雨やどり


管理人室 -- 日記 -- 2019/05
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2019/05/30 シゴヤメ
2019/05/16 ちゃんと好きでいる
2019/05/05 思い出にならないように重ねていく

2019/05/30 シゴヤメ

3か月ぶりに電車に乗った。用事で東京(田舎者なので千葉・神奈川も総じて東京と呼ぶ)へ行って来た。 ひさびさに師匠に会う。大学時代とはすこしちがう雰囲気で、それでもやはり変わらない師匠を私は一生慕っているに違いないと思う。その後、そのあたりを初めて歩き回る。いつも来て帰るだけだったから。とても良かった。坂とか階段とか看板とか公園とか、そういったものが私は好きなのだが、それらのセンスがとても良い街だ。神社では鳩と猫が見つめ合っていた。そんな光景を2組も見かけた。
ひとしきり歩き回って、お昼をまだ食べていなかったことに気付く。小さな駅の近くに店が2つあった。少し迷って、より家っぽいほうの店を選ぶ。それなりに歳のいったママさんが椅子を2つ使ってくつろいでいた。テレビに映るはなんと、ホームアローン!私の最も好きな映画だ。(クリスマス最高!)すでに15時前。ランチは終わってますよね、という少し圧をかけるような問いをしてしまったが、いいよ、と快くカレーを出してくれた。おいしい…。最近、一人前食べるということに飽きてきている(?)が、このカレーはぺろりと食べてしまった。ママさんは、それなりに真剣な表情でホームアローンを観て、笑うべきところで笑い、とてもかわいらしかった。それでいて私がカレーの最後の一口を飲み込んですぐ、コーヒーを出してくれたのだから、人よりもう一つ多く目があるのだろう。さらにそのあと、少し離れた椅子で眠っていた猫がむくっと起き上がり再び眠りにつくのを見逃さず話しかけていたから、さらにもう一つ目があるのだと思う。
友達との夜ごはんの約束まで時間があったし、こんな時間にお昼を食べてしまったから、約束の駅まで歩くことにした。4kmはないくらいの距離だろうが、寄り道をしたので4kmは歩いたと思う。坂のことなんかを考えながら、家やときどきある店を眺めて歩いた。こういう幸福はつづけていきたい。
友達と会い、ご飯を食べながらいろいろ話す。やめるべき仕事は早めにやめようね、という話になった。これをシゴヤメと言う(らしい)。私も、自由にできない仕事は始める前から辞めるつもりでいたし、しかしなぜやっているかと言えば、まあ勉強としてだ。思いのほか、好きにやっている方の仕事がうまくいっているので、そう遠くないうちにやめるべき仕事はやめる。その職場では、若手のくせにあまりいろいろやらされない。まじめだがそれなりにちゃんとしていない、という雰囲気をきちんと出せたことの証である。頼りにされない程度にちゃんとやっている。
友達と別れ、別の友達のやっているバーへ。ぽつぽつと話し笑い合ううちに、一日歩き回ってみたものや聴いたこと考えたことがまとまっていくような気がした。地元の友人から、地元で飲んでいる、という連絡があり、私は東京で飲んでいる、と返した。不思議な感じがした。
終電で近くの銭湯に行き、そこで夜を明かす。朝6時前の電車で家のある地へ戻る(意識的に‘帰る’という言葉を避けているので生きづらい)。駅から山の方向に徒歩2分くらいの喫茶店でモーニングをいただく。好きなのだけど、猛烈に好きというわけではないこの店になぜよく立ち寄るのかと言えば、その時間に開いている店がここくらいしかないからだ。それでもいつでも開いて(待って)いてくれることは嬉しい。味や雰囲気よりも、この店に関してはそういうところが好きだ。さっき「立ち寄る」と書いたが、思い返せばたしかにこの店に「来た」ことはなくいつも近くを通った際には「寄る」という感じだ。
家に帰り少しだけベッドで眠り、午後は仕事。夜、聴きたいラジオがあったのに、アプリの調子が悪く途中からしか聞けなかったことに不機嫌になりかける。しかし不機嫌になるのはつまらないのでやめた。聞き逃し配信でじっくり聴いた。ま、生活というのはこういうことでしょう。

