雨やどり


管理人室 -- 日記 -- 2020/08
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2020/08/24 ピーターパン
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2020/08/14 ウワァ
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2020/08/04 誠実
2020/08/01 採血

2020/08/31 ←DOG

眠っても夢ばかり見て、ずっと起きているみたい。だから起きているときもずっと眠いし、どっちがどっちだかよくわからなくなってきた。昨日の朝は、防災訓練だかで朝6時すぎから8時前くらいまでずっと試験放送が流れていた。そのせいで眠れず(7時半に起きるつもりだった!)、いちにち仕事だったから疲れた。お風呂入ってうたた寝して、ちょっと起きたけど22時すぎとかに早々寝落ちて、夜中にすこし目を覚まして、また寝て起きたら朝の9時だった。しかし眠くて、今日の昼間も30分昼寝した。今ももう眠いので、23時には寝よう。

駒ケ根市まで、いつも有賀峠を越えて行くのだけど、杖突峠を越えていくのとどっちがいいかな…と思っている。指揮の先生(もわたしと同じ市に帰る)は杖突峠のほうを通っているっぽい。昨日の練習で先生が着ていたTシャツに、(ぐしゃぐしゃの線)←DOGとかかれていて、それ犬?と練習中ずっと思っていた。いちどキーボードの音量をあげわすれて弾きはじめたら音が鳴らなくて、「むしされたかとおもった~」と悲しそうに言うので、かわいい~と思った(失礼…)。
指揮者というのは、いくら指揮の勉強してもアナリーゼができても、なれない人もいるんだろうなぁと思う。
もうひとりのピアニストがやめることになりそうだった合唱団(上で話していた合唱団ではないほう)、まだやめないことになった。他人の個人的な話になってしまうから、詳しくは書かないことにするけれど、指揮の先生のこと、改めて「先生ってそういうかただよなぁ」としみじみした。他人の個人的な話に、どうやって関わったらいいかというのは、むずかしい。ふつうはこうするとかいろいろあるのだろうけれど、わたしはわたしのやり方がよかったともよくなかったとも思えないし、いずれにしてもそうするしかなかったなとも思う。

中学生のころ、クラスに、順番にだれかを仲間外れにする女子2人組がいた。クラスの女子は10人ちょっと(男子は25人くらいいた)で、そんなにグループがはっきり分かれていたというわけでもなく、仲間外れもものすごく些細な感じだったので、なにをしたかったのかなと思う。当時も、なにをしたいのかなと思っていた。だいたい仲間外れにされた子も、ああ今は自分か、そのうち終わるだろう、くらいの雰囲気で、そういうときはたいていわたしたち(わたしとわたしの親友)と一緒にいた。お互い特に何も言わずに、その子たちも戻るときは戻っていったし、反対に愛想をつかした子同士で仲良くしたりしていた。
なんの話だっけ。…ああ、他人の個人的な話(事情?)にどうかかわっていくかという話か。そのことを考えたらなぜかこのことを思い出した。が、ちょっとずれた。立場(社会的なものじゃなく、ふだんの生活によるもの…?)も関係あるのかも。

眠い。今夜こそ、すやぴー(ぐっすり眠ること)したい。

2020/08/28 ジャ

昨日、足場がとれた。建物自体は9月下旬にはできるみたい。今日でクロスが終わって、設備の取り付けに入るそう。松本まで行って、屋根や外壁、なかの壁紙からおてあらいの便器まで、いろいろをえらんだ日を思い出した。あれからここまであっという間だったな。

ここ最近は、上田でたくさん感染者が出ている。ひとり感染者が出ると、その濃厚接触者が片っ端から調べられる。症状がない人もそれなりにいる。どの都道府県もそういう感じなのかな。もう、過去2週間以内に県外に行っていたとかはあんまり関係ない気がするけど、そういう行動歴がしっかりと報道されている。
諏訪で出てもそんなに広がらないのは、みんなそうとう動いていないということだろうか。まあね。ここには書けないようないろいろがあったと話に聞く(ちほうこわい)から、慎重になるのもわかる。
佐久のおばあちゃんちに、また行きたいなぁ。佐久と諏訪は近いように見えて、けっこう遠い。朝早くに散歩したり、近くの川で魚釣ったり、佐久ジャ(もう「ジャ」ではない?)行ったりしたい。 このあいだジャガイモと一緒に送られてきたハンカチは、おばあちゃんちの匂いがした!お香みたいな。

