雨やどり


管理人室 -- 日記 -- 2023/08
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2023/08/31 日めくりカレンダー
2023/08/21 ご報告
2023/08/17 夏休みの終わり
2023/08/13 時間がかかるということ
2023/08/12 夏休み

2023/08/31 日めくりカレンダー

お盆は台風で行く予定の地に行けなかったし、仕事が始まってからは気にかかることがあって夜中3時までどうにもならないのに座ってもやもや考え続けて寝不足だったし、やっぱり大人は何かを求めていて私はそれに応えなきゃいけないのかって迷いながら結局応えているのもしんどかったし、ようやく楽しみなことがあるって思ったら熱出るし。レッスンしかしてなくていまだにレッスン中はマスクしてるけど、なるときはなるのね。先月の失声といい、ビョーインにお世話になることが増えていて、疲れる(ビョーイン苦手)。苦手な電話を3時間くらいかけ続けてようやく休みの算段をつけて、そんなに具合悪くないぞって安心していたのも一瞬で、うつしてないかとかいろいろ不安になったり日が経たないと分からんよなぁと開き直ったりでもやっぱり不安になったりで、結局読んでいた本もあんまり入ってこないから、仕事のことばかりして余計疲れた。気にかかっていることも迷っていることも一時的にほったらかしになっているだけで、これからどうにかしなくてはいけない。しくしく…… それでも! それでもわたしはカレンダーをめくる瞬間を信じているからね!

2023/08/21 ご報告

私的な話が多いので、この日記はそのうち消すかもしれない。すべて書いた後、公開する前に思いなおして消すかもしれない。そういう心づもりをして書き始めることにする。
おばあちゃんの家(お母さんの実家)を売ることになった。具体的には決まっていないけれど、その方向でいろいろ動いている。おばあちゃんはわたしが小学生の頃に亡くなり、おじいちゃんはお母さんが学生の頃に亡くなっていて、お母さんも叔母ちゃん(母の妹)も家を出て、長らくだれも住んでいなかった。1階が店舗になっていて、そもそもはおじいちゃんがバイク屋さんをやっていたらしい。面した通りには、立派な名前もそれが刻まれたアーチもあるくらいなのが、今ではすっかり廃れている。店舗には雑貨屋さんがわりと長いこと入っていたみたい。その後は、倉庫として貸したり空いていたり。最近、八百屋さんをやるという人が隣県から来て貸していたが、夜逃げしてしまった(こんなことほんとうにあるんだ)。結局、行方知れずのまま、腐った野菜は不動産屋さんが片付けてくれた。そんなこんなで、維持費やら固定資産税やらでマイナスが大きい。築50年くらいになるので、いろいろと抱えているし。あとは、お父さんとお母さんが、自分たちが生きている間に何とかしようってことなんだと思う。売ることを決めたのも、もちろんわたしではないし。
お盆の花火大会の日は、わたしたちきょうだい4人といとこ2人が、必ずここに集まった。早くから集まって、広い畳の部屋でごちそうを食べ、大人たちはいつまでも飲んで話していたけれど、飽きた子どもたちは家中を探検した。暗くなると、わたしたちきょうだいは、まだ小さくて危ないからと3階のベランダから花火を見た。いとこのお兄ちゃんたちは、5階の屋上から見ていた。屋上に続く階段を、わたしはいまだにのぼったことがない。たまや~という声が聞こえてきて、花火ではなくその声に答えるように、わたしたちもたまや~と叫んだのを覚えている。
お母さんが、わたしたちに本当に真剣な顔で話をしたことが2度だけある。最初は、おばあちゃんが病気になった時で、このことについては以前書いたから今は書かない。2度目が、いとこ家族の中でいろいろあって(詳しくは今もよく知らない)叔父ちゃんと叔母ちゃんが離婚することになったとき。「お父さんとお母さんは、何があっても離婚することはないからね」と言われたことをとてもよく覚えている。どういう意味だったのだろうと、当時も今もずっと思っている。叔母ちゃんは母の妹だから今でも会うけれど、叔父ちゃんとはそれ以来会っていない。従兄の2番目のお兄ちゃんとも。いや、嘘。高校生の頃、一度だけ2人を見かけたことがあって、たぶん向こうも気づいていたのだけれど、なぜだかお互いに気づかないフリをした。誰にも言っていなかったこと、初めてここに書く。その叔父ちゃんが少し前に亡くなったらしい。
二度と戻らない日々のことをちゃんと知っているのは、きっと私だけではない。最近、わたしのまわりでいろいろが少しずつなくなっていく。こういうふうにして、いつか何もかもなくなっていくのかしら。

