雨やどり


管理人室 -- 日記 -- 2021/06
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2021/06/30 きみへ
2021/06/27 ぼくのこねこ
2021/06/24 ハイ!
2021/06/21 夏至
2021/06/19 岡田淳さんトークイベント
2021/06/18 ここ・人・音楽
2021/06/15 害悪
2021/06/14 雨の話・コーヒー豆の話
2021/06/13 森とそり
2021/06/11 思い出
2021/06/10 合唱
2021/06/08 好きな人
2021/06/05 所有の発想
2021/06/02 世界平和のため
2021/06/01 冷たい

2021/06/30 きみへ

来週会う人に来週会うことを思い出してすこしさみしくなった。「会いたい」という気持ちが帰ってきた。おかえりなさい。帰ってくるまで「会いたい」という気持ちが旅に出ていたことに気がつかなかった。わたしが会えないでいた人たちに、わたしの「会いたい」は勝手に会いに行っていたのかもしれない。会えたのかは知らないけれど。
わたしはこれから、さみしさを忘れることなく、果たせる約束の中で会いたい人と会っていくべきだろうか。それとも、約束がなくてもさみしさを覚えていなくてはいけないのだろうか。いや、そもそも、さみしさというものは、約束の中にあるのだろうか。約束をしていない人たちともう会えないかもしれないことを、さみしく思うべきではないのだろうか。
何の約束もせずに、会いたいと言ってみる。とうにわたしのことを忘れてしまった人や会ったことのない人へ。

2021/06/27 ぼくのこねこ

ニャーーーーーーン。無事、今日の本番(合唱)が終わったニャ。朝4:00ころ目が覚めて布団の中でしばらく我慢して5:30ころ起き上がり、昨日の夜に自転車で買いに行ったバナナを食べて、車で1時間かけて会場に行ったニャン。午前中ゲネプロ。初めてのピアノはいつも怖く、ゲネプロ後、みんなお昼食べていてピアノがあいているところを見計らって、鍵盤の深さ、返ってくる速さ、ペダルの響き方など確認。ピアノも人間と同じでそれぞれに性格がある。初めましてのときは探りながら関わるから気力がいるし、勇気もいるニャ。お昼に鰻を用意してくださっていたのにおなかが空いていなかったので持ち帰ることにして、チョコをひとつ食べた。
本番。第1部はホルンのみであとは待機。最近のホールの照明はLEDとか熱くならないものが多いけど、今日のところみたいに古くからある(のかニャ?)ホールは照明が熱い。ピッチが上がり続けて死ぬかと思ったニャン。第2部がピアノ。歌の人たちが先に入って下手の扉がいったん閉まる。先生とよろしくお願いしますと言い合って、下手の扉が再び開く。出ていく直前に、黒のドレスについて「すてきです」と言ってきたので、えへへの顔のままステージに上がってしまったニャ。ピアノにたどり着くまでにベートーヴェンの顔になる(ベートーヴェンと同時代の作曲家の曲を集めたステージだったのです)。始まるまでの方が緊張していて、始まってからは、何も気にならなかった。心の底から音楽を信頼して弾けたのでよかった。指揮が下りる時からではなく、上がったときから同じ呼吸ができてよかった。ベートーヴェンの「Elegischer Gesang(悲歌)」が圧倒的に好き。検索すると出てくるのでぜひ聴いてみてください。伴奏はもともと弦楽四重奏なのでイメージしやすかった。そういえばピアノは他の楽器の音をイメージして弾くことが多い。ピアノソナタですら。本来のピアノの音とは?と思う。あとでグループラインで「今回の演奏会で一番好きな曲は?」という話になったとき、先生も「Elegischer Gesangは特別な思いを持って振った」と仰っていて、嬉しかったニャン。
この時勢、もちろん打ち上げはなく、楽といえば楽だけれど、本番の高揚感が漂ったまま締まらない気もする。夕方の山道は気持ちよくて、車の窓を全開にして歌いながら帰ったのが打ち上げの代わり。お昼に食べられなかった鰻を夜ごはんにした。全部食べ切れなくて、半分は明日にまわす。18:30、まだ明るくて、明るいうちにお風呂に入った。明るいうちに入るお風呂がとても好きだニャ。ずっと高揚していた気分が落ち着いてきた。上がるということは、そのあとに下がるということ。19:30、電気もつけず羽毛布団にくるまったら、そのまま眠ったらしい。21:00過ぎ目が覚めて、グループラインが動いているのを眺めつつ、先生から個人ラインが来ていたのを開く。それから1時間くらいただぼんやりして、先生にラインを返して、またちょっとぼんやりして、猫になった。ニャ~~~~~~ン。眠くないので日記を書くことにしたニャ。ニャとか言っているの本当にヤバいニャ。わかってはいるけれど、疲れて落ち着いてきた気分が今度は落ちすぎないための方法を、ニャーニャー鳴くしか知らない。他の方法を探したほうがいいかもしれニャい。

2021/06/24 ハイ!

