雨やどり


管理人室 -- 日記 -- 2021/05
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2021/05/30 つらいときはひとり
2021/05/28 いつまでも部活
2021/05/27 大きな牛乳寒天(みかん入り)
2021/05/25 しごと
2021/05/23 いい光景
2021/05/20 ここ
2021/05/17 同じ扉
2021/05/15 焼き魚
2021/05/14 からだじゅうで聴く

2021/05/30 つらいときはひとり

ひとつ前の日記に部活のことを書いたでしょう?そうしたらあのあといろいろ思い出してしまって、つらかったことや混乱したことも思い出した。でもこれは、わたしがちゃんと思い出して覚えていなくちゃいけないことだと思う。たまに頭がおかしくなって消してしまう記憶がある。それらの記憶は、きっとその時には忘れたほうがいいことなのだろうけれど、それでもいつか必ず思い出すという呪いがかかっている。

高校を卒業したあと、おなじ部活だった友達が亡くなったとき、再び部活のみんなが集まったのだった。みんないたけれど、死んだ友達だけが死んでいた。よく晴れた、夏のような6月。ぎこちなく葬儀場をあとにし、駅近くのごはん屋さんに入った。そこでわたしたちはようやく本音で話し合ったのだった。本当、いつもタイミングの悪い人ですよ。この悪口を、彼が生きている間も死んでからも同じように言い続けている。
訃報を受けたのは、5月も終わる雨の水曜日だった。病気だった。それからしばらく、何回寝て起きても事務的なラインが続いた。香典がどうのとか。どうしてもついていけなくて、ただ黙って流されていた。みんなはちゃんとおとなになってこういうことができるのに、わたしだけがずっとこどものままだ、とも思った。家族は、病気ならしょうがないね、と言った。ある日、全く関係ない会話でお父さんがわたしに「それはおかしいよ」と言った言葉に過剰に反応し「そうだよ!おかしいじゃん!」となぜか泣き叫んだのを覚えている。それまでだれも「おかしい」と言わなかったのだ。思っていたのかもしれないけれど、だれも言わなかった。わたしも言わなかったし、わたしはたぶん思いもしていなかった。そのときその場に居合わせた弟の驚いた顔を思い出す。しばらく家族にとても気を遣われているのが分かり居心地が悪かった…。
夢だと思って過ごした。日々仕事をし、夢から覚めるのをずっと待っていた。お葬式の日、みんなが集まったとき、これは夢ではない、と強く思った。それまでも夢ではなかった。みんなも無情ではなかった。つらいときはひとりぼっちなのだ。楽しい、悲しい、嬉しい、怒る、寂しい、…さまざまな感情はだれかと共有できるけれど、つらい時だけはぜったいにひとりぼっちだ、とわかった。みんなもつらい気持ちをそれぞれひとりぼっちで抱えてこの日までやって来たのだ。この日までどうにか歩いてきたわたしたちは、だから、ようやく本音で話し合えた。悲しみを、寂しさを、楽しかったことを、共有した。しかも、つらいときは「つらい」と思えないのである。わたしもあのときつらかったのだろうし、みんなもつらかったのだろう。そのつらさは本人にしかわからない。誰も覚えておいてはくれない。自分のつらさは自分で覚えておかなくちゃいけないのだ。