タグ: 旅 

2019/05/16 ちゃんと好きでいる

久々にうたた寝せず、この時間に目を覚ましている!しかしやることと言えば、お金の精算やらこまごましたことを片付けながら、ラジオでロックを聴くくらいのことだ。うたた寝とどっちが幸せかな。どっちも幸せか。ラジオは楽しいし。
夜中にロックを聴いてひとりでニヤニヤするのが最近の趣味である。かなりロックなのにロックを聴いている心地がしないロックは良い。笑い声とか鳥の声みたいな音が入ってるのも好きだ。こういう好きなものたちをこれからもちゃんと好きでいたいと、ここのところ強く思う。いいものは、作った人の好きの気持ちがつまっている。何かを作るとき「誰かのために」なんて思っている人のものは、あんまりセンスが良くないなぁ、なんて思ってしまう。結局、ちゃんと好きなものがない人は弱い。とはいえ、私の好きの気持ちなんて、けっこう適当なものだけど。たまたま通りかかった道に落ちている石とか、気分のいいときに聴こえてきた音とか、そういうものが一番好きだ。
好きな人の好きなものを好きになる、という話をよく聞くけれど、ふーんと思う。好きで尊敬してやまない作家さんが好きな本を私も好きになるかと言えば、分からない。だけど、その本が私の好きな本を書いた人の一部であることに変わりはないから、何かしらの思い入れはたぶんある。その本の話が聞こえてきたらちょっと反応しちゃうとか、そのくらいのこと。
同じものを好きな人とのかかわりを大切にしたい。というのは別に、同じもののファン同士仲良くやりましょうね、みたいな不自然なやつではない。私は、私と同じものを好きな人が作り出すものに一番興味がある。同じものを好きな人が書く本。お店。音楽。そういうものには触れてみたいなぁと思う。それでまた、好きになっていけたらいいなぁとも思う。
結局、何か素敵なものを作りたくて、私はいろんなものを好きでいるのだと思う。お店をやりたい。ときどきかなりくだらないけど歌を作ったりもする。(このあいだも、コーヒー豆を握りつぶすとかいう歌ができた。なにそれ。)あぁ、みんな(全員ではない)のこと、ほんとうに大好きだなぁ。

2019/05/05 思い出にならないように重ねていく

西加奈子さんの『きいろいゾウ』を読んだ。昨日読み始めて、一気に読んでしまった。最近はゆっくり読むことが多いから、私にしては一気読み。
とてもよかった。基本的に恋愛小説は苦手なのだが、これは愛とか恋とか言いながら、それよりももっと「生活」を描いているのがいい。そもそも恋愛小説というくくりではないのだろう。
「生活」とは何かと言えば、思い出にならないように重ねていくことだと思う。それは忘れていくということではなく、過去を振り返らないということでもなく、美しすぎない世界であってほしいということだ。死んだ人間を「いい人だった」と言うのをよく聞くが、死んで思い出になった人間は美化されていく。そいういうのが私にはとてもとても辛い。この本は、これからにつながっていくはずの過去が肥大化せず、きちんと収まるように収まっていてくれて、とても心地が良かった。
登場人物のムコさんは日記をつけていた。日記はやはり、ラブレターなのだなぁと思う。多分読み返すことはないし、書きたくて書いた日の日記はよく覚えているものだ。誰かに言えなかったことを吐き出す方法として、しかも言いたかったこととは別のことを残していくんだと思う。言葉にしなければ伝わらない、と言うのは絶対的に嘘だと思っていて、私は告白なんてしたくないしされたくないと、いつも思ってしまう。そして気が向いた時に感情の日記を書く。日記がラブレターでなくなったら、私はもう書くのをやめたい。
田舎は都会よりもずっと賑やかだという描写があって、そうかもしれないと思う。田舎の親しみのある音(カエルの声だとか、近所の家の灯りだとか)はたしかに安心を与えてくれる。だけど、よく親しんだ場所の居心地の良さを、もっと忘れていきたいなと思う。それがうまくできないから旅に出たり本を読んだり音楽を聴いたりするのだろう。

最近、小学生のころどうやって読む本を選んでいたのかを思い出せないでいた。気に入った作家さんの作品は片っ端から読んだりした。新しく手に取る本たちはどうだっただろう。そのころ本棚の本は、今と違うように見えていたと思う。もっと本たちに信頼されていて、本たちと親しかった。しかしその時はその時で、今は今。年齢とかはあまり関係がないのだろう。それに、こうして読んでよかったと思える本を読んでいるのだから、そんなに変わってもいないのかもしれない。

タグ: 読書 

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