雨やどり


管理人室 -- 日記 -- 2020/01
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2020/01/29 飛べちゃうくらい陽気なら
2020/01/28 客観的な自分を観察する
2020/01/27 見えない天井
2020/01/26 悲しみの実がひとつ熟れた
2020/01/25 ロケットパンチ譚
2020/01/23 ただ一匹の猫がいい
2020/01/21 散り散りになってまた
2020/01/17 等身大のエビに齧りつく
2020/01/15 愛しいミカン
2020/01/10 「北陸に」
2020/01/08 勝手にしあわせになればいい
2020/01/03 ブロッコリーと、卵と、それから私

2020/01/29 飛べちゃうくらい陽気なら

やたら陽気だ。こうして時々めまいがするようになったのはいつからだったか。死ねるかもしれないという妄想。死ねない日々からの解放。それらが私を陽気にする。
普段は来たメッセージにすら返信しない私が、多方面にメールやラインを送り付けた。さらに、この世で最も苦手と言ってもいいかもしれないほど苦手な電話で、快活に話した。

惚れっぽいのだと思う。
オケの練習でチェロのトップの人と何度も目が合うのは、ホルンの位置からよく見えるから、だけではない。私が、見過ぎなのだ。それでも普段の私なら、目が合ったところで笑いかけることはしない。
あなた(複数人)に対していろんなことを思うのは、あなたが素敵だから、なのはもちろん、あなたが素敵だと私が分かっているから、だ。それでも普段の私なら、喋れなくなってしまう。

陽気な私は、陽気に笑いかけ、陽気に喋る。というこの文を書けるたった今は、そんなに陽気でもないのである。はっと自分の陽気さに気づく瞬間が一番こわい。飛べちゃうくらい陽気なら、とうに飛んでいる。まだ飛べない。そのうち、やたらどころではなく陽気に成りきって、飛べちゃうのかな。

2020/01/28 客観的な自分を観察する

客観的に、自分を観察するのではない。客観的な自分を、観察するのである。
爆笑問題の太田光さんが「観察者って難しい」と言っていた。「観察することが物体に影響を与えちゃう」のだそうだ。「客観的な観察って絶対にできない」らしい。読んだという本の名前を言っていなかったのが惜しい。読んでみたい。その内容に興味があるというよりは、その本を読んでこう言った太田さんに興味がある。
できることなら、小石川植物園のホヤムルチフローラを毎日観察していたい。ホヤムルチフローラは、毎日私に見られていることに気づいて、私が見ない場合とは違う咲き方をするのだろうか。 ところで、私は未だこの植物の名前を口にしたことがなく、どう発音してよいのか分からない。「チ」は「ティ」と発音するほうがいいのだろうか。長音はどの程度に伸ばすのか、もしくは伸ばさないのか。アクセントはやはり「ロ」につくのだろうか。この植物になりたい。ホヤムルチフローラになって、その名前を呼ばれてみたい。もしなれるのならば、ホヤムルチフローラになるということは、毎日私に観察されるということである。毎日私に観察されるホヤムルチフローラは、もう見られているようにしか咲けない。
と、ここでようやく、最初に書いた「客観的な自分を、観察する」まで辿りついたわけである。
客観的な私は、おそらく、どちらかといえば明るく、それなりに人当たりがよく、どちらかというと真面目、な感じだと思う(いろいろ言われる前に断っておきますが、おそらく、と言っています)。その私が発狂したり逃亡したりしても、それだってやっぱり、見られていることを意識した私自身でしかない。つまり、客観的な自分なのである。どこまでも客観的な自分から逃れられない。たとえ世界に私がひとりになっても、そうだと思う。観察することをやめればいいのだろうか。それでも見ていないその時の自分がどうなっているか(客観的な自分とは違うのか)は、分からないのである。だって見ていないんだもん。世の中は神さまが創ったのだなぁと、しみじみ思うことしかできない。無宗教です。

