雨やどり


管理人室 -- 日記 -- 2020/02
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2020/02/27 床に散らばったごましお
2020/02/19 なんの話
2020/02/14 エビのチョコフォンデュ
2020/02/09 雲は、海老の色に
2020/02/07 かろうじて星屑がひっかかった
2020/02/04 花見の季節が来る
2020/02/02 池袋で見つけてもらう

2020/02/27 床に散らばったごましお

24年近く生きてきて、記憶にある(ある種の)悲しみ体験は、3つだ。3つしかない。しかもそのうちの2つは物語だ。
ひとつは『ごんぎつね』で兵十が「ごん、お前だったのか。」と言ったシーン。たしか小4の音楽会の学年合唱がこれ(劇付き)で、このセリフの部分だけ歌をよく覚えている。あとは忘れた。もうひとつはこそあどの森の物語シリーズ第3巻『森のなかの海賊船』でマサカが「船出だ、船出だ…」と泣きながら何度も叫ぶシーン。で、もうひとつ物語じゃないのは、友達が死んだと分かったときだ。

小学生のころ、ごましおをぶちまけたことがあった。言葉の意味を聞くと、辞書を引きなさいと言うおばあちゃんだった。背が高くて、きれいにお化粧をして、腰もまっすぐだった。早くに亡くなったおじいちゃんの会社を、女社長として引き継いだ。
床に散らばったごましおを見て(これは、ぜったいにおしりぺんぺんだ…)と絶望し、シュンとして「ごめんなさい」と言うと、その時はなぜか全く怒られなかったのを覚えている。それでも私たちきょうだいは、痛くないおしりぺんぺんをけっこう面白がっていたのだから、少し物足りなくもあった。
そのおばあちゃんが小3の春休みに亡くなったのを、いまの私はまだ信じていないのかもしれない。だから悲しみきれないまま大きくなってしまった。癌になって、ベッドの中で小さくなったおばあちゃんに「これから映画を観に行ってくるね」と言ったのが最後の会話だった。知らない人と話しているようだった。というより、知らない人だと、本当に思っていた。

それからしばらく、私はもう死んでいるんじゃないかしらと思うことがあった。私だけが、私は生きていると思い込んで、この世界を見ていて、みんなはみんなで私が死んだ世界に生きているのかもしれない。そういうことがあるのだろうと信じてみた。
教室のまえの扉から入ってうしろの扉から出たら、そっくりの違う世界に行ってしまう、と本気で思うような小学生だった。今でもちょっとその怖さを持っていて、扉がいくつあろうと、なるべく入った扉から出ようとしてしまう。

そろそろ「悲しみ」に話を戻す。コロナだかコレラだかソレラだかドレラだか知らないが、その影響で春休みが消滅した。悲しい。悲しいが、これは日常にある悲しみだ。3つの悲しみ体験とは違う。そのことを私は知っている。日常にはない、もっと違う悲しみが在ることを、私はすでに身をもって(物語を通したものも含めて)味わっている。
そういう悲しみを味わった時に、その悲しみに気づくことができるか。日常の悲しみとは違う悲しみだと感じることができるか。その悲しみの中にいないときも、その悲しみを想像できるか。
私がしたいのは、私よりも若くて小さい人たちから、せめてその機会を奪わないでいることだ。与えるほどに押し付けることなく、しかし、機会がいつ訪れてもいいように、環境やら気持ちやら、いろいろを調えておきたい。

やり残したことがまだまだある。いろんな人と話をしたい。知らないことを味わったり想像したりしていたい。どうか、私だけが私が死んでいることに気づいていないのでは、ありませんように。

2020/02/19 なんの話

信じてもらえないかもしれないけど、私には嫌いな人はいない。みんな(全員ではない)のことが本当に好きだ。それなのに悲しくなる。なぜ、みんなで、そういう雰囲気を作ってしまうのかなぁ。そのあたりに、どうも私はうまくついていけないようなのである。
こう思い至ったが、だからと言ってどうすることもない。あんまり私が口を出すべきでも、変えていこうとするべきでもないのだ。たぶん。粛々と受け入れ(るフリをし)、いつか去っていくのだと密かに自分を強く持っているしかない。去っていくしかないことが悔しくもあるが、あまり気にしていない。問題はもっと他にある。
みんなで作った雰囲気から解放されると同時に、大好きなみんな(全員ではない)とはもう会えないのである。会えなくとも、思えたなら、いい。しかし、大好きなみんな(全員ではない)がどうしているか、私にはずっと分からないのだ。そのことが寂しい。

