雨やどり


管理人室 -- 日記 -- 2019/10
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2019/10/29 目の前に晴れがある
2019/10/27 信長が生きている
2019/10/25 ニュートラルな状態から
2019/10/23 もうすぐ死ぬ夢
2019/10/21 柔軟に歩き回りたい
2019/10/18 持続するしかない自分自身
2019/10/16 幸せならば
2019/10/15 変わらない良さ
2019/10/13 反省(n回)
2019/10/12 私たちのいないユートピア
2019/10/10 10分間、本気で眠る
2019/10/09 みんなのあとの括弧
2019/10/08 名前に屋根が入っている
2019/10/07 物心がついた時から
2019/10/06 習ってない!
2019/10/05 真似ぶことはしない
2019/10/04 沈(涼)む
2019/10/03 車
2019/10/02 お酒を飲まないまでの3秒
2019/10/01 そのままの意味の看板

2019/10/29 目の前に晴れがある

「あ、晴れてる。」15時半ごろだったかな、そのおじさんは電車の窓から外を見てこう言いました。そしたら今度は隣にいた少し若いおじさんが「気象情報どうなってるかな。」なんて言ってスマホを取り出して「おかしいな、17時まで雨の予報だ。」って。不思議に思いません?どうしていま目の前に晴れがあるのに、予報を見てしかもそんなこと言ったのか。いま思えば、雨が降っているような言い草。窓はわたしの後ろにあって、確認してみることもできませんでした。おじさんたちを残して電車を降りました。すると雨は降っています。それもけっこうしっかり。やんでいたのが降り出したって感じでもなく。そこでやっと気づいた。あっ、さっきほんとうは雨、降っていたんだ。用事をひとつ終えて、わたしはまた電車に乗りました。そのとき、窓から空を見て、「あれ?晴れてる?」って思ったんです。でも、道ゆく人々は、傘をさしている。そこでまた気づきました。さっきのおじさんにも、晴れが見えていたのかもしれない、と。
…何が言いたいかというと、わたしたちは同じものを同じように見ることはできないんだなと、当たり前のことを思い出したわけです。
そんなことを、ぼんやり公園で考えていると、おにいさんとおじさんの間くらいの人が、わたしの座っていたところの近くの看板やら碑(?)やらを眺めて、そのあたりをぐるっとひとまわりして、しばらく佇んでました。そのあいだに犬を連れた人が通ったな。そのおにいさんとおじさんの間くらいの人、チラッとわたしの方を何度か見たから、話しかけられるかなと思ったけど、けっきょく、行っちゃった。あるいは、わたしが座っている下にお宝でも埋まっていたのかしら。おたがい、なにを待ってたんだろう。公園にいたその時はもう、雨はいつの間にかやんで星も出ていて、いちにち走りまわって疲れていたからか、ちょっとウトウトしてたと思います。ぼんやり目を覚まして、これからずっとこうなのかなと思って、泣きそうになっちゃった。泣きそうになったってことは泣かなかったてことです。だって、時計を見たら、それよりも終電の時間が迫ってたから。しかもここは、いつ来ても必ず迷う新宿…。まあ、とにかく、いろいろ言ってる場合じゃない。慌てて枕にしていたリュックをつかんで階段を降りようとした、そのとき!その人を見たんです。向こうから歩いてくる人が、星だって出ているのに、傘を広げてさしました。咄嗟に、ザッと雨くるかもしれない、と思いました。その公園でなにかを待っていたわけじゃなかったはずだけど、この人には会うことになっていたんだと、心の底から思いました。(これが誰なのか、なんの話をしているのか、わかるでしょう?)あ、すみません…いま少し黙ったのは、心の中で遠くの誰かに呼びかけていたから…。
わたしたちは同じものを同じように見ることはできないんだけど、それってとってもさびしくて、たのしいことでもある。このことは、もうずっと前にわたしたちにお話で聞かせてくれた人がいました。わたしはようやく、身をもってそれがわかったような気がしたんです。たのしさとくるしさは、別々にはなく、同時にある。その人の言葉をかりるなら、楽苦(たのくる)しいって、こういうときに言っていいんじゃないかしら。

きっとこれからずっとわたしはこうなんだろうと思います。いまはまだけっこうさみしくて、どうしたらいいかわからないし、泣いたりもするけど、わたしたちが違うのがたのしいってこともわかってしまった。だから、やっぱりさみしいのかもしれないですね。(でも、泣いてるんだから、余計にさみしくなるとしても、抱きしめてくれたっていいんですよ?)えーん。

追記:これは、帰りの特急列車の中で、隣の席の人にしたお話(仮)です。幸い(誰にとって?)、隣の席には誰もいませんでした。晴れた後に傘をさすのって、わたしもたまにやるな。濡れた傘を家の玄関に広げとくのって、邪魔じゃん?

2019/10/27 信長が生きている

わぅ~!この気持ちを忘れずにいたい!手が震える。味わったことがないわけではない、つまり味わったことのあるこの感覚、思い出した。忘れないために日記を書く。
何がきっかけだろう。いや、そんなこと、本当はどうでもいいのだ。でもたぶん、〈むかし〉から好きな作家さんの本をいくつも読み返しているからだろうな。そう、私たちには〈むかし〉があったのだ。そしてもちろん〈これから〉もある。これが何の物語なのか、わかる人にはわかるかもしれない。しかしわかる人は少ないだろう。それでいい。いい意味で。
前にこんな気持ちを味わったのは、いつだっただろうか。そうだ。思い出す。そういえば、大学生の頃もこんなことがあった。そのときはあるライブ映像を観たのだった。その曲はもともと好きだし、iPodにも入れているからよく聴いていたけど、ライブの空気は最高だ。それから、鎌倉のカフェで、どうしようもなく叫びだしたくなるのを、べらべら喋り出したくなるのを、何とか抑えていたこと。いくら歩いても全然疲れなかったこと。
あのときも、そのときも、いまも、泣きそうである。実際に泣いた時もある。悲しさがもとではなく泣きたくなるこの気持ちは、私の表現したいという欲求(?)をいい塩梅に刺激してくれているのだと思う。忘れたくないと思った。こういう感覚を。
信長が本当に生きていて、目の前を歩き、目の前で話していたら、感動(?)すると思う。私は実際に、信長が生きているのを見た。夢のようだった。それがどうやって、私の中に入り込んで、また出ていくのかは分からないが、とにかくその時に起こる震えが、今私の中にある。まだうまく制御できないから、なんだかわけのわからないことになっているが、これからだという気がする。
なんとかなりそうだ。今よりも少しは強くなれそうだ。すべてうまくいくような気がする。もちろん、いつかは落ち込むときがくるだろうことも分かっている。それくらいには冷静さを持ちつつ、でもやっぱり今は熱い気持ちになっている。落ち込む時にもこの今を思い出せたらいい。
ちなみに信長っていうのはもちろん、織田信長のことだ。別にファンってわけでもないんだけど。

