雨やどり


管理人室 -- 日記 -- 2022/05
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2022/05/30 雨の水曜日
2022/05/29 信
2022/05/28 反感・不満
2022/05/26 孤独と友情
2022/05/23 年上の大人じゃない人たち
2022/05/22 愛と死
2022/05/16 しおり
2022/05/13 一周年
2022/05/07 わが心の孤独への子守歌
2022/05/05 おやすみ

2022/05/30 雨の水曜日

4年前の5月30日は、水曜日で、雨が降っていた。モーツァルトのレクイエムを聴いている。モーツァルトの音楽は、人間の音楽ではなく神の音楽。今日はモーツァルトを聴きたかった。
おばあちゃんが他界したのはわたしが小学生の頃だった。泣かなかった。小学3年生のわたしには人が死ぬということがどういうことなのかわからず、受け入れないことを選んだのだと思う。おばあちゃんはまだどこかで生きているような気がして、その気分をずっと持ったまま大きくなってしまった。いまになってもまだ、おばあちゃんの死を悲しんだことがない。どこにいるのだろう。
あの雨の水曜日にMくんが死んで、少し時間はかかったが、彼が死んだとわかった。今もわかっている。今、わたしたちが会ったら、きっと、変わらないねとお互いに思う。いや、会わなくてもわたしはそう思っている。どこにいるか探したり、特別に褒めたりもしない。本当、相変わらずだねって言って笑う。

2022/05/29 信

信じたい人たちのことをなぜか信じられなくなっていて、つらい。わかるはずなのにわからなく、それがなぜなのかもわからなくて、ただ悲しい。わたしが信じていないことに、おそらくみんな気づいている。何を思うのかしら。怒り? 戸惑い? 失望? 原因も解決方法もわからない。少し待ってみるしかないだろうか。今のわたし、おそらく人とちゃんと会話できていないし、目つき悪いだろうな。
 

2022/05/28 反感・不満

高校生の音楽部(ほぼ合唱部)の定期演奏会で3曲伴奏してきた。いろいろと準備をしてきて、ついに来た今日を無事終えて、達成感もあったようだった。しかし、私からすると、彼らはもっとよくなるべきだと思う。運営も音楽も甘い。プログラムひとつとっても、誤字脱字がとても多く(わたしの名前の漢字も違っていたことは気にしていない)レイアウトもガタガタ。ゲネプロ(になっていなかったが)の進行は誰が考えたのだろう。いまいち効率がよくない。
彼らがよくなるために足りていないものは、大人、だと思う。周りの大人たちが、彼らのことをほったらかしにしすぎている気がする。すてきな大人がちょうどいいバランスで口出ししていたら、こんなことにはなっていないと思う。「今のはよくない」と大人が言わなくちゃいけない時があるのに、誰も彼らにそれを言わなかったから、よくないことをよくないと思っていない。そう、よくないと思っていないのである。自分たち自身に対する不満がほとんどない。
中高生のころ、信用できない大人に反抗する(表立ってではなくとも反感を抱く)のは、私たちの特権だった。反対に、信用できる大人には助けてもらったり手伝ってもらったりした。私たちは誰を信用するか、何を信じるか、よく考えた。大人への反感は、自分たちに対する不満でもあった。もしかしたら、自分自身への不満が大人への反抗心になっていたのかもしれない。とにかく、今のままでいいと思ったことはなかったと思う。彼らとて、今のままでいいと思っているわけではないかもしれないが、今のままではいけないと思っているふうでもない。音楽にもそれがとてもよく出てしまっている。
音楽をやっている身としては言いたいことが山のようにあったけれど、それを伝えるには立場も時も違い、なかなか難しい気持ちだった。しかし、ゲネプロのときに厚かましく「ひとつだけいいですか」と手を挙げてふたつ言った。大人たちが誰も、本番直前の彼らに一番足りていないことを言わないのだもの……。私の役目は、彼らの意識を変えることだと思っている。その先は自分たちで考えられるくらいの頭は持った人たちだと信じている。
本番の日に言っても意味がないから言わなかったが、発声がなっていない。合唱で発声が悪いとなると、それは、だしのとれていない味噌汁。ごまかしがきかない。コンクールまではまだ期間があるから、何とかしたほうがいいですよと、先生に伝えてきた。何とかしてくれるかどうか心配。本当は、彼らが「発声指導してくれる先生を呼びたい」とか言えば話は早いから本人たちに伝えたかったのだけれど、本番後に私からそんなことはさすがに言えない。
と、いろいろ考えた後で、ふと冷静になって、彼らはどういう態度で歌を歌っているのだろうかと思った。もしかしたら、よくなってほしいと好き勝手に言っている私が最も迷惑な存在かもしれない。彼らにとって最も反抗すべき大人かもしれない。そうだとしたらとても悲しい。そうでないといいな。