2020/01/27 見えない天井

救いが、無い。そう思ってぼんやりと見えない天井(部屋が暗い)を見つめていた。いつの間にか、無いのは救いではなく天井ではないか、と思考がすりかわってゆく。考えていたのは、この天井、見えないけれど本当は在るのだろうか、それとも見えないのだからやっぱり無いのだろうか、ということだった。それだけで3時間が過ぎていた。

天井が無ければ、星が見えるはずだ。しかしそもそも空に星がなければ見えるはずもない。私が見ているときに在る星は、見ていないときにも本当に在るのだろうか。天井は無く、星も無いのかもしれない。
天井が無ければ、今とても寒いはずだ。こんなふうにぼんやりしている場合ではない。寝たら間違いなく死ぬ。しかしあまりに寒いときには、寝ることもできない。この温い空気。だからやっぱり、天井は在るのだろう。
そもそも、無ければという仮説が、もう、在るという思い込みの証拠ではないか。天井が在れば、それはこんな闇を作るだろうか。そんなに遠くないところにある天井がこんなにも深い紺色をしている。宇宙の色はたしか、こんなふうではなかっただろうか。そうならば、天井は無いということになる。
(といったふうに続いていくが、3時間分を思い出すことも書きだすこともシンドイので、ここまでにしておく。)

想像力…というのは、在るか無いかを考えることではない。無いもの“を”在ると思うことでもない。無いもの“が”在ると分かっていることなのである。たぶん。私は、私が傷つくことを想像できない。想像力が足りないせいだ。

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2020/01/26 悲しみの実がひとつ熟れた

悲しみの実がまたひとつ熟れた。好きな店がつぶれたことはもちろん悲しかった。だけど、実ったのが今この時でなければ、こんなに悲しくなることはなかったのかもしれない。友達が死んだときに熟れた実と、日々のいろんな悲しいことが積み重なって熟れた実は、どちらもタポタポに透き通っている。
あの日、12月になっても収穫されなかったたくさんの柿は、重そうに枝をしならせていた。それらを全部もぎ取ってプリンにしたいと思った。砂糖を使わない、牛乳と柿だけで作る柿プリン。柿プリンにして、そうして、食べてしまいたい。ああ、柿プリン…。
こんなに強く思うのに、私にはいつの時もそれができない。事情は様々にある。高くて手が届かないこともあるし、他人の家のものだから勝手にはもげないこともある。

あと4年は死ねない、と思った。明日会うことになっている人たちがいる。死ねない。4月に向けて準備が始まっている仕事がある。死ねない。買った青い車のお金は、4年後まで支払いが続くことになっている。死ねない。その先の約束は…、まだない。死ねる。
別に死にたいわけではないのだが、生きるのはときに虚しい。私は意外に傷つきやすいのだ。「意外に」と思っているのが当の本人だけだから、余計に疲れる。

傍にいたい人から離れてでも、友達が死んでいったのをただ見ることしかできなくても、私が今この土地でこうして生きていくことは、きっと正しいのだ。と、そう思ってきた。しかしそれは、思い込みだったのかもしれない。私は、離れて暮らす大好きなみんな(全員ではない)に、心強いと思ってもらえるような存在ではなかった。そうなりたかったな。悲しみとともに、「私には何もない」という思いが積み重なって熟れてゆく。
私自身には何もないくせに、私の周りには約束事がごろごろとある。「こうして生きていく」ということが、「素敵に生きていく」ことではなく、「死なないための約束事を作る」ことになっている。いつからか。はじめからそうだったのか。
本当に、別に死にたいわけではない。よくなりたいという気持ちは強くある。だが、このままでは、いまある約束事を果たしたら死ぬことになるのだろうなと思う。それが、いまのところ、4年後である。

とうとう最後まで収穫されなかった実たちは、知らぬ間に地に落ちて、いつかまた新しい実になる。私の木の熟れた実たちが収穫されないのは、手が届かないからでも、私のものだからでもない。私があの日に見た柿の木とは違って、だれもこの木には目もくれないだけなのだ。

