雨やどり


管理人室 -- 日記 -- 2018/10
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2018/10/29 チョコチップクッキー
2018/10/27 もう直ぐ旅に出ます
2018/10/26 巨峰の味の梨
2018/10/25 ヘミオラ
2018/10/24 ハロウィーン
2018/10/23 老人
2018/10/22 冷たい
2018/10/21 夜ではなく朝
2018/10/20② 犬とウサギ
2018/10/20① 病気
2018/10/19 公園は楽しい
2018/10/18 奇跡
2018/10/17 あの頃の話

2018/10/29 チョコチップクッキー

泣いている人がいた。送別会。寂しくなるねと泣いていた。私達は昔、そんな事では泣かなかったんじゃないっけ。
赤ちゃんがいた。赤ちゃんはいつだって肯定されている。私は、赤ちゃんや子供にだって、本気でツッコミを入れたいなと思う。
夢の中にいた。友達とアイスを食べながら川沿いを歩いていた。アイスに川…あまりに俗っぽい。オマケは勿論、恋話だった。
店の人は仮装していた。世間はハロウィーン。デパートではクリスマス。じゃあ私にはもう直ぐお正月が来るのかな。
ずっと笑顔を貼り付けていた。そろそろ頬の筋肉が割れてもいい頃だと思う。いつ泣けばいいんだろうか。何に怒ればいいんだろうか。悲しみはどこにあるんだろうか。
今日あった確かな事は、チョコチップクッキーが美味しかったことくらいだ。それなのに他の些細な出来事ばかり愛しい。愛は、存在の肯定ではなかったのか?いつからか違っていたみたいだ。愛は…愛は…?

2018/10/27 もう直ぐ旅に出ます

来週は旅に出る。火曜日の昼過ぎに発ち、土曜日の朝に帰る。予定は未定。神戸には行きたいな。神戸は一度だけ行ったことがあるけれど、とてもいい街だった。人も良かった。私の横には一緒に歩いてくれる人もいた。今度の旅は基本的にひとりぼっちだ。ひとりは楽しい。内輪という言葉が生まれる空間があまり好きではない。各地に住む友人に会う時間もある。ついさっきようやく連絡を入れ始めた。ずくなし&筆不精の極みなのだ…。(ずく というのは方言でやる気とか根気とか根性みたいな意味なのだけど、標準語ではやはり表せない…ずくはずくだ。)知らない土地で知らない人をぼんやり眺めて、もしかしたら少し話したりして、時々知っている物や人に行き着いて。何も考えずに昼間から酒を飲むような散歩がしたい。神戸の街は美しかろうな。他にはどこに行こうかしら。
そんな旅自体も楽しみだけど、旅の終わりは少し長い。何処かから帰る時、朝着くように仕向けることが多い。9時に着けば喫茶店のモーニングにちょうどいい。完璧だ。このために旅をしている節は大いにある。戻ったその場所は多分かなり寛容でいてくれるはずだ。今のところこの期待が裏切られた事はない。帰る場所など本当は無ければいい。全くもって要らない。そこには束縛しかない。だけど、戻る場所があるというのはかなり心強いと思う。馴染みの喫茶店とか。神戸だって然り、私はあの日に戻って行くつもりでいる。
旅は戻っていかれる場所を増やすためにするんだろうか。場所という空間には必ず人もいる。というより、人が場所になる、という方が適切だ。そしてまた旅をして戻って行くんだろうか。私も誰かの戻る場所になれるだろうか。そもそも旅という言葉の発音は、かなり明快で勢いもあり泡が弾けるみたいだ。

タグ: 旅 

2018/10/26 巨峰の味の梨

帰り道、4台前の車を3台前の車が煽っていた。ピッタリくっついて走っている。カーブの度にふっとそれが見える。立体視をしている時のような気持ちになった。苦痛も快感も結局は同じこと。私は立体視が得意だ。
多国籍バーの前を通りかかり、なんの要素が多国籍なのかしらと思った。そりゃまあ料理だろうなと思い調べてみたらやっぱり料理だった。料理じゃないものが多国籍だったらいいな。すべてが多国籍になったらいい。私が行ったら多国籍に大いに貢献したい。だけどそれって一体どういう状況なんだ。
ついさっき食べた梨は巨峰の味がした。梨は噛む時シャオという音がする。口内炎に少し滲みた。
そういえば、中学生に遊園地のお土産をもらった。幾つかの色柄がセットになっているペン。あの頃、どれを誰に渡すかは重要で心躍る問題だった。
地球が回っているのは本当なんだろうな。すべてが目まぐるしい。だけど、変わっていくのではないのだと思う。繋ぎ目を見逃したくないなと思った。

