雨やどり


管理人室 -- 日記 -- 2020/05
一覧
2020/05/31 オレンジ色の花
2020/05/27 『みどり』
2020/05/26 起床時間
2020/05/19 ごっこ遊び
2020/05/18 約束事
2020/05/16 夢オチじゃない
2020/05/15 白と緑
2020/05/13 お風呂の換気扇
2020/05/11 眩暈
2020/05/09 スタンダード
2020/05/06 無駄に疲れる休日
2020/05/05 海に溺れたチョコチク
2020/05/03 窓と扇風機とこたつ
2020/05/02 カエルの声につられた
2020/05/01 近況ほうこく

2020/05/31 オレンジ色の花

金曜日。用事があり、2月以来の松本。しばらくはいていなかったスカートが、すこし痩せてからまた似合うようになった。お気に入りなので嬉しい。
13時に終わって、あがたの森公園まで行ってフラフラしてから、女鳥羽川沿いを駅のほうに向かって歩いた。女鳥羽川は、湾曲ぐあいといい、河川敷の風情といい、とてもいい川だと思う。
13:50ころ、「支度中」という看板を目の端に入れながら店の前をウロウロしていたら、夜の営業前にいちど帰ろうとしていたマスターが開けてくれた(スミマセン)。1年くらい経つんじゃない?と言われた。去年の夏頃と思っていたけど、どうやら6月だったらしい。最近の松本の様子などを聞いた。あの日いたほかのお客さんからもらった松本山雅の応援歌DVD(自作・非売品)を家に戻ってから改めて見て、思いっきり笑った。アパ ナアガ マポ~。

最近ぜんぜん歩いていないなと思って歩数を見たら、20日~28日のあいだ、いちにち200歩(100m)くらいしか歩いていなかった。そもそも、23日~27日は家の外に一歩も出ていない気がする。金曜日ひさびさに10000歩ちかく歩いたら、疲れすぎて夜9時くらいに寝た。大学生のころは、毎日そのくらい歩いてたのにな…。
わたしだけが世界(?)に馴染めていないような感覚がこのところずっとあって、胸がキュル…となる。厚みがある透明のぐねっとした膜に覆われていて、自分の声がその外側から聞こえる。誰かがかわりに「わたし」をやってくれているのを遠くから眺めているような感じ。こういうことを言っておもしろがられる(わかってもらえない)と傷つくので、人には言いたくない(このことが、馴染めていないということなのかも)。
そういえば、金曜日に歩きまわっていた時は、太陽の光を直接あびている気がした!オレンジ色の花がとてもきれいだったのを覚えている。前に見た時からいちど散ってまた咲いているのだと思って、見とれてしまう。それで、また歌ができた。べつにいい曲でもないな。ありきたりの曲だ、と思って嬉しくなる。

2020/05/27 『みどり』

『みどり』わたしだけが泣いてしまう。
『yumemi』明け方に見た夢と、それで思い出したむかしのこと。
『赤い目の金魚』赤い目、白い肌、青いひれ、緑の鱗の魚が生まれた。
『夏至』いつか会えると思っている。夏至っぽさは、あまりないかも。
『迷子の麒麟』迷子の麒麟を追いまわす歌。逃げ切られた。
『9.1』わたしがいない、夏の終わりの夜のこと。

ここ数日で作った歌。今度はなくさないように、ひとつのおなじ五線ノートに書きこんだ。
作った歌を人に聞かせたことがないから、人に聞かせるということが分からない。たとえば『みどり』は、泣くような歌では全然ないけれど、もう生きていない人のことを考えていた時にできた歌だから、わたしだけが泣く。それ以外の何でもなく、ならば歌は実のところ誰のためにあるのか。
作る歌にはわたしが普段から思っていることもあれば、出鱈目もある。何かを伝えたいのかと言われれば、そうではない気がする。そもそも、生活のなかで、何かを伝えたいと思っている時などあるのだろうか。

