雨やどり


管理人室 -- 日記 -- 2022/03
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2022/03/28 正直に還る
2022/03/21 so sad
2022/03/13 図書館
2022/03/12 たんじょうび
2022/03/03 夜明けの祈りの鐘

2022/03/28 正直に還る

わたしという人は、冷たくて強気に見えていたらしい。過去の話。それは、怒りからの態度では決してない。悲しくなる自分を許せないだけだったのだろう。とても悲しい気持ちになってぐるぐると不安になって、そしてようやくなんとか立ち直ったときに、冷たくて強気な人に見えるようなふるまいをしていたのだと思う。それでも、できるだけいろんなことを覚えていようとしたわたしは、そこそこ正直者だったと思う。
社会に出て2年目くらいからかしら、しゃべることをやめた。話せば必ず通じると心のどこかでまだ信じていた部分もあった。ちょっとしたいろいろなことが積み重なって、話してもだめかもしれないと思った。というか、話すのがきつかった。通じる通じないの問題以前に、だれも聞いていなかった。聞くことを望んでいない。諦めではなく、しゃべらないことに決めた。黙っている方法を選んだことが正しかったのか、よかったのか、当時も今もわからないけれど、そうするしかなかった。諦めではない。というのは、そう自分に言い聞かせていただけかもしれない。
しゃべらずに、にこにこした。わたしは同じにはなるまいと思ってにこにこしていた。いやなことはいくつもあって、その度に、記憶から消すという都合のいい手口を使って、だんだん正直者から遠ざかっていった。そこに強気な思い込みの決意ばかりが残ったのだろう。重い鎧をがちゃがちゃと随分着こんだものだ。つい最近まで、忘れたことは忘れたままだったのに。忘れたままでいれば苦しくなかったのに。忘れていたことが次から次へと思い出される。とてもしんどいことね。と同時に、鎧が脱げていくのも感じた。これからはもう違う道も歩けそうだと思った。正直に還るのがいいのかもしれない。そうするなら今しかない。

ようやく「正直に還る」という話になった。今のわたしが思う「正直」とは、思ったことを言葉や態度でそのまま表すということではない。忘れてしまいたいこともこれからはちゃんと覚えていたい。思いつきもせず忘れたものを見つけておきたい。そういう意味の正直。傷つくとしても、せめてむかしくらいには正直でいたいのよ。だけど、もう、冷たいとは言われたくない。そう見えていなかったと思うけれど、わたしは本当に悲しかったので。言う人は何も悪くなく、わたしの言葉や態度の選び方がじょうずではなかったのだと思う。修行が足らなんだ。いろんな道を歩いてきて還っていく。散歩みたいね。散歩の途中で見た景色があることをもう忘れない。

還ろうと思えたのには、忘れていたことを思い出したこと以外にもきっかけがある。4月末でやめる職場のこと。その場所で4年、諦めではないと言い続けながら本当は諦めていたのかもしれない。わからない。結局何もできないまま(何かできると思っているほうが間違いなのだけれど)この春でやめる。心苦しく思うこともたくさんあったけれど、それ以上に、もういいんだ! という気持ちが強いことに気づいた。もういいんだ……! なにがもういいのだろう。考えてみる。
終わるということは、始まったときがあるということでもある。終わりは始まりを思い出すきっかけになる。始まりの頃、よくなることを強く望んでいたのだと思う。わたしたちはむかしからずっとよくなりたかった。そのまま社会に出てきてしまったのね。終わる今、よくなりはしなかったけどそんなに悪くなることもなかったなと思う。変わらなかった。変わらないことは時にとても嬉しかったり心強かったりするけれど、ここでの変わらなさがわたしには合わなかった。合わないだろうと予想はしていたけれど、見事に合わなかった。そういう場所から離れていくことは、違う場所でまたみんなと会えるということでもある。学校でしか会ったこのとのなかった友達と公園で会った時にもっと仲良くなるみたいな。公園でのわたしたちは、学校でのわたしたちと何も変わらないのだけれど、なぜか仲良くなる。なにがもういいのか、ということに考えを戻す。もうここじゃなくていいんだ、ということかもしれない。ここじゃないところでわたしたちは会えるね。また会えるように、ちゃんと覚えていようと思った。
などというようなことを考えていた3月28日の明け方、昨日の夢を見た。その夢は、昨日のことだとすぐにわかった。もう4年も前のことなのに、昨日のことだと思った。この4年は長くて寂しかった。本当は会いたかったのに、会いたいという気持ちを思いつかなかった。会いたかったんだと、ようやく思えた。思いついたのか、思い出したのか。とにかく、思った。

これは決意の日記なのだけれど、実はとても心細い。いつか誰かわたしの話を聞いてください。これを読む未来のわたしでもいいね。未来のわたしは、このわたしをきっと励ましてくれる!

