雨やどり


管理人室 -- 日記 -- 2020/03
一覧
2020/03/31 鍵のついた箱に隠してある
2020/03/28 いろんな方向に溢れたい
2020/03/26 太陽を浴びて!栄養を摂って!
2020/03/24 かっこつけながら
2020/03/23-2 あと一時間で着く
2020/03/23-1 春に来た
2020/03/20 この眩暈が実は
2020/03/14 かわいさの代償?
2020/03/08 みんな遠くにいる
2020/03/07 ここで咲いた黄色い花を
2020/03/06 ヘロヘロと近づこうと
2020/03/05 猫のスタンプ

2020/03/31 鍵のついた箱に隠してある

何かを言う。うまく伝わらずに、余計なことをべらべらと喋る。それでも伝わらずに疲れる。そこまでを勝手に想像して、喋るのをやめてしまった。以来、うまく喋れないことを身体が変に覚えてしまったような気がする。
日記(にき)は伝えなくていいと思って書く。はなから出すつもりのないラブレターみたいなもんである。出すつもりもなく放ってあるから、読まれる可能性はある。しかしそれが私から誰かへのラブレターだとは気づくまい。みんなそれぞれに世界があるのだから。読まれていると思えば、伝えようと思えば、この日記はもう少し違う形になっていると思う。

出すことのなかった沢山のラブレターの中には(正確には裏には)、ほんの少しだけ、鍵のついた箱に大事に隠しているものがある。決して読まれることのないそれらこそ、読まれるつもりで書いた。
そこでは私は喋ることを恐れていない。喋りすぎることもない。時に伝わる確信が、時に伝わらないことの希望が、胸にある。これこそがほんとうの私の姿なのだと思いたい(が、そんなことは誰にも、もちろん私自身にも、わからない)。

今、人と関わることにとても前向きな気持ちがある。関わりとは、もちろん、会って話すことだけではない。いろんな場所があることを忘れずにいたい。たとえば、この日記から想像できる私と、実際に世界に存在している私との相違には、自分ですら意外性を感じるのだ。

2020/03/28 いろんな方向に溢れたい

あなたはまた聞く。「変わったこと、ある?」私は、お決まりの「変わったこと…?」を心の中でつぶやいた後で、最近決めたことをぽつっと言った。ちょっとからい顔(とその人が言った)の訳を尋ねられ、「この地に縛り付けられていく感じがする」と答えた。
私はもう、変わるまではどこにも行かれないと思っていたけれど、いざ変わったことを答えられる時にも、相変わらずどこにも行かれないのだった。

遠くの何かにたどり着きたいと思う。だけど、そこに向かって行けば行くほど、たどり着けない。方法はひとつ。向かっていくのではなく、遠くの何かがあるところまで広がっていくことだ。

ふたりだけの秘密なんて、もしかしたら存在することはないかもしれない。そのくらい、稀だ。あの時あの場所にいた人ならば、私たちの会話をだれでも聞けた。ここだって同じだ。宇宙の摂理(的なもの?)のもとで居合わせただけの場所。だからここでは私はこういう話ができる。ここでは(←大事)。
どこで喋って、どこで黙るか。ある場所で黙っているとき、迷っているのではなく、ひっそりと決めたことが正しいかどうかを黙って考えているのだ。正しいか、あるいは良かったり素敵だったりするか。決められないわけではなかった。決めたことをどう背負っていくかということに自信がないだけだ。

何かを求めて歩き回るやり方を、私はもうできないと思う。今のところは、するつもりもない。水になっていろんな方向に溢れたい。そのうちどこかで、あなたの水と混ざり合う瞬間があったらいい。

2020/03/26 太陽を浴びて!栄養を摂って!

