雨やどり


管理人室 -- 日記 -- 2021/03
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2021/03/27 ぽてりんとした国
2021/03/26 音価
2021/03/24 デリカシー
2021/03/22 詩情と音
2021/03/17 愛憎
2021/03/15 キラン
2021/03/12 手紙

2021/03/27 ぽてりんとした国

泣いちゃう。https://youtu.be/uVLg3fGk7vw

2021/03/26 音価

音の価値が何で決まるかというと、長さなのだ。「音価」という言葉がある。それは、音楽の世界では「音の長さ」という意味を持つ。強さでも速さでもなく、長さ。
だから、ピアノという楽器がこんなにも発展できたのは、一見おかしなことだと思える。鍵盤をどんなにぐっと下ろし続けていても、音は減衰していつか消えてしまう。管楽器や弦楽器のように出した音をクレッシェンド(だんだん強く)することは愚か、キープすることさえできない。
人間たちは、価値のあるものをずっと残そうとする。もう、それだけでいいのではないか。ずっと残ることができるものなど、ないのではないか。管楽器だって息がなくなればおしまい、弦楽器は弓が切れればおしまい。音が消えるように、花はいつか枯れるし、素敵な人もいつか死んでしまう。だけど、大切にして、なるべく長いあいだ残そうとする。やはり長さなのだ。
ピアノで弾く長い音が減衰していくのを、私たちは決して蔑ろにしない。消えていく長い音がちゃんと聴こえるように、むしろ長い音が消えていくのが聴こえるように、周りの音をそっと入れていく。そうすると音楽はとても美しい。長い音がこんなにも美しく響く。こうしてようやく、ピアノという楽器がこんなにも発展していることも、身をもって納得できる。
(追記:たまたまさっき見た動画で、あるピアニストの方が「長い音をどう弾くかは、私たちが一生かけてやっていかなくちゃいけないこと」とおっしゃっていました。本当にそう。)
ピアノを弾く私たちが、こうやって価値のあるものを大切にしていることは、地球のためになっているはずだ。と、そう信じている。

スピッツがデビュー30周年だそうだ。仕事から帰ってきてすぐ、紫の夜ラジオを聴いた。熱狂的なファンというわけではないのだけれど、よく聴くしよく歌う。それに、2つ前の日記に書いたwafflesを初めて聴いたときのラジオというのは、マサムネさんのロック大陸漫遊記だったのだ。そういう縁(?)もある。
紫の夜ラジオは、その時間に23,000人くらいが聴いていた。音楽もいいし、ラジオを聴くとバンドとして人気があるのもよくわかる。私がバンドをどうこう思うよりも、みんながスピッツを好きでいることがよいことだと思える。このおかげで、地球は浮かんでいると思う。そのくらい、スピッツという存在はすごい。それに、30年、バンドが続く年月としてはやはり長い(こじつけ)。
投げられたボールが落ちるみたいにいつか地球もおしまいになるのだろう。それでも、なるべく長いあいだ浮かんでいられるように、スピッツがこれからも長く続いてくれたらいいなぁ。

他にも、地球を浮かせる力を持つものは、たくさんある。私にとっては、ピアノであり、wafflesやスピッツであり、岡田淳さんであり、散歩でもある。今の私の願いは、たぶん、地球がこれからなるべく長いあいだ浮かんでいることなのだ(どういうこと?…と自分でも思います)。もちろん私ひとりでは到底無理で、だからピアノを教えたりwaffles聴いてねと言ったりしているわけ。それが今私がやらなくちゃいけないこと。やるしかない。それらが終わったら、ようやく約束事がなくなったことになると思うの。

2021/03/24 デリカシー

世の中のほとんどの人はデリカシーがない…と思う。人々が「あの人はデリカシーがない」と言うのよりもっと、私はデリカシーをデリケートに感じている。
デリカシーがないから、ピアノで汚い音を平気で出す。真似してやってみせると、うるさいとか汚いとか言う。同じような音を出しているのに、自分が出している時には気にも留めないのだ。それが嫌だとか言いたいのではなく、ほとんどの人が元々そうであるということを身をもって感じている、という話だ。

