雨やどり


管理人室 -- 日記 -- 2022/04
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2022/04/30 富山散歩
2022/04/24 個人的試演会の反省
2022/04/21 ずっと持っていく
2022/04/20 海へ行く動機
2022/04/10 個人的試演会・魔力・後悔

2022/04/30 富山散歩

29日、家の教室の発表会がぶじに終わった。みんなよかった。わたしもブラームスをわりと思うように弾けて良かった。6月頭にもう一回演奏会で弾く予定。お近くの方、そのころお近くに来る方、よかったら聴きに来てね。7分くらいなので。
30日は、思いっきり散歩した。朝5時に起きて、前日の発表会でステマネをお願いした兄が朝一番で長野市へ帰る車に乗せてもらう。7時半過ぎの新幹線で富山へ。途中、海が見えて、電車から降りたらまず海へ向かおうと決めた。電車だけとって、あとは何も決めていなかったから、とても自由だった。8時半ころ歩き出す。運河公園を通ってそのまま富岩運河沿いを歩く。途中の中島閘門で、座っていたおじいさんに「ここずっと歩いてきたの?」と聞かれたので「はい、富山駅から」って言ったら驚かれた。「海まで歩きます」と言ったら「え~だいぶあるよ~。いいねぇ、がんばって」と言われてうれしかった。しばらく歩いて、馬場記念公園をぐるっと歩く。少し先の喫茶店でコーヒー。振り子時計の音が聞こえてとてもいい心地だった。廻船問屋の森家、馬場家のある街並みを抜けて、展望台にのぼる。いいかたちの展望台。
少し歩いて、11時少し前に海に着いた。海! 潮の匂いがした。水平線があった。カモメが飛んでいた。砂浜をずっと歩いて、波を眺めたり来る波に触ったりした。波乗りをしている人たちが遠くに見えた。風が強くて、砂浜があたたかかった。どのくらいそうしていたかしら。波打ち際で波がここまで来るのを待っていたら、ざーーんと大きいのが来て、少し後ろに下がらなくちゃいけないくらいだった。そのまま、貝殻を一つ拾ってポケットに入れて、海から離れた。いつでもまたここに来られたらいいのにと思った。富山港線で富山駅まで戻る。
12時15分くらい。富山の友達からおいしいよって聞いていたところは混んでいたので、とりあえず、富山城に向かって歩く。途中にある小料理屋さんの、お店の前のプランターに植えられたビオラがとてもきれいに手入れされ咲いていて、迷わず入る。白エビ天丼を食べる。とてもとてもとてもおいしかった。エビ好き。ご主人も奥さんもいい感じの方たちで、前から少しだけ知っている人たちのような感覚になった。途中、摘んだ野菜を届けに来たおばさんがいてよかった。一人前を無理せずしっかり食べきれたのが久しぶりでうれしかった(出していただいたものを絶対に残したくないから多少きつくても食べきるようにしているが、それが無理になったりしんどくなったりすることが増えて、外食がめっきり減っている)。
おなかがいっぱいで、近くの公園でしばしぼんやりと日向ぼっこした。鳩、私に気づいていないかのようだった。そこから富山城まですぐ。石垣がすごくて、ふぅ~と思った(雑な感想)。そのままもう少し南に行くことにした。千石町通りの喫茶店でゆずソーダを飲む。窓際の青色の瓶を太陽の光が通ってきれいだった。城南公園のツツジの花が大きくて、おっき! と言いながら写真を撮った。そこから神通川方面に歩く。川の上の長い橋をゆっくりわたる。植物園は間に合わなそうだから今回は諦めて、当てもなく散歩することにする。畑の間の道を、水路に沿って歩く。初めて通る、懐かしい道。途中でどうにか大きい道に戻って井田川をわたる。五福公園に着く。看板が強気だったので、写真を撮った。神通川にかかるさっきとは違う橋をわたって、右岸に戻る。そのとき歩いてわたっているのはわたしだけで、歌いながら歩いた。オレンジ色が濃くなってきた太陽の光が、とても気持ちよかった。18時前、富山駅に戻る。
さてどうしよう、と10秒くらい考えて、もう一回海に行こうと決める。今度は行きも富山港線を使った。さっきの海に、再び会う。うれしい。陽が沈むころで、雲の隙間から赤い夕陽がほんのすこし見えた。だんだん暗くなっていって、灯台が光って、向こうの浜の明かりも見えた。座ってくださいっていう形の木に座って、海を眺めた。スマホで動画にとって、いつでもこの音を聴こうと思った。いつでも会えたらいいのに。たとえ物理的に遠く離れていても、いつでも会えるって思えていたらいいな。
富山駅に戻ったのが20時前。リュックに入るくらいの少しのお土産を買って、電車の時間まで散歩することにする。21時までやっている喫茶店でケーキと紅茶。スマホの地図にはなく、昼間通っていればよかったと思うところがひとつあり、またいつかと思えたのがうれしかった。
21時過ぎの新幹線で東京まで行く。28日くらいまでどういうルートで帰ろうか迷っていたけれど、結局、ここに戻るとなると終電が19時台だし、長野に泊まるよりは東京まで終電で出て、夜は散歩して、朝になって電車が動いたらゆっくり帰ってくればいいやということにした。星がかわいい夜だった。
今回の旅はとてもうれしい散歩だった。どこを歩いても、みんな、わたしのことを覚えていてくれた。初めて行った海もわたしのことを忘れていなかった。鳩だけがわたしに気づかなかったけれど、それもそれでお互いにとても自由な気がした。わたしたちはかわいい! これからがんばって強く生きていきたい。