ふと、そういえば5月ももう終わるな、と思う。あぁそうか、今日という日に、思い出すべくして思い出したのだなと気づく。

関連日記:2019/04/19 覚えといてやる
タグ: しおり 

2021/05/28 いつまでも部活

しばらく金曜日にゆとりがある。外の仕事をいきなりやめて、家の仕事もまだすこししか入っていない。7月からは増える予定なのですが、それまでは時間的にとてもゆとりがある。今日も、18時には仕事を終えて(いつもは20時か21時)、ホルンを吹いた。近々本番があるので仕事と言えば仕事なのだけれど、ホルンを吹くときはいつまでも気持ちは部活なのです。
少し前に久しぶりに吹いた時は、口がすぐにばててしまって悲しくなった。最低でも2日に1回、20分は吹こうと決めてからは、だいぶ調子を取り戻してきた。ロングトーン(半音階・2オクターブ)、リップスラー(4種類)、ノイリンク(下吹きのためのエチュード)は必ずやって、本番で吹く曲をやれば20分経ってしまう。高校時代は上吹きだったのだけれど、大学からは下吹きに目覚めた。はい、ベース大好き人間です。
今日は口の状態もよく、時間にゆとりがあるせいか心にもゆとりがあり、調子に乗って久々にケルビーニのソナタ2番を吹いた。めっちゃキツイ!途中で口が死んだ。これは、ブランクとかではなく、大学時代に先生に見ていただいた時も、絶対に口が途中で死んでいた。高校生の頃なら吹けたかもな…。いつか、ばてずに吹けたらいいな。
吹部のみんな、元気かなー。4/30放送のタモリ倶楽部が、タモリさん、カンニング竹山さん、わちみなみさん(3人とも福岡市出身)がフライトシミュレーターでなんちゃって帰省をするという内容だったのだけれど、福岡についた途端、3人が自然と方言で喋り出して、とてもよかった。で、視聴者を完全に置いてけぼりにして3人で地元ネタで盛り上がっていて、それもとてもよかった。吹部のみんなと会ったら、ああなるんだろうなと思う。ホルンを吹いた後の胸のすっきり感は、誰かと涙が出るほど大笑いした後の脱力感に似ている。変な力が抜けてすっとするあの心地。息をたくさん吸って吐いているから、だけではないと思う。ホルンは、私にとっていつまでも部活なのだ、と改めて思う。

2021/05/27 大きな牛乳寒天(みかん入り)

強い雨だった。だいぶ雨に濡れながら、買わなくてはいけないものを買ったり行かなくてはいけないところに行ったりした。昼をとっくに過ぎてしまい、珍しくコンビニでごはんを買うことにする。五叉路のセブンイレブンに寄った。そこに、それはあった。「大きな牛乳寒天(みかん入り)」。以前から「たっぷりみかんの牛乳寒天」が大好きで、セブンに行くと大抵これを買う。いつもこれがある棚に向かうと、それはあった。それはこれの倍くらいの量がある(内容量がどこにも書いておらず、カロリーがほぼ倍なので量も倍だろうという認識)。それ・これ、ややこしい。
今調べてみて知ったのだが、私がいつも買っているこれは、販売地域が長野県のみ。しかし、みなさん安心してください。「北海道産牛乳使用たっぷりみかんの牛乳寒天」や「北海道産牛乳使用たっぷりみかんの牛乳寒天」(名前は同じだけれど、栄養成分がわずかに違う)、「白バラ牛乳使用たっぷりみかんの牛乳寒天」(販売地域は中国・四国。白バラ牛乳なるもの、私は知らなかったが、そのあたりではメジャーなのだろうか)が全国的に売られているようです。長野県のみ、どこのかわからん牛乳を使っているというわけか。ぜひ食べ比べてみたい。特に白バラが気になる。
買ってきたそれをこたつ(まだしまっていない)で食べた。みかんと言えばこたつでしょう。いや、こたつと言えばみかん?いずれにしても、みかんとこたつはお互いに思い出し合っているのだ。
この日記を読んだ誰かが、明日か明後日かいつか、セブンでそれを見つけるところを想像する。その人は、それを見て私を思い出すかもしれない。そうだったらうれしいね。私もあなたのことを思っています。私たちもこれから、こうして、みかんとこたつみたいに思い出し合って生きていきたいね、と思うのでした。