本番前なのにハイになっていてよくない。落ち着こう。久々の本番だからかなぁ。今週末の本番は去年の12月の予定が延びたものだし、来週末の本番も去年の7月の予定が延びたもの。4月の発表会で講師演奏はしたけれど、それは自分のことよりもみんなのことでドキドキしているうちに終わってしまったから、本番の感じがなかった。発表会の類を抜かせば、本番は去年の1月ぶり。やっぱり久々だ。ここ数日、4時間くらい寝ると目が覚めてしまい、いったん目覚めると二度と眠れない。ちゃんと寝ないと体がもたないのに。今のところもっていますが、このままだとちょうど本番の日曜日あたりにダウンするかもしれない。それはまずい。この興奮状態で本番を迎えるのもまずい。落ち着いてよく寝たいし、よく寝て落ち着きたい。そして、ここ数日の間にいろいろ買いすぎている。ドレス×2。本番用のブラウス。本番用の靴×2。楽譜(は普段からたくさん買う)。本×10以上。ピアノの補助ペダル×5と足台×2。え、お金大丈夫…?でも全部経費にできるからいいや。本も児童書ばかりで、教室の本棚に置くものなのでね。
思い出してみると、本番の衣装合わせをしたのをきっかけに、ハイになっている気がする。今週末の本番は合唱の伴奏で、もうひとりのピアニストの方は黒黒と言っていたから、私もあるものでそんな感じでいいか~と思って準備せずにいたのだけれど、黒のロングスカートを久々に履いてみたらめちゃくちゃゆるくなっていて(ウエストに両腕いっしょに入るくらい)、黒のドレスを着ることにした。なんとホルンも吹く(合唱+ピアノ+ホルンという珍しい編成の曲がある)ので、その時は半袖の黒ブラウスに黒パンツでいいかと思っていたら、これまたゆるゆるになっていてパジャマみたいだったので、パンツはベルトで何とかすることにして、ブラウスは買うことにした。ノースリーブにフリルがついたあんまりゆるくないものを買った。インして着ることにする。今回の本番は、思いがけず、私のかわい(くておいし)い二の腕を大いにさらすことになりました。
そうこうしているうちに、この先の本番とか諸々のために新しいドレス買ってもいいかなという考えに至る。ドレスを選びはじめたあたりからテンションがすごいことになってきて、2着も買ってしまった。10月の本番用に一着(シルバーグレー)と、プロフィール写真(そろそろ撮りなおそうと企んでいる)用&来年の発表会か何か(ちゃんと決めていない)用に一着(ベージュ×ミントグリーン)。いろんなかわいいドレスをみて、うわ~シューベルトとかモーツァルトとか弾こうかなと思った(順番が逆…)。エメのホームページも買うつもりはないけれどいつかは欲しいなと思ってみてみたら、すごくかわいいのあった。かわいい~。じゅうにまんえんだった。ひゃあ~~。
落ち着こうと思って日記を書いているのに、逆効果。しゃべりすぎ。無い洋梨(変換ミスはそのままに)。落ち着こうね。こういうときは歩こう。歩くのがいい。そういえば最近、散歩者としては、歩きが足りていないな…。

2021/06/21 夏至

夏至ですね。クリスマスのつぎに好き。穏やかに晴れている。魔女、今年は少しおとなしく遊んでいるのかもしれない。ここ最近は不注意に次ぐ不注意で、おでこに軽い火傷をしたりからだじゅうに痣ができまくったりしていましたが、そろそろしゃんとしてがんばります。というのも、今週末と来週末、2週連続で本番。来週末の本番が終わったら髪を切る。そのあとはまた生活が続いていく。来年の夏至もまた、同じことを言えたらいい。わかってるよ みらいのはなしは…
 