2018/10/25 ヘミオラ

この世界でのタブーに無知な人間。私の心の中にいる私という私が全員で、大爆笑した。爆笑というのは大勢がどっと笑うことを言うらしい。一人では駄目なのだ。今日は可愛い服を着ていた。よく似合っていたと思う。髪型もキマっていた。今日の私の態度は高慢だっただろうか。三拍子を2小節まとめて大きい三拍子にするやつ、なんて言ったっけ?誰も知らない。ああ、そうだ、ヘミオラだ!私はヘミオラが大好きだ。きっともう忘れないよ。喋りたい。ダサくない生活であってほしい。

2018/10/24 ハロウィーン

朝起きて死と自己についてのコラムを読んだ。面白くなかった。真相は何も分からなかった。仏教に救いはありません、てとこだけは面白かった。がっかりだしたのでもう一度寝ることにした。数時間後再び起きて仕事をした。勤務時間外も働いていて偉すぎる。
お昼になったので喫茶店に行き、カレーを食べて珈琲を飲んだ。仕事の続きを少しして(偉い)、本も読んだ。こういう場所があることは生命力が完全に無くならない助けになる。前回同様に自転車で行くと、喫茶店のママが、今日も自転車?と聞いてくれた。こんなことでもまた生命力がみなぎってくるようだった。まっすぐ家に帰らず自転車をしばらく乗り回した。暖かい日だった。少し汗ばんで、また生命力が溢れてくるのを感じた。日中はかなりゴキゲンに過ごした。
夕方。人間という生物に対して激しく不満に思うことがあった。指先がすうっと冷たくなっていく。かなり嫌だった。だけど、なんだかハロウィーンパーティーのようだな。そう思ったら、あまりに愉快で滑稽じゃないか?あはは。楽しそう。笑える。トリックオアトリート!帰りの車で泣きそうになったけど、うわー嫌だーと叫んだら笑ってしまった。やはり私にはサイコパスか躁の素質がある。もう少しのエネルギーと適した環境があったら存分に発揮されているのだと思う。だけど、エネルギーも環境もない。多分この先もずっと。今日はいつもより少しだけ生命力が多くあって、ふわふわと気持ちが良かった。
実際、気に病むことは何もないのだと思う。思い返すと何ら大したことはなかった。家に帰ってからまた仕事をした。今日はよく働いた。明日からも無事、社会で生きていきそう。(無表情)

2018/10/23 老人

7時に一度目が覚めて、気がついたら8時だった。その次に気がついたのは8時21分くらいだった。起き上がって身支度だけ整え、ぼんやり新聞を読んでいたら家を出る時間になってしまった。お坊さんによる死と自己についてのコラムがあったが、読み損ねたまま家を出た。米国のINF条約脱退とか障害者水増しとか、そんなどうでもいい記事よりも、そっちを先に読めば良かった。私は自分の生活だけで精一杯なのに、政治に対して憤ったり熱くなったりできる人達はすごい。嫌味ではなく本当にそう思う。
仕事で、老人グループの中にいた。面白かった。ある人がA3くらいの紙でデザインの候補を提示したら、「見えない!」とほぼ全員が叫んだ。その光景は単純にとても面白くて、笑ってしまった。以前同じ団体の方達と同じ車に乗ったことがある。その時も、運転手に対して全員で「その角を右!」とか叫んでいた。会話をするにも「あそこ新しくできたわね」「そうそう、新しくできたのよね」「ああ、新しくできたのね」「新しくできたらしいわよ」という感じだ。つまり、いつだって全員が同じことを喋っている。面白い。これまで若い人の中にいることが圧倒的に多かったので、新鮮だった。若い人達はみんな違うことを喋る。それが当たり前だと思っていたけど、こんな世界もあるのだな〜と思った。老人達はみんな同じことを喋る。私も老人になったらこうなるのかしら。面白そう。と思ったが、そんなに長く生きる気は無いのだった。長くとも四十に足らぬほどにて死なんこそ、目安かるべけれ。
今日はなんだかお腹がいっぱいだ。明朝、死と自己のコラムを読むつもり。

