雨やどり


管理人室 -- 日記 -- 2018/12
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2018/12/26 あたたかい水
2018/12/19 悲しみのあと
2018/12/18 とても悲しい
2018/12/16 ふたご座流星群
2018/12/12 きらめきたい
2018/12/04 遠くの街に書く手紙

2018/12/26 あたたかい水

心地良いだろうなと思うことをよく想像する。たった今も想像していた。広くてあたたかい水の中に全身を浸からせて裸で眠ったらとても素晴らしいだろう。この間は、おなかの中心が冷たくなったら気持ち良いだろうなと思った。そしてそれが広がっていく様を夢に見た。ものすごく熱い手で触れられて火傷を負うのもいい。知らない道をずっとずっと歩きいつか疲れて倒れる瞬間も心地良さそうだ。こうして書き並べると、死ぬときの想像だろうかという気がしてくる。
何かが終わるとき、大抵タダでは終わらせてもらえない。平成が終わる2018年は、死が人をよく驚かせた。俳優も女優も漫画家も。そして私の友達もひとり死んだ。友達が死んだと分かった日から、友達が死んだということを思わない日はなかった。(死んだ日から死んだと分かる日までは少し時間がある。)思うことは少しずつ形を変え、今は、今年はいろいろあったな〜と思うのである。嫌なこととかそういうんじゃなくて、いろいろあった。これから先2018年を思い出すときはいつも、あの年はいろいろあった、と思うのだろうという気がする。
今日私が死のうと他の人間の生活は滞りなく続いていく。(年末だし書いてもう出してしまった年賀状だけは困るか。)死んだら良い人扱いされる世の中だから、心地良い死を常に想像してしまう。どうか死んだ私をあの人は良い人だったねなどと言わないで欲しい。この願いだけが私の生きるモチベーションになる。
今また、新たな心地良い想像が生まれた。モチモチのクッションを枕にこたつで横になっていると、このまま眠りそして目覚めなくても良いなという気がしてくる。目覚めない想像は余りに心地が良い。さて、果たしてどうなるでしょうか。おやすみなさい。

2018/12/19 悲しみのあと

目を覚ましてそれから2時間くらい考えた。実在していないのは私だけなのだろう。彼はいる!愛はある!私がいなくても彼はいるのだから、私が私を見つけられなくても、彼が私を見つけてくれる時には、私はちゃんと存在できる。ああ、良かった。あやふやなのが他の誰でもなく自分の存在であって。おしまい。

2018/12/18 とても悲しい

悲しくなってしまった。とても悲しい。人一倍疑うことが得意な私は、それでも信じられるものを愛と認識して生きてきた。愛は存在の肯定のはずだ。遠い街に暮らしていても愛しい人が確かにあそこにいるという思考は私にとっての偶像であったし、どんな神でも信仰は案外心強い。
田舎に越してきて、決まった人にしか会わなくなった。電車の中で知らない人間を見ることも、道を歩いていてたくさんの人間とすれ違うこともない。コンビニの店員ですら、何かしら別方面で繋がりのある人間である。限られた知り合いと呼べる人達のことも、あまり信用していない。頼れるのは自分だけだ。こんな生活をしばらく続けていたら、愛しいあの人は本当に実在するのだろうかという考えが頭をよぎった。いや、よぎっただけなら良かった。もうずっとこびりついて離れない。
愛は存在の肯定だとするならば、私にもう愛はないのだろうか。それとも間違っているのは、愛に関する私の定義の方なのだろうか。
このところ夢と現実の境目が無くなってきて、とても心地が良い。夢の体験はかなり現実に近い。しかし、現実が夢に歩み寄っているのではないと思う。夢が充満した私は、火をつければ大爆発を起こすだろうな。札幌のスプレー缶の事故のように。
本意ではないネガティブな願望は、叶わなければ良いと思いながらも、叶える能力が無いとなるとそれは精神的にきつい。そんな訳で私は今日、とても悲しい。

2018/12/16 ふたご座流星群

流れ星がたくさん流れるというから、天文学科の彼と夜の散歩をする。5個流れた。ひとつは歩きながら見たから、電線に沿う街灯の光だったかもしれない。手を繋ぎながら歩く。彼の目を通して星を見た。ふたごのように私たちは一人では生まれてこなかった。あーあ、あの星の名前もその星座の形も、知る前までは知らなかったのに。ひとりでいる時、どんな想像も体験できる力が私にはある。さて、あの夜は一体どこまでが現実でどこからが夢?全てが夢ならそれもいいな。夢の私はけっこう可愛いし、夜の私は案外ロマンチストだ。自分が可愛くないと思っていたのは夢を見なかったからで、現実ばかり見つめて生きていると思い込んでいたのは夜に眠っていたからなのだろうと思う。
久々にドレスを着た。青色のドレス。私は澄んだ青色が似合うということに、実は薄々気がついている。そのドレスは胸のところにキラキラしたビーズがいっぱい縫い付けられていて、人からは満天の星空のようだと言われた。青色はすごい。矛盾を全て飲み込んでいるような色だ。青色を身につけていると、夢も現実もなんでもいいような気がする。嘘でも本当でも関係ない。愛か恋かみたいなことはもっとどうでもいい。
流れ星と、それから虹は、見るとけっこう嬉しい。こういうありきたりな感情を持っていることが嬉しい。あなたに会いに行きたい。会いに来てほしい。また一緒に散歩したい。あなたも寂しいといい。寂しい時に思い出すのが私であってほしい。ほら、とってもありきたりでしょう?

2018/12/12 きらめきたい

いま読んでいる本の文章がすごく好みで、かなり影響されている。どうしようもなくきらめきたくなって、きらめきたい!とかいう詩をノートに書きつけたくらいだ。
ところで、左利きの人が左手で文字を書くのって、見るとちょっと変な感じがするでしょう?それと同じように(もしかしたらそれ以上に)、右利きのその人が右手で文字を書くのが、今日は新鮮で驚きに満ちていた…!不思議で可笑しかった!左利きだと思っていたわけではないし、寧ろ右利きだということは知っていた。それなのになぜだろう?この気持ちは何だろう?
…きらめいてる?きらめいている。きらめいている!この気持ちは多分きらめきだ!右利きの人が右手で文字を書くことは、明日はもうきらめいていないかもしれない。だからこのきらめきは忘れずに引き出しに入れてとっておきたい。きっと誰とも共有できない(共感してもらえないという方が的確かもしれない)私だけのきらめき。

2018/12/04 遠くの街に書く手紙

秋空色のペディキュアを落として爪を切り、少し迷ってまたおなじ秋空色にぬりました。こちらは木々の葉もすっかり落ちています。冬のようです。東京の紅葉は今どんなふうですか。このところ私が社会に見せていた姿は、気分の変動が激しいなかで、好調なときの姿でした。良いときは考えごとも素敵になるし、肌の調子もいい。悪いときは転がったみかんに訳もなく怒ったり、布団に入ってメソメソしたりしていました。あなたに会えないことになり、今日はすっかり落ち込んでいます。明日私は東京でどこに行くのでしょうか。今いちばん美しいと思う言葉は、大月で待ち合わせ。いつか本当に大月で待ち合わせましょう。大月にはいったい何があるのかしら。秋空には白い雲を浮かべればよかった。空は少しはみだしているけれど、誰がみることもありません。東京はまだ秋なのだろうと思います。届かないでしょうけど、どうかお元気で。

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