2021/05/25 しごと

仕事関係でラインのグループ(3人)を作り、全員参加したところで、20分くらいかけてつくったメッセージ(たったの5文・180字程度)を送った。本当に無理です。電話嫌いで有名(?)な私ですが、ラインも無理。もともと無理だけれど、さらに無理になってきた。ツールの問題ではなく、人と連絡を取らなくてはいけない状況が無理なのだと思う。人と連絡を取ること自体は無理ではない(と思いたい)。電話やラインにおける「仕事」の割合が増えてきたことで、電話ムリ!ラインムリ!となっている可能性が高い。する必要のない電話やラインを友達ともっとして、「仕事」の濃度を薄めたい。家の教室は、連絡もお便り(紙!)ですることが多いし、毎週会うからそういうものをほとんどする必要がなくて良い。だから、さきほどから私が「仕事」と書いているのは、社会の中に存在しているもののほうです。
家の教室の生徒に「先生って、仕事してるの?」の聞かれたことがあるが、生徒はそういう認識だし(嬉しい)、私もそういう気持ちはある。お金をもらうことによって「仕事」の側面がどうしても前に出てこなければいけなくなる場面もあるけれど、基本的には「先生は働いていない(仕事として関わっていない)」と思い&思われているのは楽しい。逆に、このあいだから愚痴っている合唱団のほうは「仕事」の面が出てこなくてはいけないところで全く出てこない。「仕事」が嫌なわけではなく、それがあるということも大事。「仕事」は、してるんだけれど、していない、というか…(?)。うーん、「仕事」という言葉がよくないな。しっくりくる代わりの言葉、ないかな。世間で言う「仕事」ではなく私の言う「仕事」をうまく言える言葉。ちょっと(10秒くらい)考えたけれど「しごと」と平仮名にするくらいしか思いつかなかった。募集します。何かいい言葉があったら電話やラインやメール(する必要のない連絡とはこういうもの?)をください。
ところで、件のグループラインはその後、私が送ったメッセージの2~3倍の長さの文章(絵文字付き)が送り返されてきました。絵文字無理…。こちらもある程度絵文字をつけて返さなくてはいけなくなる。黄色い顔の絵文字と汗の絵文字を使うのが無理なので、雨(汗のすぐ下にあるから打ち間違いだと思ってもらえる、かも…)・四つ葉(万能)・魚(お疲れさまですなどの挨拶時)・サクランボ(ありがとうございます)等でがんばって代用しています。絵文字も、連絡同様、それ自体が嫌なのではなく、使わなくてはいけない状況が嫌。友達と連絡を取る時は、ほとんど使わないか、はしゃいでいると自由に使います。
すごくくだらないところで、とてもわがまま。でも、くだらないところで、だからこそ、未だに社会の一員なのです。

2021/05/23 いい光景

上田市だと思っていたら、おとなり青木村でした。山は5月が一番美しい。とてもきれいな緑だった。私の住む市よりもきれいだ。そう思って家に帰ると、この地の山々も同じようにきれいなのでした。気にしていないと通り過ぎてしまうね。
久々にチェンバロの師匠にお会いできて嬉しかった。元気そうですねと言われた。レクチャーは、バロック時代を国別に扱う内容で、とてもよかった。今日はイタリア。イタリアの作曲家の作ったオーボエ協奏曲をもとにバッハが作曲(編曲)したものが取り上げられた。バッハは、他の作曲家の協奏曲を多数、チェンバロ一本に編曲している。勉強しているのだ。そうこうしていくうちに、彼自身の「イタリア協奏曲」や「ブランデンブルク協奏曲」が生まれた。やはり、学ぶことは真似ぶことから始まるのだと思う。ちょうどこのところ「真似」について考えている最中だ。このことについては近いうちに改めて深く考えようと思う。次回、6月はイギリスを扱うらしいが、土曜日なので行けない。ドイツの回(バッハ!)にはぜひ行きたい。