2021/06/19 岡田淳さんトークイベント

『岡田淳「こそあどの森の物語」トークイベント──すぐそばにあるかもしれない不思議な世界──』を拝聴しました。岡田淳さんが、こそあどの森やそこに住む人たち、そこを訪れる人たちのことが大好きだと伝わってきて、ほんとうに嬉しい時間でした。
まず、「こそあどの森の物語」シリーズについてのお話。スケッチブックを開きながら「ウニマル」と仰った言葉を聞いて、そういう発音なのか!と思った。小学生のころ友達と話す時は私自身も友達もミレドドと発音していたけれど、岡田淳さんはドミミミと仰っていた。本だとこういうことがありますね。おもしろい。みなさんはどう発音しますか。「こそあどの森」のイメージについて、妖精のような小さな人たちをイメージだったのが、だんだん等身大になっていったというお話をされた時、「ぼくがこの物語に入り込んでしまっているなと思った。どこかでやめなきゃなと思った」というようなことを仰っていたのが印象的だった。「この森でおこったことは、あの森でも…」という肯定の言葉でシリーズが終わり、でもどこかで物語は続いているんだろうなと思えるのは、読者ひとりひとりがこそあどの森をそれぞれに心に持っているからだと思う。それは、岡田淳さんの描く物語の力だ。「どこかでやめなきゃ」と思える岡田淳さんだからこそ、岡田淳さんの描く物語はそういう力を持つのかもしれない。
次に、新刊の短編集のお話。ひゃぁ~~~~~~。大人たちのアルバムがとっっってもすてきでしたね。トワイエさんはシリーズの中でも物語に傾斜していく姿が描かれている。そんなトワイエさんの少年時代がかわいらしい。二文字しりとり、おもしろい。あとで、カタツムリの吹き出しについて質問をされた時の岡田淳さんがとても楽しそうで、いたずらっ子のような目で「バレましたか?」と仰ったのがとてもよかった。トマトさんの子ども時代は、だれにでも、なんにでもついていってしまう子。好奇心旺盛で歩き回るトマトさんは、『森のなかの海賊船』で主張するシーンや魔女の面と繋がっている気がする。トウガラシとニンニクの絵を描いた時、おもしろいなぁと思ったと仰っていた。自分でおもしろいなぁとかすてきとかいいなぁとか思えるものを描いているところが、岡田淳さんのすてきさのひとつだと思う。ギーコさんのことは、みんな、だんだん好きになっていったと思う。岡田淳さん自身もそう仰っていたし、私もそう。『ミュージカルスパイス』で歌ったときとか、とても好き。木を椅子にするシーンが、『森のなかの海賊船』とつながっていること、とても納得しながら聞いた。ポットさんの「船はあるんだ」の言葉も『森のなかの海賊船』のギーコさんの言葉のオマージュとのこと。『森のなかの海賊船』の話がたくさん出てくるので、好きなんだろうなぁと思っていると、あとで、はじめはウニマルこそが森のなかの海賊船というイメージだったという話をされていた。人が生きているということは、海賊のようなものなんじゃないか。だんだんそういうイメージはなくなっていったらしいけれど。スミレさんもまた、シリーズを通してどんどん親しい人になっていった。岡田淳さんも、好きだなぁと思うような面を出してくれる、と仰っていた。「ブラックコーヒーをちょうだい」のオマージュのエピソード、おもしろかった。「いちばん年長だけれど、いちばん子どもに近い」と仰っていたのは、物語を読んでいてもその通りだなと思う。今回の短編でも、話のあとに「いたずらっぽい目」をするのも、シリーズ全12巻を経たスミレさんらしくてとても好き。
そして、「いまがこれまでとつながって、いまがこれからともつながっていく」ことについてのお話。ご自身が子どものころの話をするとき「いまというぼくの節穴から過去をみて語るだろう。」だから、「いまとは無関係に思われる何かがいっぱいあって、それが関係のあった何かを支えて、いまの自分につながってきているのが、本当なんじゃないか」と仰っていた。シリーズで同じ人を描くことについてのお話でも、「そのつどその人物の何かを発見するという体験だった」と仰っていて、きっとその度に、いまのその人と同時にその人のこれまでのことも生まれていたのだろうなと思う。岡田淳さんが物語を書くたびに登場人物たちに新しい発見をしたように、読者もまた新しい発見をしながら読んできた。おなじ発見かもしれないし、もしかしたら少し違う発見かもしれない。それが今回、この短編集やアルバムという形になったことは、読者にとっても嬉しい。
ここからは質問に答えてくださるコーナーでした。登場人物が意思をもって動き出すことはあるかというような質問で、「話をする」ことにどういうスタンスで向かうかということは考えた、という答えがとてもいいなと思った。スミレさんはふたごの(思いつきの)言葉に心を打たれ、話をすることにする。「話を聞くことが、その人をわかり、その人を好きになれることだと気づいたのですね」という読者の方からのお手紙に、なるほど!と思ったとのこと。岡田淳さんらしい。この短編集では「話を聞くこと」が大きな柱だったという。どういう意味を持つのか。ふたごとスキッパーはおとなたちの話を聞いて、知らなかった面を知って、たぶんもっと好きになった(明確に「好き」という形でなくても親しみを感じたりした)のだろう。私がいいなと思ったのは、ふたごとスキッパーは、おとなたちのことを知るのと同時に、自分たちにもいまからつながるこれからがあるということを知って、自分たちのこれからを肯定的に思えただろうことだ。「話を聞く」ということは、相手のことだけでなく自分のことを知ることでもあるのだろうなぁ。そして、知ることで、もっと好きになれたり肯定的に思えたりするのは、すてきなことだと思う。