しょうがないんだろうなぁ。このことを考えるたびに行き着くのが、いつもこの一言なのである。しょうがない。他に何も思いつけない。

この日記でなんの話をしているのかは、自分を主役に、かつ誰かの脇役として、適当に想像してもらえたらいい。みんな(全員ではない)はそういうことをちゃんとできるはずなのに、なぜやらないんだろう。
しつこくみんなのあとに括弧をつけてしまう。私の悪い癖だ。こういうときにつくづく嫌になってしまいます。みんな以上に、私はまず自分をなんとかしなくちゃいけない。

2020/02/14 エビのチョコフォンデュ

例えば、と言っている時の私はたいてい、まさにその中にいる。例えば、「辛いことを乗り越えれば楽しくなる」と、大好きなみんな(全員ではない)に伝えられるだろうか。
数日前から気を重くしていたことが全く問題なく過ぎ去って、思った。私はいつもこうだ。必要以上に心配して、後で大丈夫だったと安心する。もはや、安心するために心配している。

例えば、怒られて焦って何かをこなす人を観る。その原因を作ったのは私なのに、私は傍観者でしかない。「楽しくなるまでに辛い時間を必ず通る」ことを、私は身をもって味わってきたから分かるが、それを伝えるのに迷ってしまう。だって、あなたと私は違う人間だし。
ほとんどのことは気持ちを前向きに持っていれば乗り越えられるのに、そうしない。乗り越えられるだろうことが分かっているからだ。だから心置きなく気を揉んで、ああ大丈夫だったね、よかったね、と言う。これから先、乗り越えられないことが出てきたら、どう立ち向かえばいいのだろう。もうすでに、ずっと乗り越えられないかもしれないなと思うこともあるが、それは急ぎではないので、安心するのは先延ばしにしている。

例えば、なぜこれをしているんだろうと思うことがあるとする。ちょっと考えて、これができたら格好いいとか、自分が楽しいとか、理由はそのくらいしか浮かばない。何かが良くなるわけでもないと思う。無ければ無いで構わない。
あの子は、そう思うのだろうか。なぜ、と考えるのだろうか。したい、と思うのだろうか。それとも何も思わないのだろうか。そういうことが何も分からない。だから、ダメなのかもしれない。分からないことがダメなのではなくて、上手な方法が見つからないのがダメだ。分からないなりに寄り添ったり、遠くから眺めてみたり、そういうことをもっと上手にしてみたい。
それは人の数だけやり方があるので、本当にしんどいと思う。しんどいが、うまくできたら楽しいだろうなと思う。

私たちは、どこかへ向かっているのだろうか。そのどこかは、幸せな場所だろうか。そういうことを思って、まだまだ不安になる。ここまでの私の話が正しければ、不安になるのはいい傾向だ。
ところで今日はバレンタインディですね。満を持して発表したエビとチョコのフルコースディナーが不評でしたので、しばらく借金まみれの生活です(半分くらい本当、あとの半分は嘘。さて、なにが真実でなにが嘘か)。お金はいつか返せることが分かってますが、いまはまだ心配しときます。

