雨やどり


岡田淳さんの本を読む -- 雨やどりはすべり台の下で

魔法つかい

「やっぱり、魔法つかいなんだよ。」雨森さんは魔法つかいなのだろうか。みんなの会った魔法つかいはほんとうに雨森さんなのだろうか。そもそも、雨森さんとはどのような人なのだろう。
みんなに起きた出来事は、ほんとうなのか、夢なのか。みんなの話の中の主人公はもちろんみんな自身だ。みんなに起きたことだから。彼らの物語の登場人物としての雨森さん。それが同じ人としてつながっていく感じがおもしろい。パズルが完成していくようなおもしろさだ。つまり、分からなかったたくさんのことが少しずつ分かってくる。
“分かってくる”ということは、“分かろうとした”あるいは“分かるきっかけになる何かがあった”ということだ。きっかけとなったものは、学年もばらばらのみんなの雨やどりであり、そこで生まれた会話だ。そしてそれを作ったのはもしかしたら雨森さんかもしれない。ここまで考えて「やっぱり、魔法つかいなんだよ」と思った。

さあちゃん

「雨森さんがさあちゃんにだけしたしい」と勝治が言う。他の子が話しかけても答えてくれないのは、雨森さんに話しかけることを自然にできるのが、さあちゃんだったからじゃないだろうか。
雨森さんは、その行動こそ不思議だが、心は子どもたちにとても自然に近づいている。雨森さんが子どもの心に寄り添っているというよりは、子どもの心を持っているのだろう。雨森さんはきっと、子どもの心というものは、大人になってもなくなるものではないと知っている。
さあちゃん以外のみんなは、そういう大人の存在を“変”だと思っているのかもしれない。そういう大人は、なかなかいない。なかなかいないから“変”だと感じる。魔法使いのような雰囲気も相まって、なおさら近寄りがたい。さあちゃんは、“変”だと思う気持ちがなかったのだろう。だから、雨森さんと自然に会話ができた。

ヤモリ!

出ました! ヤモリ! 子どもたちが出ていった後のトンネルで、ヤモリが話をしている。ヤモリの愛嬌が、文章からひしひしと伝わる。お話のオチまで最高だ。

むかしとこれから

子どもたちは、だれにでも《むかし》と《これから》があることに気づく。この「ふしぎであたりまえのこと」に読者も子どもたちと一緒におどろかされる。それはもちろん雨森さんにもあった。想像しきれない《むかし》が雨森さんにもある。そして《これから》も。
《むかし》と《これから》があるということは、人は“変わる”ということだと思う。そして“変わる”ということは“変わらないものもある”ということだ。変わる瞬間や、その中でも変わらずにあるものを想像する。そうして、その人を好きになっていく。みんなも、雨森さんのことを好きになっていった。

最後のセリフ

「みなさん……、みなさん、ありがとう!」最後のこのセリフは何に対してだろうか。なにかしたい、とみんなが考えたおわかれのシーン。雨森さん自身が、自分にも《むかし》と《これから》があることに気づいたのだろう。つらいことも、いいことも。このおわかれが、それを思い出させたのかもしれない。おわかれというものは、不思議だ。再会を約束するときもあれば、もう会えないことを刻むときもある。何も言わない方がよかったり、言葉が強い意味をもったりする。このおわかれのシーンは、だれにでも《むかし》と《これから》があることを、みんながかみしめているような気がする。

似ている

読み終えてもなお謎が多く残る雨森さんをこんなに親しく思えるのは、ふしぎだ。雨森さんって、誰かに似ているような気がするのだ。それは周りにいる大人の誰かかもしれないし、あるいは自分自身でもあるのかもしれない。


2019/10/27

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