2019/10/25 ニュートラルな状態から

生意気な子どもは別にいいが、話を聴かないのはどうかと思う。ちょっと考えれば、聴いたほうが楽しいと分かるのに。というより、楽しくいたいのなら聴くしかないのだ。
教訓じみたことを伝えたいわけではない。究極な話、最終的には私たちが楽しければいいと思うのだ。そうするには、私たちはどう振る舞うべきかを考えなければいけないはずだ。しかし、それができないだけでなく、この「私たち」というものが何なのかを想像できないから、こう、頭が悪くなっていくのだろう。

頭は悪いところから良くなるのではなく、ニュートラルな状態からどちらかに転んでいくものだ。だから若い人は、「どうしようもないバカ」にはなれない。なるには、時間が足りない。大人のほうがなれる(なりたくはないが)可能性がある。それはつまり、若い人がこれから「どうしようもないバカ」になるかもしれないということでもある。
若い人が「どうしようもないバカ」になれないのと同じように、頭が良すぎるということもない。生意気を言ったり、想像力が足りなかったりする。しかし、「(頭の)良さ」は確かにあるのだから、それが変わらずにあるといい。変わらない良さを持って生き続けている大人たちは、素敵だ。どんどん頭が良くなっているだろうし、これからもまだまだ良くなっていくように見える。子どもたちの将来がそうあってほしい。(まだ若い)私の未来もそうありたい。
(余談。若い人の「頭が良すぎることもない」状態を、自分よりも未熟だと勘違いしちゃう大きい声の大人がよくいる。歳をとるということは、若くなくなるということではなく、生きた時間が増えていくことだと、なぜ思ってみないのだろう。)

そのためにどうしたらいかな、なんてちょっと考えてみると、聴いたり見たりするしかない。さらにそのためには、ここからどこかへ歩いてみるしかない。
結局こういう話になってしまう。私の大好きな作家さんの物語のように、ただ楽しい話をしようとしたら、その中に教訓みたいなものを見る人もいるってことかな。文章にするということは、そのことを自分自身の中に意識してみるきっかけになる。

2019/10/23 もうすぐ死ぬ夢

時々、もうすぐ死ぬ夢を見る。今年の2月だったか、余命3か月だと言われる夢を見た。そのとき不思議と心が穏やかだったのは、悲しんでくれる人がいたからだ。と今になって思う。私が悲しまなくても、代わりに悲しんでくれる愛しい人がいる。 昨夜もまた、もうすぐ死ぬ夢を見た。スケルトンのヴァイオリンをからかったら、死刑を言い渡された。来週の金曜日に私は死ぬことになった。母は、諦めるしかないといった。親友は、そんなのおかしいと怒ったがそれだけで、どうしようかと考えることはしなかったから、諦めろと言った母と同じだ。とても悲しかった。誰も悲まないから、自分が悲しくなるしかなかった。そして、この夢には圧倒的に想像力が足りなかった。
私が想像できなかったこと。からかうということは好きだということなのに、それを分かってもらえない可能性を想像できなかった。からかわれた人間の気持ちを想像できなかった。つまり、世界は私の考えもしないようなことを考えついたり思ったりすることを忘れていた。 世界が想像できなかったこと。私が死んで悲しむ人間を想像できなかった(この夢の中では私自身だけだった)。私の本当の気持ちを想像できなかった。つまり、私が世界の考えもしないようなことを考えたり思ったりすることは忘れられていた。 まとめると、想像力というのは「自分自身には思いつかないことが存在すると分かっていること」だと思う。自分自身の思考と違う思考には何があるのかを考えることではなく。そんなに具体的でなくて良い。分からないことがあると分かっていることが大事だ。
これって夢の世界の話かしら?ここまで書いて、ふと思う。現実に見ている世界そのものだという気がする。想像力の欠けた世界。私自身が寂しく悲しいことも、全くその通りであった。「幸せならば」と思っていた頃と、それをいったん引き出しにしまってみている最近とでは、圧倒的に悲しさが違う。 夢は現実に近い。それは、夢が体験でありファンタジーでもあるからだ。ファンタジー(空想)なのに現実に近い。不思議ではあっても、とても正しいことのように思える。この話は、いつかもしたことがある。 私や世界の見る夢と、それに近い現実とは、いつもファンタジーに溢れていたい。そうしたら素敵だろうなと思う。
ところで、スケルトンのヴァイオリン、見たことがないけれど、想像するにとても格好良い。

2019/10/21 柔軟に歩き回りたい

学生の頃みたいな時間の使い方が楽しかった。
朝から車で1時間半ほどかけて峠のむこうのM市へ行く。自分のために走り回る。涙が出るほど笑い、こらえなければならない場面では余計におかしくなってしまう。
そのまま家を通り過ぎ、東京へ行く。渋滞もいれて車で4時間ほど。台風で通行止めになっていた中央道がギリギリ復旧した。国道20号が先に開通したが、歩いたほうがはやいくらいの渋滞だと小耳にはさみ、じゃあ歩いていくか?(約200km)と思うなどしたが、その必要もなかった。静岡に寄るという夢もついえた。
特急はまだ走っていないみたいだ。月末に東京である研修(洗脳)の日にまだ運休していたら、行かなくてもいいかもしれない。実は、遅延がなければ始発の鈍行でもぎりぎり間に合うのだが、それは内緒にしておく。