2022/05/26 孤独と友情

「frei aber froh(自由に、しかし朗らかに)」はブラームスが口癖のようにしていたモットーだ。その言葉は音楽にも多用された。たとえば、バラードop.10-2はfis-a-fisという音で始まる。交響曲第3番も第1楽章冒頭のf-as-fが曲全体を統一する。彼の場合、自由と孤独はほとんど等しいものと考えていいと思う。同時に存在していたというより、自由であるからこそ孤独で、孤独であるからこそ自由だった。彼について考えるとき、この二つは切り離したり区別したりできるようなものではない。と私は思う。
ヨハネスは生涯、結婚することはなかった。彼の人生に恋がなかったわけではない。むしろ恋多き人生だったのではないかと想像する。そうでなければ、彼女たちのためにかいたたくさんの美しい歌曲は存在しなかっただろう。ある時、誰もがアガーテとの結婚を疑わなかったのに、ヨハネスは『愛しているけれど、自由を束縛されることはのぞまない。』(ひのまどか『人はみな草のごとく―ブラームス物語―』より引用)という手紙を送ったのだった。彼のどの恋も結婚まで至らなかったのは、彼が恋よりももっと大きな愛を持っていたからだと思う。しかし、この愛は満たされるとかいう類いのものではなく、むしろ逆で(これから詳しく書く)、それゆえずっと孤独だった。愛を持った孤独は、自由ということでもあった。

では、ヨハネスの持っていた愛とは何だったのか。彼の愛とは、真実の友情だったのではないかと思う。それはどんな形をしていたのか。どこを向いていたのか。そのことを考えるのに欠かせないのは、エリーザベト(愛称リースヒェン)とクララの存在だと思う。
貧しい家に生まれたヨハネスが、煙たい清潔でない酒場でピアノを弾いてお金を稼いでいた14歳の夏、見かねた父の友人が連れて行ってくれた郊外で出会った少女リースヒェン。彼女と手をつないで草原を歩き、横になって歌を歌い、頬を寄せ合って本を読んだ。14歳の夏に手をつないで歩いたリースヒェンの存在が彼の中にあることは、14歳の少年ヨハネスがずっと存在しているということだと思う。あの美しい愛の日々が、彼が信じた真実の友情の形そのもののように思える。あるいは理想なのかもしれないが、彼は真実の友情の存在を誰よりも信じていた。それは14歳という時にリースヒェンとの日々があったからではないだろうか。
クララとの関係については、言葉で言い表せるようなものではないと分かっているけれど、頑張って考えて書いてみようと思う。ヨハネスはクララを深く愛していた。その愛は何かに引きつけられるようなものでも何かを望むようなものでもなかった。祈りのようなものだったのではないだろうか。クララへの愛はヨハネスの生でもあった。その生と自分自身が祈りによってつながる。彼が神を信仰しなかったのは、彼自身の中にある生を信じていたからだと思う。彼の作った音楽は、彼の美しい生という泉からあふれ出した水なのだと思う。リースヒェンとの日々も、その泉の一滴なのかもしれない。自身のクララへの愛を知りながらも、友情としてそれを信じた。
ヨハネスが彼女たちとの関係を真実の友情として信じたわけは、水が満たされてしまえばもう湧き出ることはないと分かっていたからだろう。彼は音楽を生み出すために孤独でなくてはならなかった。いや、逆だろうか。真実の友情を誰よりも信じていたから、孤独でいるしかなく、そうして音楽が生み出されたのだろうか。いずれにしても、彼の友情と孤独はつよく結びついている。それこそが彼の生だったのだ。だから、彼の生とも言えるクララがこの世を去り、一年もたたないうちにあとを追うようにして病気で亡くなったのは、そういうものなのだとしか思えない。

余談。もしも、ヨハネスが満たされた愛を手に入れていたらどうなっていただろうかと考える。今存在している曲は生み出されなかったかもしれない。しかし、また違った名曲の数々が残されているかもしれない。彼に子どもがいたら、と考えるのも面白い。彼自身も子どもっぽいところがあり(これについてはまた別のときに)、大人からはあまりよくない印象を持たれていることもあったが、子どもと関わるときの彼はとても親しげだったという。散歩するのにコートのポケットにお菓子をしのばせておいて、配ったりとか。若い音楽家の支援もすすんでした。彼自身の子どもがいたら、父としての彼もまたいいなと思う。どんなヨハネス・ブラームスであってもきっと私は愛していた。余談おわり。

