雨やどり


管理人室 -- 日記 -- 2020/10
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2020/10/31 旅の途中
2020/10/30 雨やどり
2020/10/27 2音
2020/10/23 友達がいない
2020/10/20 からだのこと
2020/10/13 狂い咲き
2020/10/12 日記のつづきの続き

2020/10/31 旅の途中

出がけ、午前中まで小指にしていた指輪がないことに気づく。あれはお守りみたいなものなのだ。旅のときや知らない場所に行くときはいつもしている。いろいろしていたからいつかとったのだと思うけれど。諦めて家を出る。
夕方、畑の中の学校から散り散りに帰っていく中学生たち。わたしの街だってそうなのだけど、電車の中から、上から、少し離れた街のそれを眺める。朝には集まってくることを思う。もう間もなく松本駅で降りる。

Kという小さな飲み屋へ。松本に来たときには顔を出すことにしている。カウンターのみの6人か頑張れば7人の店にすでに常連のおじ(い)さんばかり4人。わたしがいる間にひとり帰って別のひとりが来た。
「(みじかい愚痴ののち)ここにくれば正しいと言ってくれると分かっている。そのことが救い。」愚痴の内容については話が広がらない。そういうものだと本人も周りもわかっている。
「喋るのと無口どっちも大事。」「喋るなってことかえ?そりゃマスターが言うことだ。」「マスターは控えめだもんで。」「そうだな。」「ははは。」「どんなに落ち込んでいてもここにくるとよくなるの。だから、俺もここをそういう場所にしてるの。とうちゃんが喋ってるとき、俺、黙ってるでしょ?」「喋るのも無口も大事だが、聞くのがいちばん大事(かわさん)。」端に座っていたかわさんの声はそのときは届かなかったようで、「まるで聞いちゃいねえわ。笑」とマスター。これは、そこにいる全員が参加した会話。
電車の時間になりわたしが席を立つ。みなさんが口々に声をかけてくださる。それに対しておひとりが「また来てねと待ってる、どっちが濃いい?」もう少しここにいたかったが、約束がある。こういう時、やっぱり約束などつくらないほうがいいと思う。
常連のおじ(い)さんしかいないのだが、みなマスターを慕い、店を慕っている。店の雰囲気をみなで守っている。しかし頑なにもならない。頑固な人が多い土地でのこの景色は希望だ。だれもがここに来ると心地いいと言った。そうなるようにみなが計らっている。それも自然な言葉や態度で。若い人も遠い人ももっとみんな通えばいい。そうでなくちゃもったいない。

駅までの道、店の人がみな暇そうに外に立っていた。金曜日の夜だというのに。松本駅にて、あずさに乗って行ってしまえたら良かったと思う。

大人になるということは誰かに何かを与えられる人になることです。中学生の頃、校長先生がそういう話をした。大人とになるという部分はいったん置いておくとして、何かを与えるのほうについて考えた。Kというお店で、そこにいた全員からいい影響を受けとても楽しかった。わたしは笑ったりホォと言ったりするばかりで、何も与えていなかった。いや。わたしが帰ったあとでまた来てねと待ってるどっちが濃いかという話が膨らんだのは少なくとも、わたしがいたからだろうかと思い至る。
姨捨駅がスイッチバック駅(この言葉も調べて初めて知った)だと初めて知った。夜景がきれいだ。善光寺平は広いのだなあ。それにしても深夜の電車に乗っている気分だ。東京なら、この空き具合とみなさんのダレ具合は終電近い。まだ19:15である。

長野駅。ICカードが使えないことを失念していた。4000円チャージしたのに…。普段使わないから使う分だけをチャージするようにしている。
兄の奢りでうなぎを食べた。お吸い物に肝が入っていた。なん年ぶりかに満腹を味わう。兄宅にて、リュックの底から件の指輪が出てきた。荷造り中に落としたのかもしれない。よかった。諦めていたけど、ずっとお伴してくれていたのだ。
お風呂を出てゼリーやらアイスやらを食べながら明日の相談。深夜の気分を引きずっているがまだ22:10であった。さらにグダグダし、しかし23:00には布団に入る。

夢をみた。わたしのことを友達の誰かが「ながらの人」と言った。あの人はピアノ弾きながら考えたりする、と。とても嬉しかった。その人にもそう伝えた。夢から覚めてしばらくして、夢の中や覚めてすぐほど胸が高鳴ることはないが、落ち着いて、嬉しかった理由を考えた。このメモ日記を書きながら。目や耳や頭や指先まで、いつだって敏感でいたいのだ、たぶん。現在7:18。兄もまだ寝ているし、わたしもあと30分くらい寝ることにしよう。

