターンが存在しているんだけれど、そうじゃなく、もっと楽しく話せる時がある。もちろん会話の内容はパターンっぽいのだけど、楽しいと思える時もあって、それは、言葉をしゃべるのが人だから、としか言いようがない。今回はそういう場面ばかりで、楽しい旅だった。

身も清めたところで、熊野本宮大社へ行く。湯の峰温泉から、熊野古道を3.4kmの距離。歩きたかったが、車があるから行ったら戻ってこなくてはいけない。6.8km。歩けるが、今回はその時間がない。またリベンジする。
本宮大社は、さすが、ものすごい包容力だった。熊野古道を歩いて到達したい場所だと、改めて思った。

海コンプレックスがある(と人から言われた)私、「人を愛したい!」と、やっぱり海に行く。つーっと東に、三重県の鬼ヶ城に来た。この広くて、太陽がキラキラと当たって、波が遠くから来るもの!人を愛したい!私の青い車を、買ってからはじめて海に連れてきた。(ん?車が、私を、海に連れてきたのか?)

そこから東京に向かう。7時間くらいのつもりが、大渋滞が2~3回あり、9時間かかった。24時50分くらいに着いた。「開いとる店」(とその人が言った)だった。よかった。生姜入りの甘酒をはじめて飲んだ。おいしい。
いろんな話をした。すごく楽しかった。幸せな時間だと思った。すごく眠くて、ぼんやりと夢見心地で聞いたり話したりしていたから、余計に天国っぽかったのだろう。あの頭では「考える」がとっさにできなかった。あとでいろいろ考えたときにはもう、私だけだった。

去年、(たしか)首都高で大変な渋滞に巻き込まれたので、今年は早朝に抜け出そう、ということで、車で1時間ほど仮眠をとってから、家に向けて出発。行きや移動は、いちども休憩せずに行った(SAもガソリンを入れるだけ)が、帰りはゆっくり帰った。
なにしろ1月2日は、ブロッコリーと卵と甘酒とみかん(栄養はばっちり!)しか食べていないから、おなかがすいた。コメダによって帰宅。ほぼ寝ていないので昼くらいまで寝ようと思ったが、「あとでいろいろ考えたとき」というのが、このときなのである。けっきょく起きて日記をかいたり本を読んだりした。
「あとでいろいろ考えた」ことは、次に会う時にでも言えばいいや。

2019/11/01 思いつき旅行記

一日の労働時間が少ない代わりに、毎日働いている。毎年秋には一週間くらいの休みを作って旅に出ることにしたいのだが、今年はなんやかんやで仕事が入り、せっかくひねり出した秋休みは、2日間にまで減ってしまった。

10月はじめ。死んでもいい、と思った。私が死んでも不幸せになる人はいない。そうであるうちに死ぬのがいいと思った。大好きな作家さんの新刊が11月に発売されると聞いて、それを読めないのは残念だが、まだ私の出会っていない誰かがそこにたしかに存在することを強く思った。死んでもいい、なんて言い方をしたが、そのくらい浮かれていたのだ。このまま目を覚まさない想像は心地よかった。
10月中旬。浮かれていた私は、自分の発した言葉の想像力のなさに急に悲しくなる。このままでは死ねない、と思った。
10月30日。咳が止まらない。20時に仕事を終え、明日から2日間の秋休みだと思い出す。唐突に神戸に行くことを決める。ネットで行きの切符だけ取って、その日は寝た。