大相撲は千秋楽。ニュースなどで結果を見ないように気をつけながら、家に帰ってから録画を見た。去年の11月場所で貴景勝関が優勝した時から、彼を応援している。あの時の優勝インタビュー、めちゃくちゃ格好良かった。今場所は優勝ならずだったが、千秋楽、とてもいい相撲だったのでよかった。それに、今場所は照ノ富士関に優勝してほしかったし、そうなってよかったと思う。綱取りについて「できなかったらできなかったでいい」と言ったのは、けがで序二段まで落ちた人だからこそだ。そのうえでの「最後まで胸張って歩きたい」の言葉は、相撲にも出ている。
決定戦が終わって2大関がすれ違う時、お互い視線を合わせて礼をしたらしい。映像はなく「いい光景だったろうね」と北の富士さんのコメント。その光景が目に浮かぶ。いまの世の中に足りていないもの、こういうことじゃないかと思う。

合唱団の本番が、当初5月の予定だったのが7月になり、それも延期になった。10月にという話が出ている。正直に言ってスケジュールの調整はとても大変なので、こう振り回されてはしんどい。このご時勢、誰にも先のことは分からずどうしようもないのは分かるのだけれど、感覚の違いをこれまでより強く感じる。感覚がまるで違う。ある一面だけではなくいろんなところでそう思う。40年という「伝統」があるだけに、どこまで私が口出ししていいのか3年経って未だに分からない。ピアニストの立場が、現代の音楽家たち(私含め)のもっている常識と違う。けっこうひどい扱いだと思う。しかし、一般のアマチュア合唱団の実情が、私の関わっているところ(ここともうひとつ。もうひとつは、待遇が割といい。音楽家としての常識の範囲内だ)しか分からないから、何とも言えない。
と、愚痴を言っているだけでは何も変わらない。言ってみようかな。たぶん、私が悶々としているようなこと自体の発想がないのだと思う。音楽を専門的にやっている、という発想。誰に相談しても「ちゃんと言った方がいい」と言ってくれるだろうし自分でもそう思うけれど、40年という「伝統」が邪魔をしている。きっと、みなさんが思うより強固な「伝統」ですよ。でもここで言わなきゃずっとこのままだろう。ずっとこのまま…それはあまりに恐ろしい。

2021/05/20 ここ

私が場所を変える時は大抵、何かから逃げております。はてなブログに書いていた日記を、一週間ほど前からここで書くことにした。過去の日記も移行中。今回は何から逃げてきたのかしら。何かから逃げようと思って逃げるわけではなく、あとから見るといつも何かから逃げているのです。だから、今回もたぶんそう。
いろいろ考えているうちに、「距離」から逃げてきたのかもしれないと思い至った。いまは、私ここにいるな、と思う。最近ふと、私はどこにいる?と考えた。遠く?近く?そういうことではなく、ただ「ここ」という場所を見てみたかったのかもしれない。「ここ」というのは、具体的などこかではなく、どこでもいい。とにかく、遠いわけでも近いわけでも、どちらでもない場所。もっと言えば、そういう発想がない場所。インターネットがそうとかホームページがそうとかではなくて、ただ、場所を変えることによってそれを達成した(つもりになっている)、ということです。

返していないメールやLINEがたくさんあって、まずい。そのひとつに、チェンバロの師匠からみどりの日(例年なら小石川植物園無料開放の日)に来たメールがある。まだ返信していない。不義理…。もうチェンバロは習っていないのだけれど、師匠の振るオケに乗っていて、よくしていただいている。年賀状のやり取りもしている。今週末の日曜日に上田にレクチャーをしにいらっしゃるそうで、そのお知らせも兼ねての長文メール(いつも長文)だった。仕事の予定が未確定だったのもあるが、それにしても不義理…。現時点では行けそうだ。山を越えなくてはいけないけれど県内だし、伺おうかしら。とりあえずメールを返さなくては。明日には絶対返す。絶対。
上田の地には、実はちゃんと行ったことがない。通り抜けたくらいしかない。今週末、行ったとしても遊べないだろうけれど、ひとまず空気を吸っておくのもいいかもしれない。上田盆地の端、山間部の入り口あたりの高台に「富士見台」という地名がある。2月頃から富士見台の研究を始めたのだけれど、やっているうちにかなりおもしろくなってきて、むかしの地図を見てみたり断層などを調べたりし始めたら(ブラタモリ?)全然終わらなくなっている。さらに春は仕事も少し忙しく、なかなか進んでいなかった。ちょっと内容や仕方を整理して、再開したい。

