雨やどり


管理人室 -- 日記 -- 2023/01
一覧
2023/01/24 自由考
2023/01/19 小さい
2023/01/16 好きな人
2023/01/06 またねと言えない
2023/01/03 クリスマスとお正月

2023/01/24 自由考

以前のわたしは、パーツをひとつずつ順番に作りながらそれらを組み立てていく感じだったと思う。最近は、大きくて曖昧な塊を生み出して、それを分解して確かめて、また組み立てている感じ。組み立てなおすときに、形や大きさ、色が変わることもある。それでいて何も変わっていないこともある。何も変わっていないように見えて、まったく別のものになっていることもある。その途中で好きになったりもする。
分解して確かめるということを、12月31日に書いた「具体的にする」ことの言い換えのつもりで考えた。具体的にするほど自由になる。わたしの場合はそうなっている気がする。でも、誰にでも当てはまるわけではなさそう。違う場面についてもまた考えてみよう。
今夜は、雪のおかげで外が明るい。こんな夜の気分だったものが、本当の気持ちになっていく気がする。

2023/01/19 小さい

わたしよりずっと小さい人(4歳)に、「手が小さくてかわいいね」と言われた。うん、たぶんわたし、どんどん小さくなってきている。ここ2~3年で体重も9キロくらい減ったし。年末~お正月くらいのときはもう2キロくらい減っていて、さすがにもうちょっと食べなきゃなと思って最近は夜ごはんもわりとちゃんと食べるようにしている。手や足は昔から人より小さいけれど、最近は小さい感じがちゃんとする。それで、みんなから「小さいね」って言われるのかしら。小さいから、なんにも求めない。
小さい人と大きい人は何が違うのだろう、とよく考えている。いろいろあるけれど、小さい人たちは、なにかを求めない。求めないから、定められることもないし、知らないはずのことを決めることもしない。だれかを探さない。わたしも今そんな感じ。だれがどこで何をしているか知らない。だって知らないから!

2023/01/16 好きな人

珍しく恋バナです。(はて、どうなるか。)
どんな人が好き? タイプは? という質問をされたら、おそらく「かわいくて、自由で、孤独で、こどもみたいなひと」と答えると思う。これはつまり、最愛のヨハネス・ブラームスのことなのですが。あるいは、好きな人がいる場合(実際、みんなのことが好きです)、どんな人かと聞かれても答えることができない。好きな人の中で唯一どんな人かを答えられるのが、ブラームスなのだ。なぜなのか。絶対に会えないから、だと思う。
だれかを好きになるとき、空間ごと愛しているのであって、そこには必ず私自身もいる。私がいるから、私はだれかのことを好きになるし、同時にきっと私自身のことも好きなのだろう。好きな人だけを見つめていない。どんな人なんだろうと考えて、いつもわからない。知らないことはずっと知らない。50㎝の距離にいても200㎞離れていても、同じこと。
ブラームスに話を戻す。この世界には、私が存在しないブラームスしかいない。だから、どんな人か調べたり考えたりできるし、その人だけを好きになれる。
ここで少し立ち止まって考えてみる。私は本当にブラームスと絶対に会えないだろうか。違う時代に生まれてしまった以上、物理的には会えない。音楽はどうか。もし、彼の音楽がもっと彼の分身のようであったなら、私たちは会えたかもしれない。しかし、彼の音楽は、満たされないからこそ湧き出続けた「祈り」あるいは「慰め」の水のような感じがする。ブラームス自身と彼の音楽は、関係があるとしても同じものとは考えにくい。とするならば、ブラームスとは会えないけれど、彼の音楽になら会える。実際、ブラームスの音楽に触れる時間を愛しているけれど、その音楽は私だけが感じるもので、こんな音楽だとは言い切れない。知らないことはずっと知らない(2回目)。
これではっきりした。私はブラームスという人を愛している。もしもブラームスと会えたなら、もう、この人だけを好きにはなることはできない。そこにいる私も時間も、すべて愛してしまうと思う。会いたいけれど、会えず、それでよかったのかもしれない。
と同時に、また会えるかもしれないみんなとまた会えるかもしれないのはうれしいことだと思った。

2023/01/06 またねと言えない

わたしの決意が本当にあと10年になった。決意については2020年7月27日の日記参照。そのころ、年賀状というものがまだあるのかどうか。
約束をしないことは思ったより簡単だった。むしろ、今は約束をするほうが怖い。わたしは自分勝手だと思う。また会おうねと約束した人は死んでしまって、二度と果たせないのに約束はちゃんと残った。誰かに同じものを抱えさせないためではなく、わたしが自由になるために約束をしない。しかし、自由にもなっていない。自分のためでしかないくせに、自分のためにもなっていない。
親しい友達はそんなわたしの自分勝手さを見抜いていて、何かと約束をとりつけてくる。春頃には香川県に行くことになった。結局、わたしの願いに反したことをしてくる人がいるおかげで、わたしは幸せになっている。ひとつ前の日記に、誰かといてもひとりで歩いている気分になる時がある、と書いたけれど、実際は一緒にいるからひとりで歩けると思えているのだろうなと思う。本当に誰もいなくなっちゃったら、寂しいだろうなぁ。
またねと言われてまたねと返すほうが、何も言わないよりよっぽど勇気がいる。だけど、またねと返して安心するのも怖い。一体どうしたらいいのかしらね。約束をしないならしないで、信じるとか(?)そういうことをもっと考えてみなくてはいけないのかもしれない。まだまだ、約束というものにはいろいろが絡みついている。それらをよく見て考えていくしかない。
とかいうことをお風呂でずっと考えていたらすっかりのぼせてしまった。

2023/01/03 クリスマスとお正月

クリスマスの気分が抜けぬまま、よく晴れた空をお正月っぽいなぁと思った。誰かと一緒にいることは楽しいけれど、ひとりきりで歩く楽しさとは全く違う。どちらかを選ばなくてはいけないと思っていたせいで、結局立ち止まるしかなかった。クリスマスとお正月が同時にわたしの中に存在した瞬間に、誰かといてもひとりで歩いている気分になる時があることに気づいた。今のところはそれが一番心地いい気がしている。手を繋いで歩いたとしても、次に会う時までには全部忘れて、いつかすべてを思い出す。
[日記] Page Top