雨やどり


管理人室 -- 日記 -- 2021/07
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2021/07/29 えぬこん
2021/07/27 よくなりたい
2021/07/26 星
2021/07/22 色
2021/07/20 ねぶそくの日
2021/07/18 夏
2021/07/17 音楽
2021/07/13 日々演
2021/07/12 ムクドリ
2021/07/04 あまずっぱい光
2021/07/02 グリカ
2021/07/01 守る

2021/07/29 えぬこん

いよいよNコン地区大会でした。昨日は、前日でみんな気合が入っていてガーガー歌っていたので呆れてしまったのだけれど、今日は割合落ち着いているようでよかった。というか、落ち着いてねと言っておいた。本番は思ったより落ち着いて歌っていて、本番に強いタイプなのだな…と思った。そういえば2年前も同じことを思ったな、と思い出す。新型ウイルス対策で、ところてん式に一校ずつ歌っていくだけだったので、他の学校の演奏は聴けず、残念。コンクールは演奏することがメインだけれど、聴くことの方が大事だと私は思っている。講習会などの様子を人から聞いていて、県大会は無理だろうとこっそり思っていたのだけれど、すべりこみで行けてしまった。演奏順もあったろうな。なぜか「ご指導.」までしたので疲れ切っていて、これで解放される!と思っていたら一週間延びた。またあの日々が…とも思ったけれど、やはり嬉しいものですね。生徒たちも喜んでいるだろうな。
それにしても、このあたりは小学校でもほとんどの学校に合唱団があるほど合唱が盛んな地域なのに、あまりにレベルが低い。北の地区で銀賞の学校は、南の地区のレベルならみんな金賞だろう。何が違うかと言えば、やはり指導者なのですよね…。力のある先生が異動すると途端にレベルが落ちる。中学生くらいになると、前年に金賞をもらって県大会に行っていた子たちが残っていて、そういう子たちがいい雰囲気をつくってくれるからまだ何年かは持ちこたえていたりする。私が伴奏している学校なんてまさにそう。そういう意味では、今年県大会に行けてよかったね、と思う。とにかく先生の運営が悪すぎて部活の雰囲気があまりよくない(ぎすぎすしているとかではなくなんとなくやる気のない感じ)ので、生徒たちが前向きに取り組める結果があることは大きい。中学生でそんなふうなのだから、小学生なんてもっと指導者に依るところが大きい。実際に、前回金賞だった学校は、先生が変わって今回は銅賞である。
でもやはり、合唱指導はどんなにがんばってもできない人はできないのだろう(それにしてももうちょっと勉強のしようがあるだろうと思ったりもする)し、学校の先生もお忙しいのでせう。だから、音楽を専門にやっている私たちがもっと介入してもいいはず。私たちはちゃんと謝礼をもらって、生徒たちはよくなったり賢くなったりして、先生たちも負担が減る。世界がよくなる。なぜそうなっていないかと言うと、単純に公立学校にはお金がないから。今回の私の場合、「謝礼をもらう」というところ以外は達成している。いつか私たちが謝礼をもらえるような世の中になっていくといいけれど、私たちのユートピアに私たちはたどりつけないからね、今は、中学生くらいの人たちが自分たちの力で賢くなっていくことに加担するしかないわけ。だいたいのピアニストは、しっかりしているので、謝礼がなければ口出しはしない、というのが当然のスタイルだと思う。別にしっかりしていなくても、そもそも指導できない人はできないだろうし。私だって、指導もするならその分のお金をいただきます、と言えばいいのだけれど、それなら結構ですということになるに決まっている(繰り返し言うけれど学校にはお金がないので)。しかしこのままでは私たちがいなくなったあとにもユートピア(お金の問題だけじゃなく)は訪れない。私には犠牲という意識もなければ、実際のところ犠牲でもなく、本当はみんながそうするしかないはず。そうじゃない?今のところ、そうやって生きている人はたぶん少ないけれど、少しはいる。そういう人たちとまた会いたいです。会ったことのない人にもまた(また?)会いたい!
話が急に遠いところまで行ってしまった。このご時世、遠くに行かれないとみんな思っているけれど、私はあんまりそういう気がしていないです。話を近くに戻す。Nコンのあと、宇宙一おいしいアイスクリーム屋さんへ久々に行って、スイカソルベとももソルベを食べた。宇宙一おいしかった。