さて、永遠の謎、バーバさんについて。子どもにとって一番すてきな状況とは?と考えたものがスキッパーだという。それでもやはり食べ物、寝るところなど、世話をしてくれる人は必要。でも、指図や手出しをしない。バーバさんという人の存在はまさにご本人が仰ったように「大きな保護」で、いなくては困るし、いることですごく支えてくれているけれど、スキッパーを自由にもしてくれている。このバランスがすごい。自由だけでもダメだったし、世話ばかりでもダメだった。この難しいバランスを、「どうしたらすてきだろうか」と考えて導き出した岡田淳さんは、やはりすてきな人だ。そして、そのバーバさんを描きすぎなかったのは、「あの人は自分にとってのバーバさんだ、と思える存在」をだれもが持てるように、というようなことを仰っていた。描かれていないバーバさんの顔を読者ひとりひとりが想像しているのだろうし、そのどれもがバーバさんなのだと思うだけで、とても心強く嬉しい気持ちになる。「本当らしさ」ということも岡田淳さんはたびたび仰っていて、ふたごはどうやって食べ物を得ているのか?なども考えたらしい。そういう現実的な疑問は尽きない。ふたごを世話してくれる存在。ヨットを教えた人。お父さんやお母さん(ミス・クラゲ。水クラゲ。のところで大いに笑いました)。「描かないでおこうと思った」と岡田淳さんは仰っていたけれど、描かれていないそういう人たちも、いるのだろうな、と読者はちゃんと思わされている。そして、そういう想像はとても楽しい。ポットさんのいとこが住んでいたケトルの家についても「いまもあるんでしょうね」と仰っていて、その後のことはどこにも書かれていないけれど、確かにある、と岡田淳さん自身も私たち読者も思えていることが嬉しい。
関連して、こそあどの森に学校はあるのかという質問の話。「ぼくが子どもだったらどういう世界が楽しいだろうか、と考えた時、学校は頭になかった」という答えだった。というのも、教員時代、家族と学校を否定した(はっきりそう言ったわけではないけれど)子がいたという。たしかに「親子」という関係や「学校」という場所は、私達が思っている以上に決めつけられているなと思う。関係のことで言うと、「おじいちゃんと孫」とか「近所に住む大人と子ども」とかいうことならもっといろんな形の関係を見るけれど、「親子」という形は、ほんとうに、意外に決められてしまっている。こそあどの森では、決まりきった関係が存在せずに、おとなたちが必要な役割を果たしている。こそあどの森はそういう意味でファンタジーだし、こそあどの森を通して現実の世界を見るときに、型通りでない関わり方もあるのだと思えたら、現実の世界もよりいいものになっていくのかもしれない。だけど大抵、子どもにとって、関係がうまくいっていてもいかなくても親が親であるという思いに変わりはない。親に指図を受けてもそういうものだと思う。世の中でも一般的にはそれが当たり前ということになっている。だからこそ、「大人」の岡田淳さんが「子ども」の目で見た世界に、私達は憧れを抱くのだと思う。子どもの頃ももちろん憧れたけれど、大きくなった今でもずっと憧れている。「学校」という場所がないことについても同じで、学ぶことは学校でなくてもできる。それはスキッパーが証明してくれている。森に来る人と出会って、たくさんの本を読んで、いろいろな経験をする。そういう「学び」は、こそあどの森では日々の生活にある。学ぶ場所と決めつけられた「学校」がないことで、自由に学んでいくふたごやスキッパーの姿は、とても自然だと思う。もちろん、現実の世界に学校はいらないということではなく、ひとつの理想としてふたごやスキッパーのような子どもがいることが、こそあどの森というすてきなファンタジーになって表れたのだろう。岡田淳さんの描くファンタジー(こそあどの森の物語に限らず)がいつもとても「本当らしい」のは、そういうわけなのではないだろうか。
あとは、登場人物の名前の由来や、物語に出てくる歌のメロディーについて(「みなさんが自分で考えて歌ってくれればいい」と仰っていたけれど、岡田淳さんならどんなメロディーをつけているだろうかと想像するのも楽しいかもしれない)、食べものについて、すらすら書けたお話について、ミュージカル化について、などの質問があった。ここにはこれ以上詳しくは書かないけれど忘れずに覚えているだろうな。どのお話もおもしろくてすてきだった。岡田淳さんは、こそあどの森の物語に登場する人たちのことをとてもよく知っていて(作者だから当然といえば当然)、彼らの話をこんなに生き生きとされているのがとてもすてきだ。物語の中で「話を聞く」ことはその人のことをわかり好きになるという意味を持っていたけれど、いままさに私たちも、お話を聞いて岡田淳さんや岡田淳さんの作品をより一層好きになっている。

