雨やどり


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2022/07/18 おーい
2021/05/14 からだじゅうで聴く
2021/04/23 教育家J.S.B

2022/07/18 おーい

昨日の日記の続き。続きというか、誤解を恐れて、言葉を足す。何もせずにいるわけではないから「導く」という言葉を使ったけれど、ニュアンスとしては「祈る」に近い。だから昨日書いた「教祖に……」は、「彼らが自由に歩ける場所にいるようになることを祈る」と言い換えてもいいかもしれない。わたしが思っていることは、どちらの言い方でも同じことなのだけれど。
教育について思いを巡らすにあたって、わたしが必ず考えるのが、J.S.バッハのことだ。ピアノを学ぶ人なら絶対に通る「インベンション」や「シンフォニア」で、バッハはいろんな作曲法を示した。ひとつのモチーフからどう展開させていくのか。二声あるいは三声がどう絡み合っていくのか、あるいは独立していくのか。これらのクラヴィーア曲集は、作曲法の学びの手助けの役割がとても大きい。
ちょうど「学び」という言葉が出たが、教育を考えるならば、当然、「学び」についても考えておかなければならない。学びとは、一言で言ってしまえば「先人たちのしたことを知る」ことだと思う。知ったうえで、その意味について考える。音楽で言えば、それこそが表現なのである。ただの技術の提示ではない。このとき、私たちはとても自由だ。たくさんの道があることを知ったのだから、好きな道を歩いて行ける。
そして、J.S.バッハの教育家として真にすごいところは、自由に歩ける場所まで来た彼らに、新しい道を歩かせたところだと思う。彼は息子たちの教育にももちろん力を入れていた。次男のC.P.E(エマヌエル).バッハは、当時、作曲家としての名声が高かった。父J.S(セバスチャン).バッハは、むしろ、のちの時代にようやく作曲者として評価されたのだった。エマヌエルの音楽はバッハのものとは全然違う。次に来る時代の先駆けとなり、かつ大きな影響を及ぼしている。それに比べてセバスチャンの音楽は「古い」ものとされていた。形式ばっていて、特に晩年のものはあまりに緻密で難解すぎたのだと思う。今はそれが評価されているわけなのだが。エマヌエルが新しい道を見つけられたのは、セバスチャンの示した道とその道の良さをよく知っていたからだと思う。セバスチャンの道が悪いものだったからではなく、セバスチャンの道がすばらしかったから、自分でも新しい道を作ろうと思ったのではないだろうか。

今日は、高校生たちのNコンだった。ピアノ合わせで行ったのは5月から全部で5回だけで、一本道を同じ速さで歩き続けていた彼らが、自由に歩けることを知ったかどうかわからない。だけど、今日、一緒に三善アクセント(三善晃先生がよく使うので合唱界ではこう呼ばれているこれ→<>)ポーズで写真を撮れたことがうれしかった。少なくとも、自由に歩きだせる場所があることには気づいたっぽい。わたしがそこにいることにも。
J.S.バッハは、彼自身がどこにでも歩き出せる場所にいて、それを音楽で示したのだと思う。わたしも、わたし自身がそういう場所にいつづけるしかない。教育家としても、自分のためにも。その場所から、おーいって手を振るかもしれないけれど、こっちへおいでとは言わないでいたい。キャッチボールしたり笑い合ったり見つめてみたりしながら、わたしはわたしでここにいる。わたしがそういう場所にいられなくなっている時には、誰かがおーいって手を振ってくれるといいな。高校生の彼らはすでに、わたしにとってのそういう存在になってくれているかもしれない。

さいごに、日記らしい日記。わたしが高校生の頃お世話になった先生3名に久々にお会いして、とてもうれしかった。帰り道、前の車のナンバーが2525(ニャゴニャゴ)で、後ろの車のナンバーも2525(ニャゴニャゴ)だった! Nコン後の個人的な恒例になりつつある宇宙一おいしいアイスクリーム屋さんのアイスを、今年も食べに行った。
今日の日記は、結局、昨日とほぼ同じようなことを言っているだけになってしまった。ただ、昨日はわたしの態度について、今日は彼らとわたしの関係についてを意識しながら書いた。

