雨やどり


管理人室 -- 日記 -- 2023/09
一覧
2023/09/24 考・再現芸術
2023/09/20 !

2023/09/24 考・再現芸術

 前の日記は、書きたかったことが何も書けなかった。本当は、遠くに逃げたかった。遠いところに行けばきっと大丈夫だと思った。何もかもが不安で恐ろしくなる時がある。8月のおわりくらいから常にその感じがあって落ち着かず、食事と睡眠を削って(よくない!)あれこれしていたので、だいぶ疲れていたけれど、ようやくこうして書ける気分になってきた。強くいなきゃいけないんだ(弱いところを見せたら、みんな離れて行ってしまう気がするから)という思い(込み)は相変わらずある。
 何もかもが不安なのに、そのどれもがどうしようもなかったり時間が経たないと分からなかったりして、さらに不安になる。その不安を紛らわせるために、とにかくピアノを弾き続けていた。なぜわたしはクラシック音楽が好きなのか、それはクラシック音楽が“再現芸術”だからなのだと思う。楽譜に書かれていること、作曲家について、時代背景、いろんなことを勉強して考えて選びながら、時代や土地に思いを馳せる。その時にわたしの場合は、自分の事情をほとんど持ち込まないようにしてきた。見たこともないような大きな自然に対する愛や味わったことのないとてつもない苦悩を、自分自身のものとしてではなく、誰かを通して感じて表現する。だから、そうやってピアノを弾くときは自分から離れているのであって、それはとても遠いところに行くことに似ている。ようやく話が繋がるのだが……、こういうわけで最近はずっとピアノを弾いていた。

 演奏家たちは、どのくらい自分の事情を曲に反映させるのだろう。わたしはほとんど持ち込まないと先ほど書いたが、別に意図的にそうしてきたわけではない。改めてちゃんと考えてみると、誰かが特定の人や物に対する愛を込めて作った曲を、わたし自身の愛の音楽にするよりも、その人自身の愛として演奏するほうが、わたしにとってはいいことのような気がする。わたし自身が未熟な人間だからということもあるし、自分から離れたほうがどこにでも行ける自由さがあるんじゃないかと思う。だから、これまで自分の事情を持ち込まないようにしてきたことは、たぶんよかった。
 と書いておいて、まったく正反対のことをこれから書く。自分の事情を持ち込んだことは“ほとんど”ないと書いた通り、まれに誰かをおもって弾いたことがある。今ぱっと思い出せるのは3回。もちろん、同じように作曲家の見たり感じたりした世界を再現したいという気持ちに変わりなはいのだけれど、そこにわたしの祈りのような気持ちをのせて、どうか届いてほしいと思って演奏した。その時の演奏はどうだっただろうか。実はこの3回とも、その場におもった人はいなかったので、どうだったのかしらと勝手に思い続けている。いつもの演奏とは違ったなと自分では思うけれど、聴いた人は何も気づかなかったかもしれない(どんなに表現しているつもりでも、結局は聴く人が感じることがすべてだと思う)。もし違いがあったとして、果たしてどちらがいいのだろうか。このことを、少し時間をかけて確かめてみたいな、と最近思った。

 余談。どんなに自分の事情を排除しようとしても、作曲家を通して何かを感じる心は演奏家のものだから、完全な再現は不可能。楽器も今と違うし。そういうことを分かったうえでの再現の意味とは? 過去の人間たちの生活や感情に、なぜみんな思いを馳せるのだろうか?(音楽に限らず。歴史を学ぶということとは別に、もっとささやかな心を知ることについて)

2023/09/20 !

ここからいちばん遠いところ。やはり海だろうなぁ~~
[日記] Page Top