雨やどり


管理人室 -- 日記 -- 2019/02
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2019/02/25 私がふたり必要
2019/02/19 結婚肯定派のマリッジブルー
2019/02/17 美味しくなくなること
2019/02/15 昨日=バレンタインデー
2019/02/08 不健康
2019/02/03 うまく泣けない

2019/02/25 私がふたり必要

明日あたりに一度死ねる気がする。生理に周期など本当にあるのだろうか。1か月に1度ちゃんとくるだけで驚いてしまう。そう考えると、月はまじめに満ち欠けしていて、えらい。
男性の保育士さんは、ひとつの職場に必ず2人以上一緒に配属される、という話を聞いた。ひとりもいないか2人以上か、どちらかということだ。それは、女性社会の中で男ひとりだと鬱になるから、らしい。おもしろい。私の職場はまさに女性社会だ。私も女だが、私は私がもう一人ほしい。
しかしこの女性社会という言葉、何なのだろうと思う。流行らないだろうな、と思う。私がしたいのは、性同一性とかそういう話では全くないのだけど。女性社会というのは、陰口が多い、愚痴が好き、噂話が飛び交う、陰湿な上下関係がある、とかを言うんだろうか。女性社会って言葉はそもそも悪口なのだろうか。女性社会(と呼ばれているもの)の中にいながら私は結局よくわかっていない。ただ、私にとっては、好んでいつまでもいたいような心地の良い場でないことだけは言える。娯楽的会話のメリーゴーランドはまわり続ける。思い出せない過去が輝いている。絶対的に正しいのはこの場にいる人間。全てはジョークのように笑いに変わる。私は奥歯をかみしめ口角を上げ、何か言われれば、は~いとゆるい返事をして過ごした。それなりにおかしくてよく笑った。
肉より魚が美味しいのは、私がそういう場を好まないことを証明しているのだろう。特に近年、魚がとても好きになった。本の中の言葉について、それが何を言うのか、そんなことを考えては誰にも話さず、しかし私の一部になることが嬉しい。肉の脂より魚の骨をバリバリと食べていきたい。
何を言っているのか分からなくなってきた。ふわふわとして心地が良い。こんなに心地よくては、明日には本当に死ねてしまう。今日はコンタクトが14日目のはずだから、ペッと捨てて眠る。これは、数を数えることくらい私にだってできるよというアピール。羊も寝床に帰っていく。1匹。2匹、3匹…zzz…

2019/02/19 結婚肯定派のマリッジブルー

そろそろ結婚するか、と、わけもなく唐突に何度も思い、そのたびにブルーになった。昨日のことである。これがマリッジブルーというやつか(違う)。結婚についていつかまじめに考えようと思っていた。多分答えはいつも出せないが、いま思うことだけでも日記にしておこう。

私は、結婚とか家庭とかにあまり縛られるような気持ちはない。結婚したところで何かが変わることはない。私と誰かの関係も変わらない。誰かというのはもちろん、結婚相手のことだけではない。他の誰とも関係は変わらないはずだ。
大学生のころ、「恋人がいても私は友達とふたりで飲みに行きたい。その友達の性別は関係ない。恋人が恋人であるのは、それが私とその人の関係の行き着いた形であり、友達が友達であるのも全く同じだ。どちらが好きとかはない。どちらも好きだ。」と言ったら、それは浮気だ、というような意見をされた。以来、「それならば恋愛などしたくない」と言っていたのだが、あるとき、また別の人に「恋愛などない」と言われた。それはいいアイデアだと思う。確かに、誰かとの関係はほかに同じものは絶対にないのだから、名前をつけて呼ぶのは不自然だ。結婚したら相手は妻もしくは夫になるのだろうが、本当は、妻も夫もないのかもしれない。
しかし同じような考えを持った人はおそらく少ないのであって、そういう中で私の結婚が快く通るかと言えば、無理だろうと思う。それでブルーになったりしていた。落ち込んだり悲しんだりということではない。青色はもっと正直だ。そういう意味のブルー。
そんなわけだから、結婚なんてものも本当はない。結婚が何かの約束だというのなら、約束なんてものもない。約束があるとしたらそれは、結果的な形がそれというだけだろう。私は物事をなくしてしまいがちだが、言葉はなくしたくない。難しいところである。そして、ならば何なら絶対にあると言い切れるのか、いつも探している。愛とか夢とか?探さずとも、歩き続ければいつか見つかるのだろうか。