というわけで、1年ぶりに神戸に行った。日記などを見ると、去年も10月31日に神戸にいる。新神戸で降り、散歩がてら三宮まで歩く。電車に乗って神戸駅まで行く。
友達がすすめてくれた喫茶Oへ。駅から少し回り道をしながらも無事到着。「迷わなかった?」という問いに、はい、と答えたのは、まちがえて入った路地も行き道に変わりないからだ。楽しかった。ほんとうに楽しかった。かわいらしい人たちだった。「人から聞いて来た」というと、誰だろうねなんて言って、写真(5年くらい前から、来店者の写真を撮ってファイリングしているそうだ)を探してくれた。とうとう見つけたときの私たちは、それはもう、これまでもずっと仲良しの友達みたいだったと思う。そのようにはしゃいだ。幸せだと思った。写真のなかの、遠くにいる人にも会えた。すっかり長居してしまった。私も写真を撮ってもらったけど、何度やってもピントが合わなかった。そのくらいのほうが美人に見えていいや。被写体になることは苦手なのに、このときはとても嬉しかった。
高速神戸駅のほうにあるSという喫茶店に行く。去年、7年以上ぶりに会った友達と一緒に入った。今回は一人だ。「改装したほうが良いかなって思うくらい古いんだけど、そういうの、レトロいうん?ただ年月が経って古くなっただけなのに」と店主が言うとおり、うわべだけでない歴史がある。ただ何となく惜しい感じがするのは、困ったように気を遣いすぎてるからだろうか。いろんな人がいる。それが誰かにとっては良さでもあるから、こうして続いている。
もう17時くらいだった。神社を通り抜けたところのYは「営業中」となっていたから入ったが、「今日はもうしめよう思ってたとこや。すまんな」と憎めない笑顔で言われてしまった。ちょっと残念。言葉が、いいなと思った。
三宮の方面へ、今度は歩いて向かう。路地を少し進んだところに、そのお店はあった。H喫茶店。そろそろ閉店かななんて思いながら、看板はまだOPENとなっていたから、入る。そのおばあさんは「魔女」だった。この世の中には魔女がいて、私はその魔女たちに会うたびに魔法で元気をもらっている。「お食事ですか?」と聞かれたので「飲み物を」と言ってホットコーヒーを頼む。チョコレートを小皿につけてくれた。少しして旦那さんが帰ってきた。ずっとここに座っていたいなと思った。店を出ると看板はCLOSEになっていた。営業時間すぎてたんだ、と思った。どこにも書いてないし、追い出されたりせかされたりもしなかった。「お食事ですか?」と聞かれたことも思い出す。次また通りかかったときもやっているといいなと、心の底から思う。

三宮駅のあたりまで戻ってきた。初めて神戸に来た日に迷いながら連れて行ってもらい、去年は迷いながらひとりで行ったKという店に、今年もまた迷いながら行った。覚えていてくれたみたいだ。そこは何にも変わっていなくて、ああタイムスリップや(もう言葉がうつってきている)なんて思いながら、焼酎を飲む。泊まるところも決めていないと言ったら、また戻ってきてもいいからねと言われ、「行ってきます」と言って店を出る。「ただいま」を言うのはいつになるだろうか。
もう北野の異人館のあたりは真っ暗なのは分かっていたが、風見鶏を見に行く。さらに街灯もない道をスマホの灯りで照らしながら、港みはらし台まで行く。完全に時間を間違えている。鳥目だから何も見えない。初めて来た日も真っ暗だったことを思い出す。思い出すというよりも、ずっと覚えている。写真を送りつける。
不動坂を下り、Yという老舗のバーへ。中も見えず蔦がびっしりのような建物。さっくりネットでみると、ぼったくりのような感じでも怖い店でもなさそうなので入った。マスターが品をわきまえている店だった。店もお酒もマスターも良かったが、客がちょっと残念だった。残念なんて言ってもまあ、普通はそんなもんである。
もう一軒行きたいと思い、Yで紹介してもらったSというバーへ行く。マスターがこれまたしっかりした人のようだった。ここはお客さんが良かった。ほどよい距離感やタイミングでお話をして楽しかった。
神戸が好きで1年に1回は来たいと思ってると言うと、この時期は何もないとよく言われた。何もなくないじゃない…。歩くべき道、行くべき場所、会うべき人がこんなにある。なにがそんなにいいの?と問われ、迷って「言葉、かなぁ」と答えた。この言葉の世界観は、そう、子どもの頃から親しんだ世界そのものだから。

割としっかり酔っぱらってそのあと1時間以上電車に揺られていたのは、我ながらすごいと思う。大阪からさらにもう少し先の兄の家に泊めてもらうことにした。

日が明けて、月も明けて、11月1日。ひとまず大阪城を見る。ほんとうに見ただけなのだが、その大きさに泣きそうになる。大きさと言うのは物理的なものではなく、そこから感じる歴史の話だ。だから私は城が好きだ。しかし、学生の頃、歴史の授業は苦手だったなぁ。そのまま歩いて梅田のほうに向かう。
途中、Mという喫茶店に入った。喫茶店としてはいい店だと思う。おなかがペコペコだったので、モーニングをいただく。おいしい。いい意味で「喫茶店」以上に何かがあるわけではない。
歩き回ったが、ピンとくる店がそのあとは見つからず、すっかり街酔い(?)してしまった。いつかまたもう少し元気な時に来たい。