2020/01/25 ロケットパンチ譚

悲しい。ロケットパンチが、もうない。隣町のカレー屋さんだ。久しぶりに行ったら、なくなっていた。なまず、だったか…いや、うなぎ…それとも、どじょう…そんなような名前の飲み屋になっていた。店の人も変わったのだろうと思う。店の前の黒板に大きな字で営業時間が書かれている。ロケットパンチのホワイトボードには、その大きさに対して明らかに小さすぎる字で2つくらいしかないメニューが書かれていた。有り余ったスペースの、定まらない位置に、これまた小さすぎるロケットパンチの絵がある。ぎりぎり「お兄さん」と呼べるくらいのその人は、大きな体からは思いもかけない声が出る。その声を聞いて、ホワイトボードに納得する。
そう、はじめに書いたように私は「久しぶりに行った」のである。ロケットパンチがもうないのは、私のせいでもある。そう思うと余計に悲しくて悔しい。たしかに、これからもずっと続いていくようにと考えている感じの店ではなかった。ホワイトボードに描かれたロケットパンチと同じく、定まらない。定まらないということは、よく分からないということだ。よく分からないものを人間はあまり心地よく思わないらしい。だけど私は、この店の定まらなさには「それからあとのこと」という章があるような気がして、好きだった。だからこそ、私が通い続けなければいけなかったのに…。悲しくて悔しい。
「もうロケットパンチのカレー、食べられないのか」としつこく呟いていたらしい。一緒に行ったことのある兄が「またおいしい店見つければいいじゃん」と言った。そういうことでは、ないのである。

2020/01/23 ただ一匹の猫がいい

寂しくなったときに思い出してくれたとしても、寂しくなくなれば忘れられてしまう。忘れられることは、いつか当たり前になってしまう。覚えていてもらうことよりも、その都度ていねいに関わってもらえることが嬉しい。
にゃーにゃーごろにゃー。いま書いたことはすべて、私が人間として思い込んでいることなのかもしれない。私が猫ならば、こんなことは絶対に思わない。

やりたいと思っていたことが、他のことに押され、それどころではなくなってしまった。「それどころではない」と言っている時点でもう駄目なのである。
にゃんにゃん。やはり猫ならば、どちらのこともやってはいないのだろう。人間だから、こんなふうに生きてしまう。
猫ならばよかった。猫でも人間でも、同じことを思っていたかった。だから「勝手に」と言ったのに、私を巻き込んでいるのでは、まったくもって勝手ではない。私とあなたは、同じ一匹の猫でありたかった。二匹の猫でも、一人の人間でも、人間同士でも、猫と人間でもなく。ただ一匹の猫がいい。
夢を見る。1+1が2ではなく、解なしになる日がいつかくる。それは案外、近いのかもしれにゃい=^._.^=

2020/01/21 散り散りになってまた

いちご味の薬をもらった。童顔である。(たぶん関係ない。)からだの不調で病院に行くのは、実に10年以上ぶりだ。健康だけが取り柄なのに、その唯一の取り柄を失いつつある。といっても、口のなかが痛いだけで、いたって元気だ。ズーンという重さが耳や喉にじんわり広がって来たので、一応病院に行く。いつもなら自然治癒力を当てにして放っておくのだが、如何せん、口が痛くてごはんを食べられないのがきつい。
病院のあと、薬局に行く。薬剤師さんが、Nくんのお父さんであった。Nくんとは、保育園~小2くらいのころ、「大きくなったら結婚しようね」と言っていた人である。中学まで一緒だったのに、小3以来クラスが同じになることはなく、いつからかすっかり話さなくなっていた。近況を聞いて、ズワンという気持ち(?)になった。あんまり懐かしい気持ちにはならなかったのは、私の中に正しくある思い出だからかもしれない。中学の頃なんかはちょっと懐かしいので、記憶を改ざんしている可能性がある。みんな散り散りになって、また戻ってくるんだと思った。戻るというのは、もちろん、物理的な意味じゃなく。 戻ったときに、私たちは前とは同じではないはずなのに、「変わらないね」と言い合うのだろう。そして再び散り散りになる。
一日に4回というタイミングの難しい薬、寝る前に4回目を達成する。いちごの味だ。おやすみなさい。