2021/07/27 よくなりたい

ずっと、よくなりたかった。むかしからよくなりたかったし、今もよくなりたいと思う。どうしたらよくなれるか、よいとはどういうことなのか、中学生と高校生の私はそれを血眼で探していたような気がする。私だけではなかった。私たちは、よくなりたかったよね。それで中学生のときは大変だったこともあったけれど、大学生になってその時のことを同じように思い出せたのは心強かった。高校生のときは、私がわがままだと分かって言うわがままを、わがままだと私が自分で分かっていることを分かって聞いてくれて、笑い合ったこともあった。逆は…あんまりなかったかや。私だけがわがままだったねごめんね。私たちは、よくなりたかった。
仕事で学校に出入りすることが度々ある。学校はもはや教育の場ではないなと思うことが多い。休み時間とかに行けば違うかも分からないけれど、学校の運営として行われていることに関しては、教育とは程遠いところにある。そこに私たちが持っていたような渇望はない。私は、みんながよくなりたいと思っていたらいいなと、まじめに願う。よくなりたくない人もよくなくていいという人もいるだろうし、よくなることがいいこととは言いきれないから、押しつけることはできないけれど、よくなるべきかと考えるだけでも意味があると思う。
ある一人の人間のことについて書く(全員が同じようではないことを信じて、ことわっておきます)。学校において、必ずしも大人が教育者の立場でなくてもいいのだけれど、学校にいる大人には教育者としての自覚はあるべきだと思う。それとも、学校という組織がある限り、教員は教育者になれないのだろうか。いや、そうだとしても、素質の問題もある。どんなに微力でも、やりようはある。中学生の私ならこの先生のこと絶対に嫌いだろうな、と思う。生徒のこと、全然見ていないんだもの。見られていないと感じた途端、生徒は考えることをサボる。実際にこの子たちは、少なくともこの先生の前では、重度の思考サボり癖がついてしまっている。先生から見ればそんな生徒たちは大変に素直でよろしく、先生と生徒の関係としてお互いにこれでいいと思っている。だれも傷つくことはないし、ならばそれでいいのかもしれないけれど、すべての人がコミュニケーションをサボりまくっている世界を、私はよくないと思う。
結局、どこでも同じだと思う。コンビニにだって、公園にだって、道端にだって、どこにでも教育はある。学校が教育から離れてしまっているのなら、他でやればいい。私は中学生の頃から「教える人になりたい」(漠然)と思っていたから先生と呼ばれる仕事をしているけれど、学校の先生にならなかったことは正しかったと今のところは思う。もしも先生と呼ばれる立場でなかったとしても、どこかで教育をやっているだろうと思う。
で、そもそも、教育とは、みたいな話をすると、私だってえらぶってごちゃごちゃ言っているけれど、はっきりは分からない。いろんな人と話して、すてきなことだと感じたり、こういうことかなぁと思ったりしながら、やっています。最近あんまりいろんな人と話していなくて自分の中でぐるぐるしてしまっているところもあるから、お盆あたり、山にでも登って考えよう。山では挨拶をするのが常識で、知らない人とすれ違って、こんにちは~とかいいながら歩くことは大事。

