雨やどり


管理人室 -- 日記 -- 2023/12
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2023/12/29 冬休みの予定
2023/12/20 2355
2023/12/19 一緒に
2023/12/17 ブラ3

2023/12/29 冬休みの予定

今日で仕事も一区切り。明日からの冬休み中に、溜まっていた仕事を全部やりたい。休みとは?(←いつも言ってる。)30日・31日は、ほぼ弾きこもるつもり。アナリーゼや練習をしないといけない曲が、73曲くらいある。小さい人たちのための曲探しもする。会計処理を合間にする。じぶんのところと、あと外の仕事2つ分を、年内に終わらせたい。その他、細々したことを調えておく。
年始は、尾道市のあたりをフラフラすることにして、2日の夜に宿をとった。2日、明ける前の夜中か早朝に車で発ち、お昼までには着きたい。7時間くらいかな。4時に出れば11時には着く。4日の夕方までに帰ればいい。3日の午後まで付近で遊んで帰りたいところだけれど、完全に渋滞に引っかかりそうなので、どうしようか考え中。3日の早朝に出ればいいかもしれないが、そんなにすぐ帰ってきちゃうのももったいない。静岡に行こうかしら。岡崎あたりで渋滞するのかな。朝早めなら大丈夫? 5~6時に出れば、お昼頃には静岡に着ける。静岡まで行っておけば、中部横断自動車道で渋滞に巻き込まれずに帰れる、たぶん。これがいい気がする。そうしようかな。静岡の友達にも連絡してみようかな。しかし、いつどこでどれくらい渋滞するのかちゃんとわかっていないので実際どうなるか。まぁ、渋滞したらしたでのんびり帰ってこよう。
ところで、思いつきで「尾道!」と思っただけで、何があるのか全然知らない。これから調べる。福山~尾道・付近の島(、静岡)でいいところを知っていたら教えてください。近くに行くorいてお暇な人がいたら声をかけてください。

2023/12/20 2355

今日の2355(Eテレで23時55分~やっている5分番組。考えてみると10年近く見続けている)、わたしの好きなものづくしだった。自由人トム。しかも見たことないのだったから新しいのだと思う。ビールを何杯飲むのも自由。「ら・まどらぐ」と、それを歌うトビー。どぅらぱじゃそれい~。この間は、夢を作る工場も流れたし、いい季節ね。

2023/12/19 一緒に

かわいい!と言ったときに一緒になってかわいいと言う人に対して、それなりの関係性がない人ならば、警戒する。わたしの何をわかって共感(するフリ?)などしているんだ…と。しかし逆の立場ならわたしはどうするだろう。かわいいと思ったものに対してよく知らない人がかわいいと言った場合、一緒にかわいいと言うしかない気がする。もしくは適当に相槌を打つくらいしかできそうにない。だけど、その人は本当にかわいいと思っているのだろうか。かわいいって言っとけばいいやと思って言ったのかもしれない。
仲の良い人とは、かわいい~って一緒に言うし、たぶん一緒に言ってくれるだろうと思ってかわいいと言うこともある。一緒にかわいいと言えることはうれしい。でも、ずっとは続かないのかもしれない。小さい人は大きくなっていくし、みんなそれぞれにその人だけのものに影響を受けて、何かが変わったりもする。ただ笑い合っていたことが、いつの間にか同調になって何かを確かめるようになったらいやだ。そんなふうになっていないよね、と時々ふと考える。そういう時のわたしはたぶん冷たい。だけど本当は、一緒にいたいだけなの。ニャ。

2023/12/17 ブラ3

 どこかへ行きたいと、ここのところずっと思っていた。ここにわたしがいるということが誰かにとっては大事で、その役割をきちんと果たすことで、わたしはどこへも行けなくなっている。もうちょっとうまくバランスをとって、どこかへ行ったほうがいいなと思う。
 同じ場所にいつづけると、ずっと同じ喋り方になったり、わたしたちにしか分からないことばで会話したりしてしまう。17日の夜、久々にいろんな人と会って、自分が場所(あるいは人)毎で全然違う喋り方をしていることに気づいた。前にも同じことを思ったことがあったかもしれない。その時はたぶん、どれもがわたしなのだろうと思った気がする。今は、その「わたし」というのは、どこから眺めたわたしなのだろうかと考える。自分がしたくてしているのか、相手が求める(と思われる)ことに反応しているのか、あるいは、自分でも相手でもないものに関係して存在しているのか。

 話はいったん変わるが、今回の電車のお供に選んだのは、まずは、ブラームスのピアノ協奏曲第1番。ソリストはジュリアス・カッチェン(ブラームス弾きと言えばこの人なのです)、ピエール・モントゥー指揮、ロンドン交響楽団。カッチェンのブラームスには、こんなにのびのびと自由でいいのか!と思わされる。第1楽章の第2主題(最初にピアノがソロで弾く)は胸にぐっとくる。
 次に、チャイコフスキーの交響曲第5番。カラヤン指揮のウィーン・フィルの演奏だが、トランペットがやけにバリバリしていてホルンは遠くから聞こえてくる感じがするのは、録音環境のせい? それにしても、チャイコフスキーは、華やかで輝きがある。これを聴くときは、客席から聴くようにしか聴けない。わたしの中からは生まれてこない。
 帰りの電車で(また)ブラームスを聴いた時、わたしの中から…という気持ちは確かになった。いずれも、カール・ベーム指揮のウィーン・フィル。半分寝ながら、第2番(いい曲)、第1番(かっこいい……)と続けて聴いて、第3番を聴いた時、これは今のわたしの心だとハッとした。うとうとしていた目が急にパチッとして、窓の外の明けたばかりの空を眺めながら聴いた。音が心の奥底から水のように湧き出て、それが聴こえる。耳から入ってくるのではない。心が音を鳴らしているかのように聴こえる。第3番の第3楽章がこんなに寂しく聴こえたのは初めてだった。さらに、第4番の第1楽章を聴いた。冒頭のタラ~タラ~を、これからのわたしだ(といいな)と思った。第2楽章に入るところで、電車が駅に着いた。

 無理やり話を戻すと、自分の中に響いているものこそが、ほんもののわたしなのだろうと思う。少なくとも今は、ブラ3がわたしにそう思わせている。何かを求めることも求められることも、今のわたしにとってはあまり大事ではない。はたから見たら求めたり求められたりして動いているように見えるかもしれないけれど、そうではないという感覚を持っている。そういうことにひっそりと抵抗している自覚もある。
 わたし自身が気に入っているかどうか(もっとおとなしぶっていたいとか、かわいくいたいとか、本当はそういう気持ちもある)は別として、17日の夜は、わたしそのものの姿をしていたと思う。わたしのこの姿が、みんなの自然の一部ならいいな。それ以上に、誰かにとって大事だったり何かにとっていいことになったりしていたら、ちゃんとそのことと付き合っていきたい、かたよらない程度に。もしも悪になっていたら、どうしよう。ひとまずは、どうしたらいいって思っていればいいかしら。
 続けていることが、どれもそれなりに長くなってきた。慣れて勝手がわかってきたころが危険ね。安全とわかっている同じ道ばかり通ってしまいそうになる。違う道を選んだり、新しい道を見つけたりしていたい。……つまり、さんぽ! 来週も東京に行く用事がある。時間があったらフラフラして帰りたい。年始も、どこかへ行こうかなとぼんやり思っている。車で遠くに行きたいな。四国まで行けるかな。四国、なにがある?(まだ、完全に思いつきの段階)

おまけの話:いい公園をいくつか見つけたので、いい公園をまとめていきたい。ずっと言ってて、ずっとやってない。
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