雨やどり


岡田淳さんの本を読む -- はじまりの樹の神話
こそあどの森の物語シリーズ第6巻。
 

からだじゅうで呼びかける

ある夜、しゃべるキツネ(ホタルギツネ)がスキッパーのもとに突然現れる。森のなかには、崖かと思うほどの大きな木。そこにくくりつけられた女の子ハシバミを助ける。実はホタルギツネは前巻の『ミュージカルスパイス』に登場しているが、今回は大活躍だ。
ホタル曰く、その木とはしりあったばかりらしい。〈お――い〉とからだじゅうで呼びかけてかえってきた返事がその木のものだったと言う。ここまで、何とも突拍子のない出来事ばかりなのだけれど、読者はすでに、引き込まれて信じている。
からだじゅうで呼びかける、その感覚を味わってみたいと思った。が、「どうしてもっていう理由」もないし、そう簡単にはできない。だから、想像するしかない。むしろ、想像することならできるかもしれない。
想像するのに、読者が読者自身として思うよりも、ホタルやスキッパーの気持ちを思う。すると、からだじゅうで呼びかけるということがどういうことなのか、感覚としてほんの少しだけわかってくるような気がする。本を読んでいて“感覚としてわかる”というのは、すごい体験だと思う。“言葉としてわかる”ことの手助けをいつもしてくれる本が、実体験のような感覚を味わわせてくれる。
 

きっかけはトワイエさん

ハシバミの事情がわかり、こそあどの森のみんなにも紹介される。スキッパーが、あ、ああ、あ、と思っているうちに、湯わかしの家で暮らすことになる。みんなはハシバミにいろんなことを教え、みんなもハシバミからいろんなことを教わる。ホタルも、ウニマルに居つくようになる。とても平和、あまりに平和な光景。
きっかけはやはりトワイエさんだ。ウニマルで『はじまりの樹の神話』の話をする。しばらくたったある日、ハシバミは「戦うということを知った」と言う。神話がほんとうになっていくことに興奮するトワイエさんが目に浮かぶ。「ちょっと、太ったんじゃありませんか?」という言葉は、平和な生活に慣れてきているホタルをうまく表しているが、それを言うのもやはりトワイエさんの役目だ。それから、「あの、いやならいやでいいってセリフは、トワイエさんの入れ知恵のような気がするな」とホタルが言ったのに、私も賛成だ。
 

お茶の会

すごいお茶の会になった。ハシバミがリュウのいるむかしに戻ることは、誰が反対しようと変えられないと、最初からみんな分かっていた。ハシバミが悩みに悩みぬいて出した答えだということも、分かっていたのだろう。だからこそ、心の底から応援する。こそあどの森の人たちの心の温かさと強さはすごい。
 

とりもどす

ハシバミとホタルは、自分たちがすっかりなまっていたことに気づく。元のような生活をすることで、それらをとりもどしていく。しかし、こそあどの森のみんなから教わったことを忘れるわけではない。「戦う」ということだって、ここで学んだことなのだ。
 

ラストシーン

着々と準備は進み、いざその夜がやって来た。しかし、夜だからと、子どもたちはスミレさんとウニマルに残される。ふくれるふたご。ひとりになりたくなったスキッパーはふらっと書斎へ。そこでスキッパーは、ハシバミのお兄さんがリュウになったことを知る。
スキッパーがこんなに感情をあらわにするのに、ドキドキしながら読んだ。ホタルがあまりに格好いい。そして、あっけないお別れ。このお別れが何よりもいいのだ。ハシバミには、たぶんもう会うことはない。(ありがとう)そう言ってハシバミは、むかしに戻って行く。
ハシバミが戻った後、ほんとうのラストでスキッパーの「そうだったんだ」というセリフがたまらない。全てがほんとうにあったのだと、分かる。ハァー。思わずため息が出る。
 

2019/12/03

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