雨やどり


岡田淳さんの本を読む -- ぬまばあさんのうた
こそあどの森の物語シリーズ第8巻。ほとんどは小学校の図書館で借りて読んだが、これは小学校の図書館より先に市の図書館に入って、そちらで借りて読んだ記憶がある。
 

歴史

おなじ夕焼けを見るところから物語は始まる。ひとつのものから、みんながそれぞれに物語を持つ。それぞれの物語が並行してしかも絡み合っていく。さらに、別の時間や世界にまで広がっていく。こういう広がりやそのつながりこそ“歴史”と呼ぶのに相応しいと思う。この物語の中にも“歴史”がぎゅっと詰まっている。だからこんなに深くておもしろい。
 

名前

ふたごはスキッパーを用心棒にして、3人で探検に出る。〈夕陽のかけら〉という名前が素敵だ。ふたご(作者?)のセンス、さすがである。本当の名前、〈夕陽のしずく〉もいい。「ユラの入江」もすごくきれい。
ぬまばあさんの正体が水の精だと知ったスキッパーは、あまりに自然に「呼び続ける」と約束する。その呼び名が使われなくなれば水の精は死に絶えていたということに、あとで気づき、こわい気持ちになる。名前は、命そのものなのだ。
 

聞くこと

赤い石を手にした時、スキッパーはついに石読みができた。あの瞬間に石読みができたのは、赤い石の語る力と、スキッパーの聞く力がうまくつながったからだと思う。石読みは、からだじゅうで〈聞くこと〉のような気がする。スキッパーは耳だけじゃなく、からだじゅうでその石が教えてくれることを聞けたのだと思う。
ポットさんとトワイエさんも〈聞くこと〉について語る。トワイエさんは、「ひとの話を聞く、というだけではなく……」と言う。この物語で〈聞くこと〉は、ただ単に耳で音を聞くことではなく、からだじゅうをつかって感じることとして描かれている。
 

澄んだ空気感

スキッパーとふたごの探検、ポットさんとトワイエさんの静かな時間。それらが、秋の美しさともあわさって、この物語全体の空気感がとても澄んでいる。
大人たちにも人気の巻だろうと思うが、たしかに、大きくなって読み返すとまた違う味わいがある。大人たちがこの切なさにハマる気持ちがよく分かる。切なく感じるのは、この澄んだ空気感のおかげでもあるだろう。読者であり続けるしかないと思うのは、こういうときだ。
 
 
2019/12/18

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