雨やどり


岡田淳さんの本を読む -- 森のなかの海賊船
こそあどの森の物語シリーズ第3巻。シリーズの中でも、悲しくて美しい物語。

日常

ふたごとヨットに乗ったり、トワイエさんを訪ねていったり、第1巻の最初には想像もできなかったスキッパーの姿が、冒頭から描かれている。それだけで、物語になっている全12巻の合間に日常の物語があることが分かる。ふしぎなことだけが世の中にあったら、それはふしぎではなくなってしまう。そして、こそあどの森の物語では、ふしぎな物語はいつも、日常のなかに起きている。だから、どこにあるのかも分からないこそあどの森をこんなに身近に感じるのだろう。

物語の中の物語

トワイエさんのもっていた本の裏にもなにかかいてあることに、スキッパーが気づく。そのときのスキッパーとトワイエさんの興奮と緊張感は、こちらにもとても伝わってくる。このふたりだからこそ共有できた独得の興奮。ふたりの会話も、子どもと大人という感じじゃなく、対等に親しく話している感じがいい。大げさだが、同志という雰囲気だ。こまかくうなずきあうふたりの、わくわくするようなむずがゆい気持ちは読者にまで広がる。
『フラフラの真実の話』はすごい。すこし怖いくらいに悲しいお話だ。これだけで一冊の本にしてもいいくらいなのに、それが物語の中の物語であるのに、とても奥行きを感じる。

本気

スキッパーとふたごは、ナルホドとマサカを探りに行く。ふたごがお茶に入っていたお酒に酔っぱらって『フラフラの真実の話』のことを話してしまい、トワイエさんの家に行くことになる。警戒心の強いポットさんは、とがめるようにスキッパーを見る。しかし、情に厚いのもポットさん。さいごには「みんなが本気になっている」。大人たちがこんなにも本気になっている姿は、頼もしく嬉しい。スキッパーとともに読者も胸を弾ませずにはいられないシーンだ。

船出だ

トマトさんとスミレさんも一緒に、ギーコさんの見つけた船へピクニック。いざ、人数どおりで船に乗り込み「船出だ」を試してみるが、しばらく何も起きない。マサカが「船出だ、船出だ、船出だ、船出だ……」と泣きながら何度も叫ぶシーンは初めて読んだ時から印象に残っている。体験したことのないくらい強い悲しさと悔しさが想像できた。未だ体験したことのない感情を自分の中に見つけることが、本を読む楽しさのひとつでもある。ほんとうに感じているようだった。これもまた、読者に対するフラフラの魔術かもしれない。

フラフラの魔術

フラフラの魔術は、ほんとうにすごい。森のなかを、地面を、船が走るなんて、想像するだけでどきどきする。風を切って進む感じや木々が後ろに流れていく様子が、思い浮かぶ。
みんなが自分自身を遠くに感じながら、フラフラ一座になっていたのがまたよかった。フラフラ一座がただ呼びもどされたのではなく、彼らの思いが、こそあどの森のみんなの中に生きて残された。
船は水に沈むように地面に沈んでいく。このシーンも想像するだけでため息が出る。沈んだ後でも、残されたものがまだそこにあるのを感じる。静かなラストシーンが、じんとくる。


2019/11/21

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