しばらく、自分自身になるべく関係ないことに熱中していようと思う(つながりという意味の「関係」ではなく、別の存在としての「関係」という意味)。しかしその思いとは裏腹に、過去の日記の移行作業をしていると、できるだけ読まないようにしていてもどうしても目に入ってしまう。そこで、自分の日記を自分と一番関係のないもののように思ってみる、ということに挑戦してみることにした。果たしてうまくいくでせうか。

2021/05/17 同じ扉

学校の教室にはたいてい扉がふたつある。前の扉から入って後ろの扉から出れば、もう同じ世界には戻れない。と、小学生のわたしは思っていた。それで、「入った扉と同じ扉から出る」という自分だけのルールを、密かにそして頑なに守った。 どうしてもそれが守れない時があっても、あとでつじつまが合うように、出たり入ったりしていた。そのころから、わたしは何も変わらない。夢で誰かが愛してくれれば、現実の世界で信じてしまうのだ。
子どもの頃からあんなに気をつけていたのに、今では、気づかないうちに、夢に入っていく扉と違う扉を通って出てくることを、数えきれないほどやっている。つじつまを合わせようにも、どこをどう通って戻ればよいのか、もうわからない。かなり遠くまで来てしまった。戻るにしても、何を求めて戻るのだろう。戻った先の世界に求めるものがあるわけではない。遠くに来てしまったことがただ怖いのだ。このまま歩いて行くしかない。そのうちどこかに辿り着くかもしれないし辿り着かないかもしれない。そんなことはもう問題ではないのだろう。なるべく美しく歩いて行くしかない。そのためにどうしようか、考えながら。

2021/05/15 焼き魚

みんな、ちゃんと、他人を使うことで自分を守って生きているのだ。と、最近、強く思う。わたしが思っていた以上に、どうやらみんなそうなのだ。いいとも悪いとも思わない。ただ、そうなのだと強く思う。そうでなければ、わたしは発狂してしまいます。信じていた人もきっとそうだし、わたしだってそうなのだろう。むしろ、大学3年生くらいまでのわたしは、意識的にそうしていたかもしれない。例えば、好きでいてもらうことを意図的にしていた。そのとき、誰かがわたしを好きなことはその誰かにとっても都合がよかった。そういう空気をわざとつくっていた。わたしたちはそれぞれの考えが違うことを分かっていて、その上で、お互いに笑い合える程度に傷つけあって、自分というものを守っていた。みんなと、そうだった。みんなも、そうだった。そのままでいればよかったのだろうか。どこで何を思いちがったのだろうか。わたしはもう誰にも騙されたくない。いや、別に、誰かに騙されたわけでもひどい仕打ちを受けたわけでもない。誰かの都合で煮るなり焼くなり好きにしてもらっていいと思っているけれど、わたしは煮られて(焼かれて)いるんだと分かっていたいと思う。そうしたら、騙されることは疎か、騙されるなどという発想がなくなる。それでいいのだろう。大学4年生くらいから今までのわたしは、どういうわけか、目の前にある一匹の魚をいっしょに焼いていると信じていた。本当はわたしたちの目の前に魚などなく(そもそも釣っていないから)、むしろ魚はわたしたちだった。丸焦げにならないうちに、神様に食べてもらおう。