暇さえあれば、二の腕や太ももをさすっている。そうすると、調子がいい。膝の上がむにむにだ…。3:12を見届けて寝る。7:30には起きたい。

2020/05/26 起床時間

早ければ早いだけ良かったのだが、どんなに遅くとも5月中にはやらなければいけないと思っていたことをようやくやった。やり方を調べて言われた通りにやったら、何の問題もなく終わった。こんなことなら早くやれば良かった。ずっと心の負担だったね。
ついでに他の諸々にも着手して、かなり疲れてしまった。だけど、この勢いをしばらく持っていたい。また何もできない期間が来ることを思えば。

最近は暇さえあれば膝の上の肉を揉んでいる。むにむにしている…。何かを続けるということが、生活をしていく理由になっているかもしれない。
昨日あったほとんどのことは、今日にはもう夢みたいで、ただ、膝の上を触っていた時間のことだけがはっきりしている。むしろ夢をよく覚えている。もしかしたら、私がそうだと思っていることのいろいろが入れ替わっているのかもしれない。

今日はまだ着替えていない。仕事で使うものをインターネットで買った。明日か明後日は荷物が届くから、早めに着がえておこうと思う。いちばん早く起きる曜日に毎日の起床時間を合わせていきたい。今は調子がいいです。

2020/05/19 ごっこ遊び

頭が痛い…と感じてさっきまで布団の中でうだうだしていたが、起きた瞬間に治った。ただただ寝すぎている。いつまで春のつもりでいればいいのだろう。

おとといの晩に大学時代の友だちと3人でリモート会をし、気づけば5時間も話していた。話している時は楽しかったが終わるとどっと疲れており、回復に時間がかかった。それにしても、大学を卒業して私たち3人が初めてそろうのがこんな形になるとは。日本全国に散らばっており、みんなはこれから生活が新しくなっていくようだった。私はと言えば、しばらくはここに縛られることになりそうだ。
地元に戻って2年が過ぎた。そういえば、同世代の人に会ったことが全然ない。みんなどこにいるんだろう。と思っていた矢先の昨日、ようやく1つ上の人に会った。仕事関係で、これからしばらくお世話になる。
これまで「大人」と話してきたようにその人とも話して、子どものごっこ遊びをしているみたいだなと思った。プライベートで敬語で喋りあうのとは全然違う感じがする。そういう世界にこれから入っていくのではなく、私たちくらいの世代の人が、この違和感をずっと持って大きくなっていけたらいい。ごっこ遊びは現実にならない。そうすれば、社会(とかいうところ)のなかでの話し方は変わっていくかもしれない。

社会(とかいうところ)があるならあるで、そこから完全に目を背けて生きていくことは不可能だ。妥協でも諦めでも、それから怒りでもない形で、社会(とかいうところ)に生きていくしかない。

2020/05/18 約束事

約束事があるうちは、死ねないなと思う。去年の3月に車を買って5年かけて返済することになり、あと5年は死ねないと思った記憶がある。もうすぐ、10年かけて返す融資を受ける。だからあと10年は死ねない。
別に死にたいと思ったことはないのだけれど、死ねないなとは思う。約束事が何もないころはいつでも死ねたが、死にたいと思うことがなかったという、ただそれだけで今までこうして生きている。生きたいと思うのは、死んでるときでいいや…。
そんなわけで、少なくともいまから10年は生きているはずなので、世界によろしくねをした。

思い返せば、むかしからわたしは宿題をやらなかったことがないような人間で、それをほめられていたのだった。小学生のころ合唱団で先生からもらったメッセージには「時間に正確、提出物を出す…なかなかできないことです。宝物だね」と書かれていた(さっき本棚の隙間から発掘された)。
宿題も集合時間も、わたしが決めたことじゃないから守れていただけだと思う。自分で決めたことは全然守れない。いや、ちょっと前まではできていたはずなんだけど、最近は特に守れない。今日やろうと決めたことを、明日でも間に合うな…なんてすぐに先延ばしにしちゃう。今はぎりぎりでなんとか間に合っているけど、間に合わない日がいつかかならず来る予感がする。毎日「やることやれ」と言ってくれる人が欲しい。謝礼は缶ジュースくらいしか出せませんが。

