雨やどり


岡田淳さんの本を読む -- リクエストは星の話

『シールの星』

子どもはなぜシールが好きなんだろう。シールがほしいという気持ちは、大人が思う以上に強い。何かを嫌だと思う気持ちよりも強いのだ。しかしその何かを嫌だと思う気持ちがなければ、シールが欲しいという気持ちにもならない。それが「しんちゃん」だったのだ。なにかをしたいという気持ちは、時に、嫌だと思う気持ちのポジティブな表現でしかなかったりする。

『箱のなかの星』

それぞれの生活をもったみんながあつまって〈ぼくたち〉だということを、すばらしくて、ちょっとさびしいことだ、と洋はおもう。そう、さびしいのである。なぜなら自分と同じ星を見ることができる人はいないからだ。星は、人によって違う。たとえ同じものが好きでも、見える星は違う。だれとも共有できないものがある孤独。しかし、それをそれぞれが違う形で持っているからこそ、「すばらしく」もあるのだ。そして、心強いのだと思う。
「星は、いろんな読み替えがきくっていうところが、すごく好きなの」飛ぶ教室34号の二宮由紀子さんとの対談の中で、岡田淳さんがこう言っている。同じものを見ることができないということは、自分なりの見方ができるということだ。

『ポケットの星』

夢だったのかもしれない、ではなく、本当だったのかもしれない、と思わせてくるのが、岡田淳さんらしい。しかもストーリーに夢があって、とてもたのしい。

あいつ

ここまで読んでようやく、これまでの3つのお話が“お話のなかのお話”だったことが、きちんとわかる。最初にそれとなく「あいつ」という何かの存在が書かれているが、何のことやら、ここまで読まなくてはわからないのである。
そしてついに「あいつ」は「あいつにいわせれば」ほんとうの、「あいつ」自身の話をする。

『スター』

人間のいない世界をこんなに身近に感じる。見たこともないようなきみょうな島に住む、きみょうな鳥。夜空をみあげてニッとわらったら、星が落ちてきて、星型に歯に穴があくなんて、ものすごいファンタジーだ。このお話は、「あいつにいわせれば」ほんとうの話なのだ。

ドーフィー

ファンタジーに登場するドーフィーが「ぼく」のところへやってきて、話をする。これもまたファンタジーだ。読者はここで、この二重のファンタジーを信じていることにハッとする。気がつくともう、受け入れてしまっている。やられた! と思う。


2019/10/27

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