雨やどり


岡田淳さんの本を読む -- 森の石と空飛ぶ船

ふしぎなこと

いつもぼんやりしている(と思われている)シュンが、白ネコを助け、恩返しに「ひとつぶ」をもらったことで、サクラワカバ島へ行けるようになる。白ネコの姿をしていたエリが人間になり、驚くシュンに「ネコがしゃべったときより、ひとがしゃべったときのほうがおどろいているみたい」と言う。普段当たり前に思っていることが、なぜかふしぎなのだ。このシーンで、自分自身(シュン自身・読者自身)のふしぎな感覚が、そしてむこうの世界が、ぐっと身近になる気がする。

桜若葉小学校

このお話は、「カメレオンのレオン」シリーズや『夜の小学校で』と同じ、桜若葉小学校の物語だ。白ネコ、レオン、ヒキザエモン(前は“にせもの”だった)、ウサギやアライグマのひと、そしてトモローとアミ。いくつものお話をまたいで同じ人物に会えるのは、ちょっとくすぐったくて、嬉しい(いつも教室で会う友達と、街中で会うような。むかしの同級生と、今度は知らない街で再会するような)。
レオンは相変わらずだ。トモローとアミは、最初に私たち読者が彼らと出会ってから3年が経ち、会わないでいた時間に様々な思いや事情があったことを知る。そして、いいところが変わらずにいることがわかる。夢ではなかったと思うトモローとアミとともに、読者も、本当のことだったのだという気持ちを強くする。
ヒツジ亭でオムライスをごちそうになったシュンがこちらの世界に戻ってきたシーンで、「夜警員室に灯りがついてい」たのも嬉しい。読者はもちろん、作者の岡田淳さんも、桜若葉小学校やそこにいる彼らのことが大好きなのだろうと思う。

大人

レオンとヒキザエモンは、いいコンビだ。彼らに与えられた立場は“大人”であり、“子ども”のシュンたちは彼らを信用して頼りにする。しかし、そういう面だけを果たしているわけでは決してなく、子どもっぽいというか無鉄砲なところもある。そこがまたいい。そして、それを叱るハルおばさんがいてくれてよかった。そうでなかったら、この物語はすごいことになっていただろうなぁ。
レオンがトモローとアミを呼んでくることを思いつき、「すばら」まで言いかけたヒキザエモンに、「なにが、すばらだよ」というハルおばさん。いざやってきたアミが「わたしたちの責任」だと言い、拍手するレオンとヒキザエモン、それをちらっとにらむハルおばさん。
この物語に登場する“大人”たちは、みんな、“大人”という役割を果たしているのではなく、ひとりひとりがちゃんと自分自身の性格や事情を持っている。もちろん子どもたちもそうなのだが、子どもが主人公の物語に登場する大人たちが、このように描かれているのは、すてきだと思う。

キャプテン・サパー

ほんとうに「キャプテン・サパーはいいやつ」だった。彼らに与えられているのもまた、役割ではなく歴史や事情だった。あちらの世界で兵士だった彼らをロメオがこちらの世界でロボットとして蘇らせた(『選ばなかった冒険』を思い出す)ことが、最後に判明する。どうりで、ロボットの彼らが、最初から、感じたり考えたりできるのだった。「ひとのようなもの」の言葉にかっとしたのだと思うと、キャプテン・サパーは言う。とても人間味がある。ロボットはロボットではなかった。
ロメオやキャプテン・サパーの結末はあまりにあたたかい。攻撃をしてくるロボットに立ち向かわなければいけないという“状況”こそあれど、この物語で、ロメオやキャプテン・サパー、ロボットたちは“敵”ではなかった。ジュリエットにいたってはロメオは“恋人”だ。だから、彼らが“悪役”として最期を迎えることはなかった。

船が飛ぶ

岡田淳さんは、船、飛ばしたかったんだろうなぁ、と思う。証拠に、船が飛ぶところの描写があまりにもすてきだ。船が飛ぶところを私は実際に見たことがないが、飛ぶ船を想像できた。そこからの美しい風景も見えるような気がした。「不安があるのに、ふしぎであたたかい光のヨットの船室で、みんなでいっしょに食べてお茶を飲んでいる。このいまの時間を、いいなあとシュンは思った」飛ぶ船で過ごした時間は、そこにいたみんなにとって、ほんとうにいい時間だったのだと思う。

こちらの世界とあちらの世界

どちらが“こちら”でどちらが“あちら”なのか、もうよくわからないが、どちらも親しい世界になっている。シュンや読者は、いままで知らなかったサクラワカバ島の世界を知り、親しくなっていく。普段暮らしている桜若葉小学校のある世界のことも、親しい世界なのだと気づく。“世界”というものにはもちろん“人物”も含まれていて、自然と呼び方や話し方が変わっている。「こちらの世界もある。あちらの世界もある」と、エリは言った。
例えば、『扉のむこうの物語』や『二分間の冒険』はもうその世界はないし、『びりっかすの神さま』でもびりっかすさんはもういない。この物語は、こちらの世界に帰ってこないところで終わる。この先、この世界は“もうない”のとは違う形で在り続けるのだろう。シュンたちがその世界とこれからも関わっていくこと、エリたちがこの世界と関わっていくこと、そしてシュンとエリがこれからも関わっていくことを思う。もちろん、シュンとトモローとアミも。どんなふうに関わっていくのだろうかと想像する。こんなにわくわくすることがあるだろうか。
この世界はなくなることなく物語が終わるが、なくなったものもいくつもある。最後、「みんなあまりしゃべらなかった」のは、もうないことがただ切ないからではないだろう。もちろんそういう気持ちもあったのかもしれないが、みんなには考えることがたくさんあった。読者もいっしょに考えている。だからこのシーンが「みんなあまりしゃべらなかった」とだけ書かれているのは、とてもいいなと思う。


2019/11/11・2021/06/09

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