2020/05/16 夢オチじゃない

朝の10時に待ち合わせた。5分くらい過ぎる。わたしの右手を握ってくれた知らない誰かの手があまりにあたたかくて、ふたりで笑ってしまった。夢なのに、たしかにあたたかかった。
ふしぎ。そんなことがあったせいか、今日いちにちで、まだ少し重いもののほとんど手首が痛くなくなった。手首痛は、ピアノを弾きすぎたとかパソコンやりすぎたとかではなく、原因不明でときどきなる。もうしょうがないと思っている。せめてうまく付き合っていくしかない。
音楽がいいだけじゃない。音楽を聴きながら着がえをしたら、途中の身軽さがうれしくて、ついそのまま部屋中を歩きまわった。 そういえばいつしか気まぐれで作った歌、楽譜にまで起こしたのになくしちゃったな。楽譜を探すより、目を覚ましている時につくったのかを思い出すのがいいかもしれない。

他人の夢の話ほどつまらないものはない。それでもみんな夢の話をするのはどうして?夢のことを夢と呼ぶからかな。
最近やたらと「想像力」という言葉を使う人が増えてきて、ないものまであると思い込んでいるらしい。ひとたび多くの人が言い出した言葉は、使うのが難しくなってくる。そんな時こそ、想像力だ…。

2020/05/15 白と緑

ときどきなる右の手首痛(?)になってしまった。ピアノを弾いている時だけは、なぜかいい。夜になるとズキズキする。最近、2時をすぎないと眠くならないので、部屋を暗くして布団でじっとしているより、明るいところで何かしているほうが気が紛れる。

久々に大学時代の友だちと連絡を取った。そのうち私が東京に行くときまた遊ぼうと言ったら、九州の実家に帰ることになったと言われた。何かが起こるとき、関係する出来事はひとつではないけれど、タイミングを決める出来事がいちばん大きく見えるようだ。海外に留学しているはずの友だちは、今年度は学校がなくなって、いま東北にいるらしい。いい感じに散らばっている。
普段からほとんど友だちと連絡を取らないので、みんなどこでどうしているか全然知らない。ツイッターかインスタにいるのかな?

今日お金を振り込んできて、とうとうしばらくはここから動けなくなったんだなぁと思った。去年の夏の終わりに買った白と緑のかわいい日傘が、ようやく日に当たるのをみて、とても嬉しかった。ぼんやりとした日陰があればそれでいいから、どうしても白い傘がよかったの。
小学生のころ熱を出した時に見た夢を、ずっと覚えている。知らない人のもったりした喋りかたが、おなかの中をぐるぐるかき混ぜられるみたいに恐ろしかった。目の前にあるのに遠くにあるように思える感じ(わかる?)。
そのときみたいな恐ろしさを、何にというわけでもなくただ感じるときが、このところ増えている。今朝、大学の広い教室にひとりでいる風景が浮かんで、ぐわんとした。何か忘れていることがあるのかもしれない。

2020/05/13 お風呂の換気扇

お風呂から出たらすぐに換気扇をまわしてほしいと言う人は、何を恐れているのだろう(カビとかそういう話をしているんじゃないよ)。取り返しのつかない選択、なんてものがあるのだろうか。
時々、東京に暮らしたくてたまらなくなる。東京の坂を片っ端から歩きたい。だけどいつかの私は、今いるここにいること、この仕事をすることを選び、ここで生きるお金を出すことを決めた。お金を何にどう使うかの選択は、生活に対する選択よりももっと覚悟がいる。土地に縛り付けられていくいちばんの要因は、人間でも仕事でもなく、お金だろうと思う。もちろん、お金だけが独立してあるわけではないのだけど。

ここまで話してきて、私はつくづく我儘だと思う。換気扇のない家に住むことを考えない。問題が独立して存在するなんてことは、ないのだ。問題だと思っていることがただの状況でしかないと気づかずに攻撃している世界は、何も変われない。ようやく問題に目が向けられた時にも、いくつもある問題同士が、それぞれにしか解決されなければ、いつかは元に戻る。
だけどやっぱり、全部を想いたくてもひとりでできることには限りがあるのだから、みんな(?)でこういうことに気づいていけたらいい。

ふと、私がお風呂から出てすぐに換気扇をまわすのは、「お風呂から出たらすぐに換気扇をまわす」ということについて考えるため、だったのかもしれないな、とぼんやり思った。