2020/01/17 等身大のエビに齧りつく

デスクトップの画像を変えた。死んだ友達と登った富士山でみた御来光から、お正月に熊野の温泉で茹でた卵に。特に意味はない。

仕事帰りの車で、スピッツが「鳥になって 鳥になって 僕を連れて行って 僕を連れて行って…」と歌うのを聴く。マサムネさんは、もうこういう曲は作らないんだろうなと思った。もしかしたらもう作れないのかもしれない。反対に、いま作るような曲はその頃には作れなかったのだろう。そして、そのどちらも、いい。どちらが好きかは個人の問題で、どちらもいいことは確かだ。
この人は、創作の人だ。私にはできないと思った。小学校の授業で物語を書けと言われてありがちなのを書いたことを思い出して、私にはできないと、もう一度思った。私はどちらかと言うと調査とか研究の人。誰かの作った何かをひも解いていく方が得意だ。だからこそ創作の人には憧れる。(ちなみにこれは分類ではない。ある創作の人とべつの創作の人は、同じでも似てもいないからだ。)
そんなことを考えたすぐあとで、私には本当は何もない…と感じて悔しくなった。ついさっきのことである。「何もない」ということだけが、ある。のかもしれない。
半年で、そのつもりなく5㎏痩せた。このままいくと数年後に私は消えてなくなる。消えてなくなるちょっと前、等身大のエビに齧りつく。これは昨晩思いついた、あまりにしあわせな夢。
そうか、叶わなかった夢がたくさんある。それでも胸を張れ(ると思え)たらいい。(waffles『夢茜』を聴いてください。) 
さて、エビと同じくらいまで小さくなった私は、誰の手のひらに寝そべる?

2020/01/15 愛しいミカン

ミッキーマウスのマグカップを、一度も使わないまま捨てた。「ディズニー、好きなの?」と何かの会話の流れで聞かれたのだと思う。すごく好きってわけでもないが嫌いでもないから「うん、まあ」みたいな返事をしたのだろう。それで、何かの時に、ミッキーマウスのマグカップをもらった。何を思ったんだっけ。いや、何も思わなかったかな。
…さっきからとても曖昧な言い方ばかりしているのには、理由がある。これらはすべて、一度すっかり忘れた記憶だから、だ。

あの冬曇りの日、心まですっかり冷たくなって、だだっ広い公園の隅のベンチで、悔しくて泣いたのだった。対角線のむこうのこぢんまりした遊具で遊んでいた親子も、いつの間にかいなくなっていた。家に帰ってすぐ、マグカップを捨てた。
それからしばらくの間、記憶喪失のように、その人に関する出来事の一切を忘れた。自動的に、無意識に、心のその部分にはきちんと鎧を着て、その近くに誰かが近づけばすぐさま剣で刺した。何かの折に近づいた私自身だって、何度も刺されたに違いない。刺された私自身はもういないのだから、正確なところは分からないけれど。
1年か2年が経って、ようやく鎧がさびてくる。ときどき思い出すようになると、そのたびに心が冷たくなる。というより、心が冷たくなった時に、その記憶が戻ってくるのかもしれない。

心がすっと冷たくなってしまうとき、助けてくれるのは、誰かの手なのだ。誰かが握ったミカンでもいい。愛しいミカンを食べる。私はこれから、この手で何を握るかなと思う。いつかこのことを、悲しくならずに思えたらいい。