2021/05/14 からだじゅうで聴く

(略)山のようにある中で、それぞれの相手に合っていて自身もやりやすいものを選んでいくしかない。知らなかったものを紹介してもらったりする場はとてもためになる。しかし、話を聞いていると、わたしが当然のように思っているはずの前提を思っていない人もいることが分かる。思っていないというか、考えていない。それも、8割くらいの人はそうだと気づいた。その前提というのは例えば、ひとりひとりと違うように関わること、とか。驚くことに、そういう話を会ではするものの、なぜか自分のしていることと切り離している人が、わたしが思っている以上にたくさんいるのだ。わたしも現場を実際に見ているわけではないから本当のところは分からないけれど、現場ではない場所で話を聞く限りそう感じる。そういう人たちって、友達いないんかな。ちょっと発想が飛躍しすぎたかもしれない(わかる人はわかってください)。いや、でも、そういう人たちってなぜか友達がいる。友達ではなく馴れ合いみたいなものなのかな。世の中の8割くらいがそういう人たちで形成されているのなら、その多数の人たちこそ「合っている」のだろう…。それでもわたしたち(たち?)は正しくありたいものです。
仕事をしていて「楽しいと思ってもらえるようにアプローチする」という言い分はよく聞くし、わたしもその通りだなと思う。全くその通りというよりは、楽しいと思って「もらう」と思っているとわたし自身がしんどいので、一緒に楽しくやりたいなという感じが強い。教育家ということについて改めて思う。「楽しいと思ってもらえるようにアプローチする」っていうのは教育者としては正しいのかもしれない。相手のことをよく見ているし、相手にとって何が良いのか考えているということだろうと思う。すばらしい~。もしわたしにそれをひたすらまっすぐにできたなら、今頃、組織の中で決まった方法でちゃんとやっていることでせう。わたしはそんなに他人に尽くしきれないので、うまくすり合わせていくしかない。教育者ではなく、教育家として、がんばりたいと思います。何を楽しいと思うかというのは人によって全然違う。これ、当たり前のことだと思うのだけれど、そう思っていない人はけっこう多い、ということに最近気づいた。わたしの場合、相手にとって楽しくて、相手にとってはためになっているとしても、わたしが楽しくないと無理!になってしまうから、他の方法を考える。そうやって関わっているけれど、いま関わっている子たちにわたしのことを嫌いな子はいないと思う。と感じているけど、どうかしら。わたしもいま関わっている子たちに嫌いな子はいない。(「いま」はいないけれど、もう1年以上前、嫌な思いをしたりしてどうしても好きにはなれなかった子もいた。結局、必然的に離れることとなった。)もちろん、わたしだけが楽しいなんていうことは、それ自体がわたしにとって楽しくないから、やらない。それはひとりの時にすればいい。ひとりで楽しむことは得意だと思う。得意というか、むかしからそういう時間をたくさん持っていた。例えば、本を読むことは、その大部分だったと思う。物語の世界や登場人物は、どんなにわたしが悪いことをしても苦しんでいても、いつでも変わらず待っていてくれる。受け入れてくれる。最近思うのは、小さいころからそういう世界に浸りすぎたせいなのか、ここ数年のわたしはもしかしたら人のことを信用しすぎたかもしれないな、ということだ。思うというより、疑っている、わたし自身の心を。変わらずに待ってくれている物語との関わり、お互いに変わっていく人間同士の関わりを混同しないでいよう。もちろん、はっきり線引きをすることはできない。物語と日常が繋がっていることはとても素敵なことだから…。
話が逸れたので戻す。教育家と言えば、やはりJ.S.バッハなのである。いろいろ調べたいと思いつつ、全然できずにいる。この日記を書いている暇があれば調べればいいのだけれど、まずはわたし自身のことも思いながらよく考えてみたいと思った。ある時ある先生が「この部分はどの本を読んでもGdurって書いてあるけれど、私の感覚ではDdur」とおしゃっていた。この方とわたしとがおなじ方法で音楽をしたり教えたりすることは無理だと思う。わたしは、Gdurを導く音を見つけてそれを根拠にGdurで弾くことしかできない。わたしの場合、感覚でとらえることを全くしないわけではなく、和声や音の幅、音形、アーティキュレーション等を感覚と照らし合わせていったり、それらを感情の裏付けにして納得したりという作業をする。そういうやり方しかできないし、そのやり方がけっこう好きでもあるのです。わたしの師匠なら「感覚的にGdur」とおっしゃるかもしれない。師匠は、わたしががんばってアナリーゼして弾くのに対して、そういうことを感覚的に正しく分かって弾いてしまう。上に書いた先生も、どちらかというと師匠のようなタイプだ。そういう方々には、死んでも追いつけない。うらやましいなとも思う。だけど、同じところを目指さなくていいし、わたしはわたしの方法が楽しくもあるのだ。