タグ: J.B 

2022/05/23 年上の大人じゃない人たち

少しがっかりすることがあった。期待しすぎていただけかもしれない。それでもやっぱり、いいなとは思わなかった。
夕方、自転車で母校の高校へ向かう。晴れていて風が爽やかでとても気持ちがいい。今年度は、音楽部(=合唱部)の定期演奏会とNコンで伴奏をすることになり、今日で部活に行くのは3度目になる。これまでの2回は、譜読みも譜読み、曲の雰囲気をつかめればいいという感じだったので、ちゃんと合わせるのは今日が初めて。

音楽に関して言えば、楽譜上の音高と強弱は見て真面目に歌っているが、他は考えていない。見ていないのではなく、考えていない。近くばかり見て全体を遠くから眺めることもしていないし、近くのこともただ目に見える物だけを拾っているだけ。それから、長い音をすべて捨ててしまっていて、それがとても悲しかった。そのことに気づいてもおらず(あるいは気づいていても気にしておらず)、口出しする立場ではないから黙っていたけれど、言わなきゃなと思っていたところでちょうど「何かありますか」と聞いてくれたので伝えておいた。ほかにも気になることはたくさんあったが、今の段階で言えるのはこのことだけ。とにかく自らを省みて(自分たちの音をよく聴いて)考えてほしい。高校生という時期にこんなに考えないでいることは、とてももったいないと思う。わたしの今日の役割は、考えていないことに気づかせることだと思って、勇気を出して果たしてきた。
歌っていないときの態度も、わたしの期待していたものとはあまりにかけ離れていた。先生がいなくて困っている姿には、がっかりというよりびっくりした。高校生の頃、今思えば先生たちには守ってもらったり助けてもらったりしていたのだけれど、当時はいなくて困ると思ったことはなかった。わたしたちだけでできるのに、と思っていた。だからこそ、わたしたちだけではどうにもならないこともあると思い知らされて悔しかったこともある。わたしたちと今の高校生たちは違う人間だし、そういうものなのかもしれないけれど、成り行きに任せているような雰囲気で、なにより従順。中学や高校に仕事で行くと、とにかくみんな、考えることと疑うことをサボりがちだなと思う。だからなのか、大人とのコミュニケーションがとても巧み。おそろしいほど巧みである。

なぜこういう傾向があるのか、考えてみた。いろいろあるのだろうが、ひとつに、OG・OBの不在があるんじゃないかと思い至った。新型ウイルスの感染が拡大するなか、中学生なら高校生の、高校生なら大学生のOG・OBが部活に遊びに来ることがなくなった。普段、中学生が知らない高校生と、高校生が知らない大学生と関わる機会は、めったにない気がする(少なくとも私の住む地域は)。自分とはかぶっていなかった少し上の先輩たちとの出会いは、わたしには特別な感じがした。“自分より年上だけれど大人じゃない人たち”は、わたしたちに反対したりわたしたちのやることを止めたりしなかった。むしろ、わたしたちが望んでいる自由(特に大人の存在からの自由)を手に入れているように見えた。実際はどうだったか分からないが。そういう人たちと関わることは、今の自分たちはこのままではいけないと思うきっかけになっていた。
考えてみると、部活だけでなくいろんな場面において、“年上の大人じゃない人たち”は不在なのだと思う。たとえば、運動会は分散で、ピアノ発表会も学年ごとに入れ替えなど。しょうがない。ならばどうする? 大人だけど大人に近くないわたしたちがなんとかしていくしかない。

2022/05/22 愛と死

ブラームスの交響曲は、第1番を聴いている時にはこれが一番いいなぁと思うし、さっき第3番を聴いている時にはいやこれが一番かもしれないと思った。結局、どの曲を聴いても聴いている時はそれが一番になってしまう。あぁでもやはり第2番はいいわよね。というのも今、第2番を聴きながらこの日記を書いているのです。
吉田秀和さんの『ブラームス』をほとんど読んで、ヨハネス・ブラームスのことを知れば知るほど、彼を愛していることに気づいていく。ひのまどかさんの作曲家の物語シリーズ『人はみな草のごとく―ブラームス物語―』(小学校高学年くらいから楽しく読めるような感じで内容もとてもいいのでおすすめ)もぱらぱらと読み返した。ここ数日で彼について感じたり思ったり考えたりしたことが山のようにあり、すべてを今ここに書き尽くすことはできそうにない。愛と死ということだけ、今日は書くことにする。