結婚する理由なんて本当にどうでもいいと思う。幸せならば。そう、幸せならば。子どもを産むことが幸せだと思うのならそれでもいいし、好きな人と一緒にいたいのならそれでもいい。というか、そういう人たちはそれらをしたらつまり結婚という形になるのである。(せっかく言葉があるので、結婚という言葉を使うことにする。)結婚が先には来ない。これが私のしたい結婚、ということだ。
結婚で変わる可能性のあるものなんて名字くらいだろう。もはや、結婚する理由が「名字が変わる」とかでもいいと思う。私は自分の名字が嫌いではないしどちらかと言えば気に入っているが、名前と合わせると母音が続き、少し発音しにくい。だから、そうならない名字の人と結婚したい。

深く考えずに、お風呂行くか、くらいのノリで、結婚するか、という気持ちでいる。いつだって人間と一対一の関係を持っていたい。ふたりは、ひとりとひとりだ。三人は、ひとりとひとりとひとりだ。四人は…(つづく)。ひとりでどこまでも行きたい。さて、そろそろ結婚するか。相手は未定ですが。

2019/02/17 美味しくなくなること

数日前、ときどき行く好きな喫茶店(カフェ?)に行った。女の人がお店の人に「美味しいね」と言う。「美味しくなくなることはしてないから」というのがその答えだった。その通りだ。真理。良くないと思うことはしない。これはいつも自然にしていたいことなのだが、何を良くないと思うかという意識(センス)が大事になる。平気で美味しくなくなることをする人もいるのだ…。
そのお店のランチはなかなか珍しい食材を組み合わせたりもしている。それでもやっぱり美味しい。試作はあまりしないそうだ。「自信のないときはする」らしい。分かることと分からないことがある。分からないときに歩いて確かめにいかれる人は強い。
最近、なぜだかお店に通うほどの気力が無かった。しかし今週は、先週までと同じスケジュールなのに、時間がたくさんあるような気がして、お店にも足が向いた。その時間、それはとても良い場だった。これだからお店はいい。これは100万回くらい言っていることなのだが、人が場所になる。お店は人間だ。だからたぶん私は人間が好き。

今日、ガソリンスタンドのお兄さんに「車、変えたんですか?」と聞かれた。車でではなく顔で覚えられていたみたいだ。山を越えて行く。途中、車を止めてスマホで写真を撮った。カメラを持ってくればよかった。私の顔は、そんなに覚えやすいだろうか。ありきたりだと思う。目が二つと鼻が一つ、口が一つ、眉は二本、耳が二つついている。ありきたりだ。ありきたりだけれど、それでも私は車になれたのだろう(と思うことにする)。ガソスタのお兄さんにとって、私がそこにいる時、そこは私という人間が場所になっている。車もお店も同じ。今日のこの感覚を忘れずにいたい。いつかの私はお店のはずだ。それにしても青い車は、乗っていて気分がいい。とてもいい。

2019/02/15 昨日=バレンタインデー

一昨日。10時前に起きてパンを食べ、図書館に行き「サーカス」とタイトルに入った本を6冊借りた。図書館は家から徒歩10分ほどで、途中、工事をしている道があった。本を選ぶのに2時間以上かけ(サーカスを探して歩きまわっていたからけっこうかかった)、帰り道、同じ道を通ると工事の人たちはたぶんお昼休憩で、交通整理の人がひとり残っていた。そのままの足で近くのレストランに行ってみたが夜営業のみらしい。最近できたクロワッサンのお店は定休日だった。下調べするという脳がない。結局、家から二番目に近いコンビニまで足を延ばし、プリンとゼリーを買った。一つは昼に、もう一つは夜に食べる。たくさん借りた本が重い。ようやく家に戻る。とてもいい散歩をした。プライベートのメールを送る。デートの約束をした。東京の梅を、思う。夕方少し仕事をして、合間にピアノを弾き本も少し読んだ。夜は早々に眠る。
昨日。この日もまた10時前に起き(夜中に2時間ほど労働をしたのでやはり分割寝)、近くのドラッグストアまで板チョコを6枚買いに出かける。バターはストックがあった。ガトーショコラを焼いた。田舎のこの地ではバレンタインの雰囲気など全くなくこの日を迎え、私はバレンタインとは全く関係なくチョコレートのお菓子を作った。とてもいい日。それにしても、バレンタインデーにチョコレートのお菓子を作るのは、おそらく初めてだ。本を読み、しばしだらだらと過ごすと仕事に行く時間になった。仕事に向かう前、本社に寄ろうかとも考えたが、明日でも間に合う、と思い直し、明日(つまり今日)に回す。なるべく先延ばしにして生きている。21時頃帰宅。さっさと夜ご飯を食べてお風呂に入り、22時半には眠る。プレイリストの途中で寝落ちる作戦成功。1曲目の途中からすでに聴いた記憶がない。
今日。2時半に起き、新聞配達のバイト。あと5日で辞める。早朝(夜中?)の星空はきれいだった。氷点下6度くらいではそんなに寒いという気もしない。日記を書いて(これ)、また少し眠ることにしている。9時くらいには起きて、週末の資格試験の準備をし、本社で用事を済ませ、少しご無沙汰気味のお気に入りの喫茶店にでも行こう。仕事に出る前に一度家に帰りたい。本を読むかテレビを見るかピアノを弾くかだらだらするかする。多分この通りにはいかない。
最近のことを書いた。日記というのは未来のことも書いていいんだろうか。(多分いいので、書いた。)これから見る夢が、起きたあとの時間ともひとつながりでありますように。ぐーすかぴーすか。