で、わたしが楽しいと思うのはそういうやり方だから、30分のレッスンの中でも喋っている時間はかなり多いと思う。言葉でのやり取りがちゃんとできるというのは嬉しいことだ。「なるべく音でやり取りしろ」ということは会社の研修(洗脳)でもよく言われたし大事なことだけれど、年齢が上がるにつれて音でのやり取りは自然と充実していく。音楽をしているからって音だけに頼りすぎることは危ない。知らない言語を聞かされているようなものなのだ。何とか発音をまねてみるけれど、自分が言っていることの意味は分からない。意味は分からないけれど、うまくまねてみせて褒められる。そうすれば、それでいいのだと思ってしまう。こういう教育、ありがちですよね。それでいいという空気が、社会にはある気がする。もちろん、まねをすることは、うまく使えばとてもいい方法だ。「学ぶとは真似ぶことだ」と、尊敬する高校の時の校長先生がおっしゃった。これはずっと胸に刻んでいる。音をうまく言葉に変換したり、音と言葉が補い合ったりしながらできていく音楽が、わたしは好きだ。ここでバッハに話を戻す。バッハの音楽は、言葉がなくても、音だけで納得できてしまうのだ。もちろん感覚だけでとらえることはかなり難しいと思うけれど、からだじゅうで聴けば、すべては音が教えてくれる。言葉に変換することなく、音がすでに言葉でもあるのだ。ああ、そうか。「からだじゅうで聴く」ということをバッハは求めている。「バッハの音楽」というものは、唯一、わたしたちが生まれながらに持っている言語なのかもしれないとさえ思う。それは、耳、目、頭、心、指の先…とにかくからだじゅうすべてを使わなくては理解できない。しかしからだじゅうで聴こうとすれば、聴こえるし意味も分かる。国も時代も違うわたしにまで、彼の教育は届く。
自分の中にひとつ答え(…ではないけれどそ)のようなものが出たので、ようやくこの日記を終えられます。よかった。終われないかと思ったら怖くて、途中、泣きながら書いてた。そこまでして書かなきゃいけないものでもないと気づいたのは、今。何を書いたかすでに思い出せないところだらけだし、読み返す元気もない。冒頭の(略)は、ああいうことを思った場面を説明していたのだけれど、読まれないために、具体性を排除しました。「人間は分からないことが同時に3つ以上あると退屈する(嫌になる)」と、高校の時、サイエンスフォーラムのセミナーかなにかでいらした先生がおっしゃっていたのを覚えている。そのあとの本題については何も覚えていないので、同時に3つ以上分からないことがある話だったのだろう。そもそも、「3つ以上…」の話は、たしか、そういう話になると思いますよという、本題の前置きだったのだと思う。かなりサイエンスな内容だったので、分かる人たちは興味深く聞いていた。わたしにはよく分からない話を熱く語るその人に、ぼんやりと好感を持ったことだけは覚えている。それから、改行をなるべくせずに書いたのもわざとです。読みづらさを求めた日記。わずかにした改行は、未来のわたし自身のため。もう、未来のわたしくらいしか、わたしの話をできる人がいない。だから、この日記は読まれたくないというより、読まれる意味がよく分からない。それで読みにくくしています。と、ここを読んでいる人はここまで読んできたのかしら。ごめんなさい。すっ飛ばしてこのあたりだけ読んでいる人は、正解です。  最近また、ホルンを吹く時間を確保できていて、嬉しい。狂っているチューニングを合わせるには、管の抜き差しではだめなのです。音をイメージできてから息を入れます。チューナーのメーターを見るのではない、そういうチューニング合わせをしている最中です。

2021/04/23 教育家J.S.B

J.S.バッハの教育について、学び、深く考えねば、と思っている。バッハは「教育」の人だ。教育家としてのバッハはすごい。もちろん、作曲や演奏の面でも偉大で、それらと分離して考えることはできないのだけれど、そこに教育もきちんとあって、三位一体となっている。バッハの教育とは、なにをどうすることだったのだろう、と最近ずっと考えている。もっと曲を弾いたり聴いたり、本を読んだりしなくちゃ。
答えはひとつではないのだろうし、いま見つからないものが後で見つかったり、いま見つけたものが後になって形を変えたりするかもしれない。これから先、それらをちゃんと見つけて、拾っていかなければいけない。
バッハについて学びつつ、音楽に限らない様々な場面での「教育」について考えたり話したりする必要があるだろうなと思う。つまるところ、教育とは?教育家とは?ということについてよく考えたい。
それにしても「教育家」って言葉、すごいと思う。音楽家とか画家とかは言うけど、教育家ってあんまり聞かない。ふつうは教育者って言うのかな。「家」のほうが、専門にしてますって感じでよいと思う。

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