2020/01/10 「北陸に」

ほんとうに嫌になっちゃうことがある。最近そんなことばかりだ。そういう話をして、私は、自分がそうではないことを確かめたいのだろうか。何とかするしかないのか、それとも、この中でどうにかうまくやるしかないのか。社会が歯に合わない人は私の知る限りでもそれなりにいるのに、どうして私たちはこんなに無力なんだろう。(歯に合わないってのは、わかる人にはわかる。たぶんほとんどの人にはわからないと思います。)
今年の抱負をひとりずつ言ってください、という、恐ろしい場に遭遇して、「北陸に行きたい」と言った私は何だったのだろう。直後の言葉に、勇気を踏みにじられた気がした。「なんで北陸?」「何しに行くの?」とみんなは聞いた。北陸に行くのに何かをしなくちゃいけないんだろうか。かろうじて「富山の白えび豆かまぼこを買いに…」と言うと、すかさず「あぁ!おいしいよね」の声。もう、本当に逃げ出したかった。私は白えび豆かまぼこを食べたことがないのだ。おいしいかどうかなんて知らない。そのあとで、「自己研鑽なんたらかんたら…」と言っている人もいて、そういうのを社会では抱負って言うのか、と思った。私にだって、よくなりたいという気持ちは、常にある。学びたいし、歩き回りたい。話したり黙ったりしていたい。それは今いるここでも、北陸でも、どこでも。自己研鑽ってやつは、そういうのとは違うのかしら。よくわからないけれど、それが「今年の」抱負でどうするんだろう、来年になったらその人は。
こういう生きづらさがずっとあって、それをどうしていけばいいのか、悩んでいる。だから、社会にいる間じゅう、傷ついている。「北陸に…」からの一連の流れで、私がどれだけ心に傷を負ったか、その場の誰一人として、そんなことは想像もしない。こういうことがみんな普通にできるからだ。普通…。社会でなるべく普通ぶっている私が、いちばん「普通」の感覚を持っていると、勝手に思っている。何とかできるのだろうか、この中でうまくやれるのだろうか。どちらも今の私には難しそうだ。それでも、私たちのいないユートピアに乾杯!死ぬ時にも心の底からこう思っていたい。

2020/01/08 勝手にしあわせになればいい

疲れた。生姜入りの甘酒(麹)を飲んで回復してきた。うまくいかないことがある。それで人に怒られたりいろいろ言われたりする。面と向かって言われればまだ気持ちの負担は軽いかもしれない。しかし実際は陰で言われるから、嫌になっちゃうのだ。分かっている、そんなことが嫌なのではない。私たちは全く、同じ場(場所だか場面だか)を共有できない。そのことが嫌なのだ。
なんだか、私は強い人だと思われているのかもしれない。何を言ってもいいと思っているのだろうか。私が傷つかないとでも思っているのだろうか。
私のことをちょっと知っているからといって、何も分かってはいないのに。何も分かっていないことを分かっていないのだ。何も分かっていないことくらいは分かっていてほしい。無知の知みたいな話になってきた。無分の分(むぶのぶ)。なんだそれ。

あなたは寂しそうだから、物語になっていないところで、ほんのすこし、勝手にしあわせになっていればいい。そう思った。言おうか迷って言わない時、口がwuと言うときの形になることに自分ひとりで気づいた。ちなみに、後から足した「ほんのすこし」ってところが、私のかわいさを残している。
私のようにしあわせすぎて寂しい場合は、もっと強くなるか、もっとよく(あるいは素敵に)なるか、諦めるしかない。簡単なのは諦めるで、しちゃいがちなのが強くなるで、そのどちらでもないことを私はやりたい。やりたいというか、そうするしかない。つまり、よく(あるいは素敵に)なるしかない。もちろん、それで寂しくなくなるわけではない。ただ、そうなったら、私だってもうすこし勝手にしあわせになれると思うのだ。

うまくいかないのは、共有できない場面が多すぎるからだ。「ある」ということを信じたとしても、「ある」を「共有する」ことができない寂しさに、疲れる。
人間はこんなにいるのに、どうしてこんなにも共有できる場(場所だか場面だか)がないのだろう。共有と言っても、何かをという訳ではなく、そこにいればもう何かしらを共有しているのだから、そこにいればいいのに、そこにいないのだ。人間はこんなにいるのに。
…人間はこんなにいる?だから、なのかもしれない。だから、共感ばかりして、共有はしないのかもしれない。

あなたがときどき勝手にしあわせになってくれないと、私はいつまでも、あなたを猫だとは思えないままだ。人間だと、思ってしまう。

2020/01/03 ブロッコリーと、卵と、それから私

熊野の温泉でブロッコリーを茹でたい!今年は唐突にそう思ったのだ。お正月は車で出かけることが多い。去年は、水平線不足で、三保の松原(静岡)と大洗岬(茨城)に行った。