タグ: 岡田淳さん 

2021/06/18 ここ・人・音楽

窓を開けたら朝風がとても気持ちよくて、でも、この朝風よりも気持ちいいと感じたときのことを思い出した。なんにしても、田舎の夏の朝風はひんやりしていて、いい。初夏の今はもっとひんやりしていて、なおいい。山に囲まれているから、梅雨でもなんだかんだ晴れの多い土地。わたしはここにいます。
昼過ぎ、まだパジャマ。コーヒーを淹れようと豆を挽いてお湯が沸いたところで、電話がかかってきた。あまりに電話が嫌いで、音もバイブも鳴らないようにしてある。画面上の通知だけが来る。気づかなければ出なくてもいい言い訳になるからこうしているのに、どういうわけだか電話が来ているのに気づいてしまうことが多い。用件の仕事のお話と、違う仕事についての相談をちょっとした。相談。電話と同じくらい苦手。でも、できた。うにゃうにゃと話した。それでも聞いてくれた。うにゃうにゃ。電話を切ると、顔が火照っていた。電話はやっぱりエネルギーが要る。でもお話できてよかった。今のわたしの周りには、これまでの人生でいちばん、3日前のできごとのようなことが多い。話すことを諦めたくもなるけれど、諦めなくてよかった。たった一人でもちゃんとお話できる人がいてよかった。
沸いてから10分経ったお湯を沸かしなおしてコーヒーを淹れた。わたしのいちばん好きなトラジャ。いつもよりカッコつけて飲んだ。着替えて、相談した件の対応をした。音楽に対しては不自然なところをなくしてあげるだけでいい。そのためには、まず自分の心を音楽にあずけなくてはいけない。それもまた自然なこと。そういう音楽がわたしの近くにある。
わたしはここにいて、お話できる人がいて、自然な音楽がある。じゅうぶんではないか。頭ではそうわかるのだけれど、なぜかとても寂しい。わたしきっと、たくさん忘れられてきて、これからもたくさん忘れられちゃうんだろうな。でも、これまでわたし自身を守ってきたのも、忘れられたわたし自身なのだ。忘れられることが、わたしを守る方法だった。もし、わたしという人間が誰かの想像の人間だったら、と考えることがある。たった一人のその人だけは、わたしのことをずっと覚えている。その人がわたしという人間の想像をやめるとき。その人がこの世からいなくなるとき。わたしはどうなるのだろう。誰かの想像の外に出ていくのは勇気がいるけれど、想像の外で関わったものたちはわたしを忘れないかもしれないな、と思う。

2021/06/15 害悪

「これこれこういうわけで私がそれをするのは無理です」と言ったら「大丈夫」と言われ(えっ話聞いてた?)と思った。「いや、そうではなくて…」とよりストレートに丁寧に話したら「できればしてほしいけど」と言われたので「それはしんどいです」とついはっきり言ってしまった。しかしそれでも通じず、再び「大丈夫だよ」などと言うので、「すぐにどうこうという問題ではないと思うので、私はそのつもりだということだけお伝えしておきます…。またご検討ください」と言い残して逃げ帰った。
こういうとき、落ち込むタイプの人と物騒なことを思うタイプの人がいる。私は元来は後者の人間なので物騒なことを思ったのだけれど、同時にとてもつらくもなった。あまりに悲しかった。伝わらなかったというより、全然聞いてもらえなかった。伝わらなさや通じなさは、むかしからどうしようもなくあるのだけれど、ここまで私という人間をつぶされたような気分になるのは初めてだ。あまりよく覚えていないが、この出来事直後、「違う人種なんだ… だいじょうぶ わたしの考えはわたしのものだ」とツイッターで呟いている。私自身がいなくなっちゃったと思って、いるよねと確かめたかったのかもしれない。
同じところで、次は、数字(お金)の話をしなくてはいけない。嫌な話だけれどしなくてはいけない。実稼働の時給が187円はさすがにヤバい。加えて、実稼働以外の準備(賃金なし)にかなりの時間が割かれている。人種が違うので、仕事という発想がないのだろうと思うが、だったらお仲間(同じく、仕事という発想がない人)にやってもらえばいい。
やめちゃえばと言われそうだけれど、やめたいわけではない。でも、やめるしかなさそうならやめればいいかなと思っている。というか、やめるしかなければ、やめるしかない。

2021/06/14 雨の話・コーヒー豆の話

夜中の2時くらいに目が覚めて「雨、降って来たね」という話をした。しばらく起きていたら3時半くらいになってものすごい土砂降りで「雨、すごいね」と言って窓を閉めた。ぼんやりしていたか眠っていたかで6時になっていて、とても静かだった。日の光が差して青空も見え、「晴れたね」と口の中で呟いた声は聞こえたらしかった。8時半にようやく起きあがることができたおかげで、一週間近くきらしていたコーヒー豆を予定通り買いに行けた。「行ける」を「行かれる」と言ったら、昔の人みたいと言われたことがある。去年の12月に見かけた工事中の看板に「○○様まで行かれます」と書いてあり、地域なのだろうなと思った。それからは気をつけて「行ける」と言うようにしている。山のコーヒー豆屋さんまで車で40分弱…だったのだけれど、何度か行くうちに混む道や待つ信号を把握してきて、最近は30分強で着く。「このあたりは、朝、雨がすごかったけど、どうでしたか?」と聞かれ「うちは街のほうなのですけど、夜中のほうがすごかったです」と答えた。答えた後で、あの雨は夢じゃないよねと少し心配になったが、とても本当らしく思えたので、よいことにした。本当らしさ。今日の日記は、最初から、本当らしさを意識して書いた。いちばんは、昨日の「森とそり」みたいな日記こそ本当らしく思ってほしいの。本当だから。そのためにはもう少しがんばって普段から本当らしいことを喋っておくべきかもしれないと思った。雨の話・コーヒー豆の話は、夢じゃなければすべて本当。

