雨やどり


岡田淳さんの本を読む -- びりっかすの神さま

第1章:お父さん

お母さんは、死んだお父さんの生き方を否定する。始も「かわいそうだ」と思う。この場面は、たとえばただ悲しみに暮れていたり死んだおとうさんを美化したりするよりももっと、二人はお父さんのことが好きだったんだと分かる場面だ。そして、印象に残る。忘れられていく思い出と違って、きちんと記憶として残る。

第3章

名まえがなんの役に立つのかとびりっかすさんが尋ねると、始は「よばれたら、返事ができるよ」と答える。本当にその通りで、名まえは呼ばれるためにある。名まえで呼ばれることは、分類ではないということだ。
「自分ってものを感じ」ることは、「考えたり思ったりできるようにな」るということだと、びりっかすさんは言う。ふと、私に物心がついたのはいつだったかなぁと思う。こう、自然と日常の自分と重ねてしまえる。かなり不思議なことが起きていながら身近な物語に思える不思議だ。
ところで、始がずっと同じところを開いている本の、びりっかすさんがベンチのように腰かけたページって、『二分間の冒険』の「9 竜をたおす剣」だ! いま気がついた(興奮)。

仲間が増えていく

できないふりをした始にみゆきが怒る。みゆきもびりっかすさんが見えるようになる。(「ぼうさんのうちの、ほうさんがとけて、てんてんがのこると思うな」と言った始のセリフが好きだ。いや、セリフではなく、それを言った始が好き。)それから京ちゃん、俊也と浩一、正紀、征二…と増えていく。岡田淳さんの作品は仲間が増えていくものが多い。この物語では、どのようにしてそうなったのだろうか。
まずは、始ができないふりをしていたことの説明として、みゆきが仲間になる。京ちゃんの場合はちょっと違うが、俊也、浩一(、正紀)までは同じく。
次は、「おしえてなかまにすれば、ぼくたちのとる点があがっていくことになるよ」の始の一言で決まる。そのときの、みゆきの「おしえてあげればいいのに」のつぶやき。みゆきはいい子だ。
そして、「先生、ちょっとかわいそうじゃない?」と言い出したのは、みゆきだ。それからは「クラスの全員がなかまになってから……(先生に)おしえよう」ということになる。
仲間が増える理由は、ひとつではない。どんどん変わっていった。“変わっていく”ということは、“仲間が増える”こと自体が物語の軸ではないということだ。“変わっていく”ということが、“仲間が増えていく”という形で書かれているということだろうか。

変わっていく

仲間の数以外に、この物語で“変わっていく”ことは何だろうか。びりはいやだという気持ちはなくなっていく。びりをとることは、みんなで一位をとることになった。みんなののっぺりしたへんな顔は、したしみのある顔ばかりになった。文章になっていな部分でも、あの教室の中で変わったことは、想像すればたくさんあるだろう。
お父さんの「がんばれ」の言葉に対する始の気持ちも、変わった。どう変わっただろうかと思う。その夜、始はお母さんに言う。「本気で走ったってことさ」びりとは、他の人と比べてこそ生まれるものだけれど、がんばることはひとりでもできる。それなのにがんばるのは、自分以外の人がいてこそだった。
“変わる”ではなく“変わっていく”と思ったのは、これからも彼らの生活が続いていくからだ。


2019/10/24

[感想文] Page Top