早めに大阪を切り上げて、名古屋へ向かう。名古屋から伏見のほうへ歩くと、目が回っていたのも落ち着いてきた。Kという喫茶店で、ひとやすみする。そっと扉を開けて入ると誰もいなく、扉にかかったベルが鳴るように入りなおした。ホットコーヒーを頼む。ぱりんことチョコレートをつけてくれた。お手洗いをかりる。閉まっていたはずなのにちゃんとドアが閉まらない。この店よく潰れないな、と思うのだが、そうあるべきだとも思った。また来たい。
せっかく気分も体調も落ち着いたのに、そのあとの特急がめちゃくちゃ揺れて、完全にやられた。たぶんそうなるだろうとは思っていたが、予想以上に応えた。家に帰って1時間くらい起き上がれずにいた。体調はそんなだったが、まあ、病み上がりだし。気分は良かった。

あー、ほんとうによかった。気も滅入っていた(それで文章ばかり狂ったように書きつけていた)し、体調もイマイチで、今年はもう無理かと思っていたが、神戸に行かれてよかった。長々と書いてきたが、いま一番大切な気持ちは、いつか誰かに話すためにとってある。私の中にある世界が広がっていくような心地だ。ブルンブルンと。

2019/09/19 オアオシカ(新種)

特急電車に乗ってリュックを開けたところで、iPhoneを家に忘れてきたことに気づく。
何かに「気づく」ということは、つまり、それまでぼんやりして気づかなかったということだ。
吉田篤弘『それからはスープのことばかり考えて暮らした』
何かが起こると、今まではそうではなかったと分かる。いつだったか、「分かる」と人間は悲しくなる、と書いたことがある(と思う)。「分かる」ことは大事だ。なぜなら、「分かる」ときにようやく悲しくなったりもしかしたら嬉しくなったりするからだ。そのシーンの気持ちをきちんと覚えていたい。
「分かる」までの人間は、けっこう怒りっぽい。それだけである。「怒る」は行動であって、感情ではない。ということに、ひとまずはしておきたい。

iPhoneを忘れて特別に困ったことは無かった。用事に遅刻できなくて(連絡を入れられないから)少し走ったり、乗る電車が分からなくて駅員さんに聞いたりした。新宿駅の駅員さんの顔と声が優しくて素敵だと思った。道には迷わなかった。一度歩いたことがある道は、歩いているうちに思い出してくる。初めて歩いた時にキョロキョロしていたわたし自身に感謝だ。

ところで今日は、新しい公園を見つけて、気に入ればそこで昼寝でもしようかと思っていた(とても呑気)。しかし予報を見るとどうやら雨らしい。雨の小石川植物園にするか、古本を買ってそこらへんで読むか。迷いかけたところで持ってきた本を読み終えたので、古本にした。
面白そうな本を2冊買ってすぐにでも読みたくなった。屋根とベンチさえあれば良かったのだが、それがない。数年前に入った紅茶屋さんを、記憶を頼りに見つけ出した。ああ、屋根とベンチさえあればなぁ。

そのあとで、お店に行って、屋根の話とか他にもいろいろと話した。今日は思ったことが割とすぐ口から出る日だったなぁ。
かつて私は彼と会うたびに、その日の日記を手帳に詳しく書いていた。いまも残っている。そんなことしなくても覚えていられるのに。このことに気づいてからは(気づくまでは気づいていなかった)、この日記にときどき寂しいとか楽しいとか感情だけ(でもないかも)を落としていくことにしている。
今日の日記のタイトル、私はこれを見るたびに幸福で笑ってしまう。

今この瞬間は、住んでいるこの家に、やって来た。帰ってきたわけではなく、戻ってきたとも違い、やって来たという感じが強い。それは「行ってらっしゃい」と言われて別れたからだろうか。

