雨やどり


岡田淳さんの本を読む -- ユメミザクラの木の下で
こそあどの森の物語シリーズ第4巻。初めて読んだとき、一度読んだ後すぐに2回目を読んだ。そういうことだったのかと確かめてくドキドキを感じるのがまた楽しかったのを覚えている。
 

スキッパーの話

かくれんぼのわくわくがわからず、眉をひそめるスキッパー。それでもやっぱり気になってしまうところがスキッパーらしい。
こそあどの森にも春が来る。スキッパーが手をうしろで組んで散歩する姿がかわいい。森で、ふしぎな出会いをしていく。知らない子どもたちが現れては消える。川のむこうの明るい林をみつけて「へえー」と思ったスキッパーのこの言葉、ぴったりだと思う。それ以上でもそれ以下でもない「へぇー」。その林で“めがねの子”が言ったしりとりの詩がおもしろい。今でも時折、頭の中でやってみたりする。
夢かと思うスキッパーのもとにふたごが現れ、そこにまたあの子どもたちが現れることで、夢ではない(少なくともスキッパーとふたごにとっては)のだと思える。ついに、ほんもののかくれんぼをするスキッパー。おなかの底からこみあげてくる笑いをなんとかこらえるシーン。こらえきれずに思いきり笑う。みんなの潜んでいる気配。それらの描写の合間にふと、バーバさんの手紙を思い出すスキッパー。このシーンで、読者も知らず知らずのうちに「かくれんぼのわくわく」に引き込まれていたことに気づく。
急に気配を消してしまった子どもたち。スキッパーが消えてしまった子どもたちを探すシーンは、とても切ない。そこに現れるスミレさん。親切すぎない言い方が、あまりにあたたかい。こそあどの森の女の人たちは、魔女ばかりだ。
 

おとなたちの話

種明かしのようにおとなたちの話が語られる。蜜酒が美味しそうだ。子どもの頃からそう思った。アマヨモギと言えば、夏至の夜につかったそれだ。あのときの……! と思えるようなさりげない再会が、いい。ユメミザクラの話をして、「いろいろな話があるってことは、つくり話だってことかな」「いや、その、いろいろなひとが、話をつたえた、と、そういうことでしょう」というギーコさんとトワイエさんの会話も印象に残る。実話とつくり話が入り混じっているおもしろさを思う。
おとなたちが起こされたタイミングで、スキッパーが森で出会った子どもたちは消え、また眠ると現れる。スキッパーがあそんだ相手とも合う。スミレさんが「おこしにきてくれるひとがいるから」と言って夢に戻っていこうとするのが好きだ。
スミレさんだけは夢を覚えていて、最後に起こされた時も「みつかっちゃった」と言う。他のおとなたちは覚えていない。スミレさんは自分のやらなくちゃいけないことを、やる。勇敢でかっこいいスミレさんに惚れ惚れする。最後に、サクラの花が散るシーンは圧巻だ。映像で見える気がする。
 

2019/11/24

[感想文] Page Top