2022/03/21 so sad

山のコーヒー豆やさんまで車で40分。長めの移動は、音楽を聴くのと考えごとをするのが捗る。wafflesの歌を初めて聴いてからもう4年近くなるだろうか。最初に買ったアルバムに入っている「so sad」が久々に流れて、とても心強く思った。
すきだから会いたいんじゃなく、かなしいから会いたいのよ、と歌っているように聞こえた。このひとの「かなしみ」が何なのかはわからないけれど、これまではそれを知らなかったのだと思う。あなたがそれを教えてくれたから、今は「かなしみに夢中でどこへも行けない」けれど、きっとこの人はいつか歩いていく。その予感にとても励まされる。
そして、好きという気持ちは、悪いものではないのだけれど、理由には決してならない。矢印のあるような感情はすべて、関係の理由にはならないはずだと思う。それが理由になっているのだとしたら、関係をサボりすぎているだけ。あなたのこんなところが好きなどとは一切言わず「静かに誰かと心を分けてたいだけ」とだけ歌う詞は、まさにそうありたいとわたしが願う気持ちと同じだ。

昨夏あったいやなことの続きが最近またあって、どうしたらいいかずっと考えていた。距離感バグの人、勘違いの人はすべて、矢印の感情だけで動いているのだと思い至った。だから、いろいろがおかしくても本人は平気でいる。わたしだけが傷つくなら、勝手に傷ついているわたしが我慢して(滅べばいいと思いはしますが)どうにか対処するか放っておけばいい。
今回みたく、それがわたしが信じているものや大事にしているものを利用して汚すような言動の場合、許しがたい気持ちになる。現に許せない(などというと傲慢に聞こえるけれど、起こっていいこととして認められないというニュアンス)でいる。さらに、何を思ったのか「不快な思いをさせた」「あなたに失礼をした」みたいなことを言い出したら、終わり。滅んでください。本当にその気持ちなら、わたしの前には二度と現れず、どこかでまともに生きていくべき。わたしの信じているものを下品に扱ったことに気づかず、のこのことその顔を見せている時点で、うわべだけ変えても本質は何も変わっていないことは明白。
とにかく、愚行を許すまじという態度をこれまでより強くしていくしかないだろう。他人や自分がどう思っているかではなく、他人と自分自身のあいだに何があるのか見ようとすべき。ひととひとのあいだには矢印以外の感情が必ずあるはずなのに、ラクして矢印ばかり見て関係をサボりきっている人々は、いつでも距離感バグの人になり得る。予備軍はかなり多い気がする。こわい。大半の人はそれが表に出ずに一生を終えるから、世は何とか持ちこたえているのだろう。距離感バグ人間を救おうという気持ちは一切ないし、むしろ滅んでくださいと思っているくらいだけれど、いいひとが多くいる世界はあきらめたくない。その時々で地道にがんばっていくしかない。

2022/03/13 図書館

眩暈の人と付き合いだしてからもう1年半か2年くらいになるだろうか。眩暈の人が来る日にはその予感がするようになってきた。眩暈の人が来たらどうするのがいいのかも分かってきた。おかげで、夕方、自転車で春風を浴びながら図書館へ行くことができた。返却日が今日の本もあった。

市の図書館には、通っていた小学校の司書の先生だったひとがいる。わたしは大きくなったしむこうはきっと覚えていないけれど、わたしは覚えている。大好きな本たちのほとんどは、学校の図書館で出会った。本棚の風景をとてもよく覚えている。そして、そこにいたひとのことも覚えている。小学校の図書館がわたしのいちばんの図書館であることは、間違いない。
5年生で図書委員をしていた頃、金曜日の当番で一緒にカウンターに入っていた6年生がいた。ふざけて「さん」と「せんぱい」をかけあわせた「さんぱい」をつけて呼んでいた。いつも「3回負けたみたいだからやめてよ」と言われていたけれど、ずっとそう呼んでいた。カウンターの中でわたしたちは仲が良かった。しかし、そこ以外ではほとんど会わなかったし、会ったとしても話したり遊んだりすることもなかったと思う。先に中学生になったそのひとと、その一年後に同じ中学に入ったわたしは、もうただの別々のひとたちだった。廊下ですれ違う時、あ、と思ったけれど、そこはカウンターの外なのだった。

夜になって、予想通り、眩暈の人が遠ざかっていくのが見える。窓をあけて、春の夜の匂いを嗅ぐ。部活の後の匂い。狭い部室で、地元民のわたしたちも電車組の電車の時間を気にしながら、スコアを広げた。バンジャを読んだ。お菓子を食べた。くだらない話をした。真面目な話をした。さて、さっき借りてきた本を読もう。

2022/03/12 たんじょうび

たんじょうびでした。エビ。

2022/03/03 夜明けの祈りの鐘

これを世間では寂しさと呼ぶのだろうか。初めて会った時から、もう好きだったひと。初めて会った日がずっと続いていたみたいだった。初めて会った日からたくさん話したり笑ったりしてさいしょよりもずっと仲良くなったけれど、初めて会った日みたいにずっと好き。変わらずに好き。さようならって言ったとき、わたしがしたかった顔をそのひとがしたから、わたしはいつも通りに笑うことにした。広々と澄みきった心の朝に、祈りの鐘の音が聞こえる。いつかどこかでまた会おうね、という祈り。わたしはわたしで、いつか弾こうと思っていたその曲をそのひとのいない春に弾くことにした。

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