2020/05/11 眩暈

ごはんを食べる前にはおなかが空いていること、眠りたいときは目を覚ましていること、離婚するならまず結婚しなきゃいけないこと、知るまでは知らなかったこと、太陽のひかり…そういうぐるぐる回っているもののなかでの生き方が、急に分からなくなってしまった。分からなくなったということは、分かっていたということだろうか。また回っていけるだろうか。それとも、何かにずーっと夢中になれば幸福だろうか。暖かくて明るい部屋の中で、毛布をかけて目を閉じる。それ以外は眩暈がする。

2020/05/09 スタンダード

今になってようやく、そういうことかと思い至ったことがある。
そとの教室のレッスンは、学校で分散登校が始まることを理由にこのエリアでの再開許可がおりた。ただし、一律ではなく順次再開。再開するしないの基準は、講師の判断と生徒の合意の有無による。楽器店としては、「満を持しての再開!さあどうぞ」という感じ(たぶん)。ここまでは把握していた。
問題は、それでなぜ講師のグループラインが動いたのか、というところ。気合を入れて改めて読んでみた。…長。短くすると楽器店の対応が不満。今回は全員が発言したわけじゃないので、他の先生方がどうしているのか分からない(個人的に連絡をとるような関係をこの2年間でだれとも構築してこなかった)けど、ムキにならなければ、なるようにしかならないのだと思う。
ここは、敵対勢力がいないと成り立たないような場所では、少なくとも本来は、ないはずなのに。自由じゃない(それはもうどうしようもない)のが、もっと自由じゃなくなるだけでは。などとぼんやり思ったのでした。

ムキにならないことと自分で何も考えないことは違う。中1になりたての頃から教えている子は、気がつけば中3になっていて、話すことも変わってきた気がする。学校で、いまの状況について思うことの作文を書く宿題が出されたらしい。「どうもこうもない。見ていることそのままでしかないよね」と言っていた。ふうん。

自由研究をするとき、考察すること自体よりも、その内容を決めるところにエネルギーを使う。考察する内容が決まれば、あとは考えるだけなんだけど。なにを考えるか考えることは、多くの人がサボり(あるいは見落とし)がちかもしれないなと思う。
余談。遊びでいろいろ調査していると、東京は、街としてすごくおもしろいところだと分かる。生きものみたいだ。調べたいことはたくさんあるのに、図書館は6月末まで閉館しており、なかなか調べものがすすまない。ひとまず、坂に関する本・駅名に関する本・暗渠に関する本の3冊を買った。早く届いてほしい。

思い至ったことといえば、もうひとつ、ある。
将来の話をされてわたしが「?」となるときはいつも、結婚の話をされていたのだ!「レッスンができない時期」というのは子どもを産む時ということ、「ピアノ教室をやめる可能性」というのは、結婚してこの地域からいなくなる可能性ということ。疑われることなく決めつけられていく。サッサと結婚しちゃったほうがうんざりしなくて済むかもしれない。

でも、結婚するとお金がかかるらしい。そうそう、レッスン棟の建設計画が順調に進んでいます。契約の日が決まった。5/18大安。それまでに×××えん振り込まなきゃ。結婚する時などのためにと両親が積み立ててくれていたお金にも手をつけることにした。結婚するとお金かかるの?(ここで、この段落のはじめに戻る)
大きなお金が動いていくのを眺める、何とも言えないこの気持ち。11月くらいには完成する予定。とっっってもいい感じのができそう。落ち着いたらみんな(?)に遊びに来てほしい。遊びに来てね。ピアノ練習して待ってます。

2020/05/06 無駄に疲れる休日

この休みにやろうと思っていたことはほとんどできなかった。今日のタスクリスト、達成したのは13あるうちの5。だめじゃん。でも明日以降やれば間に合うのだからナ、などと思うあたり、私は何も変われない。この休みにやろうと思っていたことはほとんどできなかった。今日のタスクリスト、達成したのは13あるうちの5。だめじゃん。でも明日以降やれば間に合うのだからナ、などと思うあたり、私は何も変われない。
やることを早めにできないのは、いつからだろう。小学生の頃、宿題はすぐに終わらせた。ピアノの練習は午前中にした。提出物をきちんと出せることと時間厳守ができることはあなたの宝物ですねと、合唱団の先生(つまり音楽の先生)からのメッセージをもらった。私には何もないという思いが強く、だから、努力の人であることを選んだのだと思う。
いま、何かがあるという思いが強まったわけではない。何も変わらないはずだ(だって私は変われないから)。じゃあ、何が違うんだろう。違うというのは、必ずしも変わったということではない、と思っていていいのだろうか。