2020/02/09 雲は、海老の色に

暮れていく夕方の、電気をつけない時間が好きだ。今です。これを書き終えるころには、部屋は暗くなっていると思う。それほど短いこの時間が、毎日、訪れてくれる。鳥が、黒い影になって横切っていく。雲は、海老の色になる。世界は美しい。
昨夜は、いいねされなくて、本当に救われた。ありがとうございます。一瞬のうたた寝で、愛しい人に会った。その人は、久しぶりの再会に、「何か変わったことはある?」と聞いた。何度言われただろう。「変わったこと?」と聞き返すのは、お決まりになってしまった。変わったと言えるようなことなど、ないのである。ふと、何かが変わるまでは私はもうこの人に会ってはいけないのかもしれないと思った。愛しい人の問いに答えられない私は、いつまでも会えない。このままだと、死ぬまで会えない。いや、死んでも会えない。会うために変われるだろうか。それとも、変わった私はもう、会いたいとは思わないのかもしれない。
「離れて行く」ことと「置いて行く」ことの違いはなんだろう。「離れて行く」ことが上手にできないのではなくて、「置いて行く」ことしかできずにいるのかもしれない。それも、無理やりに。下手でもいいから「離れて行き」たい。離れて行く私を見送ってくれる人に、私の世界は想像できるだろうか。私は私で、見送ってくれる人の世界に私がいないことを思えるだろうか。思うだけでなく、愛せるだろうか。
あぁ、まだ空に明るさがある。好きな時間のあいだに書き終えた。ほんとうに大切なものは、誰にも分かってもらいたくない。

2020/02/07 かろうじて星屑がひっかかった

みんな 迷いながら 今いる世界に戻ってゆくんだ… せっかく泣かないでいたのに、仕事帰りの車でwafflesの「tokyo.station」が不意打ちで流れて、結局バチバチに泣いた(バチバチに泣く、とは?)。
この歌があまりに好きなので、できれば聴かないでほしいが、もし聴くなら「one」というアルバムを(正座で)聴きこんでから、この「ballooner」も順番通りに(正座して)聴いてほしい。ちなみに、アルバムは基本的にいつも正座で聴く心意気で、正座しないで聴くためにプレイリストを作る。

子どもの頃(年齢に関係なく)、人間はみんな「離れて行く」ほうなのだと思う。「離れて行く」が上手にできた。それなのに、私は今目の前にいるこの子たちから、この春、離れて行く。子どもの彼(女)らに、「離れて行かれる(受身)」を体験させる。「(私はあなたのこと)好きなのにどうして?」と問われて、「ごめんね」としか言えなかった。大きくなって、「離れて行く」が上手にできなくなった。
それでも、みんなそのうち忘れちゃうんだろうなという確信はあり、子どもは「離れて行かれる」ほうも上手にできるのかもしれない、と思う。
そういう意味で、大きくなっても子どもでもある、というのがいい。

教えていることは、なくても生きていかれるようなことだけど、私の知らないこれからも長く続けてほしいと思った。専門的に究めなくても、何かのときにちょっと自信になるようなものであってほしい。だから私は子どもであるだけでなくて、大きくなった人(ここでは大人とも言える)として、素敵でいなくちゃいけないと思うのだ。好きなものに対する人間の気持ちは、同じことがなく、つねに変わっていて、おもしろい。
しかし、自信になるようなことや好きなことがないことが悪いと思う気持ちは、一切ない。私だって、自信になるほどたいしたものを持っていないような気もするし、何が好きかなんて質問は、子どもの頃は一番苦手だった。ある程度いろんなものを見聞きして、光っているものを心に留めておくくらいの感じだ。まだ見聞きしていないものが果てしなく在ることだけは分かる。
自信や好きかどうかはいったん置いておいて、それでも、「味方になる」ものは確かにいつかどこかにある。それが自信や好きと結びつくことは多い。だけど時には「何もない」ことが「味方になる」ことだってじゅうぶんに考えられる。むしろ「ない」ってことは、かなり自由で強いのかもしれない。
私のことは忘れても、私が見せた素敵さ(あるのか?)に憧れた(のか?)ことは、彼(女)らの「味方になっ」ていたらいい。覚えていてもらうことより、それならできる気がする。
いちばん好きな梅はまだ咲いていなかった。去年は見つけなかった梅(たぶん咲いていなかった)を、2番目に好きかも、と思った。こんなに晴れることは珍しい。東京に行くときはよく雨を引き連れていく。流れ星にはなかなか立ちあえないが、そういえば新聞配達をしていた頃はよく見た。どうしても見たいのならやはり、毎日通うしかない。それにはあまりに遠い。今日も迷って、今いる世界に戻ってきた。みんなそうなんだって。妥協じゃなく、いまはそれを選んでみたということ。
はじめのころは、社会との食い違いに抗おうとして、話せばわかる、と思っていた時もあったのが、いつからか声を出してもダメなのだと気付いてしまった。それでなんとなく無難にこなしているのが嫌でもあり、どうせそのうち辞めるのだからこれでいいという思いもある。
考えて、社会だなんて括っていないで、そこにいる誰かを思うことを選んでみた。誰かには私の知らない誰かもいるし、私にも誰かの知らない誰かがいる。何かを選ぶということは、選ばなかった何かがあるということだ。それも忘れずにうまく仲良くできたらいい。