東京に行ってあなたに会わずに戻ってきたのは、良いことなのかもしれない。存在していることを確かめながら、憧れながら、もっとずっと遠くのほうから眺めている。そしてあなたがいつまでも素敵でかわいく楽しく生きていることを想像する。
そう、想像力、だ。想像力が足りないから、イライラしたり浅はかだったりする。想像力が足りないのなら黙っていてほしいのだが、想像力の足りない人に限って、何やらべらべらと喋っている。「べらべらと喋っている」中にはもちろん想像力のある人もいて、違いは何かと言えば「何やら」の部分だ。こちらが考えてみてもよく分からない「何やら」を喋られた時の疲れはすさまじい。
想像力のない人がべらべら喋った何やらを、こちらはなるべく想像力を使って聴くのだから、どう考えてもエネルギー量が全然違う。そういうことすら想像できないのだから、どうしようもない。

しかし、このどうしようもないことをどうにかしたい。そのためにせめて私は想像し続けていきたいなと思っている。そうしたら、みんなの想像力も生きやすくなるはずだ。絶滅危惧種を守るには、それが生きられる環境を守っていくしかない。想像力のナチュラルな在り方を守っていきたい。
想像力はたぶんファンタジーから始まり、それが現実になり(今でも扉のむこうには別の世界があると心の底から思う瞬間がよくある。というか、いつもそう思っている)、よく考えるということをするようになってくる。

違う話をしているようで結局同じことを言っているのは、想像力がそうさせているのだと思う。その「同じこと」というやつは、ある時ふと変わるかもしれないけれど。ひとつの思考からいろんなことを想像する。その想像がまた何らかの思考になる。一方通行ではなくどちらに向かってもいいし、脇には小道があるかもしれないし、なんなら通らなくたっていいのだから、散歩は楽しい。柔軟に歩き回りたいね。ひとりで。いつか誰かと。

2019/10/18 持続するしかない自分自身

この間、床で昼寝をしたらとてもよく眠れたから、昨夜は床で寝てみた。結果、私はどこでも眠れるのだということを再確認することになった。再確認したということは、しばし忘れていたということでもある。
ふと、持続と再会について考える。つい先日聴いたばかりのラジオで「再会よりも持続しているほうが良い」というようなことを言ったのは誰だったかしら。
再会する前に「離れて行く」ことは、たしかに嫌かもしれないなぁと思う。嫌だというか、寂しい。しかしこの「再び」という言葉は、とても曖昧だと思う。 昨日同じ教室で授業を受けた友達と昨日別れて、今日また会えばそれは再会ではないだろうか。おそらく明日もまた再会する。「再び」何かが起こるまでの期間は、別に決められてはいない。なんなら、1時間後でも1分後でもいい。一度離れて再び会えば、立派な再会だ。
ならば持続しているものはないのかと言えば、ある。少なくとも自分自身だけは、生きていればその間は持続しているのである。持続しているのもなかなか大変だ。離れようとしても離れられないんだもの。けっこう苦しいことだと思う。
そう考えると、「離れて行くことが嫌だ」という気持ちを「持続しているほうが良い」に変換することは、とても違和感がある。 持続しているのが良いとは決して思わないが、それでも持続するしかない自分自身はたしかにある。その自分自身と楽しく付き合っていきたいなと思う。どう足掻いても離れられないんだから、苦しくいるより、もうそうするしかないでしょう?(そうするしかない!) そうしたら、今はつらくても、「離れて行く」だっていつか簡単にできるようになる日が来るのかもしれない。
風邪っぽいから首にぬいぐるみ巻いてサッサと寝る。今夜はベッドで眠ります。

2019/10/16 幸せならば

「幸せならば」と言った人が死んで不幸せになる人の数を数えてみた。それでも「幸せならば」と言いたい私は、素敵にはなれなかった。だから離れて行きたいのだけど、そんな勇気もなく、今はただ黙っている。言わないだけ良い。
ひとりの人間なんて、忘れようと思えば何とか忘れてしまえるのである(経験済み)。しかし、あまりにかわいい呪いがそうはさせてくれない。その呪いにかかりつつ、私もまたその呪いをかけている。エビを見たらみんなは私を思い出すことになっている。

みんなと仲良くしたいのは「幸せならば」の発想だろうか。たぶん、そうではないだろうな。本当に「幸せならば」と考えれば、みんなと仲良くするよりもひとりを見ていたい。
全員(みんなではない)が「幸せならば」と言えたなら、この世の中はもっと明るいのだと思う。だからこそ今の世で「幸せならば」と言えなかった人が余計に悲しんでいるのだろう。いや、悲しんでいないかもしれない。ただ素敵でいられる人もいるだろう。悲しむような人は「幸せならば」と言っていたほうがいい。そしてそれもできないのが、私だ。

「幸せならば」と思っていたいし言いたいのは、本当はそう思えないからだ。願望は、現実がそうでないことの裏返しだ。それなのにある時の私は、「幸せならば」の言葉をあまりにその通りだと思った。その通りだと思って、そのままそう思えたら良かった。
「幸せならば」の発想が間違っているとは、今も思わない。「幸せならば」と思いたい場面ばかりだ。だけどせめて私はもう少しこのまま思わないでいてみようと思った。あとは、この報われない悲しみに耐えて生きていく強さを手に入れるだけだ。強くなりたい。

2019/10/15 変わらない良さ

別に、私が若いからそう思うのではない。若くても時代錯誤な人はいる。しかしなぜそれが起こるかというと、長く生きてきたからという理由が多い。長く生きてきた人ほど時代錯誤なのは当然のことだ。だからこそ、長く生きているならよく考えなくてはいけない。私が若いから、ではない。
それがいつの時代に書かれた物語であろうとおもしろいのは、すごい。 長年作り続けた音楽が変わらない良さを持って愛されているのも、すごい。どの時代でも受け入れられることをし続けていることが、必ずしも正しいことだとは言い切れないが、本当にすごいことだと思う。