いま、なにが私をを突き動かすのか分からない。それでも時々なにかに突き動かされて、自分でも驚くほど執着してしまう。この連休も、やることをやらずに私が何をしていたかと言えば、防災無線チャイムの研究なのである。そのことばかり考えていた。
……とても楽しかった。が、それっきりになってしまうのは、何とかしなければいけないと思う。でもやっぱり、休日っていうのは、仕事の日を楽にするために使うのではなくて、こうやって無駄に疲れるのがいいのかもしれない。(逆説ばかり…)

この連休、毎晩8時間は眠ったし、さらに毎日2時間以上の昼寝をした。やはり、仕事の日より疲れる生活だったのだろうか。残りの8のうち1か2はやるか。まだ23時前だ。

2020/05/05 海に溺れたチョコチク

今日はまだあるから大丈夫だ。勝手に夏休みのような気分で過ごしていて、やることを全然やっていない。残りの今日と明日に懸かっている。
…とその前に一服しているところだが、コーヒーのお供にチョコチク(チョコチップクッキー)をいただく。先ほどチーズケーキを焼くのに使って余った生クリームがある。泡立てておいた。それをスプーンで乗せながら少しずつ食べることにする。さいごの一口、1平方センチメートルくらいになったチョコチクに乗せようとする。うまくいかない。そうこうするうちにチョコチクのほうが生クリームにダイブする形となり、スプーンの海に溺れたチョコチクは、海もろともパクっと私の口に入れられた。そういう発想の転換を、事が起きる前からするということ。忘れてはいけない。
日常のなかにも試練はある。大きな声で話し合うのではなく、こういうくだらないような試練をちょっとずつ味わっていけばいい(しかも、必ずしも乗り越える必要はない)と思うのだ。

ときどき、私たちは与党と野党ではないのに…と感じる。同調しかない世界は確かにキツイが、かと言って、敵対勢力がいて大きな声を出すことだけがこの世を動かしているわけじゃない。
考えることは難しい。誰かが言ったことについて考える時、ほんとうにそうなのかと疑う過程はどこかで必ずくる。とくに社会とか組織とかいうところで当たり前に行われている。そうではなく、ゼロから考えるということが、私たちにはできるだろうか。もっとなにも知らないことについて調査して考えてみたい。例えば、数多ある「富士見」という名はどのような発想で生み出され、それぞれの「富士見」にはどんな物語が隠れているのか。
こういうのを「遊び」と呼ぶのだろうか。そうならば、みんなもっと遊べばいいのに。夏休みのような日々だけでなく、自由研究はいつだってしていいはずだ。

17時の鐘が聞こえる。私の街ではA durの「夕焼け小焼け」が流れる。あなたの街の夕方は、どんなふうに暮れていきますか。

2020/05/03 窓と扇風機とこたつ

この2日間、ほとんど防災無線のことしか考えずに過ごした。もう、やり出すとキリをつけるまでそれっきりになっちゃうところ、わたしにはあるのよね。……世界の散歩が豊かになりますように!

そういえば、たしかに昨日の夕方、楽器店から電話がかかってきた。講師全員にかかってきたらしい。「Yのレッスン再開するけど先生が心配なら休講にしてください」みたいな内容だった気がする。
それでまたグループラインが動き出した。むかしからそうだけど、長文のラインがほんとうに読めない…。スクショして全部見せるから、どういう意味か教えてほしい。しないけど。どしたらい?とりあえず、明日の朝起きたらすぐ読んでみよう(朝がいちばんコンディションがいい、たぶん)。

ふぅ。窓を開けて、こたつに入って、扇風機まわしながらコーヒー(ホット)飲んでる。なにからどうすればいいのか。コーヒー飲み切ったらカップを洗って、本でも読もう。窓と扇風機とこたつは、あとで考えればいい。