例えばピアノにおいてデリカシーがないのは、フォームが悪いから、それから聴いていないせいだ。私の仕事は、デリカシーのない人がデリカシーを持てるような環境(=フォーム)を整えていくことだ。聴くことに関しては、「とても良いのよ」と言うことしかできない。それしかできないが、それしかできなくていいのだ。これまでもこれからも言い続けていく。

聴くということはすごい。私たちは、まだ鳴っていない音、つまりこれから出す音を聴くことができる。聴いた音は、聴いたあとで現れる。ただそこにいる。そしてそれは、私がここにいるからこそなのだ。このことが、私の言う「とても良いのよ」の「良い」の説明だ。しかしこんな説明はしてもなかなか伝わらないし、いずれそれぞれの感覚でわかる(と信じている)。
他にも例えば、何かや誰かが在る予感とともに待ち、いずれまた会う。これもシーンが違うだけで同じことの説明だ。こうやって、みんな自分にとって「良い」ことを持っていたらいい。
だけど、ほとんどの人はそれをサボる。だって疲れるんだもの。それに、なんの見返りもない。だから、ほとんどの人にはデリカシーがない。都合よく自分を忘れてしまう。それをなんとかしなきゃいけない役回りの人がいて、それが私たち(たち?)なのね。頑張ろうね。いつか、また会う日に、みんなのシーンの「良い」話も聞かせてね。

2021/03/22 詩情と音

部屋で音楽をBGMとしてかけることをほとんどしない。かけるときは正座をして聴く。かわりに、車ではいつも流している。S峠を越えてM市へと向かう道中、「季節のない街角に 雨が降る」と流れ出す。ちょうど雨が降っていた。wafflesというバンドの「雨のアーチ」。この音楽すべてに改めて感激。
前の日記に嫌いな音楽の話を書いた。なぜそんなふうに音楽を扱えるのか不思議でたまらなくなる。だけど、今の世にはいい音楽はもちゃんとあって、そういうものに触れると、あぁよかったと、心の底から思う。

wafflesの音楽を初めて聴いたのは、実は、けっこう最近なのだ。大学を出たばかりの春、地元に戻ってきた春。ちょうど3年くらい前。ラジオで「春うらら」が流れ、なんじゃこりゃ!と感銘を受け、すぐにCDを買った。いまだに私はCDを買って聴くのが好きなのですよ(レコード派の人がいたらそれもいいね)。
アルバムで言うと、まず「cinematic」を聴き、それから「one」、「pool」、そして「ballooner」を聴いた。そのあとで「君の魔法」。さらにその他のアルバムへと続く。
「君の魔法」は、私の友達はみんな絶対に聴くべき。私の友達、もう6人くらいしかいないけれど、みんな聴くべき。聴いてほしいとかではなく、聴くべき。なんならCD貸します。(ところで、6人「しか」、と強がってみたけれど、数えてみて、6人、けっこういるな、と思ったのが正直なところ。そのうち生きているのは5人。つまり、1人は死んでいる。死んだ友達はずっと友達なのだ。同じ世界ではもう会えないのだろうけれど、友達であるということが変わることはない。だからもし今私が死んだら、この6人はずっと私の友達ということになる。さて長すぎる括弧を以下略)
「ballooner」は、個人的には、いろいろ聴いた後で聴いてほしい。いつ聴いても変わらずいい音楽なのだけれど、いろいろ聴いた後だと「かわいさ」だけではない、よさ・かっこよさがとてもよくわかる。
ボーカルで、作詞作曲もしているKyoko Onoさんは、ほんとうにすてきな人だと思う。創作の人であり、表現の人であり。哲学の人であり、詩人であり。もちろんかわいいのだけれど、かわいいだけじゃなくかっこいい!Kyokoさんのほーむぺーじも愛読(?)しています。→https://kyokowaffles.amebaownd.com/

詩情というのは言葉ではうまく言い表せないけれど、音はとても正直に伝えてくれる。むしろ音があれば、言葉での説明はいらない。言葉と音ではなく、詩情と音が結びついている心地よさ。そういう音楽が、私は好きだ。 