1月2日。朝4時に家を出る。早朝のおかげで渋滞も一切なく、7時間くらいかかるつもりが5時間半で熊野の湯の峰温泉(和歌山県)に着く。「温泉でブロッコリー茹でてくる」と言って出かけたのだから、兎にも角にもまずはそれだ。ブロッコリーと、卵と、それから私を茹でてきた。ブロッコリーと卵は小川の横の「湯筒」で、私は公衆浴場のくすり湯で。
私がウキウキとブロッコリーと卵を用意していると、地元の年配のご夫婦に声をかけられた。はじめましてなのに、そんな感じがしない。思い返すと「卵は何分やったらいい?」「11分がちょうどええ」とおばあちゃんと孫みたいに話していた気がする。敬語をときどき忘れたが、そんなことも今思い出すまで気づかなかった。たぶんお互いに気づいていない。長野から来たと言うと「ここ来んでも、いい温泉いっぱいあるじゃん」と言われた。たしかに。しかし、野菜や卵を茹でられる温泉は、ない。これからどこ行くか決めてないと言ったら「これでお弁当はできたし、どこにでも行けるな。旅が上手やな」と言われて嬉しかった。
私を茹でる(つまり温泉に入る)と、そこで母娘と思われるおばあさんとおばさんと一緒になる。楽しくてつい茹りすぎてしまった。ここ行ったらいいとかあそこ行ったらいいとか、いろんな話。ここでも「楽しそうやな。いい旅してるな」と言われて嬉しくなる。うん、私はこういう旅がほんとうに好きだ。
こういう旅っていうのは、たとえば今みたいな話ができる旅。「どこから来たの?…若いっていいねぇ」とかパターンが存在しているんだけれど、そうじゃなく、もっと楽しく話せる時がある。もちろん会話の内容はパターンっぽいのだけど、楽しいと思える時もあって、それは、言葉をしゃべるのが人だから、としか言いようがない。今回はそういう場面ばかりで、楽しい旅だった。

身も清めたところで、熊野本宮大社へ行く。湯の峰温泉から、熊野古道を3.4kmの距離。歩きたかったが、車があるから行ったら戻ってこなくてはいけない。6.8km。歩けるが、今回はその時間がない。またリベンジする。
本宮大社は、さすが、ものすごい包容力だった。熊野古道を歩いて到達したい場所だと、改めて思った。

海コンプレックスがある(と人から言われた)私、「人を愛したい!」と、やっぱり海に行く。つーっと東に、三重県の鬼ヶ城に来た。この広くて、太陽がキラキラと当たって、波が遠くから来るもの!人を愛したい!私の青い車を、買ってからはじめて海に連れてきた。(ん?車が、私を、海に連れてきたのか?)

そこから東京に向かう。7時間くらいのつもりが、大渋滞が2~3回あり、9時間かかった。24時50分くらいに着いた。「開いとる店」(とその人が言った)だった。よかった。生姜入りの甘酒をはじめて飲んだ。おいしい。
いろんな話をした。すごく楽しかった。幸せな時間だと思った。すごく眠くて、ぼんやりと夢見心地で聞いたり話したりしていたから、余計に天国っぽかったのだろう。あの頭では「考える」がとっさにできなかった。あとでいろいろ考えたときにはもう、私だけだった。

去年、(たしか)首都高で大変な渋滞に巻き込まれたので、今年は早朝に抜け出そう、ということで、車で1時間ほど仮眠をとってから、家に向けて出発。行きや移動は、いちども休憩せずに行った(SAもガソリンを入れるだけ)が、帰りはゆっくり帰った。
なにしろ1月2日は、ブロッコリーと卵と甘酒とみかん(栄養はばっちり!)しか食べていないから、おなかがすいた。コメダによって帰宅。ほぼ寝ていないので昼くらいまで寝ようと思ったが、「あとでいろいろ考えたとき」というのが、このときなのである。けっきょく起きて日記をかいたり本を読んだりした。
「あとでいろいろ考えた」ことは、次に会う時にでも言えばいいや。

タグ: 旅 

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