9時に兄の車で出立。と、その前に、右に3回曲がったところの郵便局で手紙を出す。しばらく車で進んだところでPというパン屋に寄り、遅めの朝ごはん。
紅葉を見るためではなく、歩くためにここまで来た。高瀬渓谷。ダムのある渓谷。自家用車乗り入れ禁止区間は、タクシーも走っていたが歩く。のぼり5.5kmを1時間弱。トンネルが暗く怖かった。オバケが出そうという意味で。前後にもほとんど人がおらず、兄が一緒で本当によかった。ダムとそこから片道30分弱のところにある滝を見る。滝の近くは少し高くなっているところに細い道があり、落ちたらと思うと怖かった。あたりは広すぎて目眩がする。時々こうして怖いと思うものに立ち向かっていきたいと思った。分かりやすい形で勇気を出すことだって、じゅうぶんにわたしを強くしてくれるはずだ。くだりはタクシーに乗る。まだまだ歩けたが、遅くならないうちに街を少し巡りたかったので。

13:45頃、Mというお店に入る。ここはみんな行くべき。何から何まですてきでかわいい。雑然としたまとまりがある。魔女の飾りや人形が多くあった。お店をやっている女性も魔女だろう。しばらくして散歩から戻ったもうすこし歳を重ねた女性も魔女に違いなかった。

信濃大町駅前の市営駐車場に車を停め、周辺をぐるっと歩く。ほとんどシャッターストリート。土曜日の15時すぎとは思えない。Cという喫茶店に入る。駅前にある喫茶店ふたつもチラチラ見てから来たが、この店の前まで来て、ここに絶対に入らなければと直感する。予想通り、入るべきお店だった。本があちこちに積み重なっている。壁にぺたぺたとシールが貼ってある。コーヒーといっしょに煎餅を出してくれた。

大糸線ももちろんICカードは使えない。家の最寄りまでの切符を買う。日が沈んだ。家の最寄り駅に着く。リュックの底に押し込めてあった上着を出して着る。家までのんびり歩きながら、今回の旅を思い出しながら、「人のことを想う」ということについて考えた。これはまた別の日記で改めて書くことにする。

毎年、秋休みをつくって西に行く。去年もおととしもハロウィーンは神戸にいた。今年はそこまで遠くへは行けなかったが、こうして動いていなくちゃいけないと思った。そのうちまた、どこへだって行く。この日記は、旅の途中でスマホのメモにぽちぽちと書き溜めたもの、ほとんどそのまま。お店の名前は気軽に言うのがはばかられてイニシャルに変えました。

タグ: 旅 

2020/10/30 雨やどり

春、本当のことしか話せずにいる時間が長かった。もともと虚言癖があるとかいう話ではない。いつだってファンタジーを思っていたいという話だ。本当のことばかり話していた場所を、これでひとくぎりにした。特別な思いはなかったけれど、思い返せば特殊な時期ではあったかもしれない。これまでもこれからも何も変われないのだという絶望と、素敵なものも変わらずにあるのだという幸福を覚えておかなければいけない。

2020/10/27 2音

日曜日、駒ケ根の山中で練習するにはさすがに気温が低かった。みなさん寒がっていましたが、寒いなんてのは思い込みなので、べつに寒くはなかった。寒くなくとも気温は低いので、手が冷たくなって困った。練習予定だった場所が19の影響で使えずにこういうことになっていたのだけれど、11月からは使えるそうです。駒ケ根にはもうしばらく行かない。道中、I市で見かける「軽食喫茶A」の古い看板がかわいくていつも気になっていた。もうとっくにやっていなそうなのだけれど。この合唱団の12月の本番は今年はやらないことになった。
先生と並んで歩いて、新しいレッスン棟が完成したからそのうち遊びに来てくださいと言った。おなじ市に帰るのに「気をつけて帰ってね」と言われるのは不思議な感じがする。ようやくちゃんづけで呼んでくれるようになった。先生のことが好きだ!信じていい人だと思える!わたしは全員ではないみんなのことが好きだし、全員ではないみんなのひとりとして先生が好きだ!これまでもこれからもみんなのことが好きで、もう誰のことも好きじゃないと思う。せめてかわいくなりたい…。

いまの教室を「1音」、新しい教室を「2音」とこっそり呼ぶことにした。学校ぽくていいら?2音の家具をいろいろ探している。「子供部屋」をつけて検索するといいものがいっぱい出てくることがわかった。角がなくて背が高すぎなくてかわいい。そういうわけで2音はかなり子供部屋っぽくなりそうです。子供部屋といえば、弟が小さいころちゃんと発音できずに「ぼーべー」と言っていたのがそのまま我が家の子供部屋の呼び名になった。いまだに「ぼーべー」って家族みんな言うかも。