2021/07/26 星

ざいだんのエリア担当のひとに電話して今年度で辞めようと思っていますと言ったら、すごく冷たかった。なにかあったら気軽に相談してくださいねと言っていたのが嘘みたいに、すごく冷たかった。みんなそんなものなのだと思う。思えばずっとそうだったのだ。ずっと忘れていたことをいま思い出した。大学生の頃、付き合っていることがしんどいから別れたいと言ったら、そのひとはびっくりするくらい冷たくなったのだった。びっくりした。わたし自身にも周りの誰かにも、そういうことはいつだって起きていた。みんなそうなのだ。以来、みんなと仲良くしようと決意してここまできたけれど、けっきょく、みんなどころかだれとも仲良くできなかったのかもしれないと思うとつらい。離れようとすればあるいは何かに繋がれていなければ仲良くできないのは、世間では当然のことらしい。しくしく、
みんな冷たいよー。みんな冷たいじゃん。みんな冷たいね。でもほんとうはみんなのことなんか知らないで、わたしはわたしで、まもる必要のないひとたちをまもっていきたいなと思う。けれど、そんなにながくもつよくもむりだと思うから、はやいところその役どころのひとと出会って安心しておわりたい。はやくおわりたいと星に願います。

2021/07/22 色

4年次(3年でやめるはずだったのに…)の研修についての電話がかかってきて、退任するつもりなので…と関係者に初めて伝えた。やめるひとは研修を受けなくていいことになっている。これから多方面で話を進めていかなければいけない。今日通ったこの道も、もう仕事に行くためには通らなくなる。夏休みだからいつもより早い時間に仕事を終えて、川沿いの道を帰った。まだ空が明るい。土手にホソバウンランが咲いていた。このイエロ~が好き。だけど、この黄色が好きなのは、本当は私ではないと思う。
私は私の好きな色が分からない。小学生のころは好きな色を聞かれれば黄色と答えていた。黄色が好きなのはおかあさんなのだと、あるとき気がついた。おかあさんは黄色が好きで、黄色の人。私はそのおかあさんのことが好きだった。私は人を見るとき色で見ることが多いな、と思う。ホソバウンランのイエロ~はまさにおかあさんの黄色だ。今の私は多分、緑が好き。だから、今は緑の人のことが好きなのかもしれない。
私は私が何色か分からないし、きっと誰にも本当の色などない。緑の人だって、緑の人じゃないかもしれない。でも、私にとっては、緑の人は緑の人。緑の人は私に色を見つけてくれるだろうか。その色を好きだと言ってくれるだろうか。もしくは、その色は美しくないと教えてくれるだろうか。

2021/07/20 ねぶそくの日

教室のホームページリニューアル、7月中にと思っていたが、昨夜、夜更かしして完了させた。ふぇいすぶっくとらいんのたいむらいんなるところで告知。らいんのたいむらいんなるところ、初めて開いた。よくわからんけれど、大学の先輩からコメントがあったことがとても嬉しかった。もうみんな私のことを忘れていると思っていたから。
昨秋、教室の新棟が完成したときにいんすたぐらむにあげたところ、気軽にいいねされまくって(キモ!)と思いアカウントを消したのだった。いいねしてくださった皆さんは全くキモくはなく、いんすたぐらむとはそういうところなのであり、ただ私がいんすたぐらむに向いてなかったのだなと思う。いんすたに限らず、基本的にSNSに向いていない。ふぇいすぶっくも苦しみながら使っている。SNSはキモい!(暴言)

3時間睡眠で午前中の合唱団の練習(伴奏)に行った。お年を召した方が多く、ほとんどの人がもうすぐワクチンを打ち終わるそうだ。代表から「ほぼみんなワクチンを打ち終わるので、距離をとりながらマスクを外しての練習も取り入れていこうと思いますが、あなたはワクチンまだでしょうから、マスクしたままでもいいですよ」という話を個人的にされ、恐ろしくなった。その人だけの考えなのか、何人かはそう考えているのか、もしかして世間はそういう考えなのか。ただ向き合い方を考えればよいのに、できるできないという発想をするからいけないのだと思う。

小さい人たちの夏休み気分につられている。ノウゼンカズラが咲いている。海で溺れる夢を見る。

2021/07/18 夏

気がつけばアジサイの花は茶色くなり始めていて、タチアオイのてっぺんの花が咲き、ムクゲは色とりどりの花をつけていた。ネムの木にもふさふさのピンクが出始めている。あれは触っても柔らかくてふさふさしているのだろうか。それとも意外とチクチクするのだろうか。この夏は、届かないその花に手をのばしてみたい。

