雨やどり


岡田淳さんの本を読む -- だれかののぞむもの
こそあどの森の物語シリーズ第7巻。

スキッパーが泣いてる

よく覚えているシーンがある。あらわれるはずのないものや人が、みんなの前に姿を現す。スキッパーの前には、ホタルギツネがあらわれた。しかしそのホタルが本物のホタルじゃないと分かって、「スキッパーが泣いてる!」とふたごが言うシーン。スキッパーが泣くところはもちろん、ふたごがこう言うシーンまでをセットでよく覚えている。
スキッパーの悲しい気持ちを同じように感じたし、それだけでなく、ふたごのように少し驚いた気持ちもあった。何に対して驚いたのかといえば、自分(=スキッパー)がこんなに悲しい気持ちになることに、だ。こそあどの森の登場人物は、個々のキャラクターがはっきりしている分、読者はどのキャラクターにも共感できる。
スミレさんがそのあとに「だれだって泣くわよ……」と言ってくれた言葉は、とてもあたたかかった。その言葉がなかったら、ただただ悲しいだけでこのシーンが終わっていたと思う。スミレさんは、自分自身に対しても言い聞かせるような気持ちでそう言ったのだろう。言葉が、誰かに何かを伝えるためだけに存在するのではないと分かるシーンだ。スミレさんの心の中にとどまっても良かった言葉が、この場面では発せられる。そのことにも意味がある。
 

フー

みんながのぞんだものに次々と変身したフーは、「だれか」ののぞんだ妖精の姿になる。フーの絵があまりにかわいい(性格はちょっとアレだけれど)。初めて読んだ小学生のころ、この絵が好きで、いろんな妖精の絵を描いてみたりしていたのを思い出す。
妖精の姿になったフーはさらに、どんどん前の姿にさかのぼっていく。巻き戻しのような絵が思い浮かぶ。かなり怖いシーンである。悲鳴はほんとうに聞こえてくるようだ。
フーにみんなが語りかけたとき、スキッパーとともに私たち読者にもその情景が浮かぶ。そこにいたスキッパー以外のみんなもそのはずだ。フーが自分をとりもどしはじめたときにおとなたちが言った言葉はほんとうに素敵だ。すてきな大人が世界にはいるということは、子どもにとってあまりにも心強い。この物語は、大冒険をするわけでも剣で戦うわけでもない。悪者は出てこない。言葉の力だけで、フーは自分をとりもどした。言葉のもつ力はすごい、と改めて思う。
 

ラストシーン

ラストシーンが最高だ。フーの去り際、スキッパーとのできごとがよかった。フーが自分をとりもどして、だれかののぞむものと自分ののぞみの線引きをできたことがわかる。スープを飲む静かな食卓もよかった。言葉の力はすごいが、言葉が発せられないときもまた、すごくいい時間なのだと思う。
 
 
2019/12/09

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