「悲しみ」をどうやって扱っていけばいいのか、分からないでいる。「悲しみ」は、比較的いつの時代も受け入れられてきたものじゃないだろうか。私にも「悲しみ」はあるし、きっと誰にでもあるのだろうと思う。
私が見たことのある「悲しみ」は、ふたつだ。「報われない悲しみ」と「共感されない悲しみ」。私が持っている「悲しみ」はどちらかというと「報われない悲しみ」のほうだと思っている。
「ごん、お前だったのか。」(新美南吉『ごんぎつね』)昭和の初めに書かれたこの作品が平成生まれの私に何かを思わせたというのは、すごいことだ…と改めてため息が出る。はぁ~~。これを初めて読んだ小学生の頃から、この手の「悲しみ」はもうずっと持っている。覚えている自身最古の悲しみ体験はこれだ。それまでは、どうだったかしら。
最近よく見かける「悲しみ」は、圧倒的に「共感されない悲しみ」のほうだなと思った。そして、「共感されない悲しみ」に共感する人間。どういうこっちゃという感じだ。いつまで「共感されない悲しみ」は受け入れられていくのかなと思う。

「悲しみ」の中に、何か(光みたいなもの)を見ようとしているのではない。「共感されない悲しみ」がそう遠くない未来に受け入れられなくなった時、「共感されない悲しみ」をやり続けている人間が大量発生することが恐ろしい。ここでようやく、最初に言った時代錯誤の話になるわけだ。
日記は未来のことを書いてもいいと聞いた(むかし自分で日記に書いただけ)から、未来の話をしてしまった。しかし、未来だけでなく、これが今の時代にも起こっているのだ。時代錯誤というものは、恐ろしいだけじゃなく、悲しい。
時代錯誤がなぜ悲しいのかと言えば、報われないから、だ。変わらないでいることに失望することがある。素敵だと信じていたことが、のちにテンプレートに当てはめただけのうわべのコピーが作られたことによって、その本質は見られていなかったと判明する。悲しい。変わらないでいることと、変わらない良さを持っていることは、まるで違う。
「悲しみ」を表明していくことはとても難しい。うまく物語を書けるわけでもないし、素敵な曲を作れるわけでもない。それでもこの「悲しみ」をうまく扱ってみたい。
「悲しみ」を持っているからと言って、いつも悲しいわけじゃない。(悲しくなる時はある。多々。)「悲しみ」だけじゃなく「美しさ」ももちろん持っている。そして「美しさ」は「悲しみ」があるからこそ生まれるのだろうとも思う。「悲しみ」と「美しさ」、早く手にしたのは多分「悲しみ」のほうじゃないだろうか。

2019/10/13 反省(n回)

とてもくだらないことを言ってしまって反省している。想像力の欠如が一番かなしい。それは、わたしもみんなも。
近くの川が避難判断推移に達して、避難勧告が出る。間もなくして氾濫危険水位まで達し、避難指示が出た。まだ雨はしっかり降り続いている上に、この盆地では、雨が止んだところで山のほうから流れてきた水で川の水位は上がる。「職を失う!お金はない!」と思った。この家が浸水して、1階にある仕事部屋が使えなくなり、買ってからまだ半年のわたしの青い車も駄目になるところまで思い浮かんだ。思い返すと、一気に来たそのスピード感がかなり怖くて、軽いパニックともいえるような心持ちだったように思う。しかし、命の危険よりもこれからの生活を心配するあたり、いざと言うときのことは分からないものだと実感する。
本当にくだらないことを言った。今は反省して(2回目)おとなしくしている。自分自身が怖かったことすら忘れてしまう。この気持ちを想像できない人が多いこと、そしてそこに自分も入りかけたことがかなしい。
台風が来て川が氾濫しそうになって避難指示が出て避難所まで行ったが、結局、大したことにはならずにこうして既に帰ってきた。今回はたまたま台風の話だったが、台風が来ない日にもこういうシーンは在る。こういうシーンやそこにいる人たちの気持ちを想像できないことは、かなしい。想像できるのならどうなるのかは分からないが、少なくともこんなにかなしくはならないはずだ。 かなしくなって、もうあんまり誰かに向けて喋りたくないなと思った。少なくとも今は。うまくできるのなら、もちろんしたい。反省しています(3回目)。
大人になってから想像力がなくなったのではなく、他の、例えば「分かる」とかいったことにばかり気を遣うようになったのだと思う。その話は本当におもしろいのか。おもしろくない時には笑わなくていいのだ。わたしもみんなも。

2019/10/12 私たちのいないユートピア

たしかに、ひとつの作品を読んだだけでは、ある日の日記を読んだだけでは、その人が何を追い求めているのかは分からない。本を読んだり誰かと会話したりすることは、自分自身にとって生活のヒントになっている。そこからいろんなことを考え、少しでもこれからが良い世の中になるように(ユートピアは私たちが生きている間には訪れないのだという言葉を思い出す)きちんと暮らしていきたい。
しかしそれだけでは飽き足りず、私たちはもっと深く紐解こうとする。誰かの追い求めるものを、知ったり分かったりあるいは考えてみたりする必要が、私たちにはあるのだろうか。

ある一人の人間が思い浮かべる物事は、何を表しているのだろう。それを愛おしく思う私たちは、何に感動しているのだろうか。具体的なシーンを考えてみることにする。例えば、作家は何を思って物語や人物たちを生み、読者の私たちはなぜ、それらや彼(女)らを好きでいるのか。そして、深く関わっていこうとするのか。
「ためになる」という発想が、そこにはないのだと思う。「おもしろい」かどうかなのである。ある人が何を思って生きている(生きていた)のか。それを知ることはおもしろい。おもしろいから好きなのである。そして、好きだから関わってきたいのだ。そうする必要があるのではなく、そうしたいというよりももっと、そうするしかないという気持ちだ(ついこの間の日記にも似たようなことを書いた)。

では、おもしろいことの何が良いのだろうか。おもしろいと思うことは、私たちが死んだ後のユートピアになるのじゃないだろうか。そうあってほしいと思う。「ためになる」本などありえないのである。たったひとつの本やたったひとりの人間の言うことが「ためになる」ということもありえない。
そもそも「ためになる」と言うとき、誰の何のためになっているのか謎である。とりあえず「ためになる」と言っておけばいいと考えているのだろう。いや、考えているのならばまだよくて、特に考えずに言っているのだろう。もし本当に「ためになる」があるのだとしたら、私たちが思うべきは、私たちのいないユートピアだ。

何のために本を読むのだろう、と思ったのだった。何かのためではなく、おもしろいから読むのだ。その「おもしろさ」に上品さがかならずあることを確かめながら、「おもしろい」本や人と関わっていくしかない。
今読んでいる本がおもしろい。最初に「たしかに」と言ったのはその本に対しての言葉だからだ。

