雨やどり


岡田淳さんの本を読む -- ぼくが立たされたわけ

いつ出会ったか

この物語は、大人になってから初めて読んだ。図書館になかったのです。やはり、繰り返し読んできたものとは感じ方も少し違う。岡田淳さんの作品に、大人になってからではなく現役の子ども時代に出会えたことを嬉しく思う。そう思いながらも、この作品だって、やはりとてもおもしろく読んだ。

お話

こんなにも臨場感がありながら、立たされたぼくが後からしているお話なのだろうと思う。タイトルが「わけ」と言っているし。“お話”らしさのある物語だと思った。フィクション的と言ってもいい。それでいて、本当にあったことで、嘘はないと思える。
空想と現実が同時に在る。交互に来るのでも、どちらかの狭間にどちらかが在るのでもなく、ともに存在する。だからこそ、ただの言い訳でも嘘でもなく、“お話”であり“わけ”でもあるのだと思う。同時に在る空想と現実がひとつになる瞬間が、最後のキスシーンだ(未読の方が、キ…キスシーン…?! となっている姿が目に浮かぶ)。
空想と現実とがひとつになるということは、どちらかがなくなったということだろうか。いや、空想と現実は同時にともに在ることもできるし、つきつめていけば、同じことなのだろう。だから、世の中には「夢」とかいう言葉が在るのじゃないだろうか。

ヤモリ!

出ました! ヤモリ! しかも大活躍。彼らの考えた作戦は、発想がすごい。耳にヤモリと消しゴムを入れるなんて、どう考えても普通ではない。楽しすぎる。この作戦を考えたのは岡田淳さんではなく、ぼくとヤモリと消しゴムとちびっこあくまたち、なのである。そしてその彼らを生み出したのが、岡田淳さんだ。そのことが、とても嬉しく楽しい。


2019/11/03

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