雨やどり


岡田淳さんの本を読む -- 竜退治の騎士になる方法

トイレのスリッパ

読者は、読み終えた瞬間から、竜退治の騎士になることを決意し、トイレのスリッパをそろえているはずだ。ぜったいに、そうだと思う。
ジェラルドさんがとにかくかっこいい。小学生のころにこのお話を読んで、竜退治の騎士になりたくて、トイレのスリッパをそろえてみたりした。大きくなったいまも同じ気持ちだ。今度は、トイレのスリッパじゃなくて、ほかに何ができるかなと思う。ジェラルドさんの言った「大工であっても、運転手であっても、ピアニストであっても」竜退治の騎士でいい、という言葉に勇気をもらっている。
 

大きくなった子ども

とげとげした空気をやっつけたいという気持ちよりも、竜退治の騎士をこんなにもかっこいい!と思えることが、いちばんだと思う。だからこそこの物語は、子どものうちに出会えてよかった。教訓的なことを言い出すのは大人に任せて、(今でもなお)子どもでいる私たちは、ずっとかっこいいものやかわいいものを好きでいたい。好きだから優しくなって、それが結局、世の中を良くしていく。大きくなっただけの子どもとして、竜退治の騎士になりたいと、改めて思う。
大きくなるのは自然なことで、そのときに私たちは変わっていくしかないのだろうけど、無理に大人だけになりきらなくてもいいじゃんね。
 

なりたいもの

竜退治の騎士なんて言うと、つい外国の森みたいなところを想像してしまうが、この騎士は関西弁だし、この物語は学校の教室で起こる。こんなに身近なところに、いや、身近なところにこそ竜はいて、竜がいれば竜退治の騎士だってすぐそばにいる。そしてその竜退治の騎士に、自分もなれるのだ。
私たちがなれるのは、そしてなりたいのは、ジェラルドさんではなく竜退治の騎士だ。ジェラルドさんがかっこいいのもたしかである。だから、竜退治の騎士になりたい。ジェラルドさんを見ていると思う。大きくなった人の役目は、これだ。素敵でいること。そういう人たちのことを“大人”と呼べるような世の中になっていけばいいなと思う。
 

事情

小学生のころに読んだとき、言葉ではっきり思ったわけではないけれど、優樹や康男にそれぞれ事情があることは、私にも私自身の事情があることを思わせた。誰かの事情をどうこう思うわけではない(たとえば、うらやましいとかかわいそうとか)けれど、自分の事情もそれなりに大切にしてみたいと思った。それをべつの感情と勘違いしないように気をつけながら。
 

語り手

最後に、これを書いたのが大人になった康男であることがわかる。優樹や康男のいまを知ることで、これからの人生もっとおもしろくなるに違いないという気持ちにさせられる。
 

2019/11/07

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