タグ: 旅 

2022/04/24 個人的試演会の反省

だれかひとりでも聴いている人がいるかもしれないと思いながら弾くことが、個人的試演会の目的。実際、そう思いながら弾いた。本番の独特の気分で弾くと、急にわからなくなったり迷ったりするから、試演会はかならずしたい。学生の頃は友達とした。仲の良い友達ととか、室内楽メンバーでとか、門下でとか。みんなの弾くピアノが好きだったなぁ。またみんなのピアノ聴きたいなぁ。
話を戻して、今回の試演会の反省。夜明けの祈りの鐘、急にあれ?と思って盛大にちがう音を弾いた。暗譜、指だけになってそうなところ、ほかの曲も含めたくさんあるから頭でちゃんと覚える。鬼ごっこ、Intermezzoは、指先の感覚の精度をもっとあげる。Romanze練習しようね。冒頭、ループしかけて弾き直し。あちゃ。思い描く曲のイメージがぼんやりしすぎると頭までぼうっとしてくるから、まっすぐな光の芯をきちんと持っていよう。自分や聴いている人の孤独に光で語りかけるつもりで弾きたい。
一瞬でも聴きに来てくれた方ありがとうございました。余談。自分が弾いている映像をみるといつも思うけれど、首を横に振る癖があるっぽい。無意識。

2022/04/21 ずっと持っていく

ごめんなさい以外の言葉を思いつかない。思い上がりもいいところだけれど。約束して会うのが今日で最後の子たちがたくさんいて、手紙やお花やハンカチをもらったりしたら、ごめんなさいと思った。これまでに手放した子たちもそうだったけれど、途中で置いていくことは、とても苦しい。出てくる言葉はごめんなさいだけれど、罪悪感とは違う。悔しいとか悲しいとか寂しいとかとも違う。よくわからない。なぜ苦しいのか、わからない。よくわからないけれど、投げ出してはいけない。この気持ちはどこまで歩いて行ってもずっと持っていなくちゃいけないね。決して捨てずに、あきらめずに、持っていよう。心の底から「またどこかでね」と言えたことはよかったと思う。

2022/04/20 海へ行く動機

現場に行く機会はあと2回あるけれど、先日ついに同僚の皆さんにさようならを告げた。手が死んでいるみたいに冷たくて、あと少しあと少しと思いながら最後の大仕事になる二日間をやり過ごした。表面的なぎすぎす感は皆無で、その変なまとまりがずっと嫌だったのだと改めて思った。もうこれ以上積み重ねなくてもいい。しかし、これまでに積み重ねてきたこの重い荷物はまだ背負っている。まとっていた鎧を脱いだら、もっと重い荷物を持っていることに気づいた。どこまで運べばいいのだろう。どこまで運んだら置いていいのだろう。海が見たい。初めて行く海でエビのふりをして溺れたい。そうしよう。

2022/04/10 個人的試演会・魔力・後悔

3月は今までで一番眩暈がひどく、本も時々しか読めなかった。かなしい。でも、本屋さんで1時間くらいかけて絵本を選んでどさっと買ってくる時間がとれてよかった。季節の変わり目にはできたらいいなと思っているの。教室文庫の本もこっそりちょこちょこ入れ替える。
教室も気がつけば70人を超えている。この春はお引越しでお別れした子もこれまでより多かったし、新しく入った子も多い。春休みは、みんなの春休み気分につられていたけれど、気分だけで、時間的な余裕は皆無だった。4月末の発表会の準備も、直前より1か月くらい前のほうがやることが多くて大変だった。発表会で弾く曲の個人的試演会を4月24日にすることにした。おひまだったら聴きに来てね。→詳しく

魔力がだんだん戻ってきた。わたしの魔力は、時計を進める力。わたしのいる部屋はなぜかアナログ時計がいつも2分くらい進む。それ以上は進まない。いくら戻してもまた進む。本当に不思議だけれど、むかしからなぜかそうなの。腕時計も、家も、教室も。それが、ほぼ正確になっていた。魔力が弱まっている証拠である。一昨日、正午の鐘が鳴ったときにふと時計を見たら、また1分くらい進んでいた。魔力が戻ってきつつある。

夢を見た。春だから夢をよく見る。夢の中で、大事な人がいなくなった。雪が降っていた。わたしが連れて行かなければ、その人は死ななかった。出ない電話の音を聞きながら、心の底から悔しい気持ちで、泣きながら名前を呼んだ。その最中で目覚めた。夢を引きずって、電話をかけようとしたけれど、起きたところで名前が分からなくなってかけられなかった。
夢の中で悔しかったのは、個人的にその人にもう会えないことに対してではない。その人がいなくなったときに、この世の中にいるべき人だったと気づいた。いるべき人がいなくなったのだと思った瞬間に、今まで感じたことのないくらい強い後悔の気持ちが生まれた。本当に夢だったのだろうか。これが夢じゃなかったら、今のわたしのパワーでは生きていけないと思う。

近況の日記をまとめて書いた。なんだか、全体的に疲れている。感じがする。はー。人生、疲れる。春だからかしら。勝手に疲れている間に、友達がひとりもいなくなっている気がする。これからになにか楽しいことあるのかなー。

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