雨やどり


岡田淳さんの本を読む -- 願いのかなうまがり角
ぼくとおじいちゃんシリーズ第1作目。

漫才

この関西弁がたまらない。私は関西弁を喋ったことがないし、普段からよく聞いていた訳ではないのに、親しい感じがする。「ぼく」は岡田淳さんなんじゃないだろうかとも思える。関西弁で繰り広げられるおじいちゃんとぼくのかけあいがすごくおもしろい。まるで漫才。テンポ感がいい。オチまで最高だ。

『雲の上へいった話』

雲の上へいき、そこに住む人と出会い、……どんどんふくらんでいく話が、さいごに身近な人でオチがついて一気に引き戻される。そのスケール感がたまらない。

『毎日の冒険』

初めて読んだ時からいちばん記憶に残っているのは、このお話。郵便受けから新聞をとってくるお話。この話がとても好きだ。もちろんほかの話も好きで、どれが一番好きかなんて選べないけれど、一番よく覚えているとか、一番たくさん読み返したとかを基準にしてみるなら(以前、岡田淳さんが「たくさん読み返したとか、そういうことを基準にするのは大事なこと」と言ってくださったことがある)、私はこのお話が特に好きなのだと思う。
新聞をとりにいっているということを忘れそうなほどの大冒険だ。次から次へといろいろなものが現れる、本当に、“ひろい庭”に、必要なものが、本当に、全部入っていた“なんでもぶくろ”。ようやく終わりが見えてきたと思ったら《つづく》みたいな最後なのだ。

『おっきいサカナ』

「おっきほうかもしれん」の言葉とともに、びっくりするくらい大きな魚の話を次々と繰り広げるおじいちゃん。最後に、最初につれた“筆箱ぐらい”の大きさの魚をみて言うひとことに、おじいちゃんの正直な人柄がよくわかる。正直と嘘は、ともに存在できる!

『おじいちゃんの玉入れ』

おじいちゃんが子どもの頃にした玉入れの修業の話。「ぼく」の合いの手がさらにおじいちゃんの話を引き出す。「ぼく」のひとことによって(なのか?)、サルとキャッチボールまでする。最後に二人が思い切り笑いあっているシーンが目に浮かぶようだ。

『雪の恩返し』

ふしぎな、いい話。半分は嘘でも、半分はほんとうの話なのだろうな、と思う。

『チョコレートがいっぱい』

「おじいちゃんにもおじいちゃんがおったん⁉」という「ぼく」のセリフがとてもいい。おじいちゃんの話を聞いた後、「半分たべる?」と言うのも、いい。近くにあるしあわせのお話。

『願いのかなうまがり角』

「ぼく」に聞かれることを待っているかのように角をまがるおじいちゃん。はじめは「ぼく」も読者も、また思い付きのお話が始まるんだろうか、と思っているのが、だんだんほんとうのことのように思えてくる。おじいちゃんのことだから、きっととびきりすてきな願いごとを思いついているのだろう。

ほんとうか嘘か・おもしろいか

「ぼく」は嘘だろうと思う気持ちと、ほんとうかもしれないという気持ちを、同時に持っている。こんなにわくわくすることがあるだろうか。ほんとうと噓、現実と夢(ファンタジー)は、じつはとても近くで繋がっているのだ。このむずがゆい幸福感は、ほんとうかもしれないという気持ちだけでは、味わえないだろうと思う。嘘だろうと思う気持ちがともにあるから、うまれる。「ぼく」だけでなく、読者もこの幸福を味わっているに違いない。
いや、もしかしたら、そもそも「ぼく」は、ほんとうか嘘かなどと思っていないのかもしれない。おもしろいかどうかなのである。そして、おじいちゃんの話はとびきりおもしろい。


2019/11/12・2022/01/30

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