雨やどり


管理人室 -- 日記 -- 2023/04
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2023/04/30 ピアノ
2023/04/28 境目
2023/04/27 日常と非日常
2023/04/24 海
2023/04/14 ケニーのまど
2023/04/11 メリカント
2023/04/09 夕方の公園を斜めに

2023/04/30 ピアノ

譜読みをいっぱいしてつかれた! にゃーん。
ブラームス「6つの小品」Op.118-6 Intermezzoをちゃんとさらい始めた。1~5までは弾いたので、これが最後の一曲になる。リンク先の動画の、キーシンの演奏がすごい。しんどいね。苦しいね。でもちゃんと光がある。
それから、フォーレ「舟歌 第5番」。久々にフランスものを弾こうと思って選んだ。この5番の舟歌は、なんとなく夕方か夜っぽい雰囲気がして好き。譜読み大変だけれどがんばろう。
ハイドンのピアノソナタも6月までは弾き続ける。この曲を弾く7分間は、ただただ朗らかでいられる。

2023/04/28 境目

昨日の日記の続き。じぶんのことがいやになるのなんて、ダメなじぶんを許すための言い訳なのかもしれない。しかも、ダメなじぶんのこと、実はそんなにきらいじゃないのかもしれない。いやだけどね、きらいじゃないのかも。どうかしらね。
すきときらいも、日常と非日常も、もしかしたら何事においても、どちらかに偏ることなく生きていくには、幻想がちょっとずれたところにいつもあると分かっていればいい。

2023/04/27 日常と非日常

おとといの夜おそく東京に着いて、きのういちにちあそんだ。どこにいて何をしてみたいなことは書かない(日記とは……)。
歩きながら、非日常だと思った。これまで同じように東京を歩いていたときは、どうだったかしら。日常の延長を歩いた日もあったし、そうでない日もあった。なにが違うのか。そこに住んでいるかどうかや初めて来た場所かどうかは、あまり関係がない気がする。
きのうは、いつもはしない甘い匂いがして、その中をわたし自身が歩いていることを強く感じた。探しているものはこんなに簡単に見つかるはずじゃないのに、雨とともにちゃんとわたしの中の深いところまで染みてきた。そして、とてもわがままだった。心のどこかではきっと大丈夫だと分かっているのに、安心するための心配をした。どうするのがいいかたぶんじぶんが一番よく分かっているのに、他人のエネルギーを手がかりにした。それでけっきょく誰を想っているのかまったくわからないのだけれど、少なくともじぶんの存在は普段よりふくらんでいて、こんなわたしっていやだなと思う。日常と非日常はを決めるのは、環境ではなく、じぶん自身がどれだけ普段と違うかなのかもしれない。
きょうはいちにち、日常だと思った。きのうよりよっぽどつつましく暮らした。非日常のための日常ではないし、その逆でもなければ、日常と非日常の区別がなくなればいいと思うわけでもない。できれば境目くらいのところで生きていて、またみんなに会いたい。

2023/04/24 海

発表会は、今回初めて2日間ホールを借りて、22日(土)準備・リハーサル、23日(日)本番の日程で、無事終わりました。
24日(月)は休みにしていて、朝起きられたら海へ行こうと思っていた。なんと6時にちゃんと目が覚めて、7時20分に車で家を出た。一年ぶりの富山へ。富山は好きだけど、好きだから行ったわけではなく、富山に行くのがいいと思って行ってきました。4時間くらいかかって、11時過ぎに到着。来てよかった。この海をよく覚えていた。しばらく浜にいて、そのあと駅のほうに車を停めて、散歩。お昼の後、具合が悪くなりかけて車で30分くらい気絶していたけれど、コーヒーを最後に飲んでから30時間くらい経っていることに気づき、ふらふらと喫茶店を探して入る。喫茶店の匂いを嗅いで、コーヒーを飲んで、本を読んで、回復。前回時間がなくて諦めた植物園は、今回も時間が足りなくなって諦めた。またちょっと散歩して、白エビかまぼこを買って、もう一度海に行く。すーはー。翌朝仕事なので、18時には出る。帰りは3時間半くらいで、21時30分前には着いた。
北陸自動車道から見えた新潟の海の眺めもよかったなぁ。そのうち行こう。

タグ: 旅 

2023/04/14 ケニーのまど

おととい、図書館に行けて、絵本と児童書をかりてきた。読んだ本のページも更新しています。
その中の一冊、モーリス・センダック作『ケニーのまど』がとてもよかったので、買おうか迷って、買わないことにした。わたしはたぶんこの本を折に触れてまた読み返していくけれど、いつでも手に取れるようにしておく必要はないと思った。しかし、何度でもまた図書館で借りたりどこかで見つけて手に取ったりすると思う。もしかしたら、そのうち買うかもしれない。それでも今は、そばにある必要がない気がする。なるべくたくさんの人がこの本を手に取ったらいいなと思う。そして、この本を必要な人が、この本が必要だということに気づいてくれたらいいなと思う。そういう本だった。(読んでみたくなった?)
ところで、大人が読むような本を最近あまり読んでいない。高校生や大学生の頃は読んでいたのに。いいのかなこんなで。でも、だって、子どもの本のほうが楽しいんだもの。
《追記》ある物語の存在が、何にとってもしくは誰にとって必要か、楽しいかということを、最近ちらちらと考えてみている。

タグ: 読書 

2023/04/11 メリカント

来週末に何曲か発表会で弾く。その中に、オスカル・メリカントという人の曲がある。フィンランドの作曲家はいいわね。フィンランドと言えばシベリウスのイメージが強い(交響曲第2番がものすごく好き)けれど、このメリカントも負けず劣らず良い。シベリウスと同じくロマン派の時代に生きた人で、交響曲など大きな作品はなく、ピアノ曲やオペラなどを残している。親しく感じるのは、フィンランドの音楽が日本のものと似ているからかもしれない。「ロマンス」の冒頭なんて、完全に「赤とんぼ」だし。
今回弾く「ワルツ・レント」は、懐古するような雰囲気が曲全体を支配しつつ、軽やかでロマンチックに揺れ動く。そして、それはすべて素朴さの中にある(聴いている人にもそう感じてもらえるように弾けたらいいけれどね)。メリカントのこの素朴さが、ロマン派という分類の中で彼が持つ独特のものだと思うし、私はそれをいいと思う。昨秋くらいからメリカントの作品をちょこちょこ弾いてみたりしていて、触れれば触れるほど好きになっている。
というわけで、個人的試演会を今年もやります。おひまだったら聴きにいらしてね。→詳しく

2023/04/09 夕方の公園を斜めに

夕方の公園を斜めに横切った。今のわたしは、死ぬにはじゅうぶん幸福である。その幸福の部分に、エネルギーを余すことなく注いでいる。いつ死ぬかな、なんてことを最近ずっと思っている。自分で決められることではないけれど、準備はできている。だからこそ、できる限り手を抜かずに動けているのだと思う。
そのエネルギーがぷつりと途切れるときがある。3月31日にまた倒れちゃって、夢を見た。夢の中で友達と会った時、その人が現実とどんなに違っても、好きだった。その人を好きだという思い込みだろうか。でも、夢で一緒に過ごして楽しかったな。わたし自身もまた、現実と違ったかもしれない。夢のわたしはいつもかわいいのよ。知らないふたりがいつまでも仲良しでいますように。現実のわたしたちも仲良しでいたいよね。エネルギーが途切れても、幸福は続いているのである。

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