ヨハネスはどんなに大きくなっても、お母さんの子どもだった(彼の子どもらしさについてはまた別のときに詳しく)。大好きなお母さんが亡くなり、かなしみの中にいたヨハネスが作曲した《ドイツ・レクイエム》。レクイエムとは死者のためのミサ曲のことなのだが、この曲は残された者のためにかかれたという説に私も賛成する。そもそも神への信仰がなかった彼は、死を人間のものとして持っていたのだと思う(死だけではなくもちろん音楽もだが、これもまた別のときに)。
彼は死をずっと意識して生きてきたのだと思う。シューマンが精神の病気で亡くなり、母も死に、その後も友人たちの死に何度も遭遇した。晩年は自分の死を予期し、死とより深く向き合った。心の友エリーザベトが亡くなり、彼女へのレクイエムとなる《4つの厳粛な歌》を書きあげ、人生最後の誕生日に自分への贈り物として演奏した。クララが亡くなった時、彼女を偲ぶための親しい人たちとの集まりで、大粒の涙を流しながら自身のピアノ伴奏でむせび泣くように歌ったそうだ。それから一年もたたないうちにヨハネスもこの世を去った。
想像するに、クララの死に際して、ようやく彼は死の中に愛を見つけたのだと思う。愛は死の中にあった。しかし本当はもっとずっと前から死から生まれた愛はとっくに彼の中にあったのだろうし、実際そう思って彼の曲を聴くと、そうだとしか思えない。《ドイツ・レクイエム》にある悲しみとなぐさめは、死者と残された私たちにあった時間をありありと思い出させ、しかも決して忘れさせない。吉田秀和さんも、愛を歌った旋律と死に対する曲の関連について書いておられる。《4つの厳粛な歌》というレクイエムにも愛の旋律がある。

ヨハネスについて考えるときは、過去の積み重ねが今になっていると考えるより、人生の最後の愛から過去のすべてが生み出されていたのだと考えるほうが自然な気がする。実際に、フィナーレが先にかかれそのあとでそれより前の楽章が構想されているものも多い。音楽にそれが当てはまるだけでなく、人との関係もそうだったと考えられる。
ヨハネスは真実の「友情」を信じていた。誰よりも信じていた。クララとも「友情」を破ることはなかった。彼が生涯信じ続けた「友情」こそ、大切な人たちの死に見た「愛」そのものなのではないだろうか。
彼は死と向き合い続けた。悲しみも苦しみもあっただろう。しかし、それは愛とも向き合い続けていたということだった。だから、“悲哀と諦念”(吉田秀和『ブラームス』より引用。彼の音楽を表すのになんとぴったりな言葉)が背景にありながらも、あんなに心に寄り添ってくれるようななぐさめの音楽を書けたのだろうと思う。

タグ: J.B 

2022/05/16 しおり

日記に  しおり  というタグを追加した。わたしにとって特に大事なことを書いた日記を集めた。目印(本の栞)、手引き(旅のしおり)、どちらの意味もある。覚えておかなくちゃいけないという気持ちと、わたしという人間を少しでもわかってもらえるかもしれないという期待を込めて、「しおり」とした。これまでの日記をざっと読み返すと、その時々で言葉づかいや漢字の量も違う。どれもわたしなのだけれど、ただ、今と違うなぁと思った。

2022/05/13 一周年

この個人ホームページを開設してから一年。珍しくSNSで言ってみる。だけど別に、おめでとう! とか言ってもらえるわけでもなく、そもそも祝うものではないかもしれない(ホームページの周年記念なんて最も個人的なお祝いのひとつのような気がする)し、仮に祝ってもらうにしてもホームページの一周年をSNSで祝ってもらうのもなんだか違う気がするし、ひとりこころのなかで、よかったなぁと思っている。SNSに馴染んでしまっていなくてよかったなぁ、と。お祝いしてくれるかたがいれば、設置だけしてまったく使っていない掲示板か、こっそりとメールでぜひおねがいします。そろそろリンクページも盛り上げていきたいところ。追加してねとかあったらひとまず遠慮なく言ってください。いやだったらいやって言うので。ツイッターで考えごとするのやめて、インスタもやめて、全部ここでひっそりとしかし正直にやろうと思って、今のところわりとその方向でできていると思う。

