雨やどり


岡田淳さんの本を読む -- あかりの木の魔法
こそあどの森の物語シリーズ第9巻。美しい明かりの木の絵がとても印象に残っている。木は、自然は、やはり何か特別な力を持っているのだろう。
 

バーバさん

ふたごは小さなテントを見つけ、イツカとドコカの話をこっそり聞く。イツカが話した「だれだってそう思うことを疑ってみなさい」というバーバさんの言葉がすてきだ。こそあどの森の物語シリーズでバーバさんは手紙でしか出てこないけれど、この言葉で、その人柄に引き込まれてしまう。学者としてのバーバさんのカッコよさ、人としてのバーバさんの深さが伝わってくる。
 

湯わかしの家でお茶

学者に会いにいくスキッパーとふたごは、湯わかしの家でお茶をのんでいくことになる。約束がなくても、お茶ができる。こういう生活が、こそあどの森の物語のすてきなところだ。
ポットさんはやはりうたぐり深い。ふたごも言い返す。すべての意見になるほどと思ってしまうスキッパーに、とても共感する。しかし、それがスキッパーのいいところだ。私たちはいろんな自分自身を持っている。そのなかにはスキッパーのようなところもあり、スキッパーのようではないところもある。それはどの登場人物にも言える。こそあどの森の住人たちは、それぞれのキャラクターがわりとはっきりとしていて印象的だ。だからこそ、いろんな面を持っている私たちは、どの登場人物にも共感できる。だから、こそあどの森はいつも私たちの心の中にあるのかもしれない。
そこへトワイエさんが登場する。物語にトワイエさんが登場するとき、「いいことが起きそう」といつも思う。物語に期待感を与えてくれる。ちょっと抜けていて、夢中になるとまっしぐらで、ときどきエゴイスティックなところがとてもいい。トワイエさんの自然な場をまとめ方はすごい。雰囲気を作っているということではなく、そこにある空気をうまくかき回して調合してくれる。トワイエさん自身の考え方や言葉の選び方がすてきで、しかもそのタイミングが絶妙なのだ。
 

明かりの木の思い出

イツカの話を聞いたみんなは、彼をすっかり信じる。疑っていたポットさんも、鼻をかんでいる。両親の話のあと、みんながしんみりとした気分になっているとき。岸辺のほうからきこえるふたごの笑う声がよりこの場の静けさを強める。その静けさは、イツカの明かりの木の思い出がほんとうであればいいとみんなが心の底から願っているからだろう。
その夜、イツカとドコカがひっそりと会話をする章がある。こそあどの森の住人とともにイツカを信じた読者はびっくりする。この章は特に、腹話術ではなくドコカ本人(人?)がほんとうに喋っているのではないかと思える。腹話術なのか、ドコカが喋るカワウソなのか。どちらであっても楽しい。だからこそどちらもあり得ると思える。
 

イツカ

次の日、バーバさんの研究室を見せてもらったイツカは、もう出発するつもりだと伝える。突然のおわかれに戸惑うスキッパー。そこへポットさんがバーバさんからの手紙のことを伝えに来る。結末を知っていて読み返すと、ここでイツカがびくびくする姿は、彼が根っからの悪人ではないことが分かるような気がする。
「ぼく、イツカさんみたいに、なりたいです!」スキッパーが思いきって言う。読者はイツカのほんとうの目的を知っているから、このシーンのスキッパーには胸がきゅっとなる。イツカも、心打たれるものがあることが分かる。気持ちが伝わるとか通じるとかいうこと、誰かの心が動かされるということが、自然なかたちで描かれている。
しかし、そのあとまたあやしい笑い顔をするイツカに、読者はハラハラさせられる。
 

明かりの木

蛍が集まってきて、明かりの木ができていく。それまでのみんなの会話が、そのワクワク感を読者にも伝えてくれる。明かりの木を、一緒に見たような気分になる。私自身としてだろうか、スキッパーとしてだろうか、それともまたほかの誰かとしてだろうか。わからないが、そこで一緒に見ていた記憶が確かに残る。実体験のように胸に焼き付いていく感じがする。
みんなの会話の中で「生命をつないでいくおまつり」という言葉が生まれる。誰か一人では生まれなかった言葉だ。みんなはそれぞれに思いを巡らせる。スキッパーも、長い長い時間のことを思う。
イツカの話がほんとうだったことが分かる。イツカはいつの間にか自分でもそんなことはなかったのだと思い込んでいた。イツカ自身もこそあどの森のみんなも読者も、イツカの明かりの木の思い出がほんとうでよかったと心の底から思える。そして、この日のこともまた、みんなにとっての「明かりの木の思い出」になったことが、まさに「生命をつないでいく」ということなのだろうと思う。
 
 
2019/12/22

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