愛しい人…だいじょーぶかなぁ?広い東京。友達はみんな東京にいる。大学入学とともに一緒に上京した友達。大学時代に出会った友達。みんな東京にいる。地元に戻ってきたのは私くらいだ。こういうときに思い浮かべるのはそういうみんなだ。愛しい人。

みなさんがこんなに咄嗟に判断してしまえることに驚いている。ここそこで大きい声の人たちが大きい声で何かを言う。怖い。何がどうなっているか分からないから余計に怖い。分かれば判断のしようが少しはあるにしても、分かるのがいつなのかも分からない。
遠くにいる(必ずしも物理的な意味でない)賢い人たちが何を思っているか、聞いてみたい。しかし今、遠くにいる賢い人たちは賢いから、ここから見えるその場所では黙っている。さて、私も黙って考えるしかない。見極めること。まずは、どこを見るかを見極めることだ。冷静にならなくては、ただひたすら鬱々とした気分になってしまいそう。

私の愛しい人を助けてくれる人は、たくさんいるのだろうなと思う。今すぐに飛んで行ってよしよししたいと思っても、それは私の役ではないのかもしれない。彼はきっと大丈夫だ。傷つきやすいところがあっても、賢くて強い。そもそも今は傷ついてないかな。私は、ただ勝手に心配している。

ある判断ができないのは、勇気がないからか。私の勇気、どこにある。いつかはあっただろうか。あの頃の勇気は、何か恐ろしいものと引き換えに、今は遠くにある気がする。恐ろしい何かに立ち向かうことだけが、勇気に近づく唯一の方法だ。喋りすぎることなく話したい。
ひとりぼっちだと感じる。ここから私を助けてくれるのは、私自身と、愛しい人だけだと思う。今は、私自身だけだ。なぜなら、愛しい人はもうじゅうぶんに私を助けてくれているから。あとは自力で歩いていくしかない。太陽を浴びて!栄養を摂って!

鳴り響くト長調のエーデルワイス。暖かい昼下がりのベランダ。私はいつだってこの景色を見ることができる。そこには幼い私しかいない。

2020/03/24 かっこつけながら

午前の仕事を終え、駅まで自転車を取りに歩く。せっかくだから、少し先の足湯までそのまま自転車で走る。熱い。寒いが、お湯は熱い。高校3年生らしき男子3人組が、近くにいる。おそらく母校の後輩だ。(うちの高校の同窓生たちは、いくつ離れていようと、初対面だろうと、「かわいい後輩」と思う癖がある。)
会話が耳に入ってくる。ひとりは金沢の大学、ひとりは川崎らへんの大学、もうひとりはどこかの医学部に行くらしいこと。だれも寂しそうにしていなくて、これからこの3人はそれぞれの場所で生活していくことに、明るい期待感を持っているのだと分かった。陽の光がお湯に反射して、眩しかった。
また自転車を走らせて、家に向かう途中、好きな喫茶店の前を通り過ぎる。一回通り過ぎて、コーヒーを一杯だけでも、と思いなおし引き返す。11月以来、来ていなかった。なんてこと…。
ママさんに「あ~~!」と言われ、その瞬間に、スパゲッティを食べていくことに決める。秋頃からどうも食欲が落ち、今日もお昼時になってもおなかは空いていなかったのだけど、食べたかった。食べられる気がした。食べるのにもそれなりに体力が必要で、いざおなかが空く時にも途中で疲れたり眠くなったりしていたのだが、今日はそんなこともなくぺろっと食べた。うれしい!
オレンジの看板、階段、窓際の席。かっこつけながらコーヒーを飲んで、本を読んで、幸福で健康的な気分になる。
少し元気になったと感じた時、私は元気がなかったのかもしれないと、はじめて気がついた。元気、なかったのかなぁ。わからない。どうだったにせよ。たとえば私がこうして好きな喫茶店に行かなくなるということ。そのせいでもしかしたらそこが潰れたりなんかして、悲しくなること。よくない。元気がなくても、とにかく歩いていたほうがいい。歩き続けようと思った。
しかし、今日からはもう、私が弱っているかもしれないことを教えてくれる人が隣にはいない。その上、元気(またはそのような何か)があるのかないのか、いまは自分でも思えない(わからないし、そもそも昨日までは考えもしなかった)。だから、長期スパンで自分を眺めつつ、これからもずっと歩くしかない。
とはいえ、数か月間、仕事以外でほぼ動いていなかった(そのことにもいま気づいた…!)人間が、いきなりこれだけ動くとぐったりなわけで。昨日はたかが22キロ歩いただけで、フラフラしたし。今日も、いまからほんのちょっと昼寝しようと思っている。夜また少しだけ仕事がある。