スタスタ歩くのをやめた。てくてく歩いていく。 そうして、目の前にあるものや人から離れて行く。だけどときには、また少しだけ近くにいさせてね。

2020/02/04 花見の季節が来る

これからしばらく離れている。だから平気だ。そう思う人ばかりだった。隣に座る彼の横顔を見つめそうになって、やめた。差し出されてした握手は、丁寧にそして短く両手で返した。私はみんなに会わないことができる(なんちゅう日本語…)。
浮かれて多方面に送りつけたメッセージに返信が来る頃には、もう返せなくなっている。返さなきゃとは思っているのに返せないのはどうしてなのか。会いたいのは私だけで、それをなるべくしないでいたいと思う。もはや、ずっと浮かれていたい。

花見の季節が来る。梅がいい。もう少ししたら桜でもいい。彼と花見をしたら、これで死ねるぞと思うのだろうか。この花が散ったあとでふたたび咲く日があると思っていた頃は、死ねなかった。いまはどうなのか、花見をしてみないことにはわからない。
もう私とは花見ができないことを悲しむ人は、いない。そのときが死に時だ。

離れている(あるいは離れて行く)ことがどういうことなのか、私にはわからない。離れて行こうと思っているのに、わからない。私にはいま、離れている人が、本当にいるのだろうか。

2020/02/02 池袋で見つけてもらう

アイドリングストップが行われているときハンドルに響くベースの音が、心地よい。東京にやってきた。髪を乾かすのに飽きて、日記(にき)を書き始める。

池袋で見つけてもらう。この言葉が本当になった。柿のモノマネをした。もちろんこれは、だれの前でもできるわけではない。コートのファーを愛でた。たいていフサフサしたものは触りたくなるのだが、本当に触るときはほとんどない。
コンタクトを無くした夜に道端のベンチで話を聞いてくれたのも、髪を切った私に長いほうが可愛いと取り返しのつかないことを言って落ち込ませたのも、なぜか握手して別れた夏の日があったのも、ぜんぶ彼との話だ。そのどれもが平気だった。
たぶん今日も、平気になる。…はず。

髪を乾かすのに飽きるのは、髪が長いからで、なんと2019年は一度も美容院に行っていない。もう行かないと決めた。自分で切ればいいじゃない。
胸の間に白い龍のタトゥーのある、同い年の美容師がいるらしい。その気になったらその人にお願いしてみよう。

話したくないことは話さなかった。話したくないことは、話さなくてもいいことなのである。時に私たちは悲しい話もするけれど、それは話さなくちゃいけないことなのだと思う。
話さなくちゃいけないことだけを、私たちは話すことができる!話さなくちゃいけないことがないときは、柿のモノマネでもしていればいい。
そんなふうだから、素直に好きだと言える。

心を込めるときに、「う」の口になる人と、「え」の口になる人と、「い」の口になる人がいることに気づいた。圧倒的に、「い」の人が好きだと思った。
私が、こういう人が好きだと言うときは、大抵、思い浮かべる人がいるのだそうだ。そのことは、中学生の頃すでに、親友に言い当てられたのだった。

やめないでいること。それ(やめないでいること自体と、やめないでいようとしている物事)が本当に正しいのか、わからなくて、悔しかった。もうしばらく、前向きに、やめないでいようかなと思えた。ユートピアがもし、私たちの生きている間に来たら。今日はじめて、そう思えたのである。

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