2019/05/30 シゴヤメ

3か月ぶりに電車に乗った。用事で東京(田舎者なので千葉・神奈川も総じて東京と呼ぶ)へ行って来た。 ひさびさに師匠に会う。大学時代とはすこしちがう雰囲気で、それでもやはり変わらない師匠を私は一生慕っているに違いないと思う。その後、そのあたりを初めて歩き回る。いつも来て帰るだけだったから。とても良かった。坂とか階段とか看板とか公園とか、そういったものが私は好きなのだが、それらのセンスがとても良い街だ。神社では鳩と猫が見つめ合っていた。そんな光景を2組も見かけた。
ひとしきり歩き回って、お昼をまだ食べていなかったことに気付く。小さな駅の近くに店が2つあった。少し迷って、より家っぽいほうの店を選ぶ。それなりに歳のいったママさんが椅子を2つ使ってくつろいでいた。テレビに映るはなんと、ホームアローン!私の最も好きな映画だ。(クリスマス最高!)すでに15時前。ランチは終わってますよね、という少し圧をかけるような問いをしてしまったが、いいよ、と快くカレーを出してくれた。おいしい…。最近、一人前食べるということに飽きてきている(?)が、このカレーはぺろりと食べてしまった。ママさんは、それなりに真剣な表情でホームアローンを観て、笑うべきところで笑い、とてもかわいらしかった。それでいて私がカレーの最後の一口を飲み込んですぐ、コーヒーを出してくれたのだから、人よりもう一つ多く目があるのだろう。さらにそのあと、少し離れた椅子で眠っていた猫がむくっと起き上がり再び眠りにつくのを見逃さず話しかけていたから、さらにもう一つ目があるのだと思う。
友達との夜ごはんの約束まで時間があったし、こんな時間にお昼を食べてしまったから、約束の駅まで歩くことにした。4kmはないくらいの距離だろうが、寄り道をしたので4kmは歩いたと思う。坂のことなんかを考えながら、家やときどきある店を眺めて歩いた。こういう幸福はつづけていきたい。
友達と会い、ご飯を食べながらいろいろ話す。やめるべき仕事は早めにやめようね、という話になった。これをシゴヤメと言う(らしい)。私も、自由にできない仕事は始める前から辞めるつもりでいたし、しかしなぜやっているかと言えば、まあ勉強としてだ。思いのほか、好きにやっている方の仕事がうまくいっているので、そう遠くないうちにやめるべき仕事はやめる。その職場では、若手のくせにあまりいろいろやらされない。まじめだがそれなりにちゃんとしていない、という雰囲気をきちんと出せたことの証である。頼りにされない程度にちゃんとやっている。
友達と別れ、別の友達のやっているバーへ。ぽつぽつと話し笑い合ううちに、一日歩き回ってみたものや聴いたこと考えたことがまとまっていくような気がした。地元の友人から、地元で飲んでいる、という連絡があり、私は東京で飲んでいる、と返した。不思議な感じがした。
終電で近くの銭湯に行き、そこで夜を明かす。朝6時前の電車で家のある地へ戻る(意識的に‘帰る’という言葉を避けているので生きづらい)。駅から山の方向に徒歩2分くらいの喫茶店でモーニングをいただく。好きなのだけど、猛烈に好きというわけではないこの店になぜよく立ち寄るのかと言えば、その時間に開いている店がここくらいしかないからだ。それでもいつでも開いて(待って)いてくれることは嬉しい。味や雰囲気よりも、この店に関してはそういうところが好きだ。さっき「立ち寄る」と書いたが、思い返せばたしかにこの店に「来た」ことはなくいつも近くを通った際には「寄る」という感じだ。
家に帰り少しだけベッドで眠り、午後は仕事。夜、聴きたいラジオがあったのに、アプリの調子が悪く途中からしか聞けなかったことに不機嫌になりかける。しかし不機嫌になるのはつまらないのでやめた。聞き逃し配信でじっくり聴いた。ま、生活というのはこういうことでしょう。

2019/01/04 海を見に行こう

年末、やらなければいけないこともやらずにダラダラし、結局それらは終わらないまま年が明けた。勝手に明けた。唐突に海に行きたくなった。車で海に行きたい。そんなわけで、海に行くことにした。