2019/10/10 10分間、本気で眠る

昼間。10分間、本気で眠る。起き上がって、お湯を沸かしてコーヒー豆を挽くのに3分。一杯分を1分半で淹れる。本を読んだり音楽やラジオを聴いたりしながら飲み切るまでに20分。こういう生活が好きだ。
小学生の頃は、毎日寝る時間と起きる時間を決めていて、私だけの絶対の約束にしていた。高校生の頃は、毎朝、開門と競争するように学校に行き、朝部活(自主練なので行かなくてもいい)をしていたし、その前に早起きして家で勉強なんかもしていた。大学生になっても、自主的な0限をつくり、大学に平日はほぼ毎日行った。おかげで、211単位とった。
好きだったのだと思う。勉強することだけじゃなく、そういう生活が。だった、と言ったが、今も多分そういう生活が好きだ。前よりは変わることを受け入れるようになった。つまり、さぼり癖がついたということなのだけれど…。

疲れた。何をしているのか分からない時間は疲れる。考えるキッカケになるようなことが何もなくて、仕事として収入がある時間でもないからそうと割り切ることもできない。しかし、そこにいなければならない。そういう時間をもっとうまく使っていくことが、私には足りない。
社会人になったら時間が無くなるものだと思っていたら、時間は有り余るほどあって驚く。有り余るほどあるはずなのに、足りない。大学生までの生活がそうだったように、全てのことが今の私を作っていくはずだと願っているから、そうならない時に余計に疲れてしまうのだろう。割り切る、ということができない。できないというよりしたくないのだ。そうして、疲れて、今日の一番最初に書いたような生活があるはずの時間を、回復に充ててしまう。

依存して「中毒で死ぬ」という状態が想像できない。その話をしたら、中毒になるということはまず過剰摂取があるのだと教えてもらった。
分からない問題に意味を見つけようとばかりするのはやめようと思った。毎日続けていたあの生活にも、意味が見つからない時間にも、(愛しい人にも、)依存せずにいたい。美しくなくともせめてダサくなく。まじめに。死なない程度でいい。これが今の私の精一杯だ。

2019/10/09 みんなのあとの括弧

自転車のタイヤに空気を入れたら、乗り回さないわけにはいかなかった。雲一つない秋空もそれを後押しした。
やりたいと言い続けていたことについて、どうすればいいのか分からなくて少し立ち止まっている。尊敬するある人は「やるしかなかった」と言った。やるしかなくならなければ、本当にきちんと正しくやることは不可能なのだと思う。やらなければいけないことは、できていない。やらなければいけないと、やるしかないは違うのだろう。(だろう。とか言っている場合ではない。やれ。)

嫌われるよりは嫌われない方が嬉しい。でも、私がこうやって何かを嫌っていることで、誰かに嫌われる可能性は十分にある。
みんな(全員ではない)のことが、好きだ。私の言う勝手は、私の言う勝手でしかない。たとえ居心地という言葉を使おうが、私はその人を嫌いにはならない。だって私は、みんな(全員ではない)のことが、本当に好きだから。(居心地という言葉自体が嫌いなのではなくて、それが使われるときの言い回しが嫌いなのだと思う。)

なるべく嫌いになりたくない。もっと正確に言えば、排除しようとしないでいたい。そして、別の感情を嫌いということだと思い込まないようにしたい。(今、この文を、この考えに至った道筋の一切を割愛して書いたから、本当に何を言っているのか分からないと思うが、これは私の日記だからよしとして。そもそも、なぜ文章を書いているのだろうか。自分の頭の中の整理だけだったら、ここに書く必要はない。それを、こうして見つけてもらえたなら誰でも読める状態にしてある時点で、自意識過剰なのかもしれない。話が逸れた。この話はいずれまた。ひとまずこの長すぎる括弧を外そう。)
嫌われないでいたいと思うのも、そうすることが良いと思うからだ。良いというのは、便利な言葉だな…。つまり、嫌われないでいるしかない、と思うのだ。ただ良いとだけ言ったのは、このことが誰のためになるのか、何のためになるのかが、少なくとも今の私には分からないからだ。自分はもっと良い人間でいられるのか、世の中が良くなるのか、他に何かが起きるのか全く分からないが、たぶん、良いことだと思う。

ただ、嫌われないでいることは嫌いにならないことよりも難しい。自分が嫌いなことを言っている人を嫌いになる人は多いからだ。
例えば私はエビが大好きだとはしゃいでみせるが、あなたがもしエビが大嫌いでも私のことは嫌いにならないと思う。こういう場面はそれこそそれぞれの場面に依ることで、同じにできないことは分かっているが、真実はそういうことであってほしい。だから私は、みんな(全員ではない)のことが好きだ。みんな(全員ではない)もまたみんな(全員ではない)のことが好きだとしたら良いだろうなと思う。好きでなくとも嫌いでなかったら、たぶん、なんかちょっと良いだろうな、と。この程度のふんわりした気持ちなわけだけれど。

日に日に、考えがまとまらなくなっていく。そういうことは喋るときにすればいいのに、喋る場が見つからないから、訳の分からない日記を書く羽目になる。読んでいる人が分からないのは当然だ。だって私自身にも分かっていないのだから。
そして、みんなのあとの括弧内の言葉が、今いちばん思っていることだ。

2019/10/08 名前に屋根が入っている

名前は、呼ばれるために在る。分類するために在るのではないのだ。今朝まで私は「こえだ」と名乗っていたけれど、もうそうとは呼ばれていないことに気づいた。
「糸」っていうのは名字からとった名前で、これも1人か2人からしか呼ばれていないのだが、そう呼んでいる人がいるから、まだ名乗ってもいいのだと思っている。本当は「い」と「と」はそれぞれ違う漢字に入っている繋ぎ目の音に過ぎない。この繋ぎ目の2つの音を漢字にすると「糸」になるのが、なんだかいい。

「常連」が自らを「常連」と名乗る行為は、自らを分類しているということだ。あなたは常連さんではなくて、他に名前があるのでしょう?前に、私が「ワカイオンナノコ」だから好かれるのだとしたら悲しい、と書いたことがあると思う。問題は、何者であるかではなく、何者かであると思い込まれることにある。思い込みは敵だ!

