雨やどり


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2023/06/05 op.118
2022/05/26 孤独と友情
2022/05/22 愛と死
2022/05/07 わが心の孤独への子守歌

2023/06/05 op.118

ハイドン、また人前で弾くことあるんだろうか。もうないかもしれない。今回も、この曲を弾きたいというよりは、久々に古典派やっとくか→ハイドンあんまりやってないからやってみよう→コンクールの課題曲になっているようなのを選ぼう(勉強になるから)、と選んだ曲だった。弾いてみて、細やかなところまで気が付く人だったんだなとわかったし、そういうところが好きだと思えた。今回弾いたHob.XVI:49は、2楽章がとても美しいし3楽章は有名なので、どこかでできたらいい気もするが、まぁたぶん弾かない。
これでようやくフォーレに向き合える。キラキラしている。あまりに眩しいから、ブラームスも同時に弾いている。晩年のピアノ小品はどれもあまりにブラームスだ。愛している。個人的に思い入れのあるop.118「6つの小品」を最近また弾き返したりしていた。第6曲目だけ新しくさらっていたのだけれど、1曲目から続けて弾くとすごい。6曲目冒頭のsotto voce(ささやくように)の弾き方が見つかった。
ところで、この曲の作曲年と各曲のタイトルが左胸に小さく並んだTシャツを少し前に見つけて買った。このTシャツを見てブラームスのop.118だと気づく人はそうはいないだろうな。いたら感激。今日それを着た。密かにブラームスを胸に抱いて生活した。そして、この曲を弾いた。最愛の人をその孤独ごと愛している。定めたり見つけようとしたりしないから孤独なのだろうな。

2022/05/26 孤独と友情

「frei aber froh(自由に、しかし朗らかに)」はブラームスが口癖のようにしていたモットーだ。その言葉は音楽にも多用された。たとえば、バラードop.10-2はfis-a-fisという音で始まる。交響曲第3番も第1楽章冒頭のf-as-fが曲全体を統一する。彼の場合、自由と孤独はほとんど等しいものと考えていいと思う。同時に存在していたというより、自由であるからこそ孤独で、孤独であるからこそ自由だった。彼について考えるとき、この二つは切り離したり区別したりできるようなものではない。と私は思う。
ヨハネスは生涯、結婚することはなかった。彼の人生に恋がなかったわけではない。むしろ恋多き人生だったのではないかと想像する。そうでなければ、彼女たちのためにかいたたくさんの美しい歌曲は存在しなかっただろう。ある時、誰もがアガーテとの結婚を疑わなかったのに、ヨハネスは『愛しているけれど、自由を束縛されることはのぞまない。』(ひのまどか『人はみな草のごとく―ブラームス物語―』より引用)という手紙を送ったのだった。彼のどの恋も結婚まで至らなかったのは、彼が恋よりももっと大きな愛を持っていたからだと思う。しかし、この愛は満たされるとかいう類いのものではなく、むしろ逆で(これから詳しく書く)、それゆえずっと孤独だった。愛を持った孤独は、自由ということでもあった。

