雨やどり


岡田淳さんの本を読む -- 図工準備室の窓から―窓をあければ子どもたちがいた―

雑然

本を開くとまず、カラーで図工準備室や作品の写真の載っているページが8ページ分ある。これだけでもうときめきがとまらない。雑然としながらもすべてが絶妙なバランスをとっていて、それぞれに物語がありながらどこかでつながっているような雰囲気。目に見えない何かもそこにあったりいたりするのかもしれない。まさに、ファンタジーの世界に迷い込んだような空間に見える。
そんな「すてきなことが集まった」空間のことは、「整然は雑然に支えられる」「ドリトル先生の台所」の章でも語られる。たくさんのすてきなものがあるだけでなく、その空間にある状況がとてもすてきなのだということが、伝わってくる。「明るくて広くて整然としているほうが、多くのひとには来やすいようで」と言いながら、雑然とした空間がすてきだとご本人も思っていることもわかる。そして、子どものころに出会ったすてきなものの記憶は「育った」という。記憶が育つのである。読者はきっと、そういう岡田淳さんやそんな方の書く世界が好きなのだ。

こういう方向のひと

「六十才は悲しいか?」という章で、六十才になった著者が、図工の先生としてどう子どもの前にあらわれる(あらわれるという表現もいい)のがいいか、自分なりに思えてきたのはおしまいにちかくなってからだと書いている。それも、「そういう先生になったとは言っていない。⦅中略⦆(理想とする姿が)こういう方向のひとだと思うことができた」というところがすてきだ。それがどういう方向かが、これまたとてもすてきだと思う。子どもに対して何かをしてあげようみたいな発想がない。もちろんいい意味で。「初心」の章で「ながめる」というイメージについて書かれていて、そのイメージがあるからこその発想なのだろうとも思う。岡田淳さんの見ている世界には、相手だけではなく岡田淳さんご自身もちゃんといることがわかる。「セイちゃんとキョウちゃん」の章に、より岡田淳さんらしい語り口で書かれている。
岡田淳さんの見ている世界とはどんな世界だろうか。「迷路の中で天使の声」の章で、子どもの「わあ!」という声に、「日常とちがう、もうひとつの世界」に気づかされ、わくわくしてきたというエピソードがある。岡田淳さんの作品にはファンタジーとしてのそういう世界がたくさん出てくる。しかし、ファンタジーではないそういう世界もある。そのことを身をもって知っているからこそ、ご本人も作品もこんなに生き生きとしているのだろう。「跳んでみてわかること」の章でも、「どっぷりとつかっていると自分の場所はわからない⦅中略⦆本は跳ぶ装置」と書かれている。作品の登場人物だけでなく、岡田淳さんご自身も「もうひとつの世界」と行き来するひとなのだろうと思わされる。そして、そういう世界に生きている自分がすてきでいる、という方向を見ているひとなのだと思う。
「阪神・淡路大震災のこと」の章では、「ただ悲しいだけなら、そういう話はほかのひとに任せよう。ぼくはそれ以外の話をしよう。」という言葉がある。正しいとか間違っているとかいうことではない、その決意はとても格好いい。これが岡田淳さんというひとなのだと思った。

作品について

どの章も物語のようだ。「戻らない日々」の章の、人魚の赤ちゃんを見たエピソードが好き。「トンビのトンちゃん」の章はかなりおもしろい。「組立体操は甘酸っぱい」も好きだ。
作品が生まれた時のエピソードもいくつか書かれている。『ムンジャクンジュは毛虫じゃない』が本になった時のエピソードが「天然の守護天使」の章にある。これは講演でもよくされているお話で、親しい気持ちで読んだ。「東京の偕成社から、⦅中略⦆神戸のぼくの部屋にやってきて、東京弁でこうおっしゃった」という言い回しは、本だからこそのような気がする。
「学校ウサギをつかまえたこと」の章は、まさに『学校ウサギをつかまえろ』の物語のまま。この物語が本当にあったこと、その物語をとてもしあわせな時間として作者自身が持っていて、読者もそのしあわせな時間を本の中で体験できたことは、とてもうれしい。
「図工の先生が作家であるということ」の章では、『選ばなかった冒険 ―光の石の伝説―』の登場人物の話を子どもたちとするエピソードがある。日常とは少しちがう世界のことをよく知っている大人が近くにいることは、なんて楽しいだろうと思う。会話だけで書かれた2ページ半がとてもいい。

水面と滴

「アーサー・ランサムのこと」の章の中に書かれている、何重にも水面がありそこに本の滴が落ちていくというイメージ、とてもよくわかる気がする。その本を読んだ人同士のある種の連帯感というものも、わかる。岡田淳さんがアーサー・ランサムの周辺で感じたその感覚を、岡田淳さんの作品の周辺で私たちも感じている。水面は、ほかの誰かでもあるし、過去の自分自身や未来の自分自身のものもあるかもしれないなと思う。
この『図工準備室の窓から』一冊に関しても同じことがいえる。これまでに何度も読んで、そのたびに、そのときの“今”の私が感じることがある。そのすべてが重なってつながっているのだろうと思える。これからも定期的に読み返していくべき&いきたい一冊である。


2022/01/20

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