2021/06/13 森とそり

好き!を発動してかわいこぶってしまった。よくない。しかし、かわいこぶったところでかわいいと思ってもらえていないだろうから、だいじょうぶ。わたしのまつげは、近くでよくよく見ると、一本一本がクリスマスツリーになっている。愛しい人は、わたしのクリスマスツリーの森を歩く。夜。空を見ると、サンタクロースの乗ったそりとそれを引くトナカイたちが、すっと弧を描いて飛んでいる。ふたたび近づいてよくよく見ると、わたしの眉毛の上では、サンタクロースの乗ったそりをトナカイたちが眉に沿って引いている。わたしのかわいこぶりかたは、こういうこと(どういうこと?)。あなたこそ見つけてねと願っても、未だその誰もわたしの森とそりを見つけていない。

2021/06/11 思い出

久々に、大学時代に住んでいた街を思い出した。想っていていい街があることを思い出した。これから、想っていていい人たちのことも思い出せるだろうか。そういう人たちが私にはいるのだろうか。思い出さなくてはいけない。
3日前の日記はひどかったですね。変なテンションのあがりかたをして、よくわからないことをわーーーっと思いつきで喋ることがある。私の悪い癖。いまの私はどうやら、思い込みをなくさなくてはいけないという思い込みが強い。日記を書くことでそれを自覚できたのはよかったかもしれない。

2021/06/10 合唱

Nコンで伴奏を頼まれている学校から、自由曲が決まったから楽譜を送りますと言われ、家にあったので結構ですと返したところ、変えたテンポを書き込んだ楽譜を送りたいとのことだったので、お願いした。というのも、コンクールでは時間制限があり、5分くらいかかるこの曲を4分半におさめなくてはいけない。30秒を詰めるのはかなり無理があることなので、曲名を伺ったとき当然カットがあるのだろうと思ったのだけれど、まさかのテンポアップで歌うとのこと…。できるの?!
その楽譜が今日届いた。原譜に書き込んだものだろうと思っていたら、打ち込み楽譜で、rit.(だんだん遅く)やtenuto(音を保って)のところまで数字で細かく指定されている。ウッドブロックで四分音符が延々と打ち込まれている。嫌な予感…。打ち込んだ楽譜の音源付き。意を決して再生してみると、嫌な予感的中。機械的な音楽。それも高速再生で聴いているかのよう。数字上では4分22秒になっているのだけれど、音楽としてこの曲を演奏してその数字通りにできるとは到底思えない。できたとすればそれはもはや音楽ではない。作曲者の意図もまるで無視している。さすがにこれは提言すべきだよなぁ。このテンポでできましたか?と聞いてもできましたと返されそうで怖いので、音楽的に歌うにはこのテンポでは不可能だと思いますと言おう。ついでに、毎日練習に行けるわけじゃないので、私が伺うときは合わせを中心にしてくださいと言おう。前回(2年前)行ったとき、ピアニスト(私)がいるのにパート練の時間をたくさんとることが多くて、ちょっと信じられなかったので、今回は言っておこう。前回もうっすら言ったのだけれど、理解していないようだったので、はっきり言ったほうがいいだろう。
音楽家の私たち(たち?)からしたら信じられないようなことばかり起きているのも、音楽が専門じゃない(どころかそんなに好きでもなさそう)な先生が顧問だからなのです。音楽の先生は大抵、吹奏楽部の顧問になり、合唱部は国語とか英語とかの先生が多いイメージ。やらされてかわいそうっちゃかわいそうだけれど、同情する以上の被害が合唱界…のみならず音楽業界に及んでいるのが事実。いま私が、音楽を守らねばならない!(強気でいないと、しんどい。)