では、ヨハネスの持っていた愛とは何だったのか。彼の愛とは、真実の友情だったのではないかと思う。それはどんな形をしていたのか。どこを向いていたのか。そのことを考えるのに欠かせないのは、エリーザベト(愛称リースヒェン)とクララの存在だと思う。
貧しい家に生まれたヨハネスが、煙たい清潔でない酒場でピアノを弾いてお金を稼いでいた14歳の夏、見かねた父の友人が連れて行ってくれた郊外で出会った少女リースヒェン。彼女と手をつないで草原を歩き、横になって歌を歌い、頬を寄せ合って本を読んだ。14歳の夏に手をつないで歩いたリースヒェンの存在が彼の中にあることは、14歳の少年ヨハネスがずっと存在しているということだと思う。あの美しい愛の日々が、彼が信じた真実の友情の形そのもののように思える。あるいは理想なのかもしれないが、彼は真実の友情の存在を誰よりも信じていた。それは14歳という時にリースヒェンとの日々があったからではないだろうか。
クララとの関係については、言葉で言い表せるようなものではないと分かっているけれど、頑張って考えて書いてみようと思う。ヨハネスはクララを深く愛していた。その愛は何かに引きつけられるようなものでも何かを望むようなものでもなかった。祈りのようなものだったのではないだろうか。クララへの愛はヨハネスの生でもあった。その生と自分自身が祈りによってつながる。彼が神を信仰しなかったのは、彼自身の中にある生を信じていたからだと思う。彼の作った音楽は、彼の美しい生という泉からあふれ出した水なのだと思う。リースヒェンとの日々も、その泉の一滴なのかもしれない。自身のクララへの愛を知りながらも、友情としてそれを信じた。
ヨハネスが彼女たちとの関係を真実の友情として信じたわけは、水が満たされてしまえばもう湧き出ることはないと分かっていたからだろう。彼は音楽を生み出すために孤独でなくてはならなかった。いや、逆だろうか。真実の友情を誰よりも信じていたから、孤独でいるしかなく、そうして音楽が生み出されたのだろうか。いずれにしても、彼の友情と孤独はつよく結びついている。それこそが彼の生だったのだ。だから、彼の生とも言えるクララがこの世を去り、一年もたたないうちにあとを追うようにして病気で亡くなったのは、そういうものなのだとしか思えない。

余談。もしも、ヨハネスが満たされた愛を手に入れていたらどうなっていただろうかと考える。今存在している曲は生み出されなかったかもしれない。しかし、また違った名曲の数々が残されているかもしれない。彼に子どもがいたら、と考えるのも面白い。彼自身も子どもっぽいところがあり(これについてはまた別のときに)、大人からはあまりよくない印象を持たれていることもあったが、子どもと関わるときの彼はとても親しげだったという。散歩するのにコートのポケットにお菓子をしのばせておいて、配ったりとか。若い音楽家の支援もすすんでした。彼自身の子どもがいたら、父としての彼もまたいいなと思う。どんなヨハネス・ブラームスであってもきっと私は愛していた。余談おわり。

2022/05/22 愛と死

ブラームスの交響曲は、第1番を聴いている時にはこれが一番いいなぁと思うし、さっき第3番を聴いている時にはいやこれが一番かもしれないと思った。結局、どの曲を聴いても聴いている時はそれが一番になってしまう。あぁでもやはり第2番はいいわよね。というのも今、第2番を聴きながらこの日記を書いているのです。
吉田秀和さんの『ブラームス』をほとんど読んで、ヨハネス・ブラームスのことを知れば知るほど、彼を愛していることに気づいていく。ひのまどかさんの作曲家の物語シリーズ『人はみな草のごとく―ブラームス物語―』(小学校高学年くらいから楽しく読めるような感じで内容もとてもいいのでおすすめ)もぱらぱらと読み返した。ここ数日で彼について感じたり思ったり考えたりしたことが山のようにあり、すべてを今ここに書き尽くすことはできそうにない。愛と死ということだけ、今日は書くことにする。

ヨハネスはどんなに大きくなっても、お母さんの子どもだった(彼の子どもらしさについてはまた別のときに詳しく)。大好きなお母さんが亡くなり、かなしみの中にいたヨハネスが作曲した《ドイツ・レクイエム》。レクイエムとは死者のためのミサ曲のことなのだが、この曲は残された者のためにかかれたという説に私も賛成する。そもそも神への信仰がなかった彼は、死を人間のものとして持っていたのだと思う(死だけではなくもちろん音楽もだが、これもまた別のときに)。
彼は死をずっと意識して生きてきたのだと思う。シューマンが精神の病気で亡くなり、母も死に、その後も友人たちの死に何度も遭遇した。晩年は自分の死を予期し、死とより深く向き合った。心の友エリーザベトが亡くなり、彼女へのレクイエムとなる《4つの厳粛な歌》を書きあげ、人生最後の誕生日に自分への贈り物として演奏した。クララが亡くなった時、彼女を偲ぶための親しい人たちとの集まりで、大粒の涙を流しながら自身のピアノ伴奏でむせび泣くように歌ったそうだ。それから一年もたたないうちにヨハネスもこの世を去った。
想像するに、クララの死に際して、ようやく彼は死の中に愛を見つけたのだと思う。愛は死の中にあった。しかし本当はもっとずっと前から死から生まれた愛はとっくに彼の中にあったのだろうし、実際そう思って彼の曲を聴くと、そうだとしか思えない。《ドイツ・レクイエム》にある悲しみとなぐさめは、死者と残された私たちにあった時間をありありと思い出させ、しかも決して忘れさせない。吉田秀和さんも、愛を歌った旋律と死に対する曲の関連について書いておられる。《4つの厳粛な歌》というレクイエムにも愛の旋律がある。