2021/05/14 からだじゅうで聴く

(略)山のようにある中で、それぞれの相手に合っていて自身もやりやすいものを選んでいくしかない。知らなかったものを紹介してもらったりする場はとてもためになる。しかし、話を聞いていると、わたしが当然のように思っているはずの前提を思っていない人もいることが分かる。思っていないというか、考えていない。それも、8割くらいの人はそうだと気づいた。その前提というのは例えば、ひとりひとりと違うように関わること、とか。驚くことに、そういう話を会ではするものの、なぜか自分のしていることと切り離している人が、わたしが思っている以上にたくさんいるのだ。わたしも現場を実際に見ているわけではないから本当のところは分からないけれど、現場ではない場所で話を聞く限りそう感じる。そういう人たちって、友達いないんかな。ちょっと発想が飛躍しすぎたかもしれない(わかる人はわかってください)。いや、でも、そういう人たちってなぜか友達がいる。友達ではなく馴れ合いみたいなものなのかな。世の中の8割くらいがそういう人たちで形成されているのなら、その多数の人たちこそ「合っている」のだろう…。それでもわたしたち(たち?)は正しくありたいものです。
仕事をしていて「楽しいと思ってもらえるようにアプローチする」という言い分はよく聞くし、わたしもその通りだなと思う。全くその通りというよりは、楽しいと思って「もらう」と思っているとわたし自身がしんどいので、一緒に楽しくやりたいなという感じが強い。教育家ということについて改めて思う。「楽しいと思ってもらえるようにアプローチする」っていうのは教育者としては正しいのかもしれない。相手のことをよく見ているし、相手にとって何が良いのか考えているということだろうと思う。すばらしい~。もしわたしにそれをひたすらまっすぐにできたなら、今頃、組織の中で決まった方法でちゃんとやっていることでせう。わたしはそんなに他人に尽くしきれないので、うまくすり合わせていくしかない。教育者ではなく、教育家として、がんばりたいと思います。何を楽しいと思うかというのは人によって全然違う。これ、当たり前のことだと思うのだけれど、そう思っていない人はけっこう多い、ということに最近気づいた。わたしの場合、相手にとって楽しくて、相手にとってはためになっているとしても、わたしが楽しくないと無理!になってしまうから、他の方法を考える。そうやって関わっているけれど、いま関わっている子たちにわたしのことを嫌いな子はいないと思う。と感じているけど、どうかしら。わたしもいま関わっている子たちに嫌いな子はいない。(「いま」はいないけれど、もう1年以上前、嫌な思いをしたりしてどうしても好きにはなれなかった子もいた。結局、必然的に離れることとなった。)もちろん、わたしだけが楽しいなんていうことは、それ自体がわたしにとって楽しくないから、やらない。それはひとりの時にすればいい。ひとりで楽しむことは得意だと思う。得意というか、むかしからそういう時間をたくさん持っていた。例えば、本を読むことは、その大部分だったと思う。物語の世界や登場人物は、どんなにわたしが悪いことをしても苦しんでいても、いつでも変わらず待っていてくれる。受け入れてくれる。最近思うのは、小さいころからそういう世界に浸りすぎたせいなのか、ここ数年のわたしはもしかしたら人のことを信用しすぎたかもしれないな、ということだ。思うというより、疑っている、わたし自身の心を。変わらずに待ってくれている物語との関わり、お互いに変わっていく人間同士の関わりを混同しないでいよう。もちろん、はっきり線引きをすることはできない。物語と日常が繋がっていることはとても素敵なことだから…。
話が逸れたので戻す。教育家と言えば、やはりJ.S.バッハなのである。いろいろ調べたいと思いつつ、全然できずにいる。この日記を書いている暇があれば調べればいいのだけれど、まずはわたし自身のことも思いながらよく考えてみたいと思った。ある時ある先生が「この部分はどの本を読んでもGdurって書いてあるけれど、私の感覚ではDdur」とおしゃっていた。この方とわたしとがおなじ方法で音楽をしたり教えたりすることは無理だと思う。わたしは、Gdurを導く音を見つけてそれを根拠にGdurで弾くことしかできない。わたしの場合、感覚でとらえることを全くしないわけではなく、和声や音の幅、音形、アーティキュレーション等を感覚と照らし合わせていったり、それらを感情の裏付けにして納得したりという作業をする。そういうやり方しかできないし、そのやり方がけっこう好きでもあるのです。わたしの師匠なら「感覚的にGdur」とおっしゃるかもしれない。師匠は、わたしががんばってアナリーゼして弾くのに対して、そういうことを感覚的に正しく分かって弾いてしまう。上に書いた先生も、どちらかというと師匠のようなタイプだ。そういう方々には、死んでも追いつけない。うらやましいなとも思う。だけど、同じところを目指さなくていいし、わたしはわたしの方法が楽しくもあるのだ。