2022/05/07 わが心の孤独への子守歌

愛しいJ(ヨハネス・ブラームス)の誕生日。おめでとうございます。彼の音楽は、わたしがわたしの心と向き合うことの勇気をくれた。もちろん今も変わらず勇気をもらっている。どうして彼の音楽がここまでわたしに心のお弁当箱(比喩)を広げさせたのか。考えてみる。
彼の音楽はいつも心に寄り添ってくる。例えどんなにかたく心を閉じていようと決意しても、気がつけばそばにある。それは、彼が彼自身の心ととても深く向き合って、音をそこに寄り添わせたからだろうと思う。彼に関する記述をいろいろと読むと、とても孤独な人だったのだろうと想像できる。大人になっても、子どもの頃のおもちゃを大切にしまっておいたり、傷ついたときにおかあさんに会いに行ったり、とてもかわいい人でもある。しかし、子どもの心を持ち続けていたがゆえに大人になって孤独になったのではなく、小さいときからもうずっと孤独だったのだと思う。生まれながら孤独を知っていたのだと思う。「孤独を知っている」というのは、足が速いとか声が高いとかと同じように、ひとつの素質として存在している気がする。それなりにいるんじゃないだろうか、孤独をもって生まれてきた人々。その孤独をどう扱うかは人それぞれで、ブラームスの場合は音楽で孤独を慰めたのだろうと感じる。
彼の音楽が寄り添ってくる時、「慰め」という言葉が思い浮かぶ。慰めと言うと、優しくして元気づけるというイメージがあるけれど、そうではなく、どう言えばいいかしら……。とても静かにじっと見つめられている。そこに強くてまっすぐな決意がある。その強さを受け取っているような感じ。「あるピアニストの一生」というホームページのブラームスのページで“わが心の孤独への子守歌”という言葉が使われているのを最近読んで、あぁそれだ、と思った。自分の心に対して、押し込めるのではなく、内的だけれど開放されているような関わり方をしていると思う。
そういう彼の自分自身の心との関わり方は、わたしにとっては共感できる部分が多い。それで、わたしもわたしの心を少しだけれど見ることができたのだろう。ここまで書いてきたことのほとんどは想像の話だけれど、彼の音楽を聴くとそんな気がする。わたしは勝手にそう思う。音楽や本は聴いたり読んだりした人のものになる。だからこそ、作ることはとても怖いことでもあると思う。思った通りに届くのか。うまく伝わらなければとても傷つくかもしれない。わたしが作った歌を聴かせたくないのはその覚悟がないからでもある。作品ということで言えば、わたしたちの態度や性格だって作品かもしれない。受け取った人の感じたことが作品(わたしたち)になっていくのなら、とても大変なことだと思う。
会ったことはないけれど、また会いたいと、なぜかずっとそう思っている。

タグ: J.B 

2022/05/05 おやすみ

早くもおやすみが終わってしまった。やろうと思っていた仕事がほとんどできていない。やすみだから休めばいいのかもしれないけれど、このやすみくらいしかやる時がなかった。しかし、それはもはやおやすみではないのでは……? 明日、頑張ってやります。しかし、仕事をしなかったぶん、できたことも多い。
岡田淳さんの新刊を3回読んだ。とてもうれしい気持ちで読んだ。楽しかった! 感想文も書いた。SNSなどで読んだよと言っている人をまだ全然見かけないのが、ちょっと寂しい。よかったねすてきだったねと言い合いたい。ひとりきりでうずうずしている。
歌ができた。ある夜、もう寝落ちる寸前に「わたしたちはかわいいから」という言葉がメロディーとともに浮かんできて、スマホのボイスメモに吹き込んで眠った。翌日、ピアノの前に座ってその部分を歌ったら続きが出てきて、そのまま一曲できた。楽譜に書き留めた。わたしの歌は何かを伝えるためのものじゃなく、ただの気分であることが多い。少しでも何らかの思想が入り込んでいる歌は、あとから見返して、このときつらかったな、と思う。いままでつくった(というより思いついた)歌を書き留めた五線ノートは、わたしが死んだら誰かほしいひとにあげます。いる?
高校のときの友達と会った。4年ぶり。昨日も会っていたみたいだった。部活の後、部室にみんなでいたときみたいだった。懐かしさはあんまりなかった。会った瞬間に、高校のときにしか呼ばれていなかったあだ名で呼ばれたからだろうか。またねと言って見送る。
海が見たい。いつか海の近くに暮らしたい。たくさん眠って、そんな夢を見た。

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