道をつくってたんだけど…、それで道の横に建物つくったりなんかして、その先に東京タワーがあった。それよりもっと、どばーって溢れるみたいに広がっていくうちに、あちこちに水がかかればいいなと思いました。ねむい。ねよう。

2020/08/27 眠り病

ずっと眠り続けたいのなら、うたた寝か昼寝をすればいい。なぜなら、うたた寝も昼寝も、睡眠時間には入らないから(と勝手に決めている)!ずっと眠り続けたいな。いつからだろう、眠くなったのは。2018年の6月くらいかしら。そのころ誰かに眠り病をうつされて、それからもうずっと眠たい。眠たいのによく眠れない。よく眠れないけど眠り続けたい。
ずっと眠り続けたとして、誰が起こしてくれるんだろう。いや、起きる必要はないのかもしれない。私が起きなくて困る人が、すこしはいるだろうな。それは私も困る。だけど困るのは少しの間で、そのうちに、いちばんさいしょの、いちばん自然な姿に、戻っていくのだと思う。それにはやっぱり眠り続けるしかない。
やることをやろうと思っていた夜ですが、こんな文章を書くほどには眠りたすぎるので眠ることにします。今日は魔法が使える日だったね(だったよ)。

2020/08/24 ピーターパン

今思うとなんてことはなかった(そんなに気にする必要はなかった)のだけれど、些細な問題ですごく落ち込んだ。空気のない人というのはいるものなのだなぁ…。自分がいて、自分ではない他人が何かをしている。それだけ、しかない人。
わたしはわたしで、もっと違う話をしたいのに、結局こういうことにばかりとらわれてしまう。うぅ…。人間の手の平はあったかくてふかふかしていそうだから、そこでごろごろしたい。

いいこともあった。リーフグリーンの布でセットアップをつくり、着てみたところ、家の人たちから「ピーターパンみたい」と言われた。とてもとてもとてもとてもとてもとてもとってもうれしかった。

ガソスタのお兄さんは、もう1年以上、ガソリンを安くしてくれている。今日もまた。そのお金、どうなっているんだろ。というか、安くすることは何か意味があることなのだろうか。わからずいつもちょっと困っている。はじめて引いてくれたとき以来、ガソ兄(ガソにぃ…)はそのことについて何も言わないから、わたしも何も言わない。そもそも、私的な話をしたことがほとんどない。髪を切ったとき(2年くらい前)に「そのほうがいいです」と言われたくらいだ。
私的な話って何を言うんだろう。ついこのあいだ保育園からの友達と3人で会ったときにしたような話?だとしたら、私的な話なんて、3人で会ったときを除いて、ガソ兄に限らず誰とも、もう半年くらいほとんどしていないかもしれない。いや、生徒とはけっこうしているか。私的な話って何を言うんだろう…。
そもそも、話について、仕事の話とか私的な話とかで分けることがよくないのかや。特に生徒と関わるときのことを思い返すと、分けて考えることは不可能だから、いい話し方をしているのかもしれない。同僚の先生たちと話すときなどは、仕事の話か世間話しかしないな…と思う。わたしのやりかた次第で何とかなるとかいう感じでもない。田舎の社会、そういう空気がある。何かを変えるより、わたしたち(たち?)がこれからそうしないでいくしかない。

空気があってもなくても、いろいろだ。あるかないかということ自体がいいとか悪いとかではないのだろうな。おいしい空気を吸いたい。

ここまで書いて、床で寝落ちた。朝。
わたしともうひとりピアニストがいる合唱団で、そのもうひとりがやめることになりそう。周辺の動き、いろいろと思うことがあった。それについてはまた改めて。「ふつうは…」ということがたくさんあるのだなぁ…。