人間の関係はすべて、一対一だ。私とあなたの関係は私とあなたの関係でしかなく、他の誰にも邪魔されることは無い。そこでは「私」と「あなた」がいればいい。名前だって必要ない。ならばなぜ名前があるのかと言えば、一対一が無数に存在するからだ。
「私とあなた」はAとBのこともあれば、CとDのこともある。もちろんAとC、BとC、BとD...すべてが「私とあなた」だ。私とあなたが一対一の関係でいようとも、存在する人間は、私とあなただけではないのである。一対一が無数にあるのが集団で、しかしきちんと集団であるためには一対一だけを見ていればいいのではない。ひとりの人間があるひとつの時間において一対一の関係でいられる相手は、一人きりではない。つまり、AはA自身がBやCとそれぞれに一対一の関係があること、さらに、BとCの間にもまた一対一の関係があることを分かっていなければいけない。
そしてそこでは、名前を呼び合うことになる。

「名前に屋根(漢字はこの通りではない)が入っているのは、誇りに思っていい。」そう言われた。名前に込められた意味にはどういう役割や理由があるんだろうか。はじめに私が言ったように名前が呼ばれるためにあるのだとしたら、そこに意味がある必要はない。それなのに、思いやら何やらを込めて名前を付けるのは、なぜなのだろう。
そもそも「何者かになりたい」という欲求(持っている人が多いと思う)は一体どういうものなのだろうか。私は具体的に何になりたいかが思いつかない。素敵な人に会えば素敵だと思うが、その人のようになりたいとは思わない。しかし素敵になりたいとは思う。具体的に思いつかない、とはつまりこういうことだ。
素敵という言葉があるから素敵と使っただけで、形而上的なものを目指すのに、本当は言葉(名前)などいらないのである。目指す、というのはちょっと違うか。別に目指してもいないものな。そっちを向く、くらいの感じ。いい言葉が見つからない。(分かってほしい。)
名前によって何かを目指す(仮)のではなく、名前が意味を作っていくのかもしれない。と、ふと思った。そう考えれば、私の名前に屋根が入っていることは、私をいい方向に導いてくれるような心強い気持ちになる。

だから、名前に屋根が入っていることをもう少し誇りに思っていようと思う。そして、その名前であなたが私を呼ぶことを、こっそり、運命だとも思っているのだ。

2019/10/07 物心がついた時から

メリークリスマス!クリスマスが好きだから一年中こう言ってるが、そろそろ言っていても問題ない季節になってきた(まだ早い)。

物心がついた時から、私たちは自分自身を作って生きているのだと思う。そして、自分自身を作っている自分も、作られた自分自身もすべて、「自分」でしかない。それを認めて、というか、信じてあげてもいいのだと思う。

ある程度の期間、何かをつづけていると、「常連」的な居心地の良さが生まれてくる。居心地が良い、ということを私は普段とても馬鹿にしている。「心地が良い」ことはあっても、「居心地が良い」などというぬるま湯には浸かっていたくない。居心地の良さというのはつまり、「いつもの」ということだ。
根拠があって思うことは、変わることがあるとしても変わるまでは変わらず、それがそれぞれに違う出来事の中で確認されていったり、あるいは違うということに気づいたりする。それをこうして日記に残していくと、自分が信じているものがある程度は分かるような気がする。
しかしそうではなくて、初めてここにやって来た人に通じるかどうかという問題なのである。そこが笑うべきシーンなのだと、もうそれに慣れたかまたはそうと知っている人にしか分からないようではだめだ。「常連」的な人々たちがそこで笑っているのも、「居心地が良い」のかもしれないが、あまり「心地が良い」ことだとは思えない。(「常連」が自ら「常連」と名乗ることについて、今、少し思いが巡ったので、この話はいつかまた別の物語ですることにしよう。)

これは私なのだろうかと思うときがある。パターン化された私の思想に過ぎないのではないか。本当にそうは思っていないのではないか。
物心がついたのはいつだったかなと思う。シーンによって態度を分けていることが、今の私はもう物心がついている証拠だ。その場でどの私でいることが良いのか(それはそこにいるなるべく全員にとって)を考えること、そしてそのどれもが自分であると信じていられること。それが、たったひとつの確かな私自身よりももっと確かな私自身「たち」である。
と、そう思っていたいのだ。思うのではなく、思っていたい。だから今この瞬間の自分が自分自身であることを疑う。疑って、信じていたいと思ってみたりする。

いつの時もクリスマス気分でいたり、好きな構文(私の場合「○○したら○○だった」とか「○○になるまでは○○じゃなかったということだ」とか)をよく使ったりすることは、常連的な「居心地の良さ」になり得るのかもしれない。これらがそうならないよう、態度や振る舞いを考えていくことが、その時の私自身であるための方法だ。
今日もやっぱり同じことを言っている。つまり、考えることをやめないでいたい、というそれだけのことなのだ。

2019/10/06 習ってない!

棚から出して積んでいた本が戻らなくなった。増えたわけではないからなぜなのか謎だが、片付け始めた。…はずなのにこうして日記を書いているのは、あるものを久々に手に取ってしまったからである。小学生のころ使っていた「国語辞典」。久々と言っても、ほんの一年くらいぶりだ。
広辞苑を読むのが趣味の人がいると聞く。私は、この、大きい字で書かれた辞書を読むのが好きだ。読書のように読むわけではないから、広辞苑の人とは全然違うのかもしれないけれど。中学生のころ使っていた辞書はもうないが、小学校のころ使っていたこれだけは、そんな訳でとってある。
「太平洋」を引くと「世界一広い海」と書かれているのに、ロマンを感じる。「ひいおじいさん」なんかが載っているのもいい。私が持っているこれには、大抵の魚は「食用」とか「食べられる」とか書いてあるのに、さんまだけ「塩焼きなどにして食べる」と美味しそうに書いてある。さんま、美味しいよね。今、ちょうどいい時期だ。