最近、気づかないうちに世の中の「ないのにあると思い込む流れ」にのまれかけていたのかもしれない。ないものはない!と強く思っていよう。口にすると寂しくなるから、思うだけにしよう。

2020/10/23 友達がいない

昨夜は気が動転していた。浮かれた気分で大学までの友達と繋がっているインスタに数億年ぶり(魔女なのでそのくらい歳をとっている)に投稿したところ、みんな見てくる。投稿すれば見られるのは当たり前なのだけれど、みんながみんなというひとくくりでしかなく、さすがに気持ち悪かった。みんな知っている人のはずなのに、誰だよと心の中でツッコミ(?)を入れる。
結局、ひとり×n(n≦3)しか思えなかった。大学までの友達で未だに頻繁に連絡をとったり近くまで行けば会ったりするのはほんの数人で、その人たちのことを思い出していた。また会えたらいいねと空に話しかける。そういう夜のはずだった。
ほかのみんなはもう知らないどこかへ行ってしまった。そう思っていたのに、私以外のみんなはまだみんなとしてそこに生きていた。見つけなくてもよかったのに見つけてしまった。

友達がいないという気分が強くなる。みんなはちゃんとみんなと友達でいつづけているのに、私は勝手にそれをやめてしまう。それでまた勝手に寂しくなる。
でも、思うのである。こころから信じている何人かが私と同じ世の中にいて、私がまた戻って行ってもいい場所に生きている人がいる。友達がいないという気分はその反動なのではないか。だとすれば、我儘ばかり言ってられないね。

2020/10/20 からだのこと

自分ではよく分かっているつもりである。よく分かっているし、以前と比べてそんなに変わったことはない。つもりだけれど、やはり体力は少し落ちた。
私は教える仕事をしていて、月曜から日曜まで毎日生徒が来る。こういう仕事をしていると子どもが好きだと思われがちだが、そういうわけでもない。かと言って嫌いなわけでももちろんない。すぐに波長の合う子もいれば、気の合わない子もいる。しかし区別なく仲良くなりたいという気持ちがある。そうやって接する。
そういうことをしようとすればするほど、エネルギーはいる。ピアノを教えるだけであとは何も考えなくていいのなら、もっと楽だろうなと思う。あるいは、みんなと仲良くすることではなく、みんなに厳しくするだとかみんなの何か(たとえば集中力や想像力?)を育てるだとかいうことを思っているのならもっと楽だったろう。
余談。育てることなどできないとはずっと思っていたが、あるとき、奪うことだってできないよと言われ、はっとした。大人の傲慢だと、はっきりその言葉で言われたかは覚えていないけれど、そういうようなことを言われ、とても恥ずかしく思った。

仕事として動いている時間はたしかに私をつくっている時間だ。でも、それきりになるのはけっこうしんどい。疲れたり迷ったりする。だから、学生の頃のように日常的にもっと散歩をしたい。その体力が足りなくなった。最近、もう私にはお茶を飲みながら語りあう相手がいないのだと思った。喫茶店でひとり、コーヒーを飲みながらはぁ~なんてカッコつけているのも幸福には違いないのだけれど、些細で美しい話をしばらく誰ともしていない。歩いて、途中でベンチに座ったりお茶を飲んだりしながら、また歩く。そういう想像をする。隣には誰かがいる。誰だろう。見ようとするがどうしても見ることができない。

2年前まで、食べられないと思ったことが一度もなかった。病気のときでさえも食欲はあった。2018年10月、無理に食べたら気持ちが悪くなった。それでここに日記を書き始めた。その日の日記も記憶にある。2019年10月、食べたくなければ食べなくていいとようやく思い至る。2020年10月、気がつけば1年前より6~7㎏痩せている。
食べる量が半分以下に減ったのだからそりゃ体重も体力も落ちているはずである。それでもまだ、ずっと歩き続けつづけられると思う。だからそんなに変わっていない、つもりだ。眩暈とはうまく付き合っていけばいいし、生理はそのうちくるだろうし、体重が減っても長く歩けるうちは気にすることもない。むかしから耳が外からの刺激に弱いから、冷やさないようにしてマスクのゴムにも気をつける。おでこが広い。風が吹いてくるとき、うつむくと余計広く見えるから前を見る。