2020/08/17 動きかた

仕事関係で電話があった。そろそろ潮時だと思っていたが、これを機にやめようと思う。一番迷惑がかかるのはあなただから、意見を聞かせて。そう言う。私には口を出す必要がない。心配しないでくださいとだけ言った。
みんな、何かに向かって動いているのを感じた。もしそれがなくなっても動き続けられるのだろうか。このご時世、あると思っていたものがなくなったり、なくなるかもしれなくなったり、している。今こそ、周りをよく見ておくのがいいと思う。
何かに向かって動くことは、効率的だし、簡単だし、わかりやすい。正しいことだと思われやすい。私は、私自身がそうしていることがとても嫌なのだと思う。ほかの誰がそうでもそんなに気にならない。その方向性やスピードに違和感を覚えることがあっても、それを正したり評価したりすることはあまりしない。私のことさえ気にかけないでいてくれれば、勝手にやってほしい(冒頭の話である)。

漠然と「いいほう」があることは感じている。ただ「いいこと」そのものに向かっていくことができない。「いいほう」を信じて(向かって ではなく)歩き続けていくしかない。その途中で「いいこと」を通るかもしれない。それから、「いいひと」に出会ったりして。
とは言え私だって、これまでに約束してしまったことにだけは、まだ向かっている心地がする。それが嫌だと気づいたから、これから私には何もなくなっていく。何もなくても歩き続けたい。それをしている(ように私には見える)大人を知っている。その人は自分のことを子供だと言ったことがあった。私には、大人に思えた。こういう大人がいるのなら生きていくのもいいと思った。そうなれるかな。そうなりたいと思ったときに、そこに向かっていくのはやめにして、ただ信じて歩くしかない。向かっていくのではない歩き方をしなくちゃ、結局そうはなれないのだろう。
そういう歩き方を、私は散歩と呼ぶ。だから、散歩は行くでも帰るでもなく、すると言うのだと思う。

2020/08/16 ふたりには言わない

3人でえらく酔っぱらった夜、ずっと笑いながら、真実の話をした。保育園から高校までずっと一緒だった私たちは、今もそれが続いている。

死ぬことの話になる。死にはなぜか、自分勝手な後悔と美しすぎる記憶がつきまとう。私たちの共通の友人が病気で死んで、もう2年以上が過ぎた。
ひとりが言う。無理をしてでも、あのとき一緒にエビを食べに行けばよかった。そう、死んだ彼と死んでいない私たちには、約束があった。私は、私が死ぬとき、そういう後悔がお互いに生まれないようにしようと思った。そうしたいのではなく、そうするのが一番自然なことのように思える。
彼がどんな人だったかを語るより、私たちは彼との間にあったことを話した。思い出は、もうない(目に見える形があるとしても)もののことを言うのだと改めて思った。あのときみんなは言った。優しかった。たしかに。ちょっと優しすぎるところが頼りなくもあった。友達思いだった。たしかに。しかし、タイミングの悪いところがあった。私たちだけは、彼はあの時にこんなことをしていたよね、と言いながら笑った。

これからもずっと、ふたりとはこうやってまじめにふざけていくんだろう。ふと私の決意の話をしかけて、やめた。ふたりになら話せると思ったのと同時に、ふたりには絶対に話しちゃいけないと思った。ふたりは私と約束事をしようとしてくるはずだから。私もそれを断れる自信がない。
世の中には素敵なことが多すぎる。そのことが最近はとてもしんどい。自由になって、どこまでも歩き続けたい。時間がかかる。それまでなんとかやっていこう


2020/08/14 ウワァ

わたしたち3人は保育園から高校までずっと一緒だった。大学はそれぞれ違う県や都だったけど、いまは3人とも同じ県にいる。わざわざ連絡を取るよりも仲が良くて、「近くにいるんだからもっと会おうよ」と会うたびに言い合うわりには会わない。
おととい、そのうちのひとりの家で飲んで、3人でかなり酔っぱらった。酔っぱらいながら「お酒がなくても、うちらずっとこうだったよねー」とひとりが言って、その通りだと思った。だから、お酒はあんまり関係ない。それから、死ぬことについては、たぶんわたしたちはずっと話していくと思う。
話しているうちに、あの時こう思ったよとかいう話になった。当時はそういうことがうまく言えずにケンカしたりした。3人でつくったホームページの話にもなる。そういえば、高校生の頃、仲の良い子どうしとかおなじ部活とかでみんなホームページつくってたな。このホームページのこと忘れていたわけではないのだけど、わたしたち3人が頻繁に連絡を取り合わないと同じように、自然に、気にも留めていなかった…。
紙の日記がなかったのも、だからか。当時のガラケーを充電して起動させ(これも写真とかいろいろ出てきましたウワァ)、URLをみつける。あった。ウワァ。どこにもメモしていなかったパスワードを奇跡的に思い出し(ガラケーの発想で設定されていた)、ログイン。2011/8/8開設。高1だ。そこから、2013/5/20まではぽつぽつと、だけどちゃんと更新している。しばらく更新がなくて、2014/3/2に「昨日は卒業式でした」とある。
このふたりにだけは、決意のこと話しちゃいけないなと思った。