あの日「習ってない!」と言った彼が、とてもかわいかった。
私たちは言葉を「習って」きた。それでも習い切れなかった言葉はまだまだたくさんあり、大人になるといきなりそういう言葉に突然遭遇する場面が出てきて、戸惑う。みんな知らなかったはずなのに、急に使いだすから驚く。特に高校生の頃からだろうか。レジュメとか、1限とか、みんな言い出したのである。プリントでしょ、1時間目でしょ。習っていないのに、知っていることが前提なのだ。
知っていることが前提で習わなかった言葉に敏感になったのは、大きくなってからだと思う。(大人になると言わなかったのは、またいつか別の物語で。)ズンドコベロンチョを思い出す。習っていなければ調べたり想像したりしていくことになる。その時によく考えてみることを忘れたくない。

「知る」と「分かる」は違う。言葉を知ったとしても、分かってはいないのである、本当は。「知る」「分かる」だってその意味をちゃんと習ったことがあっただろうか。生まれてからいろんな言葉を習い始めるまでの間に、すでに「知った」ことになっている言葉たち。大きくなってから遭遇した「レジュメ」「1限」と同じだ。
知っていることが前提で習わなかった言葉というのは、そう考えるとかなりあるのではないか。そういう言葉たちを正しく考えていきたい。考えすぎて、ついには何もしゃべれなくなりそうだな。そしてズンドコベロンチョとしか言えない生き物になる。怖…。

夕方に用事がある。それまでに、棚から出してしまった目の前のこれらをなんとかせねばならない。

2019/10/05 真似ぶことはしない

「2009/5/6  キノコのTシャツを買った。」10年前の日記だ。このTシャツは今も持っている。どころか、ときどき着る。物持ちが良すぎでは。
ここに日記を書き始めたのは1年前だが、日記自体は2006年(小4の冬)から書いている。毎日2~3文書いている時期もあれば、思考のメモをときどき書いていたこともある。名駅~名大駅で書いたという、読めない日記もあった。気分が高揚して走り書きをしたのだが、A5見開き1ページ分、字が細かいうえに汚い。字に見えない。しかし読めなくとも分かるのだから、あの日はほんとうに素敵な一日だった。

私は影響されやすいと思う。人が言ったこと、したこと、本に書かれていること。うまく受け止めていきたいなと思った。自分が狭い世界にいることに気づかずにそれらを受け止めてしまうことが怖い。新しい場所に行って、それまで知らなかった人たちに会って、その中には今では愛しいと思うようになった人もいて、狭い世界にいたことに気づく。
私が影響されるのは、彼(女)らが伝えようとしているからだ。もし私の思うことと違っていてもそれらは何ら間違いではない。だからこそ「影響を受ける」ことになるのだと思う。私が流されやすい(かもしれない)ことだけが原因ではないはずだ。
思うことが同じあるいは似ているのなら、そのことに助けられて生きていけばいい。「学ぶことは真似ぶことだ」と尊敬する人が言った。真似をすることは、学ぶ上では大切にしている。私も師匠からそうやって学んできた。そうして、もうこれ以上のことができないという気持ちになったとき、ようやく自分のこととして消化する段に入る。
そこではもう真似ぶことはしない。散歩したり、ライブ映像を観たり(実際に行かれればもっといいのだけど)する。そんなことをしていると、自分がまた狭い世界に閉じこもりかけていたことに気づくのである。気を抜くと本当にすぐに忘れてしまう生き物だ、人間というのは。

たとえ読めないとしても、書かなければ忘れているのかもしれない。乗り物酔いしやすい私が、電車の中で、しかも少しお酒も飲んだあとで、それなりの文量をあの勢いで書いたことも含め、あの日の日記だ。これは記憶ではないが、想像するにニヤニヤしていただろう。はたから見た私の気味悪さが思い浮かぶ。
最近また、少し狭い世界に生きていた。日記を書くことは、真似ぶことと散歩することを同時にやっているようなものなのである、私にとっては。日記を書くようになったのも誰かの影響だろうか。もう覚えていないが、たぶんそうなのだろう。

2019/10/04 沈(涼)む

落ち込んでいます。さっき水筒を持ってお風呂に入って、いま出てきたところです。暑い。涼むのにちょうどいい気候で嬉しい。
「話せば通じる」ということを普段はそれなりに信頼している。だからこそ、それが上手くいかなくて余計に悲しくなる。私がちゃんとしなければと強く心を持ったところで、「話し合う」ことができなければ、他に方法が分からなくて泣きたくなる。泣いてもどうにもならないから泣かないだけで、泣いてどうにかなるならとっくに泣いています。
誰が悪いわけではない。悪かったとしたら、自分自身には思い当たることがある。PDFに変換せずに送って来ただけ(根に持っている)で、いろいろを決めつけてしまったこととか。反省して、一人になってからしばらく黙っていました。別に一人でいる時いつも喋っているわけではないから、いつも通りと言えばいつも通りだけれど。
話し合えないということは、「考えてもらえない」ということだろうと思う。分かってもらえないことは、別にいい。寂しいが、別にいいのである。寂しいだけなら私が耐えればいい。しかし「考えてもらえない」(そもそも「聞いてもらえない」でもあるかもしれない)ことは悲しい。本当にひとりぼっちだと痛感するのは、悲しいときだ。そういうわけで落ち込んでいる。
こういう時にどうすればいいのか分からないのがさらに苦しい。普段からせめて私自身はもっと世の中のためを思って徳を積んでいるしかないのかもしれない。こういう時になってどうにかしようと思っている時点で手遅れなのだろう。
さっきまでホヤホヤだったのにもうすっかり涼しくなった。「話し合う」ということは「考え合う」ということなのだ。合いましょう。「考える」ことだけはやめずに生きていきたい。綺麗事は本当にきれいだということを諦めずに生きていきたい。

一時間後の追記:日が変わった。悲しくて泣いている。どうにもならないと分かっていながら、結局泣いた。通じなくても伝え続けなければいけないことがあるのだと、強く思う。と同時に、私自身の至らなさを思い知らされ、報われないことへの絶望感がふつふつとわいてくる。凡人すぎて、なんだか、私がかわいそうだ。