2021/07/17 音楽

教室のホームページをリニューアルした今まで使っていたwixは、作るときは分かりやすくて簡単でよかったが、運営していくうえで不自由を感じ始めていたので、リニューアルを決意した。新しいホームページがひととおりできて、気持ちもすっきり。あとはファビコンをつくって設定する。ギャラリーのページにもっと見るボタンの設置もしたいが、それはおいおいやっていくつもり。URLも変わるので、Googleに登録したり、リンクされているところをなおしたりせねばならない。名刺も刷りなおし。(体験レッスンくらいでしか使わない)チラシも刷りなおし。そもそもチラシは、レッスン料金を改定した際に刷りなおすべきだったのだが…。7月中にできるかな。そのつもりでがんばろう。教室の秋のコンサート(ちっちゃい発表会みたいなやつ)に向けてのペア・グループ決め(アンサンブルがテーマなので…)&曲決め&楽譜準備(いくつかは作らなくてはいけなそう)も7月中にしなくてはいけない。開講から3年と2か月半。気がつけば生徒も50人を超えて、みんなそれぞれに、わりと好きに(自由に)音楽と関わっていて嬉しい。私とも好きに(自由に)関わってきて、まあずいまだにふりまわされてばかりで楽しい。
早く髪を切りたい。買ったドレスも届いたし、プロフィール写真を撮りに行かねば。これもなんとか7月中に。お風呂上り、髪を乾かすのに時間がかかっていて、とても暑い!!!
7月末が地区大会の合唱コンクールの伴奏をする中学へ、7月に入ってから練習に何回か行っている。伴奏に行っているはずだったのだけれど、あれこれあり、とうとう、3回目に行った部活のはじまりで「今日は伴奏とご指導よろしくお願いします」「「よろしくおねがいします」」と挨拶されてしまい、(ご指導?)と思いつつ指導する羽目になった。とは言え、当方、バリバリの吹奏楽育ち。あわてて合唱の指導法を父や兄に聞いて勉強&研究したり、大学時代につかった指揮法の本を引っぱり出してきたりしている。諦めて口出ししないという楽な手もあったのだけれど、いい音楽をすることが心にとっていちばん良いのです…。そのことからはきっと一生離れられない。(でも、指導するならその分の謝礼もほしい…。絶対もらえない…。)
やらなくてはいけないことがたくさんあって、これは何か忘れてるかも…と思ったら、来週までにさらわなくてはいけない曲があることを思い出した。明日の朝に通知が来るようにスマホのリマインダーに追加した。通知が苦手過ぎてラインもメールもその他のアプリも通知を切っているので、通知が来るっとドキッとする仕組み。明朝の私にプレッシャーをかけて、今夜は眠ることにする。

2021/07/13 日々演

金曜日、連絡をする約束をしていて、連絡をした。火曜日、連絡をもらう約束をしていて、連絡がきた。嬉しい約束は終わってしまった。嬉しかったわりに、私はそっけなかった。こうして日々の演習(※)は果たされていく。
※日々の演習:高校時代の数学の課題がこの名前だった。ひびえん、と呼んでいた。