ところで、3/24は毎年、なぜか「さんぱにじゅうし」だなぁと思ってしまう。日が月の倍数になっている日なんてほかにいくらでもあるのにね。

2020/03/23-2 あと一時間で着く

1.ひさびさに乗る電車はまじで酔う
2.2日間乗るとだいぶいい
3.体重が落ちてうまい具合に脱力ができる。しかし圧倒的に柔軟性に欠ける
4.初対面の人とのコミュニケーションの取り方がわからなくなっていることにきづく
5.だんだんに会話の仕方を思い出す
6.やたら陽気で歩き続けた
7.猫はかわいい
8.太陽はあたたかく、春も金色だった
9.明日から私が生きていく場所に「帰って」いく…覚悟。
10.体力と筋力がグッと落ちているのを痛感。だけど私は元気だ(と思う)
11.一人前は無理でも、まずはカロリーメイトとか?
12.前向いてると酔うから、斜めに座ってる
13.私のためじゃないといいな…
14.
バグりそうだから、おしまい〜。

日が変わった頃の追記:私が思っていた以上に私は弱っていたみたいだし、あの時間だけであなたが思っている以上に私は元気になったと思います。 (ほんとうは、こういうことはちゃんと「あなた」に伝えたほうがいい。ただ、ラブレターには勇気と体力がそれなりにいる。もうちょっと元気になったら。)

2020/03/23-1 春に来た

春の場所に来たんだね。春が来たのではなく。うれしくて、ホームへの階段を駆け上がった。

2020/03/20 この眩暈が実は

もうすぐ死ぬと聞いて、見てみた。ワニのことである。なるほど確かに、そのワニはみんな(?)が親しみを感じそうだった。そして、もうすぐ死ぬと分かっている。作者の企みが分からず、ただただ恐ろしかった。これが1~99日目までをまとめてさっくり眺めた私の感想。
100日目を迎え、作者の友人がかつて交通事故で亡くなったらしいことを見かける。それ以上、ワニと作者については見聞きしないように努める。それでも、なにかこう、モヤっとしたものが胸に残されてしまった。

作者は、報われただろうか?救われただろうか?あるいは、作者ではないどこかの誰かは?親しい人が死ぬこと。その気持ちにこれだけ共感されたら…私は立ち直れないだろうと思う。親しい人が死んだら、その人について私たちはもちろん話すが、その時、特別にほかの誰かや何かを思うことはない。
なぜ共感するのかと言えば、その気持ちを知っていると“思い込んで”いるからだ。思い込みの気持ちは、自分の中に存在するパターンのみで分類されていく。知らない誰かは、知った誰かにすり替わる。ほんとうに知っている気持ちなど、あるとは言い切れず、現実世界でこそ想像でしか生きられない。少なくとも私は。
共感が悪だとは思わないが、共感などというものが存在するのか、ずっと疑っている。それらしきものを見かけるたびに、それでいいのか、というような気持ちになる。これがモヤっとの正体である。

ある人が死んで、死んだと分かったとき、「死んだということは生きていたのだ」と思うことにした。まだ生きている私たちよりも、死んだという確かな事実のある彼のほうがずっと、生に近い。
日記で私は彼が死んだことをしばしば書くが、日常ではほとんど話さない。もちろん彼の話は、ほかの友人たちの話をするのと同じような頻度や内容で、する。私はまだ、日常のなかでは、彼が生きているのか死んでいるのか分からなくなる時がある。死んだのだと思い出すことだけが彼が生きていた証拠になるのなら、ときどきこっそり思い出したい。ひとりきりで。みんな(!)がそうやって生きていくのを感じるとき、心強い。わざわざ思い込みを分かち合う必要はない。

何をどう受け入れて(あるいは受け入れず)、何をどう感じて(あるいは感じず)、何を考えて(あるいは考えず)生きていくか、それらが人の数だけあると思うと、眩暈がする。私は私で、この眩暈が、実は何か重大な病気のせいだったりして…などと考えて、ばからしくなる。

2020/03/14 かわいさの代償?