1月1日、昼前に起きて毛布とクッション、歯ブラシなどを積んで、出発。三保の松原へ向かう。静岡県は特にゆかりのない地なのだがなぜか好きでよく立ち寄る。今回もひとまず静岡県に行こうと思った。着いてから思い出したのだが、昨年死んだ友達と最後に会った時、ともに三保の松原に行ったのであった。その日のことを思い出し、友達が死んだことについて考え、少し浮かれた気持ちになった。一回死んだくらいではそんなに特別なこともない。
夕方の海は美しかった。あたたかくキラキラしていた。1時間ほど砂浜を歩いた。砂浜の歩き方がよくわからない。走り回る子どもは、夢の中の私だ。味噌ダレのおでんを食べた後、清水のあたりまでまた少し車を走らせ、賑やかな街に埋もれた。賑やかさは大抵好きにはなれないが、そこは心地が良かった。居心地ではなく、心地が。

夜明けまでに茨城の海まで着きたい。途中どこかで休もう。と思い立ち、東京で一旦とまることにする。元日の夜、東京の夜はあまりにも静かだった。こんなに静かなこの街は初めてである。友達のやっているバーが開いていたからお邪魔した。たまたま静岡から茨城に向かい、たまたまその間に東京があり、たまたまそこに友達の店があり、たまたま元日から営業していた。全ては偶然にして必然。そしてかなり自然。
私が本気でまじめに話せば、変わってるねとかはそんなに言われなくなるはずだと思う。素敵だと思ってもらえるはずだと思う。私は名前の一字を大抵隠しているが、その一字を明かしたときに納得してほしい。そこまで辿り着いてくれる場所を、つまり人を私は求めていたのかもしれない。そしてそれは海でもあった。
東京の夜は海のようだった。私たちの月。ほとばしる愛。そして、ヒッチハイク。

東京から茨城は近い。元日の夜中に飲むコーヒーのカフェインは強く、出発から一度も眠らないまま茨城の大洗岬に着いた。夜明け前であった。少し眠ろうかとも考えたがそんな気分にはなれず、そこから日が昇るまで1時間半くらい外に立っていた。人は増えていく。
青と黄のあいだが緑ではないから空はいいなとか、後ろの人にリュックの中身盗られてないかしらとか、水平線はよく見るとギザギザしているとか、濁音という概念を産んだ人は波の音を聴いたんだろうなとか、そんなことを考えていた。とてつもなくひとりであった。海には鳥居があり、直線は鳥居だけだった。水平線ですら波打っている。人の作った鳥居は不自然でおかげで神々しくもあった。自然界に直線は存在するのだろうか。
夜明け、さらに冷え込んだが、私が震えていたのは寒かったからではないという気がする。とても力強い海だった。日が昇ったとき、私の隣にはきっと誰かが立っていて、その瞬間はふたりだという気がした。

帰り道、カフェインが切れた瞬間、身体が使い物にならなくなり、慌てて少し先のSAでカフェインを摂取し15分ほど仮眠。かなり回復した。渋滞もあり6時間ほどかかったが、歌と考え事が捗った。
そのうちに本当に店をやりたい。岡田淳さんの『こそあどの森』シリーズで、いつもお菓子ばかり食べているふたごの家に行けば必ずなにかを出してくれる。二人暮らしの夫婦の家には森の住人がみんな集まっても座れる椅子と大きなテーブルがある。誰の家に行ってもお茶をいれてくれる。私の店について思い描くのは、そんな絵だ。それは絶対に私にしか描けない絵だと思う。

まじめに自然にかわいく、そしてかしこく生きたい。2019年、ドキドキする!

