雨やどり


岡田淳さんの本を読む -- 手にえがかれた物語

初めて読んだとき

岡田淳さんの作品の中ではちょっと異色だ。小学生で初めて読んだとき、よくわからないというのが正直なところだった。それと、少しこわい話だとも思った。

いつから起きているのか・本当に起きているのか

手にえがかれた彼らの人形劇が始まる。それがいつから起きているのだろう。本当に起きていることなのだろうか。それがわからなかったのだ。しかしこれは、実際には起きていなかったのだと、いまは感じる。むかしは、ほんとうに起きたことだと思って読んだ。読むたびにこの感じ方は変わるのかもしれない。だから、よくわからないと感じたのだ。
“ほんとうには起きていないと信じる”というのは、“ほんとうに起きたと信じる”よりむずかしい。この作品は、岡田淳さんの作品で唯一、本当には起きていないのかもしれないと思わせる一冊だ。

こわいワニ

こわかったのは、おそらくワニの物言いと振る舞い。俊夫と理子が「ああ、こわかった」と言うところで、私も一緒にふぅと一息つく。そのあとリンゴの木を消されたワニが、体あたりし、ほえくるうところなんて、一番こわい。
「どうしてわかってくれないの?」と理子が言った時、「おじょうちゃんは、ワニさんのことをわかってくれたかい?」とワニは言う。ぐさっとくる。こういうふうに、普段意外と認識していない図星をつかれるのも、こわいと感じた理由でもあるのかもしれない。
敵のワニが、物語を読み進めていくうちに、敵ではないと分かる。だからああいう結末が用意されたのだろう。岡田淳さんは、びりっかすさんにしても、『扉のむこう……』のピエロにしても、『二分間……』の竜にしても、けっこう残酷な結末(しかしそれがまたいい)を描いている。それをふまえたうえで、ワニの結末がこうであったことは、この物語の雰囲気を壊さない。むしろ、つくりあげている。

道子おばさんの言葉

道子おばさんの言ったこと、理子は口を動かしただけだと言う。道子おばさんの声を聞いたあきらおじさんのこの一言がすごい。「そうだったのか」ここで言うセリフは、これしかないのだ。感動や切なさよりももっと、真実と優しさに溢れている。

優しい

疑う心を捨てて読むと、ものすごく優しい物語だと気づく。これを(おそらく小学生以来で)久々に読んだのが大学4年生の秋だった。落ち込んでいるときに読んだら、あまりに優しくてびっくりした。こういう物語だったんだ……、と。そして、そう思える私になっていてよかった。


2020/01/03

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