もう一生、美容院には行かない!私にはちゃんとそれができる!
さっき、人生で初のセルフカットをした。けっこういい感じに仕上がったのでは…と思っている。もちろん、セルフカットにしては、ということだけれど、実際のところ、美容室で切ってもらっても「よくなった」と思ったことはない。セルフカットのいちばんのポイントは「自分で切ったことをしばらくは言わない」ことなのだそうだ。誰に聞いても、そのアドバイスばかりである。あとは「コンディションのいいときにやれ」ということくらい。メンタルが顕著にあらわれるらしい。
髪を切った勢いで、4年ぶりくらいに染めた。若白髪の家系で、きょうだい皆、すごい。私はましな方なのだが、それでも気になる程度にはある。高校生の頃のように、それをからかってくれる友達は、いま近くにはいない。気づいていないのか、触れてはいけないと思われているのか…。髪染めだって、自分でできるなら、悪くない。髪を切ることも、染めることも、嫌ではない。美容院が、苦手なのである。
髪を切って染めた勢いで、しばらく落としたままにしていたペディキュアを塗った。黄色に金を乗せた。新芽のような黄緑をてきとうな2本に塗った。今はそれを乾かしているところです。それで、こんな内容のない日記(にき)を書いているというわけ。
嬉しい。こういう嬉しさをずっと忘れていた気がする。春って感じ。私は私なりに(たとえば美容院に行かない選択をしながら)、誰のためでもなく、かわいくいたい!どんなときにも、かわいくなれなくとも、かわいくなりたいと思うことはできる!かわいさに代償があるとしたら、染料や塗料の匂いくらいじゃないかしらね…。

2020/03/08 みんな遠くにいる

ひさしぶりに彼女らに会った。保育園から高校まで一緒だった三人。中高は部活もおなじで、青春時代を共に過ごした三人。私たちはいつまでも水のようだ。2個の水素原子と1個の酸素原子。いつもきまって水素ではなく、酸素のときもある。もちろん、その逆も然り。
人を好きになって、その気持ちがどういう種類のものなのかを考え、口に出して伝える。その流れを恋愛と言うのだそうだ。そしてそんなことは、説明をされるまでもなくみんな知っているらしいのだ。
親しい三人の話す会話(もちろん自分もその一人なわけなのだが)を、遠くから眺めて、このことに気がついた。そうだった。私も高校生のころまでは、平気でそんな話をした。話をして、笑ったり泣いたり怒ったり、たぶんしていた。

私は黄色い花が好きなのに、似合うのは黄色い花ではない。おそらく青い花のほうが似合う。黄色い花が好きで、黄色い花が似合う人がいる。青い花が好きで、青い花が似合う人がいる。今日はちょっとだけ、そんな人がうらやましくなった。

4時間が限界だった。幼なじみであり、親友であり、もしかしたらそのどちらでもない何かでもある(もしかしたら何でもないかもしれない)彼女らと過ごす時間は、いつまでたっても楽しい。こんなにくだらない時間が、バカみたいにずっと続いていく。それはとても幸せだ。それでも、4時間が限界だった。気持ちはどこまでも飛べちゃいそうだが、体がもたない。ちょうどいい頃合で解散となった。
落ち続けている体重は未だ止まらず、ご飯をちゃんと食べなきゃなと思いつつ、食べようとしても食べられなくなってきている。税金で取られるくらいなら、健康診断にでも行っておいたほうがいい。そんなに(時間もお金も)かかるものでもないだろうし。
17時。コーヒーを淹れた。西向きの窓越しに、雨あがりの夕暮れが見えた。美しかった。空がきれいだと私が言っても、同じものを共有できる人はいない。みんな遠くにいるんだね。だから余計に美しい。私が見た夕暮れは、ほんとう、とても美しかったよ。