2023/08/17 夏休みの終わり

一週間の夏休みも今日でおしまい。今宵は、夏休みの終わりの感じがちゃんとあり、よろしい。夏休みの終わりの感じとは何だろう。お盆が明けると、今日のような涼しい夜がある。この風のことなのか。それとも、明日の準備をして、いつもの世界に戻っていくための扉を見つけている夜のことか。休みの日は、明日のことなんて考えていないものね。あるいは、秋冬が懐かしいことだろうか。今ぼんやりと思い浮かぶのは、冬のトレーナーを着ているわたし自身で、それは小学生のときのことのような気もするし、これから来る季節かもしれない。いずれにしても、とても懐かしい風景を見ている。
結局、近くの山に登った他にはどこへも行かなかった。その分、溜まっていた仕事もできたし、溜まっていた練習もできたからよかった(休みとは?)けれど、どこかへ行けたらもっとよかった。9月に何日か続けて休みにしている日がある。いつもなんだかんだで仕事が入ってしまうのだけれど、うまく守りきれればどこかへ散歩に出かけよう。近くにいる人々のことを思い出しながら。

2023/08/13 時間がかかるということ

6月、部屋を片付け始めた。まず、床や棚の上に積んである本をすべて本棚に収めた。そのために、棚をいくつか買って組み立てたりもした。次に、服と鞄を整理して、いらないものは捨てた。それから、クローゼットや引き出しの中身を整理した。そして、机の上に積み上がっていた書類。捨てたりファイルに入れたりして、きちんと縦に収まった。書けば一瞬だけれど、ほとんど夜、仕事の後にしていたので何週間もかかったし、けっこう重労働だった。如何せん、物が多い。
ひと通り片付いた部屋はとてもすっきりしていた。部屋を見て、元通りになるには時間がかかる、と思った。元通りとは、まったく同じように物が配置されているということではなく、再びこの部屋の物たちが今いるところに馴染むということ。物だけでなく、わたし自身もこの部屋の一部としてすっぽりとはまっていること。だから、たとえ元と全く同じ位置にすべてを戻しても、もうそこはわたしと親しい部屋ではない。しばらくはそわそわしながら過ごしたが、最近はだいぶいい。すっきりしたとは言え相変わらず物は多く、お気に入りや宝物があちらこちらにちゃんとあることを感じる。ふとした瞬間に目が合う。

そうやって過ごす日々、時間が必要だったのだなぁと思い当たることがいくつもあった。時間がかかるのは、元に戻っていくには同じことを何度も繰り返すしかないから。なぜ繰り返すのか。繰り返すときに、どう変わっていくのか、あるいは変わらないのか。
何かを考えるとき、わたしはよく音楽について考える。例えば、ピアノを弾くときのことを考える。同じフレーズが続いたりリピート記号があったりする場合、大抵どう変化をつけようか考える。だけど、変えずに演奏した場合、それはつまらないのかと言えば、そうではない。少し前に音楽雑誌を読んでいて、このことを「熟成」と書いている方がいた。なるほど。置いておけば味や香りに変化が生まれるように、同じことを繰り返すだけでそこにある何かに作用して、違う味わいになることがある。意味が深まったり、親しく感じたりする。
生活でも、同じように毎日を過ごしていても、いつの間にか物事の意味合いや重さが変わっていることがある。その自然な変化がいつでもすてきであるようにしたいなぁと思う。

では、自然に変わっていくことではなく、何かを変えようと思った時はどうか。部屋を片付けようと思ったのは、暮らしにくかったからではない。むしろ居心地がよすぎるくらいだった。だけどこのままではだめだ! いろいろを断ち切らなくてはならない! となぜだか急に思い立ち、それで片付けが始まった(自分でもどういう発想かよくわからない)。さっきも書いた通り、なかなか大変な作業だった。それでも途中でやめなかったのは、よくなると信じていたからだと思う。
変わることが自然だとすると、変えることは不自然なのかもしれない。それでも変えようとするとき、変えるエネルギーだけでなく信じるエネルギーもいる。もちろん時間もかかる。その間ずっと信じていなくてはいけない。大変なことだけれど、わたしは今のところ、新しいものを信じていたい。

そんなこんなで時間がかかるということを確かめながら暮らしていたら、ほんとうにいろいろと時間がかかってしまいました。この日記を予告してから書くに至るまでも然り(言い訳)。

2023/08/12 夏休み

昨日から17日まで、一週間しっかり夏休みです。今日、山に登った。あとは、少し遠くへ行く予定の日があるが、台風の状況次第では無理かもしれない。

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