で、わたしが楽しいと思うのはそういうやり方だから、30分のレッスンの中でも喋っている時間はかなり多いと思う。言葉でのやり取りがちゃんとできるというのは嬉しいことだ。「なるべく音でやり取りしろ」ということは会社の研修(洗脳)でもよく言われたし大事なことだけれど、年齢が上がるにつれて音でのやり取りは自然と充実していく。音楽をしているからって音だけに頼りすぎることは危ない。知らない言語を聞かされているようなものなのだ。何とか発音をまねてみるけれど、自分が言っていることの意味は分からない。意味は分からないけれど、うまくまねてみせて褒められる。そうすれば、それでいいのだと思ってしまう。こういう教育、ありがちですよね。それでいいという空気が、社会にはある気がする。もちろん、まねをすることは、うまく使えばとてもいい方法だ。「学ぶとは真似ぶことだ」と、尊敬する高校の時の校長先生がおっしゃった。これはずっと胸に刻んでいる。音をうまく言葉に変換したり、音と言葉が補い合ったりしながらできていく音楽が、わたしは好きだ。ここでバッハに話を戻す。バッハの音楽は、言葉がなくても、音だけで納得できてしまうのだ。もちろん感覚だけでとらえることはかなり難しいと思うけれど、からだじゅうで聴けば、すべては音が教えてくれる。言葉に変換することなく、音がすでに言葉でもあるのだ。ああ、そうか。「からだじゅうで聴く」ということをバッハは求めている。「バッハの音楽」というものは、唯一、わたしたちが生まれながらに持っている言語なのかもしれないとさえ思う。それは、耳、目、頭、心、指の先…とにかくからだじゅうすべてを使わなくては理解できない。しかしからだじゅうで聴こうとすれば、聴こえるし意味も分かる。国も時代も違うわたしにまで、彼の教育は届く。
自分の中にひとつ答え(…ではないけれどそ)のようなものが出たので、ようやくこの日記を終えられます。よかった。終われないかと思ったら怖くて、途中、泣きながら書いてた。そこまでして書かなきゃいけないものでもないと気づいたのは、今。何を書いたかすでに思い出せないところだらけだし、読み返す元気もない。冒頭の(略)は、ああいうことを思った場面を説明していたのだけれど、読まれないために、具体性を排除しました。「人間は分からないことが同時に3つ以上あると退屈する(嫌になる)」と、高校の時、サイエンスフォーラムのセミナーかなにかでいらした先生がおっしゃっていたのを覚えている。そのあとの本題については何も覚えていないので、同時に3つ以上分からないことがある話だったのだろう。そもそも、「3つ以上…」の話は、たしか、そういう話になると思いますよという、本題の前置きだったのだと思う。かなりサイエンスな内容だったので、分かる人たちは興味深く聞いていた。わたしにはよく分からない話を熱く語るその人に、ぼんやりと好感を持ったことだけは覚えている。それから、改行をなるべくせずに書いたのもわざとです。読みづらさを求めた日記。わずかにした改行は、未来のわたし自身のため。もう、未来のわたしくらいしか、わたしの話をできる人がいない。だから、この日記は読まれたくないというより、読まれる意味がよく分からない。それで読みにくくしています。と、ここを読んでいる人はここまで読んできたのかしら。ごめんなさい。すっ飛ばしてこのあたりだけ読んでいる人は、正解です。  最近また、ホルンを吹く時間を確保できていて、嬉しい。狂っているチューニングを合わせるには、管の抜き差しではだめなのです。音をイメージできてから息を入れます。チューナーのメーターを見るのではない、そういうチューニング合わせをしている最中です。

タグ: J.S.B 

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