私は私自身のからだのことを本当によく分かっていると思う。まだ歩けるし歩きたいことが分かっている。だから、散歩に誘い出してほしい。風でも太陽でも、季節でも匂いでも、花でも川でも、言葉でも人間でも、何でもいい。散歩する用意はすっかりできている。すべて調っている。調ったまま待っている。なぜ待っているのかだけが分からず、散歩の想像ばかりしながら、ぼんやりしていることが増えた。そうなっているということもよく分かっている。これが、体力が足りないということなのだということも。体力がないから待っているのだろうか。そうではない気がする。いや、そうではないと願っている。

2020/10/13 狂い咲き

眩暈には慣れてきて、といっても眩暈自体にではなく眩暈になることにという意味だけれど、眩暈が来そうなときはスマホやパソコンを見るのを控えている。眩暈が来たら息を深く吸って頭をあまり動かさないように心掛けている。

昨日今日と調子がいい。小石川植物園のHPを見た。行けないかわりにHPの「開花状況」をよく眺めている。数日前の開花状況のところに「春の気候に似ているため、ツツジ類やサクラの仲間では狂い咲きが所々で見られます」とあった。狂い咲き。いい響きだ。
自転車で仕事に行くと「自転車日和だものね」と言われた。今日のような暑くも寒くもない季節のよく晴れた日、私はすこし寂しくなる。秋晴れの日を一緒に過ごしたことはないけれど、春の晴れた日には何度も隣を散歩した。春と秋とで、ある一日や一瞬を切り出したときにどう違うのか明確には言葉で言えない。だけど寂しくなるのはきっと、春みたいな日のほうなのだろう。そう思った。

寂しいときにどうしたらいいか分からなくなって、泣きたい気持ちになるけれど泣かない。そうして結局何もせず、ただ寂しい。何かをするのは、どんなことでも勇気が要るものよね。
日頃から、自然でありたいという思いが強い。それで、野菜や果物を皮をむかずに食べたり、髪は自分で切ったり、車にはなるべく乗らないようにしたりしている。寂しいとき、何かをすることも何もしないことも不自由で不自然のような気がしていた。花はそんなとき、狂い咲く。ならば私もそうしてみよう。人間(みなさんがどう思っていたか知らないけれど実は私は人間なのですよ)が狂い咲くということがどういうことなのかということはよく考えなくてはいけないね。春の思い出を抱いて、よく考えて、狂い咲いていこう。

2020/10/12 日記のつづきの続き

昨夜すこし話したことをあとで思い返した。ここ最近ずっと口を閉じて考えていることを口に出してみてよかった。話すことは書いたり思ったりするよりも取り返しがつかないことだ。わたしは昔から「あの時ああ言えばもっとふさわしかったかもしれない」などとよく思うのだった。みんなのことも、見るよりも触れるよりも耳が一番よく覚えている。そんなわけで、話したあとで、自分が言ったことについて思い出して考えた。

何を教えているのかということは、自分でも言った通り、ピアノあるいは音楽を教えているということでしかなかった。わたしは何をしているのだろう、と勝手に途方に暮れていただけだったのだと思う。何もできなかったと思うときがあると言ったけれど、ならば何かを成し遂げたいかと言われればそういう感じでもない。 ピアノを教えている以外には、みんなと関わりを持っているだけで、そこに意味や理由を見つける必要もない。
みんなと一番すてきに関わっていたいなと思います。ならばどうして、わたしは何をしているのか、という気分(もう本当に気分でしかない)になったのか。ちゃんとできているかと不安になっただけ、だったのかも。それも、わたしひとりがどうこう思うことでもないはずなのに。レッスン以外で人と会って話したり誰かと歩いたりすることを最近ほとんどしていないせいもある。眩暈気味なのでPCやスマホを見るのも控えており、遠くのみんながもっと遠い。近くても遠くても、みんなとすてきに関わりたい…。 みんな(全員ではない)のことがとても好きです。

外の音楽教室は来年度まではつづけて、それでもできないと思ったら辞めるしかない。今のところはそう思っている。しんどいと口に出して言ってみて、本当にしんどいなと思った。不自由というよりいろいろが不自然。だけどもうちょっと考えたい。そのうちやめると思っていたうちはなんとかやっていたけれど、いよいよ差し迫って(?)きた。

音楽やピアノがわたしにとっていちばん自然なことだと言ったのを思い返して、心の底からそうだと思った。なるべく車に乗らないとか髪は自分で切るとか着る服は作るとか少し前に決めたことに、果物をやたらと切ったり皮をむいたりしないことが加わった。梨や柿はもちろんキウイもそのまま食べます。どれもとても自然なことだし、そういうことしかわたしは続けていけないのだと思う。

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