雨やどり


岡田淳さんの本を読む -- もうひとりのぼくも、ぼく

初読

じつは、今初めて読んだ。私は高校生くらいまでは、図書館にあったものしか読んでいなかったから。読み続けていたものの、手元にそろえ始めたのは、大学生になってからがほとんどだ。それまでも何冊かは買ったけれど、図書館で何度も借りて何度も読んだ。本格的に図書館から岡田淳さんの本がなくなったのは、大学生からだったのだと思う。(高校のころは、学校の図書館はほぼ使わずに市の図書館を使っていた。)いろんな図書館で借りて読んだり、今は自分の本棚に詰まっているけれど、それでもやっぱり私が思い浮かべる本棚は、小学校の図書館だ。窓から二列目の、いちばん上の段の左端。今もそこにあるのだろうか。
話がふくらみすぎたので元に戻す。これはどこの図書館でも見たことがなかったのだ。そして、何か月か前から私の手元にはあったが、今ようやく読めた。(もったいなくて読めなかったのである。)

一人

ヤマモモの木の下で、一人は「かずと」と「カズト」にわけられてしまう。わけられたふたりは、それぞれに生活をする。ぐずぐずしたほうのかずとは、のんびりと過ごす。けむりがのぼっていくさまを言葉にしようとするシーンが好きだ、いや、シーンではなくてかずとが好きだ。一方の、さっさとなんでもやってしまうほうのカズトは、つらい思いをしている。もどかしく、イライラとする。はっきり言って、怖い。こういう怖さは、岡田淳さんのほかの物語にはあまり見ないような気がする。どういう思いでこれを書いたのだろうか、と作者の気持ちを想像してみたりする。
さいごにまたひとりの一人にもどったとき、それぞれの気持ちがまじりあう。それぞれの一人がそれぞれに思うのではなく、同時に思うのである。今回はたまたまぐずぐずした子とさっさとした子にわかれたけれど、他にもいろんな一人がまだまだいるのだろう。だからこそ、一人はひとりだと言える。
ところで、「一人」は“かずと”という名前であり、さらに“ひとり”と読むこともできる。こういうところが岡田淳さんらしくて、ニヤッとしてしまう。さっき「一人はひとりだ」と書きながら気づいた。


2019/11/07

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