2020/03/07 ここで咲いた黄色い花を

○○さんへ
あなたのことはもうずっとだれよりも思っています。ここで咲いた黄色い花を、この先も送ることはないだろうなぁ。送らずにいたいと思います。 わたしの幸せはここにしかなく、その幸せを遠くのあなたに押しつけるのがよくないから。あなたのそばにも私の見つけたのとは違う花が咲いているだろうこと。その花を一度も送ってきたことはないし、これからもないだろうこと。そして、その花が何色なのかわたしは永遠に知り得ないこと。
わたしはこれからもここにいることになりそうです。少なくともあと10年は。この2年間で、わたしはわたしで約束事をきちんと増やしていって、とうとうどこにも行かれなくなってしまいました。だから会いに来てね。
たとえ、もう二度と会わないと決めたとしても、わたしの生活は(たぶん)続いていくから、安心してほしい。安心もなにも、そもそも心配などしていないのなら、この手紙を笑って破り捨ててください。
あやより

2020/03/06 ヘロヘロと近づこうと

みんなそれぞれに誰かのことを好きになったりしているのだ。私自身の好きの話を、わざわざ誰かにするものでもない。恋が楽しかったことなどないかもしれない。そもそも、誰かを好きになるとき、それはいつも恋ではないのかもしれない。
日記(にき)はふつう、誰かに読まれるものではないと思っているが、しかし、見つければ誰でも読めてしまうことを少しは意識したほうがいいのかな、とふと思う。

隣を歩くこと。目が合うこと。手を握ること。話すこと。そのどれもが楽しかった。楽しい。それでもあの人を思うことはいつも、寂しい。たとえ隣を歩いているときだって、思うことは寂しい。思うとは?(「想う」のほうが一般的には通じるかもしれないが、意図もなく、だけどあえて「思う」を使ってみる。)
あの人の気持ちを分かることはない。分からないから余計に愛しい。愛しいことは別に楽しくない。ただひたすらに愛しい。寂しさともまた違うところに(たぶん違う時間に)存在する。愛しいとは?
この人でもその人でもなく、あの人。今はそのくらいに離れていて、それがこれから縮まっていくとは思えない。私がここにいてあの人があそこにいる。その距離は縮まらない。目が合う時にも、山を挟んでいる時にも、その距離。浮かれて気を抜けばヘロヘロと近づこうとしてしまう。しかし近づくことができずに落ち込む羽目になる。実際のところ、ただしい場所にいる?

昨晩の日記に、今朝方すこし書き足した。この気持ちを放っておけば、どこまでも近づいて行こうとするだろうし、甘々に甘えて、重々に重い人間になると思う。ヒェ~。そうならないために私には何もできないから、せめて、目を背けている。目を背けて、もっと細々とした約束事を守っていくことが、今の私の精一杯だ。そしてそれすらできなかったのが、昨晩の日記。
そういや、ちょっと前にコンディションのあまりよろしくない呟きをした気がするのだけれど、消すのでさえ面倒。もうどうしたらいいんだ。

2020/03/05 猫のスタンプ

私にはそういうところがある。だから気をつけていたのに。最近しれっとちゃん付けになったのに浮かれて、ついに猫のスタンプを送ってしまった。昼頃かかってきた電話で、夜に仕事で会うことになった。けっこう無茶な話である。その人でなければお断りしていただろうが、その人だったので引き受けた。電話のあとに、巻くつもりのなかった髪を巻いた。もう一度言うが、私にはそういうところがある。
完全に惚れてしまっているのである。好き。だからどうしたいということは一切ないのだが、胸がきゅっとする。本当にただ、胸がきゅっとするだけなのである。きゅっとなるのは一瞬で、そのあとすぐに寂しくなる。寂しくなるのは、好きだと伝えられないからではない。そういう話ではない。
好きの気持ちがこうして形を変えていく様子を、まともに見ていられない。なるべく考えないでいる。そのために、猫のスタンプは送らないと決めていた。それなのに、送ってしまった。一瞬はもっと短い一瞬に、寂しさはもっと大きくなる。
私の好きの気持ちは重いのかもしれない。これまで誰にも重いと言われたことはない。むしろ冷たいと言われる。それは、猫のスタンプを送らないでいられたからだ。自分の好きの気持ち、キモすぎて、押し込めてしまいたい。時々、それが上手にできなくなる。また言うが、私にはそういうところがある。そして、こんなことが、ここだけじゃなくあちこちで起きている。どうにかしたいが、考えたくない。どうしようもない。

[日記] Page Top