2021/03/17 愛憎

嫌だと思う音楽に対する憎しみ(?)が強すぎて、腕が痛くなってしまった。

あるアーティストの音楽に対して「何がよいのか分からない」あるいは「よいと思うところがひとつも見つからない」と以前からずっと思ってはいた。それが最近、「音の進行が気持ち悪すぎる」とかいったふうに感じて、とにかく聞いていられない。 流行っている曲だとテレビやラジオで流れたりして、そういうときは慌てて耳をふさぐ。
ある人の弾くピアノが、音が言っていることをまるで無視しているものだったりすると、血がさーっと引いていくような感覚があって、すごく冷たい心になってしまう。そのときだけは、マスクの時代でよかったと思う。飴をなめて回復する。

こういうことが最近たくさん押し寄せてきたせいで、昨日、ある時間をきかっけについに右腕が全く上がらなくなってしまい、もうピアノが弾けなくなるかと思った。一晩寝ればいいかもしれないという期待も淡く、今朝には余計ひどくなっていた。
腕が上がらなくとも肘は曲がる。そんなに広い音域を使う曲でなければ何とか弾けるだろうと、バッハのインヴェンション15曲を弾いていると、9番(15曲の中でいちばん好き)を弾き終えたところで、突然治った。今もまだ少し鈍い痛みはあるものの、挙手は余裕でできる。ハイ!(シュバッ!)短い闘病生活でした。バッハのおかげ。バッハの音楽はすばらしい。とてもすばらしい。

調子に乗って、譜読みからしばらく放置していたブラームスを弾く。あぁ、わかる…。何を聴けばいいのか、どのくらい待つのか、どうやって扱うか。何をみて何を思うか。わかる。全ての音が愛しく、私と音がどういう関係でいるのがいいのか、わかる。
たぶんだけれど、憎しみが、愛を思い出させてくれたのだと思う。「愛憎相半ばする」なんて言葉があるけれど私にはきっとこれは一生分からない。愛しいものがこんなにも愛しく、私がどうやってそれに触れるか…。これ以上はもう言わなくてもいいでしょう。(これからはなるべく説明はやめにしたい。…という説明でした。)

2021/03/15 キラン

たしかに、バイキンマンは「バイバイキーン」と言って空の彼方に消えるとき、キランと光って星になる。私もそのようでなくてはいけない。
最近受けたセミナーで講師の先生が仰っていたのだ。これが表現と現実の違いだと。(バイキンマンを例に挙げたわけではないけれど。)現実で空のずっと遠くに飛んでいく飛行機は、ただいなくなるだけだ。別にキランなんて光りもしなければ音もない。
キランと光ることがすごいのではない。バイキンマンは、キランなんて光ったり音を出したりしているのに、大々的に去っているのではない。それがすごい。あくまで自然にいなくなっている。バイキンマンはきっと、光や音がなくても同じようにいなくなるに違いない。だけどやっぱり、光るのだ。

私は何をしたらいいんだろう。私はバイキンマンにはなれない。この先、アンパンチを受けることも(たぶん)ない。飛んではいけない。星にはなれない。
そうやって考えているうちに、今は、心に青い炎を持っているしかなかろうと思った。例えば、川沿いを歩いて水源にたどり着いた時に生まれる。愛しい人が無意識にするかわいい顔を誰にも(特に本人には)言わずにこっそり眺める時に揺れる。3度目に同じページをめくるときに大きくなる。(…好きだから。)
でも現実には、心に炎なんて無いのだ。それでも守っていかなくちゃいけない。無いものをどうやって守るの…?忘れちゃって守れない時もある。最近、約束したこと以外をすっかり忘れてしまっている時があり、とても怖い。

そもそも、キランは誰が作っているのだろう。バイキンマン?アニメを制作した人?どちらもあると思う。それ以外ももちろんあると思う。
そして、誰のためのキランだろう。アンパンマン(とその近くにいるキャラクター)?アニメをみている人?これだって、どちらも、あるいはそれ以外も、あるはずだ。
いずれにしても、バイキンマンはやっぱり光るのだ。

2021/03/12 手紙

あやさん、誕生日おめでとう〜。今日はエビをたくさん食べてね。

追記(お返事):誕生日だって忘れてた!エビは食べなかったよ。お腹は空くけど何も食べたくないのよ。眠りたくないけど眠くてそれなのに眠れないのよ(ややこしい〜)。した約束は覚えていて、それが終わったらもう食べたりトカ寝たりトカ何にもする必要がない。だからそれまではがんばろうとおもう。あとちょっと!

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