雨やどり


岡田淳さんの本を読む -- こそあどの森のおとなたちが子どもだったころ
こそあどの森の物語シリーズ番外編。
このシリーズが第12巻で完結したとき、寂しくはなかった。それは、こそあどの森がたしかにあって、そこに住む人たちの生活がこれからもつづいていくと、思えたからだ。そして、彼らが(いい意味で)変わらずいてくれたとわかるこの番外編を、とても嬉しい気持ちで読んだ。

人を知る

スキッパーがトワイエさんから借りた本の中に、一枚の写真が挟まっていたことで、ふたごとスキッパーは、トワイエさんに、そしておとなたちに、子どものころがあったと気づく。この物語のいいところは、ただおとなたちの昔話が語られていくだけではなく、おとなになった本人がいて、そのお話を(時々口を挟みながら)聞く子どもたちがいるところだ。ひとりの人間の「むかし」と「いま」はもちろん、誰かにとっての「むかし」とまた別の誰かにとっての「いま」も繋がっていく。ここでは、おとなたちの「むかし」と子どもたちの「いま」が繋がった。これが、人を知る、ということだろう。むかしのこと、いまある姿、そしてこれからがあるということを知るのである。

写真

それぞれの章のはじめに、おとなたちが子どもだったころの写真が描かれている。何気ない写真だったのが、話を聞いた後、見え方が変わった。表情が変わって見えたり、気づかなかったことに気づいたりする。ふしぎなことだと思う。物語の中で子どもたちがそれを体感するのと一緒に、読者もそのふしぎさを味わう。写真は変わっていないのだ。ただ、そこにある物語を知ったことで、私たちが変わる。

思い出

子どもたちがおとなたちの「むかし」を知るのと同時に、おとなたちも自分の「むかし」を思い出す。思い出すということは、忘れていなかったということだ。他にも覚えている思い出がいくつもあるのだろう。それらの思い出がずっと続いて「いま」になっていることを想ったのだろう。だから、物語を聞かせてくれたおとなたちはみんなとてもいい表情をしている。

自分を知る

森のおとなたちの話を聞いたスキッパーとふたごは、おとなたちに子どものころがあったことだけでなく、子どもがおとなになるということ、自分たちもいつかおとなになることを思う。人のことを知り、自分を知ることになったのだ。


2021/05/28

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