2020/08/10 ぐたいてき

紙の日記には、もっと具体的なことが、漂うように書いてあった。紙の日記もまた書こうと思った。2~3行くらいで、できるだけ毎日書きたい。昼間にノートを買ってきて、さっそく今日のぶんをつけた。そこに書いたことの延長。

午前2時。インスタグラムのほぼ使っていないアカウントを元同僚の先生(結婚&出産を機にやめた)からフォローされていることに気づく。1年前くらいに自宅で教室を始め、そのアカウントを最近つくったという感じだった。なにかに似せているような感じがして、勝手にとても冷たい気持ちになってしまった。うわべだけだれかと同じことをしていて、一見しただけでは多くの人はその違いに気づかない。そういう振る舞いをする人がごろごろいる。嫌だな。嫌だな。そんな気分になり、気がつけば3時を過ぎて、新聞配達の音が聞こえたら、すこしほっとした。星がいちばんきれいな時刻。そういえば、結局フォロー返していない。

足の爪を塗った。水色と黄色にキラキラを重ねた。夏休みになって、みんなの服装がいつもとちょっと違う。マニキュアを塗ってくる子もいる(マニキュアに強い憧れがあるので、たいてい「かわいい~~」などと興奮してしまう)。ピアノを弾く人は、ふつうは、爪を塗らない。なぜか世の中ではそういうことになっている。いつも短くしているのは、そうでないと危ないしうまく弾けないから、わかる。だけど塗っていること自体に問題は見当たらないので、短くさえしていれば(4~5日で塗りなおすとか)ピアノ弾くときに塗っていてもいいはず!
なぜ急にこんな話になったかというと、フォローしてきた先生の代講をすることになって見学に行ったときのこと(2年くらい前)を思い出したから。先生が「爪塗ってるの?」と呆れたように言って、生徒が手をさっと隠した。爪を塗ることを注意するかしないかではなくて、悪だと信じて疑わないことが、すごい(すごい?)。わたしが思いつかないだけで悪いことがあるのかもしれないけれど、それならそういうふうに振る舞うのがいいんじゃないかと思う。

悪口みたいになっているが、そうではなくて、今日はすこし具体的に話してみただけです。その先生のことが嫌いなわけでは、決してない。だれが聞いているか分からない場所で具体的に話すのは、ほんとうに難しい。わたしが修行しなきゃいけないぶぶんだ。しかし、具体的な話から、答えみたいなものを勝手に導き出されても、困る。そこらへんもうまくやっていけたらいいな。
服をつくることや髪を切ること、歩くことも同じ。今日は思い出のスカートで、ブラウスをつくった(いまさらですが「思い出の」っていうのは、汚れたりなんだりして着られなくなった、ということ。件の浴衣も、あの日は雨が降ってきて、裾のほうに泥が跳ねちゃったの)。自分でつくった服が増えていって嬉しい。ただ、気をつけないと。服をつくることが何かの象徴だと思われたらおしまい。むしろ、そうならないために自分で着る服は自分でつくっているのだから…。

2020/08/09 カフェ依ン

カフェイン依存症かもしれない。少し前からコーヒー豆を切らして、毎日飲んでいた昼のコーヒーを飲んでいない。夕方になるとめまいがして、ひどく眠いときもある。今日、とうとうインスタントコーヒーを昼に飲んだら、夕方まで調子がよかった。カフェイン、関係あるのだろうか。コーヒーは一日に一杯しか飲まないようにしているから過剰摂取ではないと思うんだけれど…。