2019/02/08 不健康

生活習慣でいえば、分割はしているが一日に7~8時間眠っている。食事も、栄養のあるものを一日に三度摂っている。健康的である。一時期より肩も凝らないし、なんとこの間生理がきちんときた。
不健康の意味を調べてみたら、「1.からだの調子がよくないこと。2.生活態度や考え方がまともではないこと。」とある。1については全く問題なさそう。2を読んで少し笑った。まともではない。そうかもしれないなと思う。2019年の1月はとても長かった。時が経つのが早いのはトキメキがなくなったからだという話をテレビでやっていたらしい。私はCちゃんがどうしても苦手なので(きちんと見たことはないが、私の好きになれないタイプの品のなさ…)、人から聞いた。私の1月が長かったのは、つらかったからではなく、寂しかったからでもなく、トキメイていたからだというのだろうか。
会いたい人にはしばらく会えていない。2月の終わりになれば、会えるのかもしれない。1月は好きなお店にも全然行かれなかった。ひとつ言葉を選んで(クジラとかチョコレートとか)タイトルにそれが入っている本を図書館でさがし歩くこともなかった。まともではない。不健康だと思う。
今朝は、目を覚ますとまだ眠たかった。寝る時間はあったのだが、アレヤラナキャコレヤラナキャなどと考えていたら眠れなくなった。その時間眠っていてもそれらをこなす時間はたくさんあった。まともではない。あまりに不健康。
まともっていうのは、何を言うんだろうか。辞書の言うまともは、誰にとってのまとも?私の言うまともは?私はもうしばらくは私のまともをまともだと信じて生きていきたいな。食べたいものを食べたい。好かれたい人に好かれたい。行きたい場所に行きたい。そういう時間の使い方をしたい。これから、お昼ごはんを食べて少し昼寝をして、仕事に行く。これはまとも?

2019/02/03 うまく泣けない

人前で泣くこと。人前で寝ること。このふたつを私はなるべく避けてきた。だって恥ずかしいでしょう?授業中に居眠りをしなかったのはだからだし、どんなに目が潤んでもこぼれる前に飲み込んだ。
感情をさらけ出す人間にどう接していいのか分からない。他人と行くカラオケもちょっと苦手。いつもちょっと微笑んで、とにかく感じが悪くないようにだけしている。でも彼が泣くのはたぶん(いや絶対に)かわいい。泣く人間を見て愛おしく思っていいのだろうか。微笑んでいていいのだろうか。

なるべく避けてきたとはいえ、記憶にある限り3回人前で泣いたことがある。1回目は若かった。高校生の女の子が失恋して泣いた。若いなぁ〜。2回目の涙は、私たち二人だけならとても相応しかった。思うことがあり、ある場面に遭遇した私は泣いた。隣を見るとその子も泣いていて、親友と二人、無言で泣いてちょっと笑った。周りの人は突然泣き出した私たちに驚いていたから、やっぱり変だったと思う。3回目は苦しかった。死んだ友達の話が分からなかった。よく覚えていないが、怒りに似た感情があった気がする。あそこで私が泣くのは不自然だったかもしれない。

彼が泣くとき私が微笑んでも、彼は怒らないと思う。私がなぜ微笑むのか分かってくれるはずだから。彼は泣いてくれるかな。私は彼の前で泣けなかった。あの時は生まれた時を除いて人生で唯一、人前で泣くのに相応しい場だった。いつになったら私はきちんと人前で泣けるんだろうか。泣いてもいいのだろうか。かわいいと思ってくれるだろうか。(語弊のある文…)
人前で泣くことはこれからも避けていくと思う。だけど相応しく泣けるようにはなりたい。相応しくというのは、泣くことでその場がととのい私がかわいくあるのならばそのようにということ。場がととのうというのは、誰も不快ではない状況を言いたい。かわいくというのは、自然にと言うほうが伝わるかもしれない。注釈をつけすぎだ。言葉は難しい。今日の日記では意識的にかわいく(それも、可愛くではなく)と言い続けてきたので、読み手に私の思うのと違うように解釈されているかもしれない。でもこれは私の日記だから。

彼と私の間には何の線も繋がっていないが、ブルーのビー玉が転がっている。これは本題とは全く関係のない話。

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