とまぁ、愚痴がすごく長くなってしまったのだけれど、私は合唱の伴奏が好きなのです。だから、話があれば(たとえ薄給でも)大抵引き受けてしまう。合唱の伴奏は、好きでもあるし、私のピアノの礎になっていると思う。高校生までの間、クラシックピアノの王道(ブルグミュラー25→ソナチネ・ツェルニー・バッハ→ソナタ・ショパン)を真面目に歩みつつ、学校で合唱の伴奏をたくさんした。歌った曲より弾いた曲のほうが多かったと思う。家で合唱曲集(『MY SONG』)を片っ端から弾いてみたりもしていた。そのときは、兄たちが歌ってくれる。だから、合唱の伴奏が、私の礎として大きな部分を占めているのは確かだ。
好きな理由ということで言えば、「音楽は聴いた人のもの」ということを考えると、合唱の伴奏はかなりおもしろいと思う。合唱が好きな人は大抵、「歌うこと」そのものが好きだったり「合わせる」ことが好きだったりするのだろう。私も歌うときはそうだ。伴奏者として関わるときは、自分の心持ちも独得だ。他の音楽にはなかなかない立場だと思う。ピアニスト単独の立場ではなく、「指揮者とピアニストの関係」が、他の音楽にはあまりないような気がする。
私は基本的に指揮者という人たちをとても尊敬し信頼している。ありがたいことに、いままでひどい指揮者には当たったことがない。それは、そもそも指揮者になれる人が限られているからだと思う。どんなに勉強してもなれない人はなれないのだ。素質がいる。あるいは後天的にその能力を身につけるか。私にはなれません。でも、指揮者の意図をくみ取って(言葉で話し合うときもあるし、親しくなってくると目とか感覚で分かるようになってくる)、すり合わせて、音楽をするのが楽しい。私の役目はそっち。吹奏楽やオケにも指揮者がいるけれど、それらにホルンで乗っているときとは、全然違う。オケでソロをするときなんかとも違う。合唱という形態が、自然と、そして必然的に、指揮者とピアニストの独特な関係を生んでいるのだろう。
ピアニストとして指揮者とのコミュニケーションがうまくとれて、歌が耳に入ってきて、ピアノを弾くとき、今しているこの音楽が、私のものでも指揮者のものでも歌い手のものでもなく、聴いた人のものだと思える。どういうことかというと、そういうとき、私はもう、いろいろやらなくていいのだ。もちろん考えずに弾いているわけではないし、私たちがやりたいようにやっているのだけれど、そこに熟れた音楽があって、その実を摘んでいるだけ、というような感覚。この感覚は、もしかしたらもっといろんな音楽で持っている人もいるのかもしれないけれど、私の場合は、合唱のピアニストをするときに、強くある。ピアノソロの時も、こう弾く!わかる!と思える時があるけれど、それともまた違う雰囲気なのだ。
歌の人たちのいないところで、指揮者とピアニストだけで、音楽について相談したり合わせをしたりすることがある。先日、指揮者の先生とうちでピアノ合わせをした際に、先生が「ここはaちゃんと僕とでうまくコミュニケーションとっていきましょう~」と仰り、その言葉を聞いて、私が感じていた独得な雰囲気はそれだ!と思ったのでした。
大したことは書いていないのに、説明(蛇足)が多すぎて長い日記になってしまった。そして、愚痴が長かった…。

2021/06/08 好きな人

髪が伸びてきた。小2の女の子にも「長すぎでしょ」と言われ「もうすぐ本番があるから、それまでは伸ばしてるのよ」と答えておいたが、やはり長くて面倒だな、と自分でも思う。6月末と7月頭の本番が終わったら切る。それまでに髪を切るハサミを買おう。前回は、髪を切るハサミがなくて、紙を切るハサミで髪を切った。
今日は、久々にうしろで編みこんでラプンツェルみたくしていた。伸びすぎているときは何となくこの髪型にしたくなる。数年前、この髪型をしていたら「(自分の後頭部)見えるの?」と本気で聞いてきた人がいたことを思い出す。その質問がかわいくてめちゃくちゃ好きだった。その人は、自分はやったことがないけれど、どうにかすれば見えるのかもしれない、と真剣に考えているような目で私を見て、それがとてもかわいかったのでした。見えるわけないじゃん!と笑って答えると、そうだよねと神妙な顔でうなずいたのも、かわいかった。その時の私はたぶん、その人のことが好きだったと思う。
最近は、長年してきた思い込みを少しずつなくそうと思っている。いろいろな思い込みのひとつに、誰かのことを好きだという思い込みがある。仲良くしている(いた)人たちとの様々なシーンを思い出して、そのシーンを好きだなぁと思う。ある人とのシーンをいくつか思い出した時、そのどれもが好きならば、その人のことを好きということになるのだろうか。ある人がいなかったシーンで、ある人を思い浮かべることで、それがある人と私の素敵なシーンになり、そのシーンを私が好きだと思ったとして、それは、私がある人のことを好きだということになるのだろうか。
反対に、私のことを好きだと言ってくれる(あるいはそういう仕草をする)人たちは、私の何を好きなのかしらと思う。自分で考えてみても「私」なんてものはないのだ。私は、いるけれど、ない。だから別に私のことを好きなのではないと思う。だって、ないのだから。その人が何かして、私も何かする、それで生まれた時間を好きなのでしょう。時間を作るためだけに、私はいる…。だから、もし私のことを好きだと言い張るのなら、時間を作る私のことが好きだということになる。それ以外に、私は、ない。
というわけで、長年、誰かのことを好きになりすぎていないかと心配していたことは、解決された。この5月頃から、信じていた人のことを信じていることについて、難しいと思う(…というか間違っているような気がする)ことが時々あるのだけれど、それも解決された。誰かのことを好きという現象(?)など、そもそもなかったのだ!でも、私はこれからも「見えるの?」の質問を好きでいる。聞いてきた人のことも覚えている。覚えていて、時々思い出す。それは、次に会ったときにちゃんと笑っていられるように、適度に甘えても(神様に)許されるように、口実を作っているということです。