2018/10/22 冷たい

続・犬とウサギの話である。犬とウサギの話は、簡単にまとめてしまうと、私は犬もウサギも見殺しにするだろうという話だった。と言うとかなりサイコパスっぽいと思われてしまうかもしれないが、感覚的で曖昧な話なのでそのままに捉えられると少しキツい。伝わらない話は人を不快にさせることは分かっている。が、しょうがない。同じ感覚があるかないかという問題だ。
話を戻す。これがもし愛しい人だったらどうだろうと考えた。愛しい人がマッチ売りの少女のように寒さの中凍えていたら、私はどうするだろう。連れて帰るとか、要らないマッチを買ってお金を渡すとか、助けられる方法は他にもいくらでも考えられる。しかもそこにいるのは愛しい人なのだ。
でもやっぱり私は、自分から助けはしないのだと思う。愛しい人が凍えて死んでしまったらきっと、ああこの人にはもうあんまり生命力がなかったんだなと思うのだろう。死んでしまったら悲しくなくはない。寧ろとても悲しい。でも、生きようと思えばいくらでも生きられたんじゃないかと思う。もしも、僕を拾ってくれと言われたら、そしてそれがかなりチャーミングだったら、私だって連れて帰ると思う。それでも死んだのだとしたら、もう死ぬ時だったということだ。自然の摂理というやつ?(でもまあ愛しい人はかなりチャーミングでまだまだ生きそうなので、今のところこのような心配はしていない。)

私は冷たいのだろうか。子どもの頃からよく、冷たいとか冷めてるとか言われてきた。でも子どもってそういうもんじゃないの?と思う。大人ばかり泣いていて、子どもは泣かない。私も泣かない子どもだった。映画を観て初めて泣いた時は、慌てた。少し嫌だった。大人になってからも人前で感情をさらけ出すことにも出されることにも戸惑ってしまう。カラオケも苦手だ。歌うよりも聴く方が苦手かもしれない。他人の感情をどんな顔で見ていればいいのだろうか。
愛しい人がかつて私に、あなたは冷たいように見えて本当は誰よりも熱い人だと思う、と言った。たしかに私の中で燃えている炎は青色のような気がする。赤い炎よりも青い炎の方が温度が高いらしいのだから、的確なのだと思う。そう思いたいというのもあるかもしれない。しかし、犬もウサギも、あなたも見殺しにするという話をしても、果たして同じように言ってくれるだろうか。

最近の私は以前より生命力が落ちてしまった。何としてでも生き残ろうという気概があまりない。生活も不規則だ。死ぬことを考えてもあまり怖くない。寧ろ浮かれた気持ちになる。だけどまだ死ぬタイミングが来ていないなという感じがする。だからしばらくは死なないのだと思う。

自分の話ばかりしているととてもつまらない人間に思えてくる。面白くもない話だと思う。見たこと聞いたことだけを書き連ねる方が本質的なのかもしれない。来週はほんの短い旅に出る。もうあまり自分の話はしたくないな。

関連日記:2018/10/20② 犬とウサギ

2018/10/21 夜ではなく朝

午前3時。快晴。月はなかった。昨日のうちに沈んでしまったのだと思う。昨日の夕方から眠り続けていたが、ふと目を覚ました時、西の空に太陽かと思うくらいまぶしい月を見た記憶がある。弟がピアノを練習する音が聴こえていたから、それはそんなに遅い時間でもなかったのだと思う。曲はショパンのノクターンだった。op.90-2。有名なやつ。きっと誰しも耳にしたことがあるし、誰もが美しいと思うだろうな。でも私が好きなのはop.48-1だ。ハ短調。
まあ、そんなことはどうでもよくて、星のきれいな朝だった。午前3時。夜ではなく朝だった。プラネタリウムみたいだと思ったが、そういえば私はプラネタリウムを見たことがない。少し乱視気味のせいか、実際にあるよりも私に見えていた星は多いんだろうと思う。

数年前、当時暮らしていた街で同じような星空を見たことがあった。これから2週間の海外旅行に行くという冬の早朝。都会でもこんなに星がきれいに見えるんだなあと思った。(田舎にいた頃も、きれいだなどという気持ちで星空を見上げたことはなかった気がするが。)
駅までの道中、夜の続きの男が二人、殴り合いをしていた。女も一人いた。やめなと言っていたが、やめさせたいという感じはあんまりしなかった。当時の私は、嫌だなと思った。目を逸らして、足早に通り過ぎた。私にはこれから行く場所もまた帰ってくる場所もあるんだと思った。この人たちはいったい何をしているんだろう、と。見下していたのだと思う。人を見下す時ほど、自分のことが嫌なのかもしれない。