2018/11/05 タイムトラベル

ああ、あの日に戻ってきた。神戸の街。あの日はとても素敵な一日だった。全てを思い出した。いや、本当は思い出したのではなく、ずっと覚えていたのかもしれない。懐かしくはなかった。懐かしめるほど恥を捨てきれていないのだと思う。私はまだ若い。7年半ぶりに会う友達とは、つい昨日も同じ教室で授業を受けていたような気がした。神戸の街は美しい。山があって港もある。人も良い。あの日の宝石も埋め込まれた土地だ。神戸での私は多分けっこう可愛かった。夢の中みたいに。夢の中ではいつも、私は可愛い。神戸の街で私はかなりモテた。
金閣寺に行くという行為はかなり俗っぽい。行ってからそれに気付いた。遣る瀬無い気持ちで足早にまわって出た。龍安寺はかなり好きだった。庭をしばらくぼんやりと眺めた。水の波紋だろうかと思った私はかなり面白味がない。しばらく考えてみたけれど、考える事でもない。龍安寺はかなり良い場所だという、それだけで良い。
どうしてももう一度静岡県の道を車で走りたかった。地元の道にそっくりなのだ。そっくりどころではなく、知っている場所にいるような錯覚に陥る。今回もそう思った。天気すらあの日と同じだった。静岡で借りた名古屋ナンバーの車を少し強気に乗り回した。(偏見である。)寸又峡の駐車場のおじいさんは、到着した時に良い旅だねと言ってくれた。帰る時私を覚えていて挨拶してくれた。明日には忘れてしまうのかもしれないけど、嬉しかった。いつの日にも、どこかで誰かが私の事を思い出してくれたらいいな。誰にも思い出されない日があるのは寂しい。邪欲だろうか。…思い上がって生きていけばいいんだ!
三島の喫茶店は禁止事項が多かった。パソコンは使用しないでくださいと書かれていた。古き良き喫茶店という場があり確かに素敵だったが、人為的だった。レシートを渡された。余りにちゃんとしている。秋晴れがよく似合う。三島の街もその喫茶店と同じだった。オシャレ(?)すぎるのだ。もっとよく知れば、素敵だと思えると思う。嫌いではない。
東京は人が多い。知人も多い。東京では一番可愛くいたいと思うのに、東京にいる時の私は一番可愛くない。怒りに共感する事ができなくなってしまった。幸せならいいんじゃない?という言葉はその通り過ぎて何も言えなかった。しかし一体、幸せとは何だろう。神戸での幸福と、東京での幸福は、かなり違うのだ。どちらを信じればいいのだろう。そこにいるのは誰なのだろう。愛していいのだろうか。もう気付かないふりを止めなくちゃいけない。
私に帰る場所はなく、ただ家のあるこの場所に戻ってきた。その日の午後は仕事をしたが、旅の続きのようだった。時間の中を歩く。いつだって散歩は続いていく。

2018/10/27 もう直ぐ旅に出ます

来週は旅に出る。火曜日の昼過ぎに発ち、土曜日の朝に帰る。予定は未定。神戸には行きたいな。神戸は一度だけ行ったことがあるけれど、とてもいい街だった。人も良かった。私の横には一緒に歩いてくれる人もいた。今度の旅は基本的にひとりぼっちだ。ひとりは楽しい。内輪という言葉が生まれる空間があまり好きではない。各地に住む友人に会う時間もある。ついさっきようやく連絡を入れ始めた。ずくなし&筆不精の極みなのだ…。(ずく というのは方言でやる気とか根気とか根性みたいな意味なのだけど、標準語ではやはり表せない…ずくはずくだ。)知らない土地で知らない人をぼんやり眺めて、もしかしたら少し話したりして、時々知っている物や人に行き着いて。何も考えずに昼間から酒を飲むような散歩がしたい。神戸の街は美しかろうな。他にはどこに行こうかしら。
そんな旅自体も楽しみだけど、旅の終わりは少し長い。何処かから帰る時、朝着くように仕向けることが多い。9時に着けば喫茶店のモーニングにちょうどいい。完璧だ。このために旅をしている節は大いにある。戻ったその場所は多分かなり寛容でいてくれるはずだ。今のところこの期待が裏切られた事はない。帰る場所など本当は無ければいい。全くもって要らない。そこには束縛しかない。だけど、戻る場所があるというのはかなり心強いと思う。馴染みの喫茶店とか。神戸だって然り、私はあの日に戻って行くつもりでいる。
旅は戻っていかれる場所を増やすためにするんだろうか。場所という空間には必ず人もいる。というより、人が場所になる、という方が適切だ。そしてまた旅をして戻って行くんだろうか。私も誰かの戻る場所になれるだろうか。そもそも旅という言葉の発音は、かなり明快で勢いもあり泡が弾けるみたいだ。

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