雨やどり


岡田淳さんの本を読む -- 図書館からの冒険

物語のはじまり

物語はいきなり、窓からゆうれいの女の子と手を振りあうという敬二郎さんの話で始まり、もうすでに“これはおもしろいぞ”という予感しかない。敬二郎さんがあまりに魅力的な人だとはじめから分かる。茶目っ気があり、本当らしく冗談を言うところがいい。……本当らしい冗談。最初はまだ渉も読者もそう思っている。

双葉館

取り壊される前に一晩泊まろうと双葉館(図書館)にしのびこんだ渉。「本はないけれど、この部屋には、魔法の力が残っているような気がする」この文章で、そこがとても素敵な空間なのだと分かる。そんなことを思っているうちに出会ったのは、サキという女の子(しばらく少年だと思い込んでいたが)。「一階でがたんと音がした」から「少年はふうと息をつき」までのスピード感がすごい。緊迫感に二人とともに心臓がドクドクした。一緒にそこにいるかのような気持ちになる。

影響をあたえあっている

行き着いた先はシバノザキ島。サクラワカバ島と設定が似ている。「むこうの世界」「心をこわす」「一枚の紙の裏と表に描かれた絵」「百日」「ゆらいでみえる」などの言葉に、読者はすでに親しい。なんとなく嬉しい気持ちになる。
ゴーダさんは、シバノザキ島と柴野崎小学校について、「おたがいになにか影響をあたえあっている」と説明する。むこうの世界とこっちの世界そのものはもちろん、物語が進んでいくと、それぞれの世界の人間たち、例えばミレイさんと敬二郎さんやサキと渉もおたがいに影響をあたえあっていることが分かる。人間同士が影響をあたえあっていくのは、世界に関係なく、当然といえば当然かもしれないが、“違う世界の者であること”が独特の関係を生んでいる気がする。生きてきた世界が違うからこそ、お互いを知ることやそれによって自分について考えることが強く描かれている。さらに、特に渉や敬二郎さんは、この世界とどう関わるのがいちばんいい方法か、ということにまで考えが及んでいく。第6章で「ミレイさんに、あいにいきたい」と言う渉に、ゴーダさんが「なぜ、きみが……?」と問うシーン。渉は「これはぼくが敬二郎さんからきいた話ですから。」と答える。かっこいい!

バクさんの夢

みんなが目をとじて、バクさんが夢を見せてくれるシーンがある。夢にはいろんな見方がある。眠って見る夢もあれば、将来のことを夢と言うときもある。このシーンは、私たちが普段忘れがちな夢の見方を思い出させてくれる。
バクさんが見せてくれるのは、過去の夢だ。バクさんの記憶とみんなの想像が合わさった夢。誰かの過去をこんなふうに夢に見ることができたらいいなぁと思う。が、実は私たちはすでにその夢を見せられているのだった。バクさんが渉たちに見せた夢を、岡田淳さんが私たちにも見せてくれている。読者はその世界がそこにあることを感じる。バクさんの持つ力はその世界だからこういう形になったのであり、私たちがいま生きているこの世界にも違う形で夢を見せてくれる人がいる。例えばいまもこうして私たちに物語を届けてくれる。私の癖なのか読者はみなさんそうなのか、岡田淳さんの描く世界は、どこかにあるかもしれない、と思ってしまう。物語の中のことだとは簡単にわりきれない。

敬二郎さんのことを

みんなは、突然いなくなってそれきりの敬二郎さんのことをどう思っているのだろう。誰も、責めている感じはない。西の屋敷への道中、渉は、敬二郎さんからけんかしてわかれたと聞かされたことを思い出し、(まずいな……)と考える。あとでアズサさんから詳しい話を聞いて二人ともじぶんががわるかったと思っていることを知り、ソラが「そうだったんだ」とつぶやく。渉も同じことを思う。20年間、二人はそう思い続けてきた。とても長い年月だと思う。しかしその間、忘れることなく持ち続けていた二人の思いが、それぞれの世界に影響をあたえあっていたのかもしれない。敬二郎さんのことを覚えていた島の人々の思いももちろんあるだろう。

ソラ

ソラは二十歳。岡田淳さんの描く小学生や大人をたくさん見てきたけれど、二十歳くらいの人というのは今まであまりいなかった気がする。すこしふしぎな感じがした。ふしぎと言っても、不自然というわけでは決してない。ソラは、渉たちと同じくらいのように思える時も大人たちのように思える時もどちらもあって、よかった。でもそれは、二十歳という設定だからではないこともわかる。ソラという人が、(これから歳を重ねても)そういう人なのだろう。出番は多くないのだけれど、その中でも強くて優しい人だと分かる。

サキと渉

二人は影響をあたえあっていると書いたけれど、物語を通じてそうだし、その形(二人の関係性)は物語が進むにつれてとてもいいものになっていく。
「ミレイさんに、あいにいきたい」と言った渉に対して、サキがあとで「うれしかった。ありがとう」と言う。二人が島をなんとかしようと思えたのは、サキにとっては渉がそう言ってくれたからだし、渉にとってもサキがいることは理由になっているだろう。
西の屋敷へ向かう途中、顔がクマのトーリョーさんと出会う。渉が心をこわさないように、サキは手をつないでくれる。そのあと、何度もぎゅっとにぎってくれる。このときはゴーダさんに言われてそうしたことが後でわかるが、地底湖でマリちゃんがカワウソになったときは、サキは自分で考えてつなぐ。渉は「もどってきたとき、自信がない」といってつないだまま待つ。東の館を出る前、敬二郎さんに手紙をだしに行ったとき、「サキに見られていることを意識している動きだな」と思ったのが、昨日のことである。影響をあたえあうということは、頼るということでもあるのだろう。
いざ、泥のひとたちを地底湖まで導く直前、渉は、サキの言葉で、泥のひとになった子どものミレイさんを見た子どもの敬二郎さんの気持ちを想像する。いまの自分とサキに置きかえて考えてみた渉は賢い。「そんなのいやだ」と渉は思う。あとでサキが泥のひとに襲われた時も「こんなのいやだ」と思う。とても自然な気持ちだ。東の屋敷で「これはぼくが敬二郎さんからきいた話ですから」と言っていた時とは、確かに変わっている。人と人との関係がこういう自然な気持ちを生み出しているのだろう。関係と気持ちの繋がりが、とても繊細で巧妙に描かれている。

手をつなぐ

読み終えてから改めて表紙を見ると、渉とサキが手をつないでいることに気がつく。この物語で、手は本当に大きな力を持っていることが分かる。
敬二郎さんは女の子(ミレイさん)と手をつないで扉を通りぬけた。バクさんが夢を見せてくれた時、みんなで手をつないだ。渉が心をこわさないようにサキは何度も手をにぎる。そして最後の別れも、渉はみんなと手をにぎりあう。
「こそあどの森の物語」シリーズ第6巻のバーバさんの「人間が自分の手で最初ににぎったのは、きっと、別のだれかの手だったんだよ」の言葉を思い出した。手の力はすごい。

ラストシーン

ラストシーンでむこうの世界とこっちの世界は、これからもつづいていくことがはっきりとわかる。『二分間の冒険』や『扉のむこうの物語』のように「もう、ない」と言い切ってしまえる物語とは違う。『森の石と空飛ぶ船』のようにむこうの世界が舞台のまま物語が閉じるのとも違う。『ポアンアンのにおい』のように、もうないその世界を共有するラストでもない。どれもすごくいいが、この『図書館からの冒険』ラストは、ものすごい幸福感にあふれていて、とても明るいラストシーンだ。


2019/11/15・2021/07/13

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