2021/06/05 所有の発想

少し前に「音楽は聴いた人のもの」と言うフレーズを聞いて、(その通りだ!)と強く思ったのだ。しかし、どこで誰がおっしゃったのか思い出せず、ソースを探しているが見つからない…。夢だったのだろうか。岡田淳さんも「読書というのは、読者のものです。自分はこう読んだというのが、すべてなのです。それでいいのだと思います。」とおっしゃっている(→出典)。
「所有」する時代の終わりが来た。サブスクとかいう話ではない。モノの話でもない。なんなら私の部屋はモノで溢れかえっている。本やCD、DVD、写真、置物、瓶…いろんなモノたちが絶妙なバランスで積み重なったり支えあったりしている。私は今、その真ん中に座っており、強い地震でもあれば全てに埋もれて死ぬだろう。これらのモノたちだって私は別に所有していません。所有するという“発想”は、もうおしまい。所有というのは、した瞬間からもう二度と変わることはない。だから、目に見えるものや変わらないものは所有しやすく、みんな、そういうものを所有してきた。目に見えるものや変わらないものは、たしかにある。それだけでよかったのに、所有してしまった。もう所有しなくてもいいのだと思うと、今とても自由な気分です。みんなもそうしたらいいと思うよ。いや、みんなでそうしなくちゃいけないと思う。
所有する時代が終わったと言うと、じゃあ何の時代が来たのかと聞く人が必ずいるが、新しい別の時代(例えば共有とか)にとってかわったわけではない。ただ、所有する時代が終わっただけ。「所有」があった場所に他の何かは必要ない。つまり、所有などという発想はなくてもいいものだったのだ。あるいは、ずっとなかったのに、みんなで、あると思い込んでいた。そう、みんなで、です。みんなで思い込んでいたから、これまではあったのだ。
音楽を聴き本を読み、それらを自分のものにすることは、所有ではない、と私は思う。所有せずに自分のものにするだなんて、難しいことではある。だからこそ、自分の音楽・自分の物語を知っている人は、強い。それが、すべて、だから。所有という発想が生まれた頃、その「所有」は、当時の世の中にいい形で関わっていたのだろうなと思う。その後、手を抜いてみんなで作り上げてしまった今ある「所有」が、私には苦しすぎる。今度はみんなで、音楽や物語や…それぞれに何でもいいから、それらを正しく自分のものにしていくしかない。既にそうしている人たちもいて、そのことをとても心強く思います。でもその人たちはまだ「みんな」になっていない。みんなで、手を抜かずに、やっていきたいものです。それで世界がよくなるか分からないけれど、私が助かる。私を助けてください!私が間違っていて世界が滅亡するというのなら、そう言ってください!

2021/06/02 世界平和のため

昨日の日記に、少し追記しました。おわりの4文。わたしが誰かとめちゃくちゃ仲良くしていると勘違いされそうだったので、そうではないよということ。まぁ別にわたしが誰かと仲良くしていてもだれの知ったことでもなく、自分に言い聞かせるため、という理由が大きいのだろうと思います。
ニュースを見ていて、「なんのためにするのか」という言葉が引っかかった。しばらく真面目に考えてみて、「世界平和のため」でしかないだろうと思い至った。それ以外には、なんのためでもないのだ。なにかをしたりしなかったりすることがだれかの意思だとして、「なんのためか」という問題は、だれかの意思とは関係がない。好きですと言えないと昨日の日記に書いたけれど、言えないなら言わなければいいのでした。単純な話。わたしは好きですと言うために誰かといるわけではない。なにかのために誰かといるのではないはずだ。それでも強いて言うならば、世界平和のためでしかない。
でもあまり頻繁に「世界平和のためです」などと言っていると、世界平和とは?という話を難しくする人が押し寄せてくるかもしれない。こわい。だから何も言わずに、トイレのスリッパをそろえることからまた始めようと思います。

2021/06/01 冷たい

冷たくしても許してね。今、ちょっとでも優しくされたり手を差し伸べられたりしたら、甘々に甘えてしまうと思うから、そうならないように冷たい人間でいます。むかしから冷たいねってよく言われてきたのに、最近は言われていないな。冷たいねって言われることで、わたしは誰かのことを好きになりすぎていないんだと安心していた。気を抜いたら大好きになって、甘々に甘えて、鬱陶しがられて嫌われるかもしれない。でも考えてみれば、これまではたぶん、嫌じゃないから嫌われなかったのではなくて、そもそも別に好きじゃないから嫌いになることはなかったのだろうな、と思う。無理してる?と尋ねられたりそう思われていたりする時、たとえ多少無理している部分はあっても、好きなんです…と言う勇気が、わたしにはない。わたしのことを知りたいとかまた話そうねと言ってくれる人に、短いメッセージを返した。すこしさみしくて地球の絵文字をつけたのは、よくなかった。でもその人もわたしのことを好きでそう言ってくれているんじゃない。わたしが冷たくするから、わたしに嫌われたくないのだと思う。みんなは、嫌われる前に好かれるということをちゃんとする。わたしは、無理してる?の問いに、はいかいいえでしか答えられないでいる。

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