調子がよかったので、夕方、仕事が終わってから少し歩いた。暑い日が数日あった後、昨日や今日は霧のような雲が空を覆っていて、涼しい。このままずっと歩き続けたかったし、どこまででも歩いていける心地がした。歩き続けて、いつか愛しい人にも会いたかった。最近、夢を見る。夢で会うのも、現実で時々会うのも、同じような気がする。どちらもその時はリアルで、覚めてしまえばもう会えない。夢だからがっかりすることも、現実で会った後に寂しくなることも、やめにしたい。それでも、いつでも会って愛を確かめ合える(そんな恋愛みたいなことはもうしばらくしないけど)のなら、こんなに愛しくはないのかもしれない。
結局、今日は、約束事を思い出して歩き続けることをやめてしまった。紙に書いていたころの日記を見つけた。2018・10・15の欄に「すべてやめたくなってしまった。誰もいないでくれ。(中略)10年後なんて、楽しみじゃない。」と書かれていた。いまの私は違う。その頃には自由になっているはずだ。そのときにはかならず、どこまででも歩き続けられる。そうだね、歩き続けられることが、私の決意の行き着く先だ。

2020/08/08 紙の日記

明日から一週間、伴奏のおしごとが2つあるだけで、教室はおやすみ。生徒が増えてきて、おやすみの日はちゃんとおやすみにできるようになってきた。この人数でおやすみの日にまで振替とかしだすとキリがないので…。あたらしいレッスン棟に、オレンジ色の屋根がついた!9月中には完成するらしい。そこから外構や仕上げをして10月末くらいに引き渡しの予定。

さっき、紙の日記が出てきたので、流し読み。2006年の手帳を2005年10月に買って、その30日から書き始めたっぽい。毎日書こうと決めているらしい年もあれば、途中でやめている年があったり、ほとんど書いていない年もあったりするが、2018/10末くらいまでは書いている。10/17からインターネットで書き始めたが、こちらにもまだときどき書いてある。すこしだけ抜粋。

小4おわり~小5おわり。思えば、いろいろあった時期。
「2006/3/21 おばあちゃんのおみまいに行って、おかしを買って(せいゆうで)、ナルニア国物語を見に行った。」このあいだ日記に書いた日の日記だ。数日後に亡くなったとき、お母さんかお父さんからかかってきた電話に兄(3分上)が出た。わたしともうひとりの兄(1分上)があまりに真剣な顔をして何事かと聞く。常識的にはぜったいに笑ってはいけない場面なのだけど、そういう状況でなぜか人は笑ってしまうのよね。兄(3分上)が思わず笑ってしまったのを思い出した。そのあとのお葬式や火葬は「しっかりできたと思う」と書いてある。
「2006/4/19 こそあどの森シリーズの新しいの(ぬまばあさんのうた)をかりられた。もうさいこーにうれしい!」図書館で予約してようやく順番が回ってきたのだと思う。
「2007/3/31 上田のジャスコに行ってKちゃんにあえるかなっておもったけどあえなかった。」すこしまえに、いつも一緒にいた仲良しの友達が上田に引っ越したのでした。

中学生のわたしは、部活とテストが主な関心事だったっぽい。あと、「先生に意味不明なことを言われて困った」というようなことがときどきある。
高校生のころは、ほとんど書いていない。書いてあっても部活のことばかり。いろいろ書いてあればおもしろいのにな。まだ「眠い」という感情がなかったころなので、まいにち4時間くらいの睡眠で、元気にしていた。恋愛っぽいことを少ししたりもしたが、それらについては何も書いていない。書いておけばよかった、かもしれない。

大学1~2年の頃はほとんど弾きこもりだったので、日記もぜんぜん書いていない。あと、記憶がない部分もある。それらはどこかに書いたかもしれないが、書いたとしても捨てたはず。大学3年の2月に行ったウィーン・ブダペストから、何かを引き連れて帰ってきた。大学4年になると、考えごとばかりしている。

引っ越しを終えて。
「2018/4/1 今日から4月。しゃんとしなきゃ。」たぶん、この日から一度もしゃんとできないまま今日を迎えている。
「2020/10/18 つかれている。はしをおとした。おなかがすいたか脱水かと思ったが、がんばってたべたらよけい気持ち悪い。」2018年10月の日記は読んでいてつらくなる…。いいときはいい(この前日10/17には「エビピラフを食べてゴキゲン」と書いている)が、よくないときがほんとうによくない。