今日の星空を見て、その光景が浮かんだ。当時は目を逸らしていたのだから、補完している部分もある。浮かんだその光景は、趣があるなと思った。今またあのような場面に遭遇したら、私はケラケラ笑ってしまうかもしれない。立ち止まって写真を撮るかもしれない。そんなことしたら殴られるだろうか。そこに立つ私も、行く場所と帰る場所のある人ではなく、大きな荷物を抱えて夜逃げする人のように映るかもしれない。それはとても趣のある光景のような気がする。

午前4時。男の人とすれ違った。いきなり曲がり角のむこうから出てきたからかなりびっくりしてしまった。その男の人もまた朝だった。おはようございますと言われたのでおはようございますと言った。男の人は寒そうにしていた。スマホのアプリで確認すると、6℃だった。私はひとしきり動き回った後だったからそんなに寒くはなかった。でも指先だけは痛いくらいにかじかんでいる。次からは何とかしなくちゃなと思った。

午前4時半。雲が増えてきた。さっきほど星はきれいに見えない。オリオン座の左下の星だけは相変わらず明るく光っていた。あの星はいつ見ても明るい。名前が分からない。後で調べようと思っていつも忘れてしまう。後で調べようと思う。

2018/10/20② 犬とウサギ

犬は散歩をしないと死ぬんだろうか。分からないけど犬は散歩をしないと死ぬとして、もし私が外に出たくないときに犬を飼ったら、それでも私は犬の散歩のために外に出るんだろうか。ウサギは寂しいと死ぬという。もし私が一人でいたいときにウサギを飼ったら、それでも私はウサギのところに行って抱きしめてあげるんだろうか。人間はどうしたら死ぬんだろう。どうされたら死ぬんだろう。死ぬときは、ひゅるひゅると身体中の息が隙間風のように外に出て行くんだと、昔読んだ小説に書かれていた。それが本当なら、一度死んでみたいと思った。とてもいい気持ちだろうな。死ぬのは案外嫌ではない。たぶん。でも、死ぬときに苦しかったり痛かったりするのならそれは嫌だなと思う。死を愛で語るのは相応しくない気がする。変だと思う。不自然だ。だから私は、外には出ないと思うし抱きしめてもあげないと思う。

2018/10/20① 病気

空腹か脱水のような気がして必死にごはんを食べていた。身体に力が入らなかった。ごはんを食べている途中で、箸が手から落ちて転がった。肩が凝っているのか少し頭が痛いような気もした。本当はすごく眠たかったのかもしれない。それでも布団に入ってからは眠れなかったし、さっき食べたごはんのせいで少し気持ち悪くもあった。
身体がしんどい割に、頭の中は浮かれていた。私はいたって明るいいつものふざけた調子で、医学部の兄に箸を落としたと話した。意識障害か脳梗塞じゃない?と兄もふざけて返してきた。可笑しかった。私は病気だ!などと言ってはしゃいだ。ああ、本当に可笑しい。脚に力が入らないとヘラヘラ笑いながら、歩いていた。歩いてるじゃんと言われて、また可笑しかった。手が震えると言ったら、別に震えてないと言われた。私は確かに震えているような感覚だったんだけど。ずっとふざけて笑っていた。箸が転んでも可笑しいとはこういうことを言うんだろう。そうだ、実際に、箸も転がったのだ。可笑しい。
疲れていただけで私は何の病気でもないだろうし、病気という言葉が、あの夜はどうしてあんなに可笑しかったのか。お酒も詩もなかったが、すっかり酔っぱらっていたんだろうと思う。少し幸福でもあった。