ヨハネスについて考えるときは、過去の積み重ねが今になっていると考えるより、人生の最後の愛から過去のすべてが生み出されていたのだと考えるほうが自然な気がする。実際に、フィナーレが先にかかれそのあとでそれより前の楽章が構想されているものも多い。音楽にそれが当てはまるだけでなく、人との関係もそうだったと考えられる。
ヨハネスは真実の「友情」を信じていた。誰よりも信じていた。クララとも「友情」を破ることはなかった。彼が生涯信じ続けた「友情」こそ、大切な人たちの死に見た「愛」そのものなのではないだろうか。
彼は死と向き合い続けた。悲しみも苦しみもあっただろう。しかし、それは愛とも向き合い続けていたということだった。だから、“悲哀と諦念”(吉田秀和『ブラームス』より引用。彼の音楽を表すのになんとぴったりな言葉)が背景にありながらも、あんなに心に寄り添ってくれるようななぐさめの音楽を書けたのだろうと思う。

2022/05/07 わが心の孤独への子守歌

愛しいJ(ヨハネス・ブラームス)の誕生日。おめでとうございます。彼の音楽は、わたしがわたしの心と向き合うことの勇気をくれた。もちろん今も変わらず勇気をもらっている。どうして彼の音楽がここまでわたしに心のお弁当箱(比喩)を広げさせたのか。考えてみる。
彼の音楽はいつも心に寄り添ってくる。例えどんなにかたく心を閉じていようと決意しても、気がつけばそばにある。それは、彼が彼自身の心ととても深く向き合って、音をそこに寄り添わせたからだろうと思える。彼に関する記述をいろいろと読むと、とても孤独な人だったのだろうと想像する。大人になっても、子どもの頃のおもちゃを大切にしまっておいたり、傷ついたときにおかあさんに会いに行ったり、とてもかわいい人でもある。しかし、子どもの心を持ち続けていたがゆえに大人になって孤独になったのではなく、小さいときからもうずっと孤独だったのだと思う。生まれながら孤独を知っていたのだと思う。「孤独を知っている」というのは、足が速いとか声が高いとかと同じように、ひとつの素質として存在している気がする。それなりにいるんじゃないだろうか、孤独をもって生まれてきた人々。その孤独をどう扱うかは人それぞれで、ブラームスの場合は音楽で孤独を慰めたのだろうと感じる。
彼の音楽が寄り添ってくる時、「慰め」という言葉が思い浮かぶ。慰めと言うと、優しくして元気づけるというイメージがあるけれど、そうではなく、どう言えばいいかしら……。とても静かにじっと見つめられている。そこに強くてまっすぐな決意がある。その強さを受け取っているような感じ。「あるピアニストの一生」というホームページのブラームスのページで“わが心の孤独への子守歌”という言葉が使われているのを最近読んで、あぁそれだ、と思った。自分の心に対して、押し込めるのではなく、内的だけれど開放されているような関わり方をしていると思う。
そういう彼の自分自身の心との関わり方は、わたしにとっては共感できる部分が多い。それで、わたしもわたしの心を少しだけれど見ることができたのだろう。ここまで書いてきたことのほとんどは想像の話だけれど、彼の音楽を聴くとそんな気がする。わたしは勝手にそう思う。音楽や本は聴いたり読んだりした人のものになる。だからこそ、作ることはとても怖いことでもあると思う。思った通りに届くのか。うまく伝わらなければとても傷つくかもしれない。わたしが作った歌を聴かせたくないのはその覚悟がないからでもある。作品ということで言えば、わたしたちの態度や性格だって作品かもしれない。受け取った人の感じたことが作品(わたしたち)になっていくのなら、とても大変なことだと思う。
会ったことはないけれど、また会いたいと、なぜかずっとそう思っている。

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