今日は、レッスンが終わってから歩き出して、このままどこまででも行けそう!と思ったけど、どこにも行けなかった。そのうちどこまででも行こう。

2020/08/04 誠実

たとえば
おくびょうなエビが
ふるえて しゃがんでいるとき
海は エビのヒゲを ゆすってやる
元気をだせ といって
勇ましい物語を きかせてやる
工藤直子『ともだちは海のにおい』「はなしかける海」より
きょうのエビツイートにいいねなし(2020/08/04 23:24現在)。みなさんには失望しました。…いや、わたしの修行が足りてないだけか。

目で見てわかる誠実さが受け入れられている。そうじゃないらと思うことが多々あるんだけれど、やはり大人数の思い込み(常識と呼ばれているもの)には勝てない。どうしたらいいかな。たとえば信者を増やすとかではないやり方で、いろいろをちょっとだけよくできたらいいな。
服をつくったり、髪を切ったり(じぶんで)、爪を塗ったり、歌を歌ったり、絵を描いたり、歩いたりするとき、それらをしたいという気持ちよりも、しなきゃいけないと思ってする。表現としてするのではなく、たぶんこれがわたしなりの誠実さみたいなものなのだと思う。いまは200kmくらい歩かなきゃという気分。200km先に何があるかと思うだけでワクワクするな…。

思い出の浴衣をほどいて、家用のショートパンツにした。あのころ、好きだと公言していたけど、本当に好きだったな。恋愛はしたくないと強く思っていた時期でもある。大学3年くらい。それなのに、ふたりで花火をみにいくことが世間ではどういうことなのかを思いつけなかった。思えば、そのころ考えていたこととしていたことがちぐはぐに見える。このころから、生きづらさが増していくことになる。
恋愛をしたくないと言っていたのは、大学1年のころつきあっていたひととなにかあったのだと思う。一度しっかり忘れたせいで、じぶんのことなのにあんまり思いだせない。ひととつきあっていたことすら、しばらくあとで友達に「あのとき彼氏いたよね」と言われて、そうかもしれないと思い至った。ひとりぼっちで坂の途中の公園で体の芯まで冷えきって立てなくなったのと、寮に帰ってそのひとにかかわるすべてを捨てたことだけ思いだした。なにがあったんだろな、気になる(他人事)。たぶん、直接なにかがあったというよりは、そのひとが悪いのでもわたしが悪いのでもなく、ふたりで悪みたいなものを少しずつ生み出して、わたしが勝手にどうにかなったんだと思う。なにがあったんだろ(2回目)。

それでも、まだいろんなものを信用していたから、なんとかなってきたんだろうな。今はなにも信用してないってわけではないけれど、ずれているというか、かみあわないというか、それでうまくいかないことが増えてきて、しんどい。それ以上に、うまくいかないのをうまくいっているようにごまかしているのが気持ちわるい。しなきゃと思ってすることが、空回りしているかもしれない。誠実とはなにか、あるのかないのか、あるならどうやって見るのか、どうやってするのか。だれかたちの知恵を借りたい。

2020/08/01 採血

広い部屋にぐるりと一周、いろんなブースがある。反時計回りに進んでいく。さいごに測ったときから身長が2mm伸びて155.7。体重はちと減ってよんにてんいち。それでも二の腕はあいかわらずむちむち(おいしそう)。採血でおしまい。なかなか終わらないのでちらりと見ると、3本も採っていた。ひぇ。貧血っぽくなった人が看護師さんふたりに支えられながら横になるのを、待っている人たちが見ていた。おびえた顔をしていた。

最近の花見。ケキツネノボタン、ダイコンソウ、ミツバフウロ、トゲチシャ、ハス(早朝が最も美しいと図鑑に書いてあった。いちにちじゅう眺めてみたい)、ネジバナ、ガガイモ、オニユリ、オオマツヨイグサ、ノウゼンカズラ(あちこちに咲いていてうれしい。大抵の図鑑に載っているようなブラッドオレンジもあれば、わたしの思う透きとおるオレンジもある)。

わたしが勝手にやめた火曜日の子たちのことをよく思い出す。ほかと比べるわけじゃないけど、あのクラスの子たちとは特に仲が良かった。いや、形(あるいは色や音)が違うだけかな。木金も、この子たちがやめるより先にわたしが勝手にやめるほうがはやいのだろうな、とふと思うことがある。

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