2018/10/19 公園は楽しい

このあいだ、初めて行く土地で初めて行く公園に行った。初めて行く土地なのだから、初めての公園というのは当たり前だ。公園に着いて一瞬で、その公園はいい公園だと分かってしまった。なぜなら、時計が、私の好きな公園と同じ時計だったから。
あの日、私は人と一緒にいた。散歩していた。その人に、私の好きな公園と同じ時計だと言えば良かったかしら、と思う。だけどあの時はそれを人に伝えるなんてことは思いつきもしなかったから言わなかった。なにもしゃべらず、ただはしゃいで遊んだ。象の滑り台があった。お城みたいな大きな遊具もあったし、D51もあった。すべてが愛のような気がしていた。今思えば、どうなのかはわからない。あの時計や秋の空や遊具や遊ぶ子どもたちが私を酔わせていたのかもしれない。私だけが心の中でシャボン玉をぷかぷか飛ばしながら独りよがりの愛に浸っていたのかもしれない。もしそうだとしたら、泣きたくなるな。泣きたくはなるけど、たぶん泣かない。
そういえば、愛しい人に愛しいと言ったこともない。言ったらどうなるんだろうかとか考えるのはちょっとカッコわるいと思う。あの日は公園で遊べてほんとうに楽しかった。

2018/10/18 奇跡

車を運転していた。車に乗るときはいつもシャッフルで音楽を流す。スピッツの「裸のままで」が流れた。良い。曲が終わると、また同じイントロが流れる。あれ?リピート?と思ったら、どうやら、さっきとは違うアルバムからまた「裸のままで」が選ばれたらしい。おお。これってどのくらいの確率で起こるんだろう。そういえば私は高校生の頃、確率を求めるのが得意だったなと思い出した。224曲をシャッフルしていたから、この2曲(と言っても同じ曲)が最初に続けて出てくる確率は、2/224・223=2/49952≒0.00004 つまり、約0.004%ということになる。ものすごい奇跡に遭遇してしまったぞという気がした。そこまで熱っぽく考えて、ふと思い直した。例えば、一番好きな曲と二番目に好きな曲が最初に続いて流れたとして、それは(分子が1になるので)0.002%の奇跡だ。さらにすごい奇跡。ということは、どんな曲が流れても、2曲続けばすべて奇跡なんじゃないのか?今回はたまたま同じ曲だったというだけで、曲に理由さえつければすべて奇跡になる。だとしたら、奇跡なんかではなくただの偶然なのでは?奇跡と偶然の違いってなんだ?(神だとかいう存在の力かどうか?)もしかして偶然でもなく必然?などとぼやぼや考えていたら、目的地に到着した。3曲目以降、なにを聴いたか覚えていない。

2018/10/17 あの頃の話

5時に一度アラームで、10分経って本気で起きる。おなかがすいて、寝てられない。30回の腹筋とラジオ体操、いつもする。いったい何のためなのか?誰に見せるわけでもないのに。6時にようやくキッチンの鍵が開くから、朝食と弁当つくって、急いで食べる。弁当は食べずに包む。私だけ知る決め事は、面倒だけどやめられない。
52分に寮を出て、57分の各停に。1分遅いと赤信号。信号、待つには長すぎる。毎日きまってすれ違うのは、パンを食べてるおじさんと腕を組んでるカップルと電話しているおばさんと田中圭似のお兄さん。何も知らない人たちだけど、きっと私は愛してた。一日は壁に囲まれ過ごしてた。
夕方に夕焼け小焼けが鳴ることを、3年間も知らなかった。私の生まれた街だって夕焼け小焼けが聴こえてた。ある時行った街では家路。こんなにいろんな音楽が流れてること、知らなかった。今頃になり、何調だったかとても気になる。
一人で歩くときならば、こっそり近くの人たちと競争しながら歩いてた。会社員のおじさんや脚の長い人たちにかなうわけない。でも今日は疲れているから。そんな言い訳。友達がいればゆっくり歩いてたけど、私は速く歩きたかった。20分で帰れる道が30分かかってしまう。そういえば、あの道は全部アスファルトだった。
買い物は一週間に一度だけ。たいていまっすぐおうちに帰る。帰れば親しい友達がキッチンにいて、一緒に食べよと声かかる。話し出すと止まらない。今日はまだまだやることあるのに。結局諦め、点呼の時間。お風呂は9時半までだから、点呼が始まるちょっと前、急いで場所だけ確保してくる。確保しないと間に合わない。人に見られる夕飯は、盛り付けなんかも工夫していた。
ようやく一人でゆっくりできる時間が少しやってくる。だけどすでにもう眠い。やらなきゃいけない勉強すらも、明日の朝に回してしまう。本棚に本はたくさんあったのに、読もうとすらもしない毎日。
もしかして、あの頃は今も続いてる?今日は575のリズム。

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