2021/07/12 ムクドリ

夕方17時に飲んだコーヒーのせいだろうか、午後に2時間もしてしまった昼寝のせいだろうか。日曜日の夜、布団に入ったけれど眠れず、あぁそうだと思ってYouTubeを開いた。久々に聞く友達の声が元気そうで嬉しかったです。正月にひとりに会ったきり、友達には全然会っていない。この半年、ラインやメールもほとんどしなかった。電話だって(もちろん)全くしない。日曜日は、幼なじみであり親友でもある友達の誕生日で、久々にメッセージを送った。もうひとり幼なじみであり親友でもある友達も含めた3人のグループライン(私たちは保育園から高校までずっと一緒だった。中高は部活も一緒)で、夏に会えそうかという話になったが、誕生日の彼女が、新型ウイルスのことでいまは家の人が厳しいということをさらりと話し、秋頃なら会えるかな…ということになった。彼女の家には昔からよく遊んだり泊まったりしに行く(新型ウイルスが流行しだしてからは行っていないが)ので、雰囲気は分かる。彼女がその雰囲気に対して何か思うところがあるのも分かるけれど、その上で彼女が何も言わないから、私たちは真面目にならない。横になってぼんやりしながら、そのうち寝ちゃうかなと思っていたけれど、その夜は眠らないまま朝になった。遠くから聞こえる鳥の声は、スマホからなのか窓の外からなのか、はっきり分からなかった。いつものようにムクドリの群れがギャンギャン鳴いた時は、ここだと分かった。
私が自分自身について考える時、そのどれもが不自然な気がする。私自身を不自然だと思うことが私自身だといつか私は思うのかもしれないと、遠まわしに思う。結局いつまでもそう思わなかったとしてもいいように、わざと遠まわしに思う。ある人は、私がまた別のある人に見せる態度に驚くだろう。まるっきり違う態度や性格になるのは、わざとではない。これから、ただひとりでいるのではなく、本当にひとりぼっちになるとき、私は私だけで何をするかしら。その時こそ、自然な私というものを知ることができるだろうか。
眠らないまま、自転車でクリーニング屋とわざと少し遠くの郵便局に行った。フラフラした。

2021/07/04 あまずっぱい光

ずっとずっと、いやだなという気持ちがあって、ほんとうにいやだった。がまんして、れいぎただしくした。ほんとうにいや。とてもなじめないし、なじみたくもなく。あきらめなんてわかりたくなく、そのせいでとてもくやしく、だけどけっきょくあきらめて悲しかった。いやだなという気持ちが、ずんずんおもくなってくる。どこまで運べばいいのか、どこになら置いてきていいのか。わたしひとりががまんしてずっともっていれば済む話なのでせうか。これからさき、一切の報いも救いもないだろうけれど、いつか、わたしは守りたい。このあいだきいたとても美しいトランペットの音をおもいだす。その音になりたいとおもったのだった。それは今日の場所からはほど遠いところにあるけれど、わたしはその場所を知っている。知っているだけでじっさいのところわたしにはなにもできないから、せめてもうあんまり先ではない(ところにあってほしい)さいごにはその音のように美しく爆発して、あまずっぱい光をみんなにふりかけたいですね🍋

2021/07/02 グリカ

ラブレターを書いてしまって恥ずかしい。昨日の日記はラブレター。誰もそうは思わなかったかもしれないけれど。書いたきり出さなかったラブレターがたくさんある。1年前か2年前に変なお店で買ったかわいいグリーティングカードも、まだ誰にも出していない。季節外れのグリカ(略してこう呼ぶらしい)をみんなに送りつけたい。名前と住所を教えてくださればすぐに送りつけます。

2021/07/01 守る

4月末からお金の精算をため込んでいたのを、5月分までおわらせた。6月分は領収書を整理するところまで完了、あとは帳簿につけるだけ。2021年も半分が終わって今日から7月。半年、長かったニャ。どんなに長い季節もちゃんと新しくなっていくけれど、わたしはだれかの新しさにはなれないのよねと思う。ついさっき、今の季節になって初めて、わたしのおいしい二の腕が襲われた。夏ですね。先日の本番の動画がゆぅちゅぅぶにあがったとのことで(仕事が早い!)、みてみたら、二の腕がかわいかった。たびたび二の腕のかわいさとおいしさをアピールしていますが、それは、決してこの二の腕がわたしの武器にはならないからこそ。そして、この二の腕がだれのものでもないからこそ。暗闇でだれかが手をのばしたとき、そこになにもないと怖いだろうから、触れた二の腕がかわいくておいしかったらいいと思うの。だれかの新しさではなくても、さよならせずにいたいニャ。

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