雨やどり


岡田淳さんの本を読む -- 水の森の秘密
こそあどの森の物語シリーズ第12巻。買ってからしばらくして帯の下にヨットが隠れているのを見つけ、嬉しい気持ちになった。うしろの見返しの地図に、これまでの物語に関するさまざまな書き込みがあるのも嬉しい。
 

プニョプニョタケ

食べられないと思っていたキノコの料理法が見つかる。あまりに美味しそうである。トワイエさんは「文化」と言い、バーバさんは「だれかがこまらないのかしら」と言う。どちらも正しい。人と自然が上手にバランスをとっていくことは、難しい。と、こそあどの森のみんなも身をもってわかることになる。
 

水の景色

ほんとうにきれいな景色だと思う。こそあどの森の物語は、特に後半は、水に関するものが多い。そのなかでも、一番きれいだ。
いつも歩いている道が海底になって、植物が海藻のように揺れている。その様子を家から見る。光がさしこむ。窓のそとの水に月の光がさしこむのを、スキッパーの目を通して見る。あまりにきれいでうっとりしてしまう。次の日、こんどはボートに乗って上から眺める。ボートは水を切って進む。水が揺れる。
そういう景色を、岡田淳さん自身が、そしてもちろん読者も、好きなのだ。
 

水かさが増えた次の朝

スキッパーは、ふたごがやってきてびっくりするくらいうれしい気分になって、ガラスびんの家でみんな無事だったことにまたうれしくなる。
ふたごがウニマルにやって来た時、三人は「ごっこ遊び」みたいなことをしているのがとても好きだ。「日常とは違う」ということが描かれていて、つまり、「日常がある」ことがわかる。ガラスびんの家の中で歪んで見える大人たちもおかしい。大変なことが起こっているのだけれど、おかしくて笑ってしまうような場面があるのがいい。非日常にある独特のワクワク感がある。 
第1巻のはじめのころを思い返すと、人が訪ねてきてスキッパーがうれしい気分になるなんて、到底考えられなかった。スキッパーの人との関わり方は、増えた。変わったのではなく、増えたのだと思う。それまでのように一人でいる時間も好きなまま、人と遊んだり話したりお茶したりする時間も楽しめるようになった。
 

調査隊

ふたごとスキッパーにスミレさんも加わり、調査に向かう。スミレさんは朝に見た水の精の話をしてしまったこと、スキッパーとふたごがすんなり信じてくれたことにびっくりする。こそあどの森の大人たちは、素敵な大人であり、きちんと大人でもある。「疑う」ということを上手にする。一方の子どもたちは「信じる」ことが上手だ。大人と子どもがこうして真実を共有できることが、とてもいいなと思う。
カエルがおやゆびとひとさしゆびで丸をつくるシーンがすんなり出てくるところがいい。その手つきがくっきりと思い浮かぶし、それがまた、あまりにかわいい。
 

ない→ある 

物語の終わりは、はじめから決めていたという。第1巻で「この森でもなければその森でもない……」というドーモさんの歌からはじまったこの物語は、この最終巻、「この森でおこったことは、その森でもおこるでしょうし、あの森でおこったことは、どの森でもおこる」というバーバさんの手紙で終わる。「ない」で始まった物語がいつのまにか「ある」になっている。いつからだろう、いつの間にだろう。こそあどの森のみんなの生活が今あって、これからもつづいていく。そして、私たちのいるところにもたしかに森はある。
 
 
2019/12/31

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