2019/10/03 車

私が青い車に乗っているのはもちろん、スピッツがそう歌ったからだ。ちなみにこの車にして半年。まだ海には行っていない。
車ではいつも、わりとしっかりした音量で音楽を聴くのだが、今日は途中でiPodの充電が切れてしまった。音楽が止まったら音が聞こえた。上り坂や加速時には思ったよりきちんとふかしている音や、タイヤに挟まった小石がアスファルトにピチピチ鳴る音。
「音楽が止まったら音が聞こえた」そう言葉にして思い、嬉しくなった。なんとかしたらなんとかだった構文(何それ)がけっこう好きで、かといって何でもいいわけではなく、素敵な文に出会うと嬉しくなる。 「目が覚めたら朝だった」「窓を開けたら寒かった」今のところ好きなのはこのあたりだ。好きという割に、そんなになかった。
今日もまた、雨じゃないのか?という気持ちで青空に向かって車を走らせていたら、急に雨が降ってきた。見ると、道を歩く人たちがフードをかぶっている。生活として、とてもいい。何がそんなにいいのか分からなかったけれど、きちんと覚えておこうと思った。こういうシーンに出会っていくことが、私自身の生活だ。
ドライブが気持ちいいのは、本当は、音楽を聴くことが好きなのだろうと思う。聴くというよりほぼずっと歌っているから、歌うのが好きなのだ。しかし自分の部屋で音楽を流して歌うことはほぼないし、カラオケは苦手だ。
運転していることが盾になっているのだろうか。思えば、ピアノを弾きながら歌うのも好きだ。たぶん、両手がふさがっている必要があるのだと思う。それならカラオケでマイクを両手で持てばいいかといえばそういうわけでもなく、私自身より存在感の大きなものが必要なのだ。それが車だったり楽器だったりする。
今聴いているマサムネさんのラジオが、車にまつわるロックナンバーで漫遊しているから、今日は車にまつわる日記になった。ラジオが終わったので、このあたりで締めにします。

2019/10/02 お酒を飲まないまでの3秒

秋だからだろうか。秋だから、窓を開けて机に向かっている昼間が心地よくて、本を読むかラジオを聴きながら日記を書くか、そんなことをしていたい。したいといえば、ときどき夜中に、お酒でも飲もうかなと思う。それがリラックスタイムの楽しみだと思い込んでいるからだ。夜中に自分の部屋でひとりでお酒を飲むことを、私はそんなに心地いいと思っているわけでもない。3秒くらいでそのことに気づくのだが、いつも3秒は気づけずにいるということでもある。
思い付きで動く人に、私は振り回されやすい。というか、「やらない」ことを推すことが苦手なのだと思う。「やっぱりこれやった方がいいと思う。」そう言われて、このタイミングで?とか、必要ないのでは?とか思うのだが、「わかりました」と言って、やる。いつもたらたらしているが、本気を出せば限られた時間の中できっちりと仕事をこなせることを、実は私自身がとてもよく分かっている。思い付きがそんなにうまくいくわけがない、ということをいつも思い知らされるのに、どうしてもっと早く思い出せないのだろうか。お酒を飲もうと思っている、お酒を飲まないまでの3秒と同じだ。そういう病気なのだ。(病気という言葉を、なぜか少しの幸福を伴って使うのは私くらいだろう。)
「やらない」「分からない」はそれなりに大事だろう、とここ最近はよく思う。やった方がいい、分かった方がいい、とみんな思い込み過ぎなのではないだろうか。「言わない」はどうだろう。意図的にあるいは勇気がなくて「言わない」ことがこれまでに沢山あるが、うまくいったことが少ない。言えるのなら言った方がいいのだろうし、しかし上手に「言わない」ができるなら、それがいい。結局どれもいつもそうなのではなく、場によるのだ。場というのが、場所、場面、場合、どれだか知らないが。
3秒間、何も「言わない」でみるのはどうだろうか。その3秒で私はもっと賢くなれるはずだ。3秒間「しない」ことをしてみたい。いろいろしてみたくなる。秋だから、だろう。

2019/10/01 そのままの意味の看板

もっと喋ってみるべきなのかもしれない。おとなしくし過ぎて、「まじで」と言ったあとにその人は「あ、ほんきで、という意味ね」と説明した。おとなしくしていたというより、黙っていたというのが正しい。意図的に黙っていて、うまくいったことがほとんどない。だから、もっと喋ってみるべきなのかもしれない、と思ったのだ。
人間というのは「思い込み」の生き物で、さらに重症になると「決めつけ」になっていく。思い込みや決めつけのシーンを生まないように、せめて私自身は気をつけていたい。せめて私自身は、としたのは、諦めたくないという気持ちからだ。いい世の中にしていくことを、諦めたくない。(思考のニュアンスをうまく言葉にできず、こんな言葉でこの段落を締める羽目になった…)

ラジオを聴いたり本を読んだりしていると、もっと触れやすい他のツールと比べてかなり好き勝手言っていて、面白い。あるいはつまらなくて、いい。それは、「本音を言う」ことについて彼(女)らが正しくわきまえているからだろうか。
声が大きいのである。相手の声が大きいほど、私は小さな声になっていく。好き勝手言っているのを聴いて面白いのは、あるいはそれがつまらないのにいいのは、声が大きすぎないからだと思う。ただ好きなことを言っているだけの人は、たいてい声が大きい。大きい声は私にとってあまりに怖くて、いつも逃げだしたくなる。
私がどんなに静かにしていたところで、相手は自分の声の大きさに気づかない。むしろ、私が静かにしているから、何を思いこんで決めつけているのか知らないが、大きい声でなにやら言っているのだろう。

いざ喋ろうとしても、いきなり本題を話すことができない。あるひとつのことを考えながらも、本題が何なのかわからず、関係ないような話をしてみて、ようやく本題に辿り着くことが多い。それでも、私の話を聴いてくれている人がいると分かっているから、何とか喋っているのである。そうでなければ辿り着くまでの長い道のり(あるいはもしかしたら辿り着けないこともある)を、歩いて行こうという気にはなれない。そんな孤独に耐えるほど、強くはない。
家の近くの通りに「○○に通じる道としてつくられたため、○○通りと名がつきました」という、そのままの意味のことしか言っていない看板がある。この道を歩いていけば、「通じる」のだろうか。そう信じて歩いて行けたらいい。

私は看板が好きだ。右下のちっちゃいザリガニが特に好きだ。散歩をしていたら今日もまた、これまで知らなかった看板を見つけたのである。この日記はそのお話でした。

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