2020/05/02 カエルの声につられた

夜に時間にコーヒーを飲むという贅沢。飲み切ってカップを洗い、歯磨きをしながら鏡をぼんやり見たら、変な女の子がひとりハリーポッターみたいな眼鏡に、ダッカールでとめた前髪。露わになったおでこ。頬にポツンとちっちゃいニキビ。
3時半に寝て9時には起きて、夕方までパジャマで、お風呂に入って、またパジャマになった。

明らかに浮かれていた。正気に戻った(たぶん戻った)今、絶望的な気分だ。カエルの声につられてつけた扇風機が気がつけば寒くて、止めた。こたつは、つけずにしかし潜っている。開いている窓は、寝る時に閉めればいい。目の前に積み重なっている本を眠くなるまで読んで、寝よう。
こうして、少しずつ判断力を取り戻していく。それが絶望からの帰り道だ。帰るだなんて、散歩からは程遠い歩き方だ。でも、これからもずっと歩いていけばいい。どこにも到着せずに、どこに向かうことも、もちろんどこかに帰ることもなく。

気がつくと爪はすぐに伸びている。明日は爪を切ってから始めたい。

2020/05/01 近況ほうこく

コーヒーを淹れて飲んでいる(23:48)。近況報告です。…近すぎ?

外の教室のレッスンは、小中学校の休校を基準にしているため、休講が延長されそう。分散登校の様子によっては再開するかも、とのこと。楽器店から、もう少し待ってくださいとの連絡がきた。
二度手間になるだろうと思いながらも、一昨日くらいに5月からのレッスンスケジュールを生徒に送った。引き継ぐクラスの保護者からは、きちんと挨拶できなくて残念ですとメッセージがきた。
いったん再開が決まり再度休講になったりして微妙に実施したぶんは、5月以降にあてろということだったのに、今さら、その謝礼申請方法などの連絡が来た。生徒の月謝引き落としなどについての話がこれまでと変わってくる(そこらへんの説明がない)ので、ややこしいことになった。明日にでも確認して、なんとかせねば。
楽器店のレッスンは相変わらず継続している。自宅も、相変わらず4ぶんの3くらいは来ている。GWはおやすみ。

楽器店の講師陣で、給付金についての情報共有のためのグループラインができた。目的を分けて、とうとう3つ目なんですが。ひぃ~。

ママさん(の頃に発足し40年、今ではおばあさまたち)コーラスは、6月末まで練習場所が休館するとのことで、そこまでお休みの延長が決まった。譜読みが終わっても歌と合わせられないのはつまらないが、練習をさぼらないようにしたい。
もうひとつの合唱団は、5月がどうなるかまだ連絡がない。明日の夜、ずぅむ飲み会をするらしいが、わたしはしれっと忙しいことにする。オリーブ山はハード。
Nコンは、GW中に決まるらしいが、たぶん中止だろうな…。そうなれば、去年の2年生(今年の3年生)たちには、もう会えない。

6月のレッスン(受けるほう)は、おやすみさせていただくことにした。譜読み期間。人間の男に恋をして、泣いたり笑ったりして、雨の中に消えます。

日が変わった。コーヒーで目が冴えてきた。(これも、近すぎるけれど近況)
車を運転しながら、美容院だと思っていた店の前に「テイクアウトできます」の看板を見て、驚いた。美容院じゃなかったのなら何の店だろう…と考えている。
美容院と言えば、しばらく行かない間に忘れてしまったのだけど、美容院というところは入ると「ご予約は」と聞かれるらしい。そんなおそろしいところ、これからはもう絶対に行きたくない。
夕方、いつもより早くレッスンが終わった帰り道、空がきれいで、思わず立ち止まってしばらく眺めた。写真を撮って、誰かに送ろうとして誰にも送らなかった。そちらの空もたぶんきれいなので。

思ったことをあちこちで喋りすぎていて、ほんとうによくない気がする(今は予感だけで、あとでちゃんと気がつくのだと思う)…。本を